蛇行
諸星るい
あの子はだれだ
1
私は、いつだって正しい選択をしてきた。正解を求めて、思考してきた。誰かのために、何かのために、自分のために。理不尽なことには、強く立ち向かう。弱者の声を懸命に聞いてきた。自分の人生に間違いは無いと、強く信じていた。
残念ながら世の中とは、案外甘い。正義は存在しないし、善悪の判断は実に、曖昧だ。善が人を蝕み、悪が人を救う。
幼い私は、「馬鹿げている。」と笑った。
「申し訳ないけど、今の私は何も正しくないよ。」
ホテルの高層階で、夜景を眺めながら小さく呟く。
「なんか言った?」
「ううん、何も。星の見えない夜空に対して、悲観的になってただけ。」
「君は、たまに詩的な物言いをするよね。作家になればいいのに。」
「何言ってんの。」
「本当の事だよ。将来の夢とかないの?」
「無いし、興味ない。いいから抱いてよ。私、貴方にしか興味ない。」
男の着たスーツを、手際よく脱がせる。
「他の男にも言ってるくせに、本当にずるい女だな。」
男の言葉を無視し、口を塞ぐ。濃厚なキスを交わしながら、更に衣服を剥ぎ取る。
「こんなこと、どこで覚えてくるんだよ…」
「いいから、ほら、私で満たされてよ。」
この男の名前を知らない。いや、覚えていないという表現の方が正しい。こういう相手は、多くいる。一人一人名前なんか覚えていない。
「ねぇ、私のこと好き?」
「好き。」
本気の目だ。夢中になって、つい本音が出てしまったというとろけた表情。
「不本意でしょう。可哀想だね。こんな女に惚れるなんてさ。」
思わず口角が上がる。馬鹿な男だ。綺麗なところ一つない女に、身体を重ねるだけの相手に、熱を持つなんて。
「本当に、最悪な気分だよ。」
「興奮しているくせに。」
生々しく夜は過ぎる。今日も名前の知らない男と肌を重ねる。
私は、誰とでも寝るが、誰とも眠らない。
男が眠ったことを確認し、ホテルを後にする。
「もう寒いな。」
外へ出ると、朝方の冷えに襲われた。昼間とは異なる風の香りを楽しむ。スマホの通知音が何度か鳴ったが、知らないふりをした。私はこれから家に帰って眠る。何も考えず、誰かに干渉されずに、静かに眠るんだ。
「あー眠い。疲れた。」
自宅マンションへ入るなり、ベランダに出て煙草に火を付ける。
「朝まで男と遊んでいるから、疲れるんだ。」
隣のベランダから別の煙草の香りがする。
「お前には話しかけてない。」
「口が悪いな。ブスになるぞ。ああ、性格は既にブスだったな。」
一言余計な隣人。
「顔も見たことない女に向かって、憎まれ口叩いている男に言われたくない。」
「特大ブーメラン飛んでんぞ。」
「うるさい、さっさと社会貢献してこい。」
煙草を一本吸い終わり、部屋の中へ入る。ベランダからは、もう何も聞こえて来ない。いつからか、隣のベランダから男の声が聞こえるようになった。覗き防止の板があり、お互い顔を確認することは出来ない。顔も名前も、何も知らない。
「大家さんに相談するか…」
怪しい隣人に干渉された朝は、気分が悪い。私は、眠るのを諦めた。
朝日を睨み付けるように、エナジードリンクを飲み干す。
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