10. 食卓の攻防
ヴィルジニーとセリーズが、他の取り巻き令嬢たちと同じテーブルに付き、僕の方は、彼女たちの様子が伺える、二つほど隣のテーブルが空いたので、そこに座る。
令嬢たちのテーブルの雰囲気は――最悪に近いように思えた。
誰も、一言も発しないのだ。
取り巻きの令嬢たちにしてみれば、驚きの展開だろう。散々に貶めていた相手を、当のヴィルジニーが、連れてやってきたのだ。そういう経緯を知っていれば、ここで更に、直接的にイビリ倒そうというつもりだ、とも思えるが、そうと確信できない事情もあった。
僕だ。
彼女たちは、昼間、僕がヴィルジニーを止めるところを、目の当たりにしているのだ。
その僕が、つい先程まで一緒にいて、その間一言も発していないが、今もわかりやすく近くにいる。
どう出るのが正解なのか、わからないのだ。
お互いに顔色を伺い、牽制しあっている。一触即発とか、疑心暗鬼とか、そういう四字熟語が頭に浮かぶ。
胃が痛くなってきた。
給仕係がやってきてくれたが、僕は食欲などとうになくなっていたので、彼女が食器類を並べようとしてくれるのを手で制した。
「あっ、すいません、えーっと……ちょっと食欲がなくて」
給仕係が首を傾げるのがわかった。そりゃあそうだ。食欲がないのに食堂に来るなど、迷惑なだけだ。
しかし、給仕係は、なぜか令嬢たちが囲むテーブルの方を見やり、それから口を開いた。
「よろしければ、デザートのヨーグルトをお持ちしましょうか。お腹に優しいと思いますよ」
僕は驚いて顔を上げる。給仕係の顔を見た。彼女は微笑んだ。
なかなかに可愛らしい顔立ちをした女性だ。こういう仕事をしているのだから、平民だろうが、僕は彼女に対し、これまでにしたことのないことをした。
胸に付けているプレート、そこに書かれた名前を見たのだ。
セシル――それが彼女の名前だ。
「えっと……そうですね、お願いします」
そう言うと、彼女はニコッと微笑み、それから完璧な所作で一礼して、去っていった。
なんだろう、今のやり取りは、と自分で思う。
そういえば、今の、おかしかったかもしれない。現世の、貴族としての自分ではなく、前世の庶民的な自分が出てしまったかも。
前世のもっとカジュアルなレストラン――ファミレスみたいなところで店員さんに対して振る舞うような態度を取ってしまっていたかもしれない。
気をつけないと。
僕は、テーブルに置かれていった水のグラスを手に取り、一口含むと、令嬢たちのテーブルの方へ意識を戻す。
ちょうど、ヴィルジニーが口を開いたところだった。
「考えてみれば」
空気が張り詰める。その場にいた令嬢、そして周囲のテーブルの者たちまで、彼女が何を言うのか、一言も聞き逃すまいと耳をそばだてていた。もちろん僕も。
「セリーズ殿は、この学園で唯一の平民。つまり知り合い、お友達など一人もいらっしゃらない。そうですわよね?」
ヴィルジニーに問われ、セリーズは、戸惑い気味にだが頷いた。
「は、はい」
「だから、いつも一人でいらっしゃったのですよね。
誰かが、ゴクリとつばを飲み込む、そんな音が聞こえた気がする。
聞いていた誰もが、耳を疑っていた。それがわかる表情を浮かべていた。
同じテーブルを囲む令嬢たちが、その顔に「いまなんとおっしゃいました?」と浮かべていた。
ヴィルジニーは続けた。
「お一人で、お寂しかったでしょう。もっと早く気づいてあげるべきでした。ごめんなさいね」
令嬢たちは、驚愕に目を見開き、顔を見合わせた。声を発しないが、彼女たちがなんと言っているのか、その表情が雄弁に語っていた。
「いま、『ごめんなさいね』、とおっしゃった!? あのヴィルジニー・デジール様が!?」
「いっ、いえっ!」
セリーズの声は裏返り気味であったが、そんなこと誰も気にしていなかった。
「とっ、とんでもありません……きょ、今日、こうして誘っていただけて、ありがとうございますっ!」
対称的に、ヴィルジニーは余裕たっぷりに微笑んだ。
「そう言っていただけて、恐縮ですわ」
それから、固まっている令嬢たちを、その笑みのまま見回す。
「セリーズ殿は、この学園始まって以来はじめて、平民の身ながら入学を許された人物。そのようなお方ですから、さぞかし見識のある、立派なご両親に育てられたのでしょう。彼女には、国王殿下、フィリップ王子殿下も期待されておられます。貴族ばかりのこの学園では、慣れないことも多いでしょう。皆様も、セリーズ殿の、どうか力になってあげてくださいまし」
僕は、テーブルの下で拳を握る。
――よし……よく言ったぞ、ヴィルジニー・デジール!
セリフは、ほとんど僕が言ったことそのままだが、しかし、彼女がそれを口にするのは、容易なことではなかっただろう。
君が血反吐を吐く思いで一連の言葉を口にしたことは、僕にはよくわかるぞ。
心の中で、ヴィルジニーに賛美を送る。届かないとわかっているが。
しばし。
場を沈黙が支配した。
それもそのはず。
ヴィルジニー・デジールが口にした言葉は、彼女がこれまで社交界で培ってきた、(もちろんマイナスの)評判からは、絶対に出得ないと思われるものだったのだ。
聞いていた誰もが、その言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
聞き取れて、意味がわかっても、言葉通りの意味だと、信じられなかった。
「どうぞ」
きれいに飾り付けられたヨーグルトの皿が目の前に置かれ、僕も現実に引き戻される。
「ありがとう」
反射的に言ってしまい、顔を上げると、給仕係、セシルが片目をつぶってみせる。
貴族に対し、するような礼儀ではない。
驚いた僕を置き去りにして、セシルはさっさと去っていく。見間違いだっただろうか、と思わされる。
らしくない、といえば、貴族が給仕係に礼を言うのも、らしくないのだ。
どうも、前世の記憶、感覚に引っ張られている、そんな気がする。
そのあいだに、ヴィルジニーが掛けた
調子を取り戻した取り巻き令嬢たちが、次々にセリーズに話しかけている。
喧騒を取り戻したせいで聞き取れないが――あの様子なら、当初の目的は十分に果たせただろう。
僕はヨーグルトにスプーンを入れる。きめ細かなヨーグルトと、かけられた果物のソースがとても美味しかった。
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