無言の119番通報が何度もあった

なぎらまさと

無言の119番通報が何度もあった

 おや、ケイちゃん、今日は随分と早いね。そうか、今日は小学校が早く終わったんだね。お友達と遊びに行かなくてもいいのかい? おじいちゃんのお話しを聞いてる方が楽しいって? はっはっは、そりゃ嬉しいね。さて、今日はどんな話をしようかな。


 え、秋田県で無言の119番通報が次々と起こってるって? そのニュースは初めて聞いたよ。でも確か十年ぐらい前だったかな、そんなに前じゃなかったかもしれないけど、ニュースになったことがあったな。そのときは、夜中に無言の通報があったから救急隊員が駆けつけてみたら、そこは誰も住んでいない別荘で、電話をかけた人は誰もいなかったんだって。その頃ぐらいからかな、全国各地でたまに起こる話らしいんだよ。実はね、俺の知り合いの家でも同じようなことがあったんだ。よし、じゃあ今日はその話をしてあげよう。


 ちょうど山の別荘のニュースが話題になってた頃だから、ケイちゃんはまだ生まれてなかったかもしれないな。俺の小学校のときの同級生の家なんだけどね。あの時で七十歳になったぐらいの歳だったかな、あいつは奥さんとふたり暮らししてたんだ。娘さんは割とすぐに結婚したから早くに家を出ていたんだよ。その家に、誰も電話をしてないのに救急車がくるっていうことが何回もあってね。消防署で電話を取ったらいつも無言だったらしいんだよね。だけど、まあ何があってもおかしくない歳だし、念のために出動してくれてたんだろうね。


 でも、救急車が来るたびにサイレンが響き渡るし、家に行くまでの道は結構狭いから毎回大ごとになってて、しかも行ってもふたりともピンピンしてるもんだから、これは何とかしないとって、町内会で集まって原因を探してみることになったんだ。俺はあの町内会とは違うところに住んでたけど、よく将棋会館であいつに会うから、話は聞いてたんだよ。だから俺も気になって、あいつの家に何回か行ったんだ。


 NTTの人も調べに来てたな。じじばばのふたり暮らしだから、家の電話はずっと黒電話のまんまだった。黒電話ってケイちゃんはわかるよね? そうそう、うちにある、そのダイヤル式の黒い電話だ。このタイプはもう古いから、電話線が何らかの不具合を起こして、偶然に発信してしまう可能性もあるらしいんだよね。でもそいつの家の電話は、設備の問題は何も見つからなかった。


 次に、何かに取り憑かれているかもしれないから、霊媒師を呼ぼうということになった。まあ町内会が集まって思いつくことっていったら、こんなところだわな。それで霊媒師に見てもらったら、家にそいつのお父さんの霊が憑いてますねって言われたんだ。霊になったお父さんが電話をかけているかもしれませんって。みんな半信半疑だったけど、でも他に原因はわからないし、やれることはやっておこうということで、お祓いをしてもらったんだ。


 お祓いをしてもらってからは、しばらくは何もなくなったから安心していたけど、そのうちやっぱり来るんだよね、救急車が。前と同じように無言で通報があって、でも電話には誰も触っていない。お祓いをしてもらった分パワーは弱まったかもしれないけど、どうやらお父さんの霊がまだいたっぽいんだよ。それからまた、町内会の人たちと集まって色々と考えた。


 俺も子供のときからあいつのお父さんを知ってるけど、すごく穏やかな性格でみんな大好きだったし、あいつも奥さんも、恨まれるような心当たりは全くないって言ってた。恨みではないとすると、何かやり残したことがあったのかもしれない。今度はそれを確かめるために、あいつや奥さんから色々と話を聞いたり、物置を見せてもらったりして、何かヒントがないかと探したんだ。


 そしたら、手がかりになりそうなものが見つかった。あいつの娘さんの小学校のときの卒業文集。つまり、あいつのお父さんにとっての孫だね。卒業文集で娘さんは「私の将来の夢はピアニストになることです」「おじいちゃんが百歳になったらお祝いで私のコンサートに招待してあげます」って書いてたんだよ。娘さんは結局音大には行かずに、普通の大学を卒業して一般企業に就職したんだ。だけどおじいちゃんは、彼女が大学生になる前に死んじゃったから、孫娘はピアニストになったってずっと信じてたのかもしれない。だって、救急車が来るようになったのは、おじいちゃんが百歳になる年だったんだから。


 その卒業文集を持って娘さんの家に行って、おじいちゃんのためにピアノを弾いてもらえないかってお願いしたんだ。娘って言っても、そのときはもう四十歳ぐらいだったかな。その話を聞いてびっくりしてたけど、結婚してからも趣味で時々ピアノを弾いてたらしいから、わかりました、やってみますって言って練習してくれたよ。え? いやいや、弾いたのはきらきら星じゃないんだ。ブラームスっていう作曲家。娘さんに話を聞いてわかったんだけど、おじいちゃんは昔、ラジオで聞いたブラームスのピアノ曲をとっても気に入って、いつかそれを弾いてほしいと言ってたことがあったらしいんだよね。その曲が『四つの小品』作品119だったんだ。救急車の謎もそれでわかった。おじいちゃんは119番に電話することで、ブラームスの作品119が聴きたいって訴えていたんだね。


 あいつの家には、娘さんが子供の頃から弾いていたピアノがずっと置いてあった。娘さんにはそのピアノで、ブラームスの作品119番の一曲目を弾いてもらったんだ。俺はクラッシックのことは全然わからないけど、あれはいい曲だったな。心に染みるっていうのかな、俺の記憶の中のあいつのお父さんみたいに、優しくて包容力がある曲だった。娘さんは弾いている間ずっと涙目で、弾き終わったら泣いてたな。俺もあいつも奥さんも、みんな静かに泣いてた。それ以来、もう救急車は来なくなったよ。孫娘との約束を果たせて満足したんだろうね。


 不思議な話だろ? こんなこともあるんだなぁって思ったよ。え、俺が百歳になったら? いいよいいよ、何もしてくれなくて。俺はケイちゃんがこうやって、ちょくちょく遊びに来てくれるだけで嬉しいんだ。そうだ、昨日もらった缶ジュースが冷蔵庫にたくさん入ってるから持っておいで。俺はぶどうジュースをもらおうかな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無言の119番通報が何度もあった なぎらまさと @willow2

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ