9. 食堂の攻防

 寄宿制の王立学園には食堂があって、生徒たちは朝昼晩と、そこで食事をとることができる。

 時には身分の高い来賓を迎えることもある、広々として豪奢な、貴族仕様の食堂だ。


 貴族の子弟ばかりの学園である。舌が肥えた彼らの要求に応えるため、提供される食事のレベルも高い。聞けば料理人は一流の経歴を持つシェフたちで、かなりの高給取りだとか。


 そういう食堂なのだ。庶民であるセリーズ・サンチュロンが、萎縮してしまうのもよくわかる。申請すれば昼食に弁当を用意してもらうことも可能なので、お昼はそれを利用して外で食べているのだろうが、それができない朝と夕はやはり、そういうわけにはいかない。隅の席でこっそり、といった様子で、彼女が一人で食事しているのは、僕も把握していた。


 目立たないように隅にいても、浮いて見えるのだ、彼女は。

 それは彼女のせいではない。彼女を腫れ物のように扱う、雰囲気のせいだ。


 少し早めに、女子寮から食堂へ向かう渡り廊下、そこを通る他の生徒に不審がられないように見張れる位置に陣取った僕は、そういえば、と思う。


 ゲームでは、一体彼女は、どうやって交友関係を築くのだろうか。


 プレイしていない僕には想像するしかない、というか、他の類似するゲーム経験から推察する他ないのだが、乙女ゲームというのは、女性が男性を射止めるという構図になっているだけで、基本的には男性向け恋愛ゲーム、いわゆるギャルゲーと、その構造に大きく差異はないだろうと思われる。

 つまりは主人公が行動し、目当ての攻略対象とのイベントをこなし、好感度を高める、というのが、ゲームの基本的なプレイ方針になるはずだ。


 その一番最初、主人公と攻略対象とが出会う、文字通りの出会いイベントは、ゲーム的には、強制的に発生するはずだ。


 僕は入学初日の、僕が記憶を取り戻した瞬間の出来事を思い出す。


 おそらく、アレが僕、ステファン・ルージュリーと、主人公の出会いイベントだ。因縁を付けられた主人公は、助け舟を出してくれた攻略対象と、面識を持ったというわけだ。


 同じような出会いイベントが、他の攻略対象にも、発生したのだろうか。


 他の攻略対象といって、最初に思いつくのは、友人でもあるフィリップ・ド・アリオン王子。彼とはあれ以来も何度か言葉を交わしているが、セリーズの話はあれっきりしていなかった。彼は僕に任せる、と言ったし、それが理由で、進捗を聞くような真似ができなかったのだろう。


 僕が把握している限り、このゲームの攻略対象は、全部で五人。発売前に公開された設定しか知らないため、隠しキャラみたいなのがいれば、それを割り出すのは不可能だ。


 さらに言えば、他の三人についても難しい。なにせ、女性キャラヴィルジニーのイラスト目当てで知り得ただけのゲームなのだ。男キャラなどに興味はない。フィリップ王子を知っていたのは、彼がパッケージイラストにも使われているメインキャラクターだったからというだけだし、ステファンについては――覚えていた、というのとは、たぶん違うのだ。だって、ヴィルジニーとセリーズ、そして桜並木をセットで目にするまで、僕はここが乙女ゲームの世界で、自分がその登場人物であったことを思い出さなかったぐらいなのだから。


 でも、見たことはあるはずなのだ。四番目にあったステファンのことを思い出したのだから。一通り、ありがちなキャラが揃っていた記憶がある。確か二番目は、正統派の王子とは対を成す、いわゆるホスト系のチャラ男で、三番目がマッチョ、五番目は――

 そのとき僕は、思考の奥の方で、なにか引っかかるものを見つけ、それを手繰り寄せようとしたが……



 待ち合わせていたにも関わらず、ヴィルジニーと、彼女の取り巻き令嬢たちが渡り廊下を通り過ぎようとするのを見つけ、僕は思索を中止すると慌てて飛び出し、追いかける。


「あの、ちょっと……ヴィルジニー様!」

 聞こえていたはずなのに。


 僕が大きな声を出すまで無視して歩いていた悪役令嬢は、これみよがしにうんざりした様子でため息をついてから、僕の方を振り返った。

「ステファン・ルージュリー殿ではありませんか。ごきげんよう」


 僕は取り巻き令嬢たちを気にする素振りを見せたが、ヴィルジニーは何も反応しなかったので、構わず続けることにする。

「わかっていらっしゃるんでしょうね?」

 あろうことか、悪役令嬢は顔をしかめた。

「それ……本当にやれとおっしゃいますの?」

「誰のため、何のためなのか、よく考えていただきたい」


 嘆息したヴィルジニーは、配下の令嬢たちに「先に行っておいて」といいおき、彼女たちが食堂に入ってしまうのを待って、口を開いた。

「気が進みません」

「そうでしょうね」

「他の方法はございませんの?」

「これの十倍、いや百倍ぐらいめんどくさいことをしなきゃならなくなりますよ」


 公爵令嬢は顔をしかめそうになったが、何かに気づいた様子で、眉間のあたりを指先で触れ、それから小さくため息をついた。

「仕方ありませんわね」


「セリーズ嬢は、まだ姿を見せない」

「お伝えしましたでしょう? 彼女、夜は一番最後に現れますのよ」

 ヴィルジニーは両肘を抱える。


「ちなみに朝は一番最初」

 セリーズが、周囲に気を使っているのがわかる。

「よく見ておられるのですね」

 僕が言うと、ヴィルジニーは心外だという顔を見せる。



 僕たちは連れ立って、食堂へ向かう。言葉は交わさない。打ち合わせていた通りだ。


 ヴィルジニーの“お友達”の令嬢たちは、すでに着席していた。彼女たちが陣取る、いつもの席だ。


 食堂では、着席位置が明確に決められているわけではない。

 学生寮同様、ここでもできるだけ公平に扱われているのだ。ただしそれは学校側がそうしている、というだけで、学生の方からしてみれば、その限りではない。

 席は多くの場合、固定化されていた。

 例えば王族の席、あるいは、ある貴族とそれに関係の深い者たちの席、地方貴族たちの席、そして、悪役令嬢とその取り巻きの席、というわけだ。


 食堂に入ったものの、入り口のそばに立ち、一向に席につく様子を見せないヴィルジニーに、友人の令嬢たちは不審げな表情を向けてくるが、そばに僕がいるためだろう、わざわざ立ち上がって尋ねに来るような者はいない。

 しかし、向けられる視線はちょっと痛い。

 早く来てくれないだろうか、と思ったところへ、ちょうど、目当ての人物がやってきた。


 そっと扉をあけて入ってきたセリーズ・サンチュロンは、定位置としている隅の席を確認しようとして――そして、すぐそばに立っていたヴィルジニー、そして僕に気づいた。


 空気が止まる。


 正直、僕がこの場にいるのは、意味がない、というか、マイナスになるかもしれない、とは思っていた。

 ヴィルジニーが率先して動いたという形にするべきだと思っていたからだ。


 にもかかわらず僕がここにいるのは、ヴィルジニーの希望だった。

 彼女の方は、自分が一人だけでこの行動を決めたと、思われたくなかったのだ。

 僕がそばにいることで、目撃者に、この行動に何らかの意図があるのだと含ませたい、そう考えたのだ。


 ヴィルジニーは、すぐには動かなかった。

 ディレイタイムはわずかだったと思うが、とても長く感じられた。我慢ができなくなり、僕はそっぽを向いて、ヴィルジニーの背中をつついた。


貴女あなた……セリーズ・サンチュロン殿」


 ヴィルジニーが呼びかけ、セリーズが、ビクッと身体を震わせる。


 それもそのはず。彼女は入学式当日の朝、校門でヴィルジニーに因縁をつけられたのだ。僕の介入でそれは不完全なものになったとは思うが、ヴィルジニーが新入生の貴族令嬢の中心的な存在であることはもう理解しているだろうし、コッペパンその他の洗礼で、令嬢たちに疎まれていることは理解しているはずなのだ。


 ヴィルジニーは……彼女にしては優しげな声音で、言った。


「貴女、いつも一人で食事をなさっておられますわね」


 セリーズのリアクションまでは、やはり長い空白ブランクがあった。


「は……はい」


 返事をするのがやっと、という様子のセリーズに、ヴィルジニーは、さすが貴族令嬢、あれほど嫌がっていたとは思えないほど、堂々とした態度で言った。


「せっかくですから、よろしければ、わたくし達とご一緒していただけませんか?」


 このセリフを提案した時、ヴィルジニーには反発された。

 なぜわたくしがお願いするような立場でものを言わなければならないのか、と。


「お願いする立場なんですよ!」

 僕は言い切った。

「彼女に許してもらうのが、どうしても必要なんです! 彼女のためではありません、あくまでも、貴女のために、です!」

 想像してほしい、彼女が浮かべた、不機嫌全開不本意極まりない顔を。


 言われたセリーズは、硬直していた。完全なフリーズ。

 食堂内の空気そのものも、凍りついたようだった。


 いつの頃からだろうか、広い食堂全体がこちらを伺っているような感覚さえした。もちろんこの広さなのだから、反対の方ではやりとりはもちろん、誰と誰が顔を合わせているのかすら、判別は困難だったはずだが。


 硬直したセリーズはゆっくりと視線を動かし――その目と、僕の目があった。

 僕は――反射的に頷いた。


 それをみたセリーズは。

 ヴィルジニーへと視線を戻し。

 そして、小さく会釈した。


「あっ……ありがとう、ございます。よっ、よろしくお願いします!」


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