殺し屋さんと自殺少女
キノハタ
第1話 自殺少女と殺し屋さん
人生で何度目かの自殺を試みたある日、私は殺し屋さんに拾われた。
大量服薬で半狂乱になっていた私は、殺し屋さんにいとも簡単に組み伏せられて、加えて気絶させられた挙句。気づけば彼の家で養われることになっていた。
彼・・・なのだろうか。
殺し屋さんは性別不詳だ。男のようにも見えるし、女のようにも見える。見栄えは綺麗なのだが、どことなくどちらに属するのかといわれるとよくわからないところがあった。性別的な要素が欠けているような印象を受ける。裸になってひん剥いたわけでも、明らかに性別が分かるような証拠を見つけたわけでもないので、どちらであるかの確証もない。
とりあえず言えることは、殺し屋さんは普段、ボクサーパンツをはいて、髭剃りはしていないということだ。家に生理用品はないけど、肌に塗るココナツオイルはあった。あとブラジャーはないが、ワンピースはあった。情報はちぐはぐで結局、どっちかわからない。
朝起きると、規則正しく料理を作ってほぼ一定ルーティンの朝食をとる。
食後五分程、コーヒーを飲みながらぼーっとした後、少し激しめの運動をして汗を流す。
その後は、仕事のメールをチェックしてなにもなければ、その日は後は運動をしたり本を読んだり、買い物したりしてすごす。
そんな人だ。あまりに規則的かつ、健康的すぎて本当にこの人が殺し屋さんなのだろうかと時々疑いたくなる。
ただ、一つ不健康な要素があるとすれば、ほとんど寝ないことだった。
「どうして、ほとんど寝ないんですか?」
私がそう尋ねると、殺し屋さんは本を閉じてこちらを向いた。眼には薄いくまがある。肩ほどの髪がさらりと揺れる。きれいな髪だが、これも性別をわからなくさせている要素だった。
「寝るとね、人間は嫌でも幸せになるんだ、だから僕は寝ない」
「幸せになりたくないんですか?」
「幸せなまま、殺し屋なんてできないよ」
・・・・果たして、そうなのかな。世の中にはきっと、人生を謳歌している殺し屋もいるんじゃないだろうか。
「寝不足だとね、頭がぼーっとするんだ。考え事をあまりしなくて済む。殺した奴の顔とか、これからどうなるかとか、あまり考えなくていい。つまるところ、自己防衛だよ」
首を傾げた私のために殺し屋さんは、そう理由を語ってくれた。
日常のごみを袋にまとめながら、私はなお首を傾げていた。
だってその行為は、どうしたって自分を守るためというより、自分を傷つけるためのもののように見えた。
殺し屋さんは。殺し屋だから、殺しをする。
手段は色々らしい。ナイフで刺したり、銃で撃ったりということもしなくはないらしいが、リスクが高いのであまりすきじゃないそうだ。毒で殺したり、トリックにかけたりということも色々できるらしいが、結局のところ大半は日常の中で殺すのだそうだ。
よく通る路地の植木鉢が落ちてきたとか、近所の交差点で転んでしまって車に轢かれたとか、作業場の階段で足を滑らせたとか。
そういう死ぬかもしれないけど、大半は忘れ去られた死の可能性を使って人を殺すそうだ。
私はその話を聞いて、とても素敵な殺し方だと思った。
死を想起させるようでない場所から、死を連れてくる。
日常の中に潜む死を思い起こさせてくれる。
当たり前に歩いていた道にだってたくさんの穴が開いていて、そこに落ちて初めてそれを認識できるのだろう。
きっと、その人たちは実際の死に至る瞬間まで、自分が死ぬなど思いもしない。
きっと私を嗤っていた人たちのように。
素敵だ。
私もそんなやり方で殺してほしい。
私も死にたい。この人に殺される人たちのように、この人に殺してほしい。
それを想起する間すらなく、命を奪ってほしい。
私は死ぬのが怖い、でも生きてはいけない。
だから自殺したけれど、失敗した。
でも、いつか成し遂げられなかった自殺をこの人になら託せるかもしれない。
腹部にある刺し傷の跡を撫でながら、そんなことを想っていた。
買い込んだ素材で昼食のメニューを考える。新鮮な野菜と新鮮なお肉。健康になる適切な量。飽きが来ないように時折、混ぜる食材や調理法を変えている。タブレットで料理や健康のトピックスを眺めて、何がいいかを吟味する。
生の葉物野菜。ゆでたジャガイモ。人参。ほうれん草。トマト。相応の量を盛り付けて、オリーブオイルを回す。
サーモンと鶏肉。サーモンは冷凍処理したものを生で、鶏肉はソテーにした。
バゲットと、デザート用のフルーツにキウイを準備した。安眠効果があるらしい。
野菜を切った包丁を手の中でくるくる回しながら出来栄えを確かめる。まあ、上々だろう、包丁を首に当てる遊びをしながら私は皿を食卓まで運んでいく。残念ながら、この包丁で自分の首を引き裂く度胸は私にはない。
「お昼ご飯、できましたよ」
私がそう声をかけると、殺し屋さんは本を読んでいた首をゆっくり傾けて、こちらを見た。
無言で席について、お互い手を合わせる。
殺し屋さんの食事前の祈りはとても長い。何を想っているのかと聞いたら、失われた命に対して祈っているのだと言った。
それが、食物に対してなのか殺した人に対してなのか。私が問うと、殺し屋さんは優しく笑って、両方だよと言った。
いつしか、私も同じように祈るのが長くなった。きっと、この人のお金で生き永らえている私も、同じような罪があるだろうから。
祈りを終えて、私たちは食事に手を付ける。私の前にも、殺し屋さんと同じ、健康的な食事。
本当は私だけ寿命が縮みそうなジャンクフードとか食べていたいんだけど、それをすると殺し屋さんも同じものを食べると言ってきかなかったので断念した。私だけ寿命を減らして、殺し屋さんの寿命を延ばす作戦は失敗だ。
まあ、それはそれとして美味しい。我ながら、うでがめきめきと上達している自覚があった。
「おいしいね」
殺し屋さんがそう私に声をかけた。私は笑顔で頷いた。
「最近、料理の腕があがった」
「でしょう?自分でもそう思います」
食事の終わりに二人で手を合わせる。
終わりの祈りも、とてもとても永かった。
食事を終えて、後片付けを済ませてリビングに戻った。エプロンをといてハンガーにかけたところで、違和感に気が付いた。
殺し屋さんが寝ている。
眠る姿などほとんど見たことがない人がソファで静かな寝息を立てている。
ちょうど窓が開いていて、春の陽光と優しい風がカーテンを揺らしていた。
胸には先ほどまで読んでいたであろう本が、ページを風に揺られながら置いてあった。
少し驚いた後、くすっと笑ってこっそり近づく。
頬に触れても、眼は覚めない。殺し屋らしからぬ、穏やかな寝顔。
穏やかで、静かで、幸せそうな寝顔。
ねえ、殺し屋さん。
あなたが不幸せじゃないと人を殺せないなら、あなたが幸せになったらこれからどうなるんでしょうね?
殺し屋さんの寝顔の横に腰を下ろして、そんなことを考える。
タブレットを持ってきて殺し屋さんの隣で次なる手を考える。
食事の結果はよかった、あとしてあげられることはなんだろう。音楽か、アロマか、本の選別か、衣服か。いや、やはり睡眠改善が一番効果がありそうだ。
考えること、新しいことを学ぶ楽しさに酔いながら、私は次の手を模索する。
そして、いつか幸せになって人を手にかけられなくなった殺し屋さんが、私を手にかけることを夢想する。
もちろん、都合のいい妄想に近いのだけれど。
そんな未来が来てもいい。
それにこうしている今が何より楽しい。
この人の幸せを、私以外の幸せを私の手で創り上げていくのがたまらない。
他人の幸せを無責任に願うことが何よりの娯楽だと、どこかの本で読んだことがあったっけ。
そうしているなか、ふと思うことがあった。
誰かの幸せのため、たくさんの手段を持って努力する。
世の中ではこれを愛と呼ぶんじゃなかったっけ。
くすっと笑って、寝息を立てる横顔を眺めた。
よく見ると眼に涙が滲んでいたから、それを掬って嘗めとった。殺し屋さんの涙はすこししょっぱい。普通の人間と同じだ。何一つ変わらない。
それから、額に軽く口づけをした。努力を、工夫を、時間を、愛をこめて。
春の風が吹いて、殺し屋さんの髪を優しく撫でた。
風に吹かれながら、願う。居もしない神様に向けて。
どうか、どうか。
「私を置いて、この人が幸せになりますように」
私は殺し屋さんの隣に座って、ゆっくりと目を閉じた。
学校の人たちの拒絶の声も、お前は要らないという親の声も、死にたいという自分の声も今は聞こえない。
優しい日差しと、風の音だけがここにあった。
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