第2話 殺し屋さんと自殺少女

 ふと、目を覚ました。


 周囲を夕日が赤く染めている。


 夢を見ていた気がするが、頭にもやがかかっていたようで思い出せなかった。


 夢・・・・寝ていたのか、僕は。


 ソファから身体を起こそうとして、違和感を感じて隣を見る。少女が僕の肩にもたれかかって寝息を立てていた。


 起こそうと指を伸ばしかけて、ためらう。なんとなく、起こしてはいけない気がした。


 しばらく逡巡した後ゆっくりと離れ、寝室から毛布を取ってきて眠る彼女に被せた。僕が離れたことでソファに独り、横になる形で一人眠っている。


 夢を見る彼女を一人残して、僕は外に出ることにした。


 微妙に眠気が残る身体を伸ばして、外行きの上着を羽織った。まだ外の空気は少し寒い。


 ドアを開けると、春の夕暮れの心地いい風が吹いていた。


 しかし、眠ってしまった・・・か。


 寝不足が少しばかり解消され、微妙に思考する余裕のできた頭で考える。考えてしまう。


 僕はこれから、なにをすべきか。



 -----------


 

 「僕が書いても遺書ってのは効果があるの?」


 僕がそう問うと、なじみの弁護士はしばらく呆けた顔で僕を眺めた。


 ただ、しばらくすると顔を仕事用のそれに戻して、言葉を返してくる。


 「まあ、普通に考えればあるだろ。表向きにはお前は心理カウンセラーで依頼料も全部、カウンセリングで得たものになってる。税金もちゃんと払ってるし、確定申告だってしてる。お前のやったことが明るみに出て財産の差し押さえとかがあれば話は別だがな」


 「そうか・・・」


 つまり、僕の仕事が明るみに出てしまうと彼女に残せるものがなくなってしまうのか。


 「どうした急に?自殺する予定でもできたか」


 「そっちの方が確実に財産を残せるなら、それもありかもしれない」


 「おいおいおい、冗談だよ・・・」


 顔なじみはそういうと、顔を引きつらせる。まあ、僕もすぐさまそういう行動を移そうとは考えていない。


 「僕が死んだら、この前からうちに住んでる女の子にお金が残せるようにしたいんだ」


 「・・・・・・・また、随分入れ込んだな。お前、結構金持ちだったろ」


 「うん。あ、もしその時は君が色々事後処理してくれ。前金は払っておくから」


 「・・・・・・・・、そういう契約は第三者ちゃんと入れとかないと、俺が金持ち逃げするかもしれんぞ」


 「うーん、普通はそうだけど。大丈夫だろ、君はそんなことしない。する意味もない」


 僕がそういうと、顔なじみは深々とため息をついた。呆れているのか、困っているのか、両方かな。


 「無条件の信用ってのが一番重いんだよ・・・」


 そういうとそいつは、今度契約書作っとくから、その写しをちゃんとその子に渡しとけと言ってきた。特に反対する理由もないので、僕は黙ってうなずいた。


 「しっかし、なんでそんなにその子に入れ込むんだ?」


 「・・・・なんでだろ、あの子の祖母に頼まれたからかな」


 「ああ・・・依頼人の?」


 「うん、後・・・・なんでかな。最近、あの子すごい幸せそうなんだ」


 「もともとひでえいじめを受けてたんだったか。まあそれから解放されりゃあ、少しは楽になるのかね」


 「料理とかも頑張ってさ、僕の健康をなんというか、マネジメントしてくるんだ。すごい楽しそうに」


 「へえ、良妻じゃねえか」


 「僕、男じゃないから妻なんて持てないよ」


 「冗談だよ。第一、女でもねえだろうが」


 「ははは」


 僕の冗談に顔なじみは渋い顔をして返してくる。事情を知ってる数少ない人間だから、ジョークを飛ばしたのだけれど毎回、苦い顔をされてしまう。まあ、悪いとは思うがやめる気はないのだけれど。


 「毎度、茶化していいのかわかんねえよ、その冗談。・・・・・で、その云々で情が移ったと」


 「・・・・かな」


 そんな会話をしていると、顔なじみは腕を組んでしばらくうんうん唸りだす。


 「なんかお前ら・・・前見たことあるんだよな、映画で・・・題名は忘れちまったが」


 「映画?」


 「ああ、殺し屋が少女を拾って養うって話だ」


 「ああ・・・・、ありがちだね」


 割と古今東西、よくあるネタじゃないだろうか。荒んだ経歴を持つものが、小さな庇護対象を拾って精神的に癒されていく。そんな、よくある話。


 「そういう話は大抵、バッドエンドだ」


 「・・・・まあ、確かにな。なんでだろうな?」


 「さあ。ちなみにその映画のラストは?」


 「・・・・・殺し屋が警察に追い詰められて、少女だけ逃がす。殺し屋は撃ち殺されて死んで、少女は泣きながら少し強くなって日常に戻っていく」


 「ありがちだ」


 「結構、感動したぞ?」


 「だろうね。でも、それは殺し屋が死んだからだよ」


 「?」


 顔なじみは首を傾げた。


 「たくさんの人が見るからさ、皆が納得できる形じゃないといけないんだ」


 「・・・殺し屋は死なないといけないってか」


 「そう、そこで殺し屋が生き残ると、皆の心にわだかまりができる。罪を犯した奴がなんの罰も受けずにのうのうと生きるって結末にみんなが納得がいかない。人殺しをしている時点で、過去の清算のしようがないんだ。・・・・そいつが死ぬ以外ではさ」


 「世知辛いねえ」


 「ところで、・・・・太宰治って読んだことある?」


 「ああ、自殺する話書いて、本当に自殺した奴だろ?」


 「そう、基本的にひどい話だ。救いなんてほとんどない。でもね、彼の話は売れたし、結構な人の心に残ったんだ」


 「・・・そりゃあ、また、なんでだろうな?」


 「どうだろうね、前に見た本だと。太宰は結局全部、投げ出したからだって書いてあった」


 「・・・・」


 「人は誰だって、変わりたくなくて、現状維持で済むならそれがよくて。でも大概、変わらないといけないから、そういう心を押し殺して変わっていく。でも人の心にはどこかで、変わりたくなんてなかったって心が残ってる」


 「太宰は変わらなかったのか?」


 「変わらなかった。家族との確執とか、周囲への見下しとか、逆に劣等感とか、肉親への甘えとか、そういう乗り越えていくべきものを放棄して、そのまま死んだ」


 「割と、どうしようもない奴だな」


 「そう、でも弱い心が眠ってる人の中には、もしそうあれたなら、もし変わらないで済んだならって夢がどこかで残ってる。変わることに疲れた人や弱くて変われない人は特に。だから、あの人の物語は人を惹きつける。たとえ、それが弱さや醜さが題材だとしても」


 「・・・・・お前も、変わりたくないって話か?」


 「・・・・それが一番、簡単な選択肢だねって話だよ。僕だけ置いて、僕だけ死んであの子が幸せになれるならそれもいいかなって」


 「・・・・わかる、とは言わん。お前の人生だし気軽に口出しもできん。ただ、それでいいのか?とは思う」


 「・・・・弱い心はすぐに強くはなれないんだよ」


 「・・・弱いまま歩いて行きゃあいいじゃねえか」


 そんな会話をして、その日、僕はそいつの事務所を後にした。


 家に戻るころにはすっかり夜更けになっていて、だというのに、リビングの電気は真っ暗なままだった。さすがにもう寝床についてしまったのかなと、僕は静かに家の中に入った。


 僕が電気をつけると、少女はリビングの机で眠っていた。机にはラップがかけられた二人分の食事。食べずに待ってくれていたみたいだ。


 机にはメモ書きがあって、『睡眠改善!!』と題が打たれている。瞑想やら食事やら運動やらのメモの下の方に『夜間は可能な限りライトを暗くする』と大きく書かれた文があった。まさかとは思うが、これを実践しているうちに自分が寝てしまったのだろうか。


 「おまぬけさんだね・・・」


 髪を撫でると、少しむずがるような声を出す。その様子にフフッと笑う。


 依頼を受けてした少女。周りから傷つけられ、弱い心のまま死のうとした少女。僕の世話を懸命に焼く少女。すこしずつ生きる力をつけていく少女。


 そして、僕の幸せを願ってくれる少女。


 僕が君の幸せを願う理由はその程度で十分で。


 だけど、僕が君を残して死んだら、君は幸せになれるかな。


 それとも君も死んでしまうのかな。


 太宰治は恋人と一緒に心中したらしい。


 変われぬ人に惹きつけられた人は、変われぬままその人生を添い遂げたのだろう。


 それは嫌だなあと思う心と、それもいいかもなあと思う心が、胸の内に一緒に住んでいる。どちらが僕の舵を握るのかはまだ、わからない。


 いや・・・・ダメだね、眠ってしまったから。妙に頭が冴えている。


 つい、これから具体的にどうするかなどと考えてしまう。


 こうやって変わらぬまま堕落していく時間も楽しいのだけれど。


 「そうも言ってられないのかな」


 夢のような幸せはどのようにすれば現実になるのだろう。


 弱い心のままでもそれは手に入るのかな。


 『弱いまま歩いて行きゃあいいじゃねえか』


 頭の中で顔なじみの声がする。どうだろう、本当にそうなのかな。


 「亜衣あい、ご飯にしよう」


 何はともあれ、肩を揺らして夢を見ている彼女の目を覚まさせる。


 眼をこすった彼女は僕をゆっくり見ると、にっこりと笑いかけてきた。いい夢は見れたかな。


 僕も優しく笑い返す。


 どうなるかはわからない。どうなれるのかもわからない。


 でも、どうか君が幸せになれますように。


 本心から、そう、想う。


 こんな気持ちを、一体、何と呼べばいいのだろう。


 食事を前にして、二人で手を合わせた。


 祈る、祈る。謝罪を、後悔を、感謝を、そして彼女の幸せを。

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