こんな家で私は育った

今住んでいる家と言うのは、曽祖母の時代から住んでいる家でして、勿論、何度か建て直しを繰り返し、その都度昔のものを捨てて塗り直してきたのですが、ちょっと特殊な場所に代々住んでいるのです。


一つには、敷地内に稲荷神社の祠がある事。

末廣神社と祀る石に彫ってあり、建立した年月日は文久ニ年七月。その頃といえば、教科書にも載っている生麦事件などが起こった頃です。バリバリの幕末と言う事になります。


敷地内に神社があると言うのもちょっと大変で、毎月一日と十五日には盛り塩やお酒、榊を取り替えたり、お掃除をしたり。そのお掃除もやたら誰でも良いと言う訳ではなく、男が掃除をしなければならないと言い伝えられていました。

それは何故かと言うと、稲荷神社と言うからには、此処にはお狐様が祀ってあり、狐は女の神様なので女が掃除をするのは障りがあるとされていたのです。

そして何故、此処に稲荷神社があるのかと言うと、曾祖母の時代、我が家は芸者置き屋を営んでおり、稲荷と言えば商売繁盛の神様と言う事らしく、置き屋に稲荷。なるほどね!という事らしいのです。

そう。花柳界に建つ家。これがもう一つの我が家の「特殊」な事なのです。


芸者置き屋と言うのは、芸者版の芸能事務所みたいなもので、その他に芸者と客を取りもったり、料亭や旅館の手配、お給金などの管理をする見番と言う所があり、この二つでお座敷を取り仕切っていたらしいです。

そう。私の家がある場所はこんな地方の花柳界のど真ん中なのです。

とは言え、今は芸者遊びをするような粋なおじさま達は絶滅し、それに伴って芸者衆もどんどん姿を消して行き、今では置き屋も見番も全て無くなって十五年にもなります。


そんな訳で、我が家の周りは独身のお婆さんばかりが住んでいるのです。

何故お婆さんばかりかって?

それは、その当時は芸者は正式に結婚出来る人は稀だったから。

皆んな旦那は居ても夫がいない。お妾さんが多かったと言う事なのです。

無論、曾祖母の家業が置き屋と言う事は、その娘である祖母は芸者でした。それと同時に長唄、小唄のお師匠さんをしており、私が幼い頃は、粋で白粉の匂いのするお姐さん方がひっきりなしに家にやって来ては、手習ついでに高価なお菓子などを幼い私にくれるのです。

虎屋の羊羹や最中、花園万頭のぬれ甘納豆。梅園の栗鹿の子。

お客さんから貰ったお菓子がその価値もわからない子供の私にほいほい振る舞われる訳なのですが、当時それを遠足などに持って行かされるのは正直迷惑でした。この歳になればありがたやと思っても、子供の感覚ではアポロチョコやポッキーの方が何倍も嬉しかったのです。勿体無い話です!


今思えば賑やかな頃の花街は素敵な場所でした。

夜の遅いお姐さん方は、少しゆっくり起きて銭湯へ行き、昼頃から三味線のお稽古をし始めます。そうすると家の前の通りからその三味線の音や小唄の声が聞こえてくるのです。

そして夕方には、今で言う所の同伴などで料理屋や旅館へと三味線の鞄を下げて向かう賑やかな声が聞こえ始めます。

こうして花街はゆっくりと目覚めていくのです。


我が家の隣には日本庭園付きの旅館があり、毎晩窓を開けななして賑やかなお座敷遊びに興じる声や、太鼓や三味線などの鳴り物の音が途絶えませんでした。

当時受験勉強をしていた私には、そのあまりの賑やかさに腹を立て、屋根から雪玉を投げ込んだ事もありました。

今はその旅館は無くなり、広い駐車場になって昔の面影もありません。


ここら界隈は昔は柳町と呼ばれ、小さな川沿いには暗くなると等間隔に植えられた柳の元に雪洞が灯され、その道をそぞろ歩く客やお姐さん方の姿は実に風情がったものですが、その他にも魚の屋ばかり並ぶ魚町や、問屋が軒を連ねる連雀とか、町の名前も風情があったものですが、今となってはそれが東京風に丸の内だ事の中央だ事のつまらない名前に変わってしまいました。

なんと銀座もあるのです。良くありますよね?ナントカ銀座と名のつく場所が。それでも昔は賑やかでしたから良いのですが、今となってはシャッター商店街。銀座という名も名折れというものです。

芸者さんの話とは少しずれてしまいましたね。


私が芸者かどうかって?残念ながら、私の母の代からはもう一般人でした。こんは風だから芸者文化はどんどん廃れていくのも世の慣いなのでしょう。

でもね、ふと思い出すのです。今は色気も何にも無くなった町ですが、昔は確かに此処は大人の色気の漂う場所で、その只中で育ったのだと言う事を。

そして大人になった今だからこそ惜しくもあると言う事を。

小唄や三味線も祖母が亡くなる前にもっと教われば良かったし、日本舞踊の習い事だって逃げ出さずに続けていれば良かった。

こんなに和な物事が後々好きになるなんで思いませんでした。今思うと本当に勿体なかったなと思います。


今は無き昔の家が懐かしいです。土壁と漆喰と数寄屋造りの天井と、坪庭の紅葉が無性に懐かしい。

今は全て無くしてしまったもの達ですが。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る