第一章
「ちょっと犬飼さん! またそんな格好でだめでしょ!」
教室内にはずむ女子生徒の声。
「う~ん、委員長ごめん」
いかにも気だるそうな声で、その注意に全身にふさふさの銀毛を生やした
「胸、開きすぎ!」
陽子のセーラー服の上着の胸元が限界まで広がってしまっているのを見て、眼鏡に二股の三つ編みというスタイルの少女の更なる注意の声が飛ぶ。彼女はこのクラスのクラス委員長。
その委員長が指摘するようにかなり奥の方まで銀毛に覆われた胸が見えている。あとほんの少しズレただけでも乳首まで見えてしまいそうな勢い。
晩春から初夏へと移り変わる季節の境目。本日は中々に気温の高い夏日であった。全身に毛の生える狼人にとっては暑くてどうしようもなく身動きが取れない季候である。
朝の登校時に陽子が教室内に入って来た時に委員長が確認した時点では、多少着崩れていたがまだ平常ともいえる状態だった。しかし一時間目の授業終了後に不審を感じて教室奥に行ってみると、案の定の状態になっていたのだ。
「う~ん、ごめん」
机に突っ伏しどろーんと熱で溶けたような目をしながら陽子が同じ言葉を繰り返す。一応謝罪の言葉になってはいるが、陽子の頭の中では既に何をいっているのか分からない状態の様子。
「一時的な夏日でこの状態だもんね。本格的な夏場に突入したらバターみたいに溶けちゃうんじゃないかしら?」
椅子に横向きになって座っている陽子の前席の女の子、ミカが苦笑しながら言う。彼女は実家が神社で彼女自身も普段はそこで巫女をしているので「巫女さん」とか「巫女の彼女」と、他のみんなからは呼ばれている。
本日の気温は30度以上に上がっていた。もちろん高校の教室内にクーラーなんて文明の利器を期待してはいけない。家庭科室についているのは、食品を扱う教室であるから室温で食材を痛めてしまわないようにである。
「溶けちゃうのは虎だよ……」
いちおう陽子が力が抜けつつもそれには突っ込む。開け放たれた窓から入る緩い風が背中を申し訳程度に撫でていた。
「ボク7月になったらスクール水着で登校しようかと思ってるんだけど」
「だめに決まってるでしょ!」
そんな虎でもないのに溶けかかった陽子の素敵な提案は、委員長により即座に却下される。「スクール水着で登校」という言葉に教室内のほぼ全ての男子生徒が反応したが、その声の主が灼熱の犬飼さんだと確認するとみんな何も無かったかのように元の行動に戻る。
「じゃあいつもの陸上のユニフォームで」
「更に露出度増やしてどうするの!」
スポーツウェアの方がスイムウェアよりも露出度が高いのも不思議な話だが、陽子が普段着用しているものがそのようなデザインの腹丸出しスタイルなので仕方ない。
「というかあなた、いつも制服の下はその陸上のウェアじゃなかった? 暑いからって制服脱いじゃだめだからね?」
「……下はそうなんだけど、上はあんまりあっついんでさっき取っちゃった」
「こらーっ!」
机の中から本来胸に巻かれていなければならない布を陽子が出したのを見て、委員長が間髪入れずに怒鳴る。いや、陽子の開かれすぎた胸元を見た時にある程度の予感はしていたのではあるが。
多分このインナーに着ていたユニフォームの取り外しは授業中に事を済ませたに違いない。教壇に立つ教師はもちろん陽子が何をやっていたかは見えていただろうが、見てみぬフリをして放っておいてくれたに違いない。大人の対応だ。
陽子にしてもいつでもセーラー服が脱げるようにと中がビキニ型レーシングウェアであったはずなのだが、その中身の方を脱いでしまうというのも、今日は相当頭がぐるぐる回っているらしい。
「もぅ犬飼さん、あなたって人は――」
キーンコーンカーンコーン……
委員長の言葉を遮るように二時間目の授業開始のチャイムが鳴った。
「む、チャイムに助けられたわね。もうそれ以上露出増やしてはだめよ!」
委員長はそういい残すと、自分の席へと戻っていった。
「は~い」
その背中へ力の抜けた返事を送る陽子。机に上半身を載せたままで全く身動きが取れない。多分今日はこのまま使い物にならない状態で一日が終わるのだろう。
「相変わらず手厳しいね委員長は」
まだ二限目授業の教師が来ていないので、後ろを向いたままのミカが、自分の席で次の授業準備をしている委員長の背中を見ながら言う。
一学期始めにお約束のように行われる委員会決め。普通は誰もやりたがらないクラス委員に
それから日に何度か、ことあるごとに陽子にちょっかいを出してくるようになったのだ。主に公序良俗の面で。
「でもあの人、小中とか
「そうなんだ」
巫女の彼女の生家である神社はこの高校に程近い場所になるので、必然的に学校関係の様々な情報が集まってくるのだろう。実家が同じ県内とはいえ山奥の方である陽子には知らない話だ。
「高校になってリーダー的何かに目覚めちゃったとか」
「すごい高校デビューだね」
「だからその分注意する加減ってのがまだ分かってないんじゃないのかな」
陽子に対する手厳しさをミカがそう評する。彼女も巫女として生きてきたという側面があるので様々な人間模様を幼少時から見てきているのだろう。
「まぁしばらく経てば丸くなるだろうからそれまでの辛抱だね」
社会人の世界でも妙に熱血な新入社員というのもいるものだが、そんな常に高めだったテンションも周りの環境に収まっていくに連れて穏やかなになっていくもの。かつて熱血教師だった若者が、時を経て常に柔和な表情を浮かべる老練教諭になるように。
「でもそれってボクのことをふつーの人間扱いしてくれてるってことでしょ。
しかし今のギスギスした委員長の態度も自分には必要なのだと陽子は言う。一応このクラスにも風紀委員という役職の者もいるにはいるのだが、陽子が相手では何をいっても無駄と放置状態が続いているのだった。
「わぁー、おっとなぁっ」
「いろいろあったからねぇ」
ミカの揶揄にぐでっとした姿勢のまま陽子が答える。
陽子は元々普通の人間とは違う生活を送ってきたのでこの年代の女の子としてはある程度達観している面もあったが、先日の鬼越との大喧嘩、そしてその鬼越を一時的に失った悲しみは、陽子に更なる大人としての考え方を与えてた。
ちなみにこういった場面ではその鬼越女史から何らかの意見が飛んできそうなものだが、至って静かである。それもその筈、陽子の隣の席は空席となっている。
『気になる場所があるので少し出掛けてくる」』と、夏休みでもないのに自主的小旅行に行ってしまったのだ。
里の方から「外の世界を見聞しそれを伝えよ」とはいわれて改めて鬼の里から出てきたのだが、少しアグレッシブ過ぎである。とりあえずは高校生というものをやってみるの声明はどうなってしまったのだろう?
「おーい、静かにしろー」
チャイムが鳴ってから一分後、教師が入ってきた。教室内に残っていたざわつきが収まる。巫女の彼女も話をやめて前を向く。
「日直は?」
「犬飼さんです」
教材を教卓に置きながらの教師の問いに、最前列にいる委員長が即答した。後ろの方の席に目をやると、机の上に蹲ってる銀色の塊が。
「おーいいぬかいー、号令」
「……」
教師の自分を呼ぶ声を聞いた陽子は耳をピクリと動かした。一応聞こえてはいるらしい。
「――きりーつ」
そして後ろの方から力の無い号令が届く。
「お前がまず起立して無いだろう」
その教師の指摘で教室内が爆笑に包まれる。陽子は机に突っ伏したままなんとか声だけ出していた。一応一時間目は真面目にやっていたようだが、流石に力尽きた様子。
「先生時間がもったいないです。ここは私が」
「ああ、すまんな委員長」
委員長が手早く「起立・気を付け・礼・着席」の授業開始シークエンスを済ませ、他の生徒もそれに従う。教室後方の陽子はその号令には反応できず机の上でのびたままであるが。
「犬飼さんはどうしますか? 授業を受けられる状態ではない様子ですが、なんなら委員長の私が保健室に――」
「いや、あのまま転がしとけばいいだろう。病人でもないし無駄に保健室のベッドを一つ埋めることもあるまい」
チョークを出した教師は委員長の言葉を最後まで聞かずに、黒板に板書を始めた。一学期も半ばを過ぎて犬飼陽子という狼人の生態が分かってきた教師陣も「基本的には放置しておくのが良い」という意見でまとまっているのだろう。別に悪さをするわけでもないのだし。
「……」
委員長は軽く後ろを向いて陽子のことを見たが、それは一瞬のことであとは何事もなかったかのように教科書を開いた。
「いやぁごめんね委員長、つき合わせちゃって」
放課後の時間。
校庭の一角に棒高跳びの設備一式が揃えられている場所に、陽子と委員長の二人がいた。陽子は陸上用のレーシングウェア、委員長はセーラー服のままである。
「な、なにいってるのよ、クラスメイトが困ってるのなら手伝うのは当然でしょクラス委員なんだから」
「そういってもらえるとありがたい」
陽子がそういって伸びをしながら空を見上げる。お昼を過ぎてくらいから徐々に雲が出始め、今では薄曇りである。
「いやー、イイ部活日和だー」
全身に毛が生える狼人にとっては体を動かす絶好の気候だ。
「なにがいい部活日和よ、結局授業の殆どサボってたじゃない。日直だって全然やらなかったし」
「うわははは、ごめんごめん」
委員長の突っ込みに陽子が苦笑しつつ答える。
午前中はかなり強烈な夏日だったのだが、午後から涼しくなっていた。そのおかげで大分体調の回復してきた陽子は、放課後からの部活動だけは出ようと思っていたのだ。もちろん午後の授業は全て机に突っ伏した状態で回復に努めていたのもあるが。
「それにしても授業全部寝て潰して部活だけ出るなんてとんだ遊び人よね」
「あはははは、めんぼくないです」
ペコリと頭を下げる陽子。
「でも委員長が手伝ってくれるっていってくれて助かったよ。せっかく棒高跳びの道具借りられる日だったからね今日は」
専用の高い支柱を見上げながら陽子が言う。
陽子は鬼越との大喧嘩等の接触の後、そして鬼越が自分の下に帰ってきてくれてからは、普通の人間に合わせて運動するのを止めてしまっていた。
具体的にいうと、走り高跳び程度の高さでは背面跳びやベリーロールなどを使わず、自分の跳びたいように跳べば一番上の目盛りのバーですら越えることができるようになっていた。鬼越との大喧嘩(怪人相手の共闘も含まれる)はそれだけ陽子の狼人としての体質を活性化させていた。
陽子は普通の女の子として生きたいとずっと願っていたのだが、普通の人間に囲まれて生きるには、普通とは少し違う自分は普通以上のことをしているのが普通なのだろうと陽子自身も思うようになった。
いざという時に、持って生まれた強い力を使って困っている誰かを助けてあげられるのが自分にとっての普通。それが鬼越との接触で学んだことだった。
その為には今まで普通だと思って取っていた行動へ、自ら制限をかけていたようなものを取り外さなければならない。例えば高飛びのバーは背面跳びでなければ飛べないという感覚を。
そういう訳なので自ら制限を解除してしまった陽子にとっては、走り高跳びのバーはほぼ無意味な物となってしまったが、陽子自身は高跳び自体は続けたいと思っていた。そうなってくると通常のバーの高さでは足らなくなってきてしまったので、陽子は陸上部の顧問にお願いして棒高跳び用の施設を貸してくれないかとお願いしてみたのだ。やはり目の前に架かるバーを背面跳びで越えるのに挑戦したいという、陸上女子としての思いはずっと続いている。
そんな陽子の思いが通じたのか、棒高跳びの選手も毎日バーを使っての実戦練習をしている訳でもないので、走りこみの日などは陽子に貸してもらえることになった。そして本日がそうだったので陽子は、元気も回復してきたので校庭に飛び出してきたという訳だった。
しかし走り高跳びのバーならまだしも、それよりも高い位置にある棒高跳び用のバーを一人で設置するのは非常に無理があるので、誰か手伝ってもらえる人がいないだろうかと陽子は探していた。
ミカは「
そんな中、なんとなく手持ち無沙汰気に帰り支度をしている委員長を発見、陽子はダメ元でお願いしてしてみたところ
『い、犬飼さんがこまってるんだったら、そ、その、手伝ってあげなくも、ないよ……?』
突然頼みごとをされてびっくりしたのか変にドモりながら、委員長は承諾してくれた。
「いや~、委員長にはいつも怒られてばかりだから、ボクの頼みなんて聞いてくれないと思ってたよ」
「そ、そんなことないわよ、私は委員長なんだから同じクラスの生徒が困ってたら手伝うのは当然でしょ!」
「それさっき同じこといってたよ」
「もう! 手伝わないわよ!」
「あはは、ごめんごめん」
そんな風にして、二人は棒高跳びの道具一式の準備を始めたのだった。陽子は「委員長はバーを引っ掛けるときに一緒にやってくれるだけで良いよ」とはいったものの「クラスメイトを手伝うのはクラス委員長の役目だから」と押し切られ、用具倉庫から一緒に物を運んだりしている。
「どうしたの委員長、なんかびくびくしてるような感じだけど……ボクのせい?」
そんな風にして一緒に運んだり一緒に設置しているとお互いの体が接近することもままある。そうして触れ合うほどに近づくと、委員長が妙に緊張しているような変におどおどしているように見受けられるので陽子が訊いてみた。やっぱり狼人がこれだけ近くにいると怖いのかも知れないと、陽子も自分で思うのだ。
「な!? そ、そんなことないわよ!」
「ボクは半分狼だけど、別に委員長のことを食べようとしているわけでもないから――」
「そ、そんなのわかってるわよ!」
「……ぃぃんちょぅ?」
その全力否定に陽子の方が萎縮してしまった。
「……」
「……」
「……な、なんか大声上げちゃってごめん」
「い、いや、ボクの方こそなんか変なこといっちゃってごめん」
二人同時にぺこぺこと頭を下げる。
「じゃ、じゃあ委員長、バーを上げるから手伝ってね」
一通り準備が終わったので、陽子が妙な雰囲気になってしまった場を変えるように言う。
「う、うん」
委員長も気持ちを切り替えるように素直に頷く。
「じゃあ、いくよ、せーの!」
マットの上に置かれたバーを、二人して手にした
「よいしょ、と」
正式な競技場に置いてあるものはバーが電動で昇降するものが設置されているが、高校にあるものは基本的には走り高跳びのハイタワーバージョンみたいなものなので、そのような便利機能はない。そんな理由なので人力で全てをまかなう場合は物干し竿のように長い道具を用いてバーを設置しなければならないのだ。
陽子はこの引っ掛ける時にどうしても二人必要なので、委員長にお手伝いをお願いしたのだった。今はまだ低い位置なので女の細腕でも持ち上がるが、これ以上高くなったらどうしようと思う陽子でもあったが。
「ありがと委員長、落っこっちゃったらまたお願いね」
陽子はそういいながら自分の持っていた刺又状の道具を渡すと、スタート位置へと走った。
「……」
委員長が駆けて行く陽子の後姿を静かに見つめる。
(……犬飼さんの方から誘ってくれるなんて……ちょっとテンション上がってしまったわ)
陽子の顔が目の前に来て変な行動を取ってしまった。
(だいじょうぶ……ばれてない、ばれてない……)
陽子のお尻の上でぽんぽん飛び跳ねる銀色の尻尾を見ながら、委員長は心の中で概ね平常を保てたと安堵する。
「いっきまーす!」
軽く右腕を上げながら宣言をすると、陽子は駆け出した。
髪が流れ、レーシングウェアに包まれた胸がその拘束を打ち破るように揺れ、腰の後ろの尻尾が跳ねる。綺麗に筋肉が乗った手足が躍動し、銀色の体を高速で前進させる。
「うぉりゃあぁあ!」
支柱の直前で空に向かって翔る。宙に銀の絵の具で描いた見事な螺旋が出来上がった。まるで打ち出された矢が回転しながら天に向けて飛んでいくようにそれは――
がすっ
「あ」
今まさに跳んでいる陽子の声と、支柱の脇で見守る委員長の声が見事にシンクロした。
宙に掲げられたバーを陽子は背中のギリギリのラインで通過していくように見えたが、背中でギリギリということはその先にあるでっぱりには当たってしまうということで。
「うはっ」
陽子の尻尾が引っかかって外れたバーと共に、陽子本人もマットの上に落ちてきた。
「いやー、やっぱり最初から3メートルは高かったかな」
コロンと一回転して正座の姿勢になりながら空白になった二本の棒を見上げる。
「……す、すごい」
陽子に対する様々な思いは全部すっ飛ばして、委員長の口はただその言葉だけを口にした。
走り高跳びの女子ワールドレコードは2メートル程度だが、陽子はそれから1メートルは上を跳んでいる。今は失敗してしまったが、ほんの少しだけバーを低くすればクリアできるのは委員長にも分かる。
「へへへ、ほんの一ヶ月前まではこれの半分くらいの高さでバーを落としてたのに不思議なもんだね」
唖然とする顔を隠さない委員長の言葉にテレながら、陽子は立ち上がる。
(……あ)
その一連の流れで、何気ない動きのままお尻の食い込みを直す仕草に委員長はドキッとしてしまった。
(……ぇ、えっ)
更には陽子が委員長の方に近づいてくる。
無防備な姿で無防備に近づいてくる狼人の少女の姿に、委員長の胸が沸騰する。
(え、な、なにっ?)
「委員長それ一つ貸して。バー落っことしちゃったから」
内心ドギマギする委員長の気持ちをすり抜けるように、陽子が手を伸ばした。
「あ……う、うん」
何ともいえない昂揚で一瞬わけが分からなくなった委員長が促されるまま片手に持っていた刺又状の道具を渡す。そして「せーの」という陽子の掛け声を聞きながら、知らぬ間にバーを元の一緒に位置に戻していた。
「じゃあまた落としたらお願いね」という言葉と今使った道具の一方を委員長に残して陽子は再び駆けていった。
「……」
委員長の中ではまだドキドキが続いていた。
(……なんだろう、この天国にいるような時間は)
委員長が思わず心の中で独り語ちる。
肌もあらわなコスチュームで必要最低限の場所だけ隠し、己の体に秘められた力を全力を使って高い棒を目指す。そしてそんな一生懸命な姿の彼女をこんな間近で見ていられる。
彼女に触れるということさえ除けば、正に至極の時間を過ごしていた。
今朝の一時間目と二時間目の間の休み時間に陽子の服装に注意した後、陽子と巫女の彼女が会話しているのを委員長は遠くに聞いていた。例え席が離れていても注意して聞いていれば、自分に対する話し声は拾えるものである。
陽子の格好を指摘するのをミカが揶揄するのももちろん聞こえている。
(……ちがうそうじゃない。私はもっと犬飼さんが肌を露出してもふもふしているところが見たいのよ!)
委員長が心の中で叫ぶ。
陽子の格好を注意するのも、実は陽子に近づき陽子と会話するための方便なのだ。
更には自分が陽子を注意するのが、自分を普通の人間扱いしてくれているのだという陽子自身の弁護も聞こえた。
(ごめんなさい。人間扱いというよりも動物扱いの方が大きいかも)
その言葉に委員長は心の中で謝る。何しろ委員長は彼女の
そんな風にしてもやもやとした一日を過ごしていた委員長は、放課後になって元気が回復してきた陽子が今日の部活はどうしようかと迷っているのを見る。
実は委員長も、陽子が放課後に手伝ってくれそうな人を探しているのを察知していたのだ。
『私は委員長だから手伝ってあげなくてもないわよ』と、自分の役職の権限を持って近づくのは可能なのだが、今日の午前中になんだか厳しく言い過ぎたような気もするので、委員長は躊躇してた。
そんなそわそわしている委員長の方に、陽子の方から近づいてきたのだ。
「あのー、実は委員長、放課後空いてるんだったら手伝って欲しいことがあるんだけど」
しかしてもうし訳なさげな顔でお願いしてくる狼人の少女。もうこれが見れただけで委員長にとってはごちそうさまでしただった。
なんという僥倖! 神様ありがとう! いるかどうかわからないけれど! 機械仕掛けの神様でもいいや!
「い、犬飼さんがこまってるんだったら、そ、その、手伝ってあげなくも、ないよ……?」
というわけでドギマギが抜けない委員長は、おかしなテンションのままそう答えたのだった。
部活が終わって夕方の時間。
委員長と陽子は家路についていた。ちなみに委員長も寮生活なので帰る場所は一緒である。
陽子が「よかったら一緒に帰ろ」といったので――というかいってくれたので、委員長は一も二もなく従っている。もちろん「……い、いいけど?」という変なテンションは抜けていないのだが。
委員長にしても寮生活であるから連れ立っての下校を誘うのは別に構わないのだろうけど、普段陽子には厳しく接してしまっているのもあるので、ためらわれる部分もある。どういう顔をして誘っていいのか全く分からない。
そして委員長自身も陽子から誘ってくれたのは非常に嬉しい反面、日々の行いもあるので「良く誘ってくれたな」と思う部分もある。陽子のことを普通の人間扱いしてくれているというのを快く思ってくれているのかもしれないが、委員長の気持ちとしては真逆ともいえるので非常に申し訳ない。
だがしかし、今の時間はその申し訳ない気持ち半分よりも、先ほどからの天国にいるような気持ちの延長時間が続いているのだった。
(……あ)
並んで歩いていると、二人の歩くバランスが少しずれて一瞬腕と腕が触れ合うことがある。6月1日を過ぎて全国的に衣替えが終わり、一人先んじて済ませていた陽子に委員長も追いついて半袖になった。
剥き出しの腕を銀毛が撫でるたびに、委員長のしあわせな気持ちがまた少し加算していく。
今まで生きてきて、こんなにももふもふしたものがこんなにも近くにあるなんてありえなかったのだ。
動物に接近する度にくしゃみは出るし、涙も鼻水も酷い。しかし陽子はそんな動物のような見た目をしているのに、そのアレルギーがまったく出ない。
(なんて夢のような時間なのだろう……)
委員長は陽子を力の限り抱きしめてもふもふしたいのを必死に堪えながら、クールな表情を作っていた。頭の中では思いっきり表情がにやけているのだが。
このまま後先考えずに陽子に抱きついてみたい気持ちと、この付かず離れずの関係を続けて今の状態を出来るだけ長く維持したいという二つの気持ちが、委員長の中でせめぎあっていた。
(……)
「あ! よーこちゃんだ!」
そうして委員長が悶々とした気持ちで歩いていると、隣の狼人を呼ぶ声が聞こえた。保育園の園外散歩の列が向こうから歩いてきていた。そうして陽子の姿を見るなり園児たちが一気に「わーっ」と駆けてくる。
「お、みんなひさしぶりー!」
それを迎え入れるように陽子も駆けていく。道の真ん中で合流すると陽子は一気に園児たちに囲まれてしまった。
「……なんだろ?」
「ヨーコちゃんのお友達の方ですか」
いきなりのことだったので委員長もどう対応して良いのか分からず遠巻きに見ていると、園児たちを引率してきた保育士が近づいてきた。
「え? あ……は、はい」
余りに突然だったので陽子から目を離した委員長が思わず応える。「同級生です」と言い換えても良かったが、陽子と友達と呼ばれたことがなんだか嬉しかったので、委員長は訂正したくなくそのままにした。
「黄鬼さんがあれからどうなったのか心配で。あなたはご存知かしら?」
「きおに?」
唐突に発せられた謎の言葉に委員長は当惑してしまった。
「ええ。ヨーコちゃんたちが連れて行った後、どうなったのか私しらなくて。陸上保安庁の人には怪人の正体が黄色い鬼だったのは伝えないでほしいっていわれてたからいってないんだけど、でもヨーコちゃんのお友達なら知ってるかと思って」
(???)
いきなり多量の情報が飛び込んできて、委員長にも何のことやら判らなくなってきてしまったが、つい最近鉄車怪人が二回連続でこの町に現れたのはもちろん知っている。しかも二回とも同じ保育園の園児と保育士が襲われている。そしてその二回とも陽子が関係していたりする。
一度目は陽子が怪人に立ち向かって人質にされていた園児を救出したのは学校でも話題になった。
そして二度目もその時に仲良くなった園児の決死の通報を聞いた陽子が、園のみんなを逃がすために怪人のいる保育園に突入したという、またしても大活躍を見せてやはり学校でも話題になった。
しかし二度目の時は、怪人を倒したのも爆発した怪人の中身も行方不明となっている。
遅ればせながら陸保の駆逐隊がやって来た時には、現場で状況を把握できた者は保育士しかおらず、彼女の証言によると「突入してきた陽子は園児を逃がす時に傷を負ってしまい、園児と共に退避、その後何者かが保育園に現れて怪人を退治した」ということになっている。
何者かについては保育士は「園児たちを守るので必死だったので分からない」と証言し、後日になって事情を聞かれた陽子も「怪我をして頭がグラグラになっていたのでまったく覚えていない」と語っている。
その時の陽子は狼人の弱点である銀製の物品で傷をつけてしまい、血が止まらなくなって大変だったそうで、急激に血を失った酷い貧血状態では何も覚えていないのは仕方ないとされた(止血の応急処置は保育士が行ったという)。
鉄車怪人に関しては元チャリオットスコードロンの隊員であった者が、偶然居合わせて倒してしまった後にそのまま姿を消してしまう場合もあるので(しかも意外に多い)怪人爆発の確認が取れれば状況終了ということにはなっている。だから今回も元隊員がフラっと現れてフラっと退治していったのだろうという意見で落ち着いた。公式記録ではそう処理されている。
今目の前にいる保育士は、その場に居た保育士本人であるらしいが、しかし彼女は怪人を倒した者から口止めされて真実は語っていないらしい。
もちろん怪人を倒したのは鬼越と陽子なのだが、鬼越自身も目立つことは避けたく、また怪人の中身であった同属の
そして保育士も鬼貫のその後は知らされていない。当事者である陽子本人に訊くのは躊躇われたが、陽子の友達ならば何か知っているかと尋ねてきたようだ。秘密が拡散してしまう行為だが、保育士もそれほど心配だったのだろう。
「いえ、私はなにも」
そしてそれは、陽子との接触は今日まで殆ど彼女の服装関係の指摘しかなかった委員長には、知るはずもない話しである。申し訳なさそうに答える委員長。
「あ、もしかして普通のお友達?」
「はい?」
「ご、ごめんなさい。なんだかヨーコちゃんの不思議関係の方の友達のような気がしたから、そっち方面の話も聞いているのかと思って」
どうやらこの保育士は、委員長にも狼人的な普通の人間とは少し違う能力があるのかと思って訊いてきたらしい。だからこそ内緒にすべき内容なのに尋ねてきたのだろう。
「いえ、普通というか普通でないというか」
委員長にもほんのちょっとだけそんな心当たりはあるのだが、自分とはまったく関係のないものと思っていたので少し驚いた。やはり見る人が見ると分かるものなのだろうか。何しろこの保育士は二回も怪人と遭遇している経験があるのだし。
しかし陽子と同質の者と思われたのは良いのか悪いのか――今の委員長には良く分からなかった。
「ごめんなさいね変なこと聞いて。それとごめんなさいついでに今の話黙っておいてもらえると助かるわ」
保育士が申し訳なさそうに頭を下げる。
「じゃあ今の話は聞かなかったことに」
委員長もそう答えた。
自分もクラス委員長という責任ある立場になったので、そのようなまとめ役が余りお喋りではいけないというのは少し学んだ。別にやりたくてやり始めた役ではないのだが、彼女の人生経験には少しは足しになっている様子。
「うんごめんね――って、こら、みんな! おいたしちゃダメっていってるでしょ!」
委員長とうっかり話し込んでいた保育士が見ると、陽子は両手両足に抱きつかれて酷い有様になっていた。
「ヨーコちゃんもあんまり酷い時は引き剥がしちゃって良いですからね?」
「まぁ子供たちのすることですから尻尾と耳さえ掴まなきゃ良いですよ――って、誰だまた尻尾掴んでるスケベな子は!」
陽子は園児がしがみ付いたままの腕を後ろに回すと、尻尾を掴んできた子の頭を鷲掴みにしてグリグリする。凄い怪力だが狼人である陽子にとってはこれくらいなんでもないのだろう。ちなみに脚に男の子が抱きついてきても尻尾でなければ陽子的にはスケベではないらしい。
(羨ましい……)
委員長はそんな風にじゃれあう陽子と園児たちの姿を羨望のまなざしで見ていた。
何のためらいも無く陽子の手足に抱きつく園児たち。あまつさえ尻尾にまで。自分にそんなことが出来たらどうなってしまうだろう。
陽子の尻尾に抱きついて、陽子に鷲掴みにされて頭をぐりぐりされる……そんなことができたら鼻血を噴くぐらいでは済まないような気がする。
「さ、みんな園に帰りますよ」
保育士は手馴れた仕草で陽子の手足に抱きついている子たちを引き剥がすと、再び列にまとめた。陽子が尻尾にしがみついたまま離れない子を鷲掴みのままもぎ取るようにするとその中に加える。
「じゃあよーこちゃんまたねー」
そうして園児たちは保育士に再び引率されて帰っていくが、別れ際に手をキツネの形にして「うぃーっ」「うぃーっ」とやり始め、陽子も同じようにして「またねー、うぃーっ」と返していた。
「それはなに?」
陽子の右手のキツネを見て不思議そうに委員長が訊く。
「あの園のヨーコちゃんスタイルです、うぃーっ」
陽子があの保育園で、自分の顔真似を園児たちがするようになった経緯を説明する。
「ひとつも合ってないじゃない」
手はキツネで声は牛で陽子は狼なのである。一つも合ってない。
「あはは、お約束なツッコミありがとう」
そうやって何気ない雑談を交えながら歩くのを再開すると、しばらくして二人の住む寮が見えてきた。
(あぁ、着いちゃった……)
それは委員長にとっての天国にいる時間が終わるということでもある。
「……ふぅ」
目の前に迫ってきた寮の玄関を見て、知らずの内にため息を吐いてしまう委員長。
「どうしたのため息ついちゃって? ……あ、やっぱりボクの用事なんかにつき合わせちゃってつまんなかったよね」
「そ、そんなことないわよ!」
思わず出てしまったため息で、せっかく良い方向に進んできた時間をぶち壊しにしたくなかったのでまたしてもおかしなテンションで答える委員長。
「まぁ今度はボクが委員長の用事に付き合うからさ、なんでも言ってよ」
しかし陽子は委員長の機嫌を少し損ねたと思っているらしくそんな提案をする
「……え?」
なんですと?
「あ、でも、服を着ろってのはダメだよ! 今の季節でこれ以上厚着したらボク死んじゃうしっ」
だからなんですと?
(……)
陽子の言葉は委員長の心を通り過ぎて行っていた。
付き合う? 私に付き合う
委員長は陽子と一緒にいれて大満足の放課後を過ごしていたのだが、陽子の方では無理に付き合わせてしまったと思っているのだ。つまりこの天国のような時間を延長することが可能であるらしい
しかも今は、二人の間を邪魔するあいつはいない。
今日は図らずも二人の位置が急激に縮まった。陽子も今度は委員長に付き合うといっている。
ならばこの勢いに乗じて――
「ね、ねぇ犬飼さん?」
「はい? どうしたの委員長、改まって?」
「さ、最近勉強とかどうしてる?」
「べ、勉強? や、やってるよ……いちおう」
委員長の指摘に今度は自分がドモってしまう陽子。基本的には走ってばかりの陸上女に「勉強やってる?」は、まぁ無駄な問答である。
「もうすぐ中間テストも近いし――」
――試験勉強するの付き合ってよわからないところがあったら私教えてあげるしだからこのまま犬飼さんのお部屋にお邪魔してもいいかな――そう委員長が続けようと思った時
「奇遇だな、こんなところで会うとは」
後ろから一人の女の子の声。
その声に反応して陽子が躊躇なく振り向く。
「というか奇遇も何も、ここはボクたちの帰る家なんだから奇遇も無いでしょ?」
「それもそうだな」
「奇遇だっていうんなら、夏休みでもないのに自由にほっつき歩いてるミユキが奇遇にしてるんでしょ自主的に」
「的確な指摘だ」
数日振りに寮へと帰ってきた赤鬼はそういって苦笑した。
「……」
そのやり取りを聞いた委員長が、遅ればせながら振り向く。
本当は見たくないのだが、嫌なものでも見なければならない責任感を全開にして、委員長は体を旋回させる。そこには見たくも無かった赤鬼――
「……」
「隣にいたのは委員長だったか。すまんな数日も教室を空けて」
鬼越もそこでようやく陽子の隣りを歩いていたのが自分のクラスのクラス委員であるのに気付いた様子。
「奇遇ね」
委員長がまったく噛み合わないことを言う。鬼越が最初に口にした言葉に対して受け答えをしている。数日どころか数年くらい居なくなっていれば良いのにと、委員長は心の中で本心を答えていた。
「今日は珍しい組み合わせの二人が揃っているがどうしたんだ?」
しかし委員長の対応に関しては鬼越は特に反応も見せずに、陽子と委員長が一緒にいる事実を訊いた。鬼越も陽子が服装関係で委員長から毎日のように注意を受けているのは知っているので、二人が揃って歩いているのは珍しく思う。
「今日は棒高跳びの道具を借りれる日でさ、どうしても人手がいるから委員長にお願いしたんだよ」
「ああ、前にいっていた横棒を引っ掛ける手伝いか。すまんな時機が合わなくて」
陽子はとりあえず事前には鬼越に引っ掛け役をお願いしていたらしい。それを知って委員長の気持ちが更に沈む。
「いいっていいって、今日は委員長が手伝ってくれて助かったから。ね、ありがと委員長」
「……うん」
陽子がそういってくれるが、今の委員長は言葉少なげに何とか答えるのが限度だった。
「それはそうとミユキはどこまで行ってきたのさ、学校休んでまで」
「この州――いや、この神無川の外縁部まで行ってきた」
「がいえんぶ? ……県境ってこと?」
「まぁそういうことだ」
「ふーん? まぁ立ち話もなんだし、ご飯でも食べながらゆっくり旅話は聞くことにするよ」
そういって二人に「早く入ろうよ」と促した。
「そういえば委員長なにかいいかけてたけど?」
下駄箱に靴を入れながら後ろの委員長に訊く。鬼越が現れる直前に何かいっていたような気がする。
「ううん、なんでもない」
委員長も靴を納めながら、素っ気なく答える。
「そう?」
委員長がなんでもないというのならなんでもないのだろうと、陽子はそのまますたすたと廊下を歩く。相手は部屋は違えど同じ屋根の下に住んでいるのだし、食堂でも洗面所でも顔は合わせられるのだから話があればその時してくれるだろうと、陽子にしてもそれ以上深くは詮索しない。
「じゃあな委員長」
鬼越が委員長に軽く声をかけて陽子の後に続く。またすぐに会うかもしれないし、翌日の授業まで会わないかもしれないので、挨拶は軽めだ。二人はそのまま自分たちの部屋の扉を開けて中に入っていった。
「……」
鬼越が扉を閉め切るまでしっかりと見ていた委員長は、廊下を進み自分の部屋の扉を開け中に入り、閉めた。
「……じゃあなじゃないわよ赤鬼」
そのままどさりと床に座り込む。鬼越が最後に残した台詞に呪詛の如く答える。
直前までしあわせの絶頂にいた気持ちが一気に萎んでしまった。
天国から地獄へ急転直下。まさに地獄の鬼の仕業だ。
委員長には同部屋の住人はいない。寮に帰ってきても一人。
そしてあとほんの少しタイミングがずれていれば、自分は二人部屋――陽子と同部屋になっているはずだった。
そう、あの赤鬼さえやって来なければ。
「鬼越魅幸……あんただけは許さない」
その言霊だけで相手を呪殺できるのではないかというくらいに恨みを込めてその名を呼んだ。
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