14. 色気なき密会
考えがあったわけではない。
とっさに思ってしまったのだ。これは、ヴィルジニーと二人っきりで過ごすための、口実になる、と。
下心で行動してしまい、僕は後悔していた。
僕の部屋は、ヴィルジニーにとって初めての場所ではない。だから抵抗はないだろうと思ったのだ。
だが。
僕がそれを“提案”したとき、ヴィルジニーが一瞬、浮かべたのは、怪訝な表情だった。
「その……他人に聞かれたくは、ない話でしょ?」
僕は慌てて付け加えた。
「邪魔は入りませんし……他に、もっといい場所があるなら――」
そこまで言ったところで、ヴィルジニーは首を横に振った。
「いいえ。構いません。では、後ほど」
そういうやりとりのあとで、僕は一人、自室にいたのだ。
来てくれないのではないか……そういう心配をしながら、迎え入れる準備をする。
幸いにも、普段から綺麗にしていたので、女子が来るからといって、慌てて片付ける必要などはない。ただ、前回とは違う。今度はこちらが招いているのだ、という事実が、僕に悩みを与えていた。
相手は貴族令嬢である。茶など用意してもてなすべきではなかろうか、と。
しかしあいにく、僕は甘やかされた貴族の子息である。お茶の入れ方など知らない。前世で慣れ親しんだインスタントコーヒーやティーバッグの紅茶などがあるわけでもない。ああ、こういうときに自動販売機でもあれば……
さんざん悩んだ挙句、僕は何も準備しないことに決めた。
相手は公爵令嬢である。半端なものを用意して、ひんしゅくを買うほうがよろしくない、と判断したのだ。
幸いにも、ほどなくヴィルジニーは現れた。
僕の部屋を訪れたヴィルジニーは、二度目であるにも関わらず、まるではじめて来た場所であるかのように、室内を見回した。
「意外と綺麗にしてますのね」
僕はふと思い出し。
「そういえば、先日いらっしゃった、ご用事はなんだったのでしょうか?」
と訊ねる。あの日、王子の言葉に泣いてしまったヴィルジニーは、落ち着いたところですぐに帰ってしまったのだ。
ヴィルジニーは天井に目をやると、
「もう……忘れました」
と答えた。
それから一つしかない机、そしてやはり一つしかない椅子を見て、嘆息を漏らし腰を下ろした。
「
僕は待つ間に、そのようなことを言われるかもしれない、と思い、もしも本当に言われたらこう言ってやろう、と考えていたことを口にする。
「なるほど、そういうことであれば確かに。しかし今回に関しては、
ヴィルジニーは多少、不満げに頬を歪めたが、顎に手を当て、僕の言葉を吟味したようだった。
「つまり……礼儀を欠いたのは
「えっ? いえっ……そこまでは申し上げません。あくまでも、道理の話を」
「わかりました」
なにがわかったのか。
ヴィルジニーの無表情がとても怖い。
しかし彼女は、この話はこれで終わりだ、という態度だったので、僕の方がこれ以上触れて、もっと機嫌を損ねるような羽目にはなりたくなかった。
「えーっと、それで……次の
向かい合うようにベッドに腰掛けた僕がそう切り出すと、ヴィルジニーはその長い脚を組んだ。スカートから伸びる白さが眩しく、僕は慌てて視線をそらす。
「王子の普段の振る舞い、そして先日の王子のお言葉から考えるに、王子は、自らが王子である、王族の一員である、ということを、肝要ととらえておられます。そして王族は、王国、そして国民のためになる振る舞いをするべきだ、と。
ですからヴィルジニー様も、将来の王族の一員として、自覚のある行動をする。そのことが、王子の歓心を得ることに繋がると思います」
ヴィルジニーは、かすかに頷いたが、同時に、やはりかすかに首を傾げた。
「それで、具体的には?」
自分で考えるつもりが全然ない素振りに、僕は流石にイラッとする。
しかし、仕方がないので、考えていたプランを話すことにする。
「先日の件、あれは大変良かったですね。立場の弱い平民の特待生、学内でのその立場を改善するため、貴族令嬢の頂点である公爵令嬢の貴女が、ご友人になる。他の立場の人間がやっても、あれほどの効果は期待できません。公爵令嬢である貴女が――」
「
ヴィルジニーは、僕の言葉を遮って口を挟んだ。
「あの者と“ご友人”になどなったつもりはありません」
そう言って、ギロリと僕を睨んでくる。その視線を浴びたところから石になってしまいそうだ。
「お断りだ、と言ったはずではありませんか」
「あー、まあその辺の認識の差異については置いといて」
「認識?」
「とにかく重要なのは、貴女の公爵令嬢というお立場、それでなければ実現できず、かつ、そのことが“持たない者”――平民や身分の低い者のためになる、そういうものが歓心を得やすいのではないか、と思うのですよ」
ヴィルジニーは、あろうことか顔をしかめた。
「身分の低い者のため?」
「シワができてますよ」
僕の指摘に、悪役令嬢は指先で自分の眉間を伸ばした。
「なぜ公爵令嬢たるこの
「あの……僕のはなし聞いてました?」
ヴィルジニーは脚を組み直した。なんとも艶かしく、目のやり場に困る。
僕のそういう視線移動に気づいた様子もなく、ヴィルジニーは深くため息をついた。
「下々の者のためになることをすれば、王子が喜ばれる? そんなこと――にわかには信じられませんわ」
ノブリス・オブリージュという言葉は、この世界にはないのかな、と僕は呆れる。
いや、貴族の義務、もちろんある。フィリップ王子はそれを体現しようとしているし、国王はもちろん、他の多くの貴族もそうだ。僕だって貴族の一員として、明文化されないそういう社会的責任、倫理観を仕込まれてきた。
この
つくづく、なんで王子はこの女性を婚約者にしたのかな、と思う。
まさか僕のように、
「
僕が指摘すると、公爵令嬢は悔しそうに口をつぐみ視線をそらした。
いやーそれにしても、この不貞腐れた様子、普段の高飛車な態度とのギャップのせいか、とてもかわいく見える。
僕が横顔を楽しんでいることに気づいたわけではないだろうが、ヴィルジニーは不機嫌そうに視線を戻した。
「それで? 下々の者のためになることとは、具体的になんなのです? まったく、貴方の話はいちいち回りくどくて」
回りくどくなるのは、貴女の常識が欠落しているからですよ、とは流石に言えない。言いたい。
僕は肩をすくめてみせる。
「それは、ヴィルジニー様、貴女がご自分で見つけてきてください」
「……は?」
やはりそうだろう、令嬢は、何を言っているのかわからない、という顔をした。
僕は大げさに両手を広げる。
「彼らが何を必要としているか? それは、彼らに聞くのが一番です。貴女がそれを聞いて回り、問題を解決する――つまり、聞くところからがアピールになるわけです」
ヴィルジニーは眉をしかめ、僕の言葉を吟味しているようだった。
僕は、辛抱強く、待つ。
「
しばし後、彼女の口からやっと出た言葉がそれで、僕は、そんなに難しいことを言ったかな? と心配になる。
「直接? その……身分の低い者たちに、聞いて回る?」
ヴィルジニーの「貴方はそれを正気で言っているのですか?」と言わんばかりの表情を見ると、僕のほうが間違っているかのような気がしてくるのが不思議だ。
「もちろん、学校を飛び出して、という話ではありません。まずは身近なところから……そうですね、ちょうどいい、セリーズ嬢から聞いてみればいいではありませんか。彼女は身分的に、学校で一番……高くない位置にいらっしゃる。彼女の悩みは、他の、比較的下位の貴族の方とも共通するかもしれません」
ヴィルジニーの表情は、まだ訝しげなもののまま。
「それを聞いて……どうなさいますの?」
「それは、内容次第ですね。そこから先は、聞いてから考えましょう」
公爵令嬢は反論こそしないものの、不満げな色を隠そうとしない。
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