29. 郊外へ

 迎えの馬車は、人目につきにくい、あまり使われていない通用門に付けてもらった。


 僕、そしてリオネルは、すでにそこで、最後の一人を待っている。


 二人共、普段の制服とはまるで違う、精一杯だ。

 庶民の町にも馴染みがあるリオネルは、どうやら慣れた様子だが、僕の方は、こういうときのために用意してあった「庶民らしい服」を身に着けてはいたものの、あいにく、シャツもスラックスも新品で、いかにも“変装してる感”は拭いきれていない。

 かといって、貴族としてはあまりみすぼらしい格好をするわけにもいかないのだ。


 約束の時間を三十分過ぎて、最後の一人、ヴィルジニー・デジールは現れた。


 その格好を見て、リオネルが引きつった顔をこちらに向ける。


「お伝え……しましたよね?」

「したよ」


 ヴィルジニーも、やはり普段の制服姿ではなかった。身につけていたのは、装飾の少ないシンプルな白いワンピース……ではあるのだが、それらはあくまでも“貴族基準”で見れば、というもので、どう見ても一般市民が身につけるようなものではなかった。華美ではないが、遠目にもわかる高品質の生地と、高度な技術で縫製されたことが伺えるシルエット。手にはレースをあしらった日傘まで携えている。どう控えめに表現しても、休暇に私領地を訪れた貴族家のお嬢様というレベルを脱していない。


 リオネルに応えたように、もちろん、彼女には昨日のうちに、一般市民の町にお忍びで行くのだから、やはり一般市民に見えるような格好をしてくるよう、伝えていた。


「彼女に期待した、僕たちがバカだったんだ」

 僕がそう言うと、リオネルは「そんな」と目を見開いた。


 近づいてきたヴィルジニーに、リオネルは言った。

「ヴィルジニー様……庶民らしい、目立たない格好を、とお願いしたはずですが」


 ヴィルジニーは堂々とした態度で、偉そうに顎を持ち上げた。

「ええ。精一杯、地味にさせていただきましたわ」


「えっ? それで?」


 リオネルが眉をひそめると、ヴィルジニーは不本意そうに顔をしかめる。

わたくしは公爵令嬢。これ以上、貧相な格好などできません」

 そう言うと、広がったスカートの裾を微かに揺らした。


 その様子を見れば、彼女自身、自分の格好が“庶民らしい”出で立ちではないことは、理解しているのだろう。はじめから、言うとおりにするつもりなどなかったということだ。


 リオネルが救いを求める目でこちらを見たので、僕は一歩、彼女に近づいた。


「とてもよくお似合いです。今日もとてもお美しい」


 僕が言うと、ヴィルジニーは一瞬、怪訝な表情を浮かべたが、すぐに、いつものシニカルな笑みを浮かべる。

「当然です」


 僕はヴィルジニー、そしてリオネルを順番に見て、それから言った。

「行きましょうか」


 リオネルは驚いた顔をする。

「えっ……このままで?」

「ヴィルジニー様のおっしゃることも、理解できます。貴族として譲れない線がある、ということでしょう」

「しかし……平民はパニエなど使いませんよ……」


 リオネルの語尾は小さかった。


 ヴィルジニーに手を貸し、馬車に乗り込ませる。レディファーストだ。


「この際、多少目立つのはあきらめよう」

 続いて乗り込み席に付くと、隣に腰掛けたリオネルが諦めたようにため息をついた。


「出して下さい」

 声をかけると、返事をした中年の御者は馬に鞭を入れた。



 昨日、フィリップ王子のところに向かったヴィルジニーからは、昨夜のうちに報告を受けていた。


「どうやら、認めざるを得ないようですね」


 僕の部屋に現れたヴィルジニーは、不本意そうに目を細めてそう言った。


「なにをです?」

「……王子殿下のことです。こと特待生に関して、貴方あなたの洞察は、正しいようです」


 そりゃそうだ。その点、僕は王子に直接聞いたようなものなのだから。


「では、やはり?」

 椅子に腰掛けたヴィルジニーは、壁際に立っていたリオネルに頷いた。


 彼女の話によると、こうだ。



 部屋を訪れたヴィルジニーを、王子は驚いた様子ながら、快く迎えてくれた。


「よく来てくださいましたねヴィルジニー。そうだ、お茶でもいかがです?」

 そう微笑まれた王子は、なんと手ずからお茶をいれてくれた――



「フィリップ王子が、わたくしのためにお茶を用意してくださったのですよ!」

 ヴィルジニーは興奮気味に語った。

わたくしだけのために!」


「それはわかりましたから」

 僕はうんざりして言った。

「早く続きをお願いします」



 王子が使う王族専用の部屋は、他の生徒のものよりずっと広く、応接間すらあった。

 ヴィルジニーはそこで、王子とテーブルを挟んで座り、お茶をいただく。室内には使用人が控えていたが、貴族である二人にとってはそれはいないのと同義で、二人っきりでお茶、というはじめて遭遇する事態に、ヴィルジニーは緊張してしまっていた。


 ヴィルジニーには、話を切り出すのは、王子が水を向けてからの方が望ましい、とアドバイスしていた。彼女はそのことを忘れていたが、緊張した気分を落ち着けようとしていたことが、結果的にその時間を稼ぐことになった。


「それで、ヴィルジニー。なにかボクに話でも?」


 王子がそう言い、それでヴィルジニーはようやく、僕の言葉、そしてを思い出した。


「はい、あの……先ほど、学生ホールでの殿下のご様子が、気になったものですから」


 王子は変わらず微笑んだまま、首を傾げた。


「ボクの様子?」

「はい。殿下には……何かご心配事がお有りなのではないか、と」


 王子の微笑みに気後れしながらも、ヴィルジニーは覚えてきたセリフを続けた。


「僭越ながら、殿下の心配事は……特待生の成績のことではございませんか?」


 王子の笑顔が、固まった――ように見えた。

 そのわずかな変化に、正解だ、と察したヴィルジニーは、返事を待たず、続ける。


「特待生――セリーズの成績は、七位。誉れ高き王立学園での七位という成績そのものは、決して悪いものではありません。しかしセリーズは、成績優秀にして、国王陛下から奨学金まで下賜されている身。七位では、その期待に応えられているとは……いささか、不十分と思われても仕方ありません」


 王子の細めた目は、遠くを見るようにしていて、ヴィルジニーは辛抱強く、待つ。


 やがて、王子はヴィルジニーに視線を戻すと、苦笑いを見せた。


「驚いたよ。全部お見通し、だとは」


 その言葉に、ヴィルジニーは身をすくめてしまう。

「申し訳ありません……知ったような口を」

「いや。ヴィルジニーがそのように感じてくれている、それは、ボクにとっても心強いことだよ」


 フィリップ王子は頷いた。


「そう。確かに七位という成績は、非難されるようなものではない。大変に立派だ。ただキミが言うように、セリーズ嬢にはもう少し……いや、はっきり言えば、彼女には首席が期待されている。国王陛下はそのために、彼女が勉学に集中できるようにと、支援してくださっているんだ。その結果がアレ、ではね」


 王子は少し考えて、苦笑と共に続きを口にした。


「面白くないじゃないか」


「殿下。セリーズの順位低下、わたくし、その原因に心当たりがあります」


 ヴィルジニーが言うと、王子は目を見開いた。


「本当に?」

「はい。そもそもセリーズは、より学習に適した環境を与えられていたと考えられる貴族の子息子女を差し置いて、入学試験で首席だったのです。それがたったの二ヶ月足らずで、授業についていけなくなる、などということは、考えられません」

「うん。そのとおりだ」

「彼女には学習に集中できない、なにか事情があると、わたくしは思うのです」

「ふむ、それは?」


「はい。しかし殿下、これはまだ心当たり、という程度のもので、確信には至っておりません。殿下のお許しがあれば、この件、わたくしの方で、しっかりとお調べし、ご報告いたします」


 王子はこの日、何度目だろうか、驚いたような表情を見せたが、やがて、微笑むと頷いた。


「なるほど。確かにこの件については、キミに動いてもらうほうが良さそうだ。頼まれてくれるか、ヴィルジニー」

「――承知つかまつりましてございます」


 ヴィルジニーは深く頭を下げた。



「王子が、わたくしに、“頼む”とおっしゃられたのですよ!」

 ヴィルジニーは興奮して言った。

わたくし――感動のあまり、すぐにお返事できませんでしたわ」


 これも、ヴィルジニーにとって「王子にしていただいたはじめて」になってしまったようだった。

 完全に浮かれ、舞い上がっている悪役令嬢を、僕はつい、冷めた目で見てしまう。


――コイツ、フィリップ王子のこと好きすぎかよ――


 身の振り方を、色々と考え直さなければならないのかな、と、思ってしまう。

 シルヴァンに言われたことも、そうだ。現状、僕は、フィリップ王子に対するヴィルジニーの好感度上げに、ただ協力するだけになってしまっている。そればかりか、ヴィルジニーの貴族社会での汚名返上まで手伝ってしまっている。

 それらは僕の目的、希望を叶えるためには、完全に逆効果だ。


 しかし――ヴィルジニーに協力しなければ、僕と彼女の親密度も、上げようがないのだ。現状、そのことただ一つが、僕とヴィルジニーを結びつけている。


 進路修正が必要だった。できるだけ早急に。

 ここはやはり、セリーズとフィリップ王子、二人の親密度を早急に上げる必要がある――


「では明日は予定通り、セリーズ様のご自宅――サンチュロン家を訪問する、ということで、よろしいですね」

 リオネルの言葉を聞いて、そのことをようやく思い出したらしいヴィルジニーは、はっとした後に眉間にシワを寄せる。

 僕が自分の額を指差すようにすると、彼女は細い指先で自らのそこを均すように撫でた。


「やはり……行かなければなりませんか」

「王子に言ったんでしょ? しっかりとお調べしご報告します、って」

「それは……貴方が台本にそう書いていたから」

「えっ……心にもないことをおっしゃったんですか? 王子に向かって?」

「そっ、そういうわけではありません!」



 そういうやり取りを経て、現在馬車に揺られている、というわけだ。


 正直に言えば、昨日の段階で、僕はすぐにでもフィリップ王子を訪問したかった。シルヴァンに約束したことでもあり、僕自身の懸案事項でもある、フィリップ王子の婚約にまつわる疑義をただすためだ。


 しかし、王子がヴィルジニーと話した直後、というタイミングでは、よくないだろうと思いついた。王子は聡いお方だから、ヴィルジニーの行動に僕が関わっていることには、当然思い及ぶだろう。このタイミングで僕がノコノコ出ていけば、問い質されるのはきっと僕の方になってしまう。


 この件が終わってからの方が、いいだろう。

 予定通り、ヴィルジニーに報告までさせて、彼女が王子に褒められれば、そのあとに僕の関与を確かめられてしまっても、目的は果たされているわけで、何の問題もない。


「……なにを見ているのです」


 冷たく咎めるような声に、僕はようやく、向かいに座る悪役令嬢が、刺すように鋭い視線を向けてきていることに気付く。


「失礼――新鮮なお姿に、つい見とれてしまいました」


 ヴィルジニーが身につけた“お忍び装束”は、僕が知っている公式イラストや設定画には、なかった。ゲームをプレイすれば拝めた姿イベントCGなのか、それともこれが“現実”であるがゆえの“特典”なのか。今の僕には判断付きかねるが、いずれにせよ、はじめて見る彼女の姿を、僕は思索にふけりながらも、マジマジと眺めてしまっていたのだ。


 そう広くはない馬車の中。膝がぶつかる、というほどではないが、近い距離にいる男に「見とれていた」などと言われても、ヴィルジニーは恥ずかしがるようなことはしなかった。ただその鋭い視線を放つ目を、わずかに細めた。


「ステファン、貴方――」


 何事かを言いかけたヴィルジニーだったが、はっと気づいた様子でリオネルを見て、言いとどまる。


「いえ、どうぞ、おかまいなく」


 リオネルは言ったが、ヴィルジニーはやはり、気にするのだろう。口を閉じると、不機嫌そうに窓の外に顔を向けた。


「……お邪魔でしたかね」


 リオネルは僕に向かって抑えた声で言ったが、いくら車輪の音が騒々しいとはいえ、僕に聞こえる声は、ヴィルジニーにも聞こえたはずだ。


「いまごろ気づいた?」


 僕のそういう返事を、リオネルは冗談だと思ったようで笑ったが、あいにく僕の方としては、冗談で言ったつもりはなかった。


 やがて馬車は、城下と郊外を隔てる旧城壁の、今では開け放たれたままになっている門を抜ける。目的地までもう少しだ。

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