7. 悪役令嬢の価値観
学園生活がはじまり、数日が経ったある日の昼休み。
食堂に向かっていた僕は、ヴィルジニー・デジールが取り巻きの令嬢を引き連れ、中庭を歩いていくのを見つける。
散歩という雰囲気ではない。
進行方向に当たりをつけ、急いで先回りすると、その先、校舎の影になるところに設置されたベンチに、セリーズ・サンチュロンがひとり、腰掛けているのが見えた。持っているのはお弁当の包みのようだ。
これから
セリーズに見つからないようなところまで戻り、ヴィルジニーを待つ。
立ちはだかる僕を見つけた公爵令嬢は、これみよがしに眉根にシワを寄せた。
「邪魔です、おどきなさい」
開口一番これですよ。たまりませんよね。
「美しい
僕はそう言うと、メガネのブリッジを中指で押し上げる――これ、気づかずこれまでもやってた癖だけど、よく考えたらビジュアルイメージの
僕の言葉に色めき立ったのは、背後にいる取り巻き令嬢たちの方だった。
一方、先頭にいるヴィルジニーの方は、後ろのざわめきなどどこ吹く風といった様子で、眉間にシワを寄せたまま、訝しげな表情を浮かべた。
「
彼女は“あの御方”などとボカしてくれたが、この場にいる誰にも、それが誰のことを示しているのかは明らかだった。
第三王子の婚約者のことは、国中に周知されていることだった。貴族ならば知っていて、察せられて当然だ。
「もちろん、何も問題ありません」
僕は、彼女の背後に控える、様子をうかがっている令嬢たちを一瞥して、全員によく聞こえるように、言った。
「フィリップ第三王子は、
ヴィルジニーは、眉間のシワを深くする。
「フィリップ殿下が……? いえ、適切なアドバイス、ですって?」
公爵令嬢は、ぷいっとそっぽを向いた。
「アドバイスも何も……
疑問形ですらない。言い切る彼女に、僕は視線を鋭くする。
「お
僕は彼女の背後、取り巻きの令嬢たちにその視線を向け直す。
「皆様方、この場は解散しなさい」
“宰相の息子”という肩書は、こういうときには効果を発揮する。
公爵令嬢ヴィルジニー・デジールの取り巻きは、その身分にあやかりたい、もしくは逆らえない、比較的下位の貴族令嬢たちだ。そういう輩には、権威がよく効くのだ。
「なっ……何を勝手に」
ヴィルジニーの抗議に、僕は冷たい視線を返す。
「お友達にも聞かせたいですか?
ヴィルジニーが言葉に詰まり、その様子を見ていた取り巻き令嬢たちは、三々五々、黙って踵を返していく。
最後の一人が見えなくなって、その背中を見送った僕が視線を戻すと、公爵令嬢は先程の抗議の視線とは違う、怪訝な表情を浮かべている。
「フィリップ王子が……本当に?」
僕は鹿爪らしく頷いてみせる。
「確かめてもらって結構。王子は、貴女の振る舞いを……心配しておられる」
僕の言葉を聞いて、彼女はうつむき加減になると、「王子が……
「そもそも、どういうおつもりなのです。ヴィルジニー嬢」
彼女はまたもや鋭くした視線を向けてくるが、僕は構わず続ける。
「彼女――セリーズ・サンチュロン殿は、正当な手続きを経て、この学園への入学を許された者。いち生徒が、その権利を疑問視し、ましてや本人を問いただすなど――」
僕の言葉に、睨みつけるだけでは足りなくなったのだろう、ヴィルジニーは口を開いた。
「権利、ですって?」
両肘を抱えて、わかっていないのは貴方の方だ、とばかりに胸を張る。
「平民に対する、王立学園入学試験の受験許可――そんなもの、“平民を理解し大事にする王家”をアピールにするための、名ばかりの政策に過ぎませんわ。いわば、庶民の目の前にぶら下げたニンジン、実質的に機能させるつもりのない、形だけのものです。
平民は、その門戸が開かれた、その事実だけで満足すべきであって、制度の形骸を整えるために受験することがあったとしたとしても、合格するなどもってのほか。得点などしないのが礼儀。それを……合格点を取るだけでも厚かましいのに、ましてや首席で、あまつさえ本当に入学するなんて」
ヴィルジニーは、おぞましいものでも見たかのように、身体を震わせた。
「まったくもって看過できません。彼女のしていることは、王家、そしてすべての貴族に仇なす行為ですわ」
彼女の言葉に、僕は逆に感心する。
僕の方は、父親が宰相だったり、その関係で王家の方から直接話を聞くことがあったりして、現国王、そして王家の方針が、彼女の言うようなタテマエ的なものではなく、真に機能すべきものだと考えていることを知っている。
しかし彼女の、つまり旧来の貴族ドクトリンとでもいうべき価値観で王家の政策を見れば、そういうふうに見えるのだ。これは彼女一人の問題ではない。おそらく多くの貴族が、特に示し合わせたわけでもなく、同じように解釈しているのだろう。
それは批判されるべきことではない。彼らはそういうものだと信じ込まされているのだ。地上が平らだと思っている、そういうことに近いはずだ。
「ヴィルジニー嬢――」
僕は“適切なアドバイス”をすべく、口を開こうとした。
しかしそこに、ヴィルジニーの向こうから近づいてくる人影を見つけ、顔を上げる。
その人物は僕を見つけると、その精悍な顔をにこやかに微笑ませた。
「ステファン・ルージュリー殿!」
呼びかけに、振り返ったヴィルジニーを見て、彼はその表情を驚きに変えた。
「これは……ヴィルジニー・デジール様……?」
そして、彼女と僕の顔を見比べる。
「お二人がご一緒とは……珍しい取り合わせですな」
浮かべた驚きが不審に変わりつつあるのを見つけ、僕は慌てて口を開いた。
「リオネル・ヴュイヤール殿、お久しぶりです。いえ、ヴィルジニー様とは偶然行き会いましてね。急ぎますので――失礼」
相手が疑問を口にするより前に、と思い、多少不自然なのを承知で、僕はヴィルジニーを促し、彼が来た方へと歩き出す。彼女の抗議の視線には、やはり視線で応じつつ。
少し行ってから背後を伺うと、リオネル・ヴュイヤールはかすかに首を傾げてから、反対方向へと歩いていった。
僕は、彼が向かった方について、なにか引っかかりを感じたのだが――
「いつまで触れているおつもりですか! 離しなさい!」
小声ながらも厳しい口調で言ったヴィルジニーは、僕の手を振り払うと、これみよがしに距離を取った。手を払われてはじめて、彼女を促すためにその肩に触れてしまっていたことに気づく。
――チクショウもったいない。もう少し意識して触れていれば、彼女の感触を堪能できたのに。
今生では一度も使ったこともないような感動詞を脳内で発しつつ、僕は彼女に向き直った。
「ヴィルジニー様、
「はあ? 貴方、なにを……」
「国王陛下が本当に、貴女がおっしゃるようにこの制度を機能させないおつもりなら、平民の成績を公表することなどあるはずがありません」
僕の指摘に、ヴィルジニーは開きかけた口を閉じる。
頭の悪い人ではないのだ。
実際に、彼女以外の成績については、公表されていない。
成績がどうだったか、受験者の中で自分が何番目だったのか、など、わかるわけではないのだ。
それが彼女、セリーズ・サンチュロンに関しては、発表された。平民として初の合格者、しかも成績超優秀につき、特例として。
つまりは学園、そして学園の最高責任者でもある国王は、この事実を利用しようというつもりはあっても、制度を有名無実化するつもりはないということだ。
簡単なことのはずなのに――言われてはじめて、それに思い至ったのだろう、口をつぐんだヴィルジニーは、悔しげに唇を歪めると、視線を俯かせる。
僕はそこに追い打ちをかける。
「そういう相手に、ヴィルジニー嬢、将来の王族、王子の婚約者たる貴女が、いじめ、いやがらせをする、それは、国王、王家に対する裏切り行為ですよ」
裏切り行為――その言葉を聞いて、彼女は目を見開いた。その表情に、不安げな色が浮かぶ。
将来の王家の一員。それは、ヴィルジニーという人物を強力に決定づける、重要なアイデンティティだ。
その王家を裏切る――その重大さは、彼女自身が最も重く受け止めるだろう。国王肝いりの制度を邪魔した、となれば、王家の方々の覚えが悪くなるのは当然。悪くすると、婚約解消だってあり得る
……などというふうに。
「お、王子は……つっ、つまり――貴方の言う、“適切なアドバイス”というのは……?」
僕は重々しく頷いた。
「そう、つまりはそういうことですよ」
僕は顔を近づけ、囁いた。
「これは、貴女に対する、王子の助け舟、温情です」
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