18. 懐柔

 本棚に教科書類を並べ直し、片付けは完了。リオネルの部屋は見違えるように綺麗になった。


「書物は必ず、用が済んだら本棚に戻す。必ず元あったところに戻すんですよ。机の上はもちろん、椅子や床に積んでおくのはもっての他。本棚も横積みはいけません。取り出しにくいし、本も痛めますからね」

「なるほど、こうしておけば必要なものが見つけやすいし取り出しやすい……さすがですねステファン殿!」


 嬉しそうに本を棚から出し入れするリオネルに、僕は呆れる。


「なにも驚くようなことではありません――基本中の基本です」

「いやお恥ずかしい……弟たちにはこういうことにならぬよう、進学前にしっかり身につけるよう伝えます」

「そうした方が良いとおもいますよ」


 リオネルには弟がいるらしい。なるほど、他の生徒に頼りにされる面倒見の良さは、そういうところで身につけたということだろう。


「それにしても……どうもありがとうございます。まさかステファン殿に片付け方を教えていただけるとは。貴重なお時間を割いていただき、まったく申し訳ないことをいたしました」

「いえ、こちらが勝手にはじめたことですから」


 これで、万が一にも主人公セリーズがこの部屋を訪れても、片付けイベントのようなものは発生しないだろう。



 とにかく、これでようやく本題に入れる。


 リオネルが一つしかない椅子を勧めてくれたので、遠慮なく座る。部屋の主はベッドに腰掛けた。


「実は、リオネル殿のご指摘は、正しいのですよ」


 僕がいきなりそう言ったので、リオネルは怪訝な顔をする。


「ご想像どおり、わたくしがヴィルジニー様に助言しているのです」


 話を理解したリオネルは、納得顔になる。

「やはり! ……しかし、なにゆえ――」


 僕は重々しく頷いて見せてから、身を乗り出すようにする。リオネルは察して、顔を近づけてきた。


わたくしがフィリップ王子に懇意にしていただいていることは?」

「はい、存じております」


 僕はもう一つ頷いてから、言った。


「ヴィルジニー様は……改心なされた」


「……は?」


 信じられない、というより、何を言われたのかわからない、というふうに目を見開くリオネル。

 僕は繰り返した。


「ヴィルジニー様は、改心なされたのですよ。これまでの自分を反省し、公爵令嬢として、貴族の一員として正しい、より良き人間になりたい――そしてフィリップ王子の婚約者として、ふさわしい人間になりたいと、そう考えられておられるのです。

 フィリップ王子はその意を組み、相談の上、わたくしがヴィルジニー様をお助けする、ということになったのです」


 リオネルの表情を見る限り、彼は僕の言葉を、簡単には信じられないというふうだった。


 それもそうだろう。ヴィルジニー・デジールが改心した、などと。何の冗談か。そんなこと天地がひっくり返ってもあり得ない――誰に言っても、そのように笑い飛ばされるような言葉だ。


 実際に、改心してなどいない。僕が言ったのは、もちろんデマカセだ。

 彼女が真に改心することなど、きっと――天地がひっくり返っても、ないだろう。


 だが――僕は真剣な眼差しで、リオネルを見る。

 彼にはそのように理解してもらうのが、一番手っ取り早いのだ。


 彼の中でどんな葛藤があったのか。

 深いため息のあと、彼は言った。


「ではこのことは――フィリップ王子もご存知のこと、ということですか?」

「そうです」

「ヴィルジニー様の行動は利己的なものではなく……貴族の義務を果たそうとしている?」

「その第一歩である、とお考えいただきたい。なにせそもそも、奉仕の類に慣れていないお方」

「つまりはあの方がされていることに……邪な企てなどない、と?」


 僕は力強く頷いた。

 全部ウソなのに平然としている自分に、問題を感じていないわけではない。


「では……このあとはどうなります?」

 真剣な目で、リオネルは言った。

「このあと、とは?」

「ヴィルジニー様が身分の低い者の困りごとを聞いた、そのあとです」

「それは……」


 彼女が仕入れてくるネタ次第だろう、と思ったが、まさか本当にそのとおりに言うわけにもいくまい。


「あの方がお話を伺って、それをどう感じるか、で決まるでしょう。ヴィルジニー様の場合、奉仕を強制しても意味がありません。あくまでもご自分で、何ができるか、何をするべきか、見つけることが大事ですから。

 ただもちろん、奉仕に不慣れなヴィルジニー様でいらっしゃいますから、不肖このわたくしが、“適切なアドバイス”をさせていただくことになると思います」

「適切なアドバイス?」

「フィリップ王子、ヴィルジニー様、御学友の皆様方――そしてもちろん、王国の未来にとって、いい方向になるような、そんなアドバイスですよ」


 リオネルは、難しい顔をし、それから俯いた。

 まあ……にわかに信じられる話ではないだろう。なにせ相手は、しつこいようだがヴィルジニー・デジール。貴族の義務とか高貴な精神などとはかけ離れたところにいる我儘令嬢。


 普段からの信頼度に加え、部屋の片付けまで手伝って友好度を高めた僕が、フィリップ王子の関与を仄めかせば、比較的簡単に話を信じてもらえるのではと目論んでいたのだが……やはりそういうわけにはいかないか。


 リオネルの肩が震えているのを見つける。

 荒唐無稽な話だと笑っているのか?

 僕がその顔を覗き込もうとした、その時、彼は顔を上げた。


 リオネル・ヴュイヤールは、泣いていた。


「なんと……ステファン殿は……なんとご立派なのだ」


 そう言って拳で涙を拭う。

 何を泣いているんだこいつ――僕はドン引きしそうになるが、

 これは……もしかして、男泣きというヤツか?


「あっ、あの……リオネル殿?」


「ステファン殿は……ご友人であるフィリップ王子のために……いえ、それだけではなく、王子の将来、そして国民全体の未来のことを、すでに考え、そのために行動なさってらっしゃるのですね! それがしは……それがしは恥ずかしい……っ!」


「えっ? ……リオネル殿?」


「ヴィルジニー殿が変わられた、改心されたというお話を、それがしは……すぐには信じられませんでした。しかし、ステファン殿がそのような――そのようなお覚悟でおられたとは……まったく恥ずかしい!」


「…………」


 なにか、思った以上に伝わってしまったらしい。


 しばらく激しい感情の高ぶりと戦っていたリオネルだったが、ほどなく落ち着き、僕が取り出したハンカチ(未使用)で涙を拭くと、ベッドから滑り降りるように床に片膝で立ち、深々と頭を下げた。


「どうか! どうかステファン殿! それがしも微力ながら、お力になりとう存じます!」


 そこまで言うと、わずかに顔を上げる。


「僭越ながら……ステファン殿はそのために、それがしに秘密を打ち明けてくださったのだと思料いたします! それがしもステファン殿の……いえ! フィリップ王子と王家、そしてこの国のために、働かせてくださいませ!」


 リオネルはまた深々と頭を下げる。


 僕が言うのも何だが、少し心配になる。

 本当は賢い男なのだ。僕が言わんとしていることを、正しく察してくれている。

 そして、誠実で、国家に対し強い忠誠心を持っている。


 ただ……少し、他人を信じやすすぎる。

 もちろん、フィリップ王子の人柄とか、僕のこれまでの態度で、信じるに値する人間である、と評価してくれているのだろう。少なくとも僕はこれまでは、リオネルに対し誠実に接してきた。そういう僕が嘘を吐くとは思っていないのだろう。


 嘘だとバレたらどうなるだろうな、と少し心配になる。

 いや、嘘にしなければいいのだ。僕は、結果的に目的を果たせれば良い。


 彼から見て、これが真実に見えさえすればいいのだ。


「頭を上げてください、リオネル殿」

 僕も椅子から降り、床に膝をついた。


「リオネル殿。我々は、生まれは違えど、今は同じ学生。そのようにへりくだる必要はありません」

「しかし……」


わたくしの行動も、あくまでもフィリップ王子の友人として、友を助ける、そういうつもりでやっていること。確かに、リオネル殿のお察しの通り、貴方あなたの力をお借りしたいと思ったのも事実。しかしわたくしは、リオネル殿を配下として使おうというつもりではありません。友人として、お力をお借りできないか。そういうつもりでお話させていただいただけなのですよ」


 顔を上げたリオネルは、もう一度涙を流し、それをハンカチで拭ってから、頷いた。


「ありがとうございます……もちろんですステファン殿。友人として、是非ともお手伝いさせて下さい」


「こちらこそ、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 僕は頷きを返し、彼を立たせようと手を伸ばす。


 僕の手を見たリオネルは、ハッとしたように目を見開いたが、そっと僕の手を取った。

 こちらの顔を見上げる潤んだ目、その頬が赤く染まっているように見えて、僕は一瞬、ドキリとする。


 いや……そんな、まさか。彼の顔が赤いのは、泣いたせいだ、きっと。


 男同士なのだ。

 僕が余計なフラグを立ててしまったとか、そんなこと、あるわけがない。

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