第7話「取り引き」

 異界エデンに居るアルセーヌとツェツィリアのかたわらに、いつの間にか立っていたのは……


 漆黒の法衣ローブを着込み、同色の大きなマントをひるがえす。

 長身痩躯の30過ぎそこそこの若い男だ。

 

 彼こそがツェツィリアから『お父様』と呼ばれる謎めいた男……

 そう、10年前に全属性の魔法を軽々と使いこなし、ツェツィリアの危機を救った男である。


 青に近い色白の肌。

 小さい顔。

 なで肩まで伸びた、さらさらの美しい金髪。

 

 「ぴしっ!」と鼻筋が通った端正な顔立ち。

 切れ長の涼し気な目には感情が全く見えない。

 碧眼の瞳に映るふたりを、まるで『もの』を見るように捉えていた。


 不思議なのは……

 森での救出劇から約10年の月日が流れ、当時6歳だった幼子のツェツィリアが美しい少女へと成長したのに……

 この男の容姿は、10年前と全く変わっていない。

 全く年を取った様子がないのだ。

 

 当然アルセーヌは、その不思議な事実を知らない……


 ぞくり……

 

 アルセーヌに鳥肌が立った。

 男のまとう、感情が伝わらない冷え冷えとした雰囲気が、アルセーヌへ底知れぬ恐怖を呼び起こす。


 分かる。

 魔法使いのアルセーヌには気配、魔力の波動で分かる。

 冒険者としての感覚でも分かる。

 この男は……人間ではない。

 怖ろしい人外だと……


 いきなり男が問う。

 矢を射るような鋭い視線をアルセーヌへ投げかけて。


「少年……アルセーヌと言ったか? ツェツィリアに気に入られたようだな」


「あ、わわわ…………」


 しかしアルセーヌは恐怖に囚われ、身体だけではなく、口も動いてくれなかった。

 返事どころか、恐怖からろくに言葉が出ないのだ。

 もしこの男に会えたら、いろいろ『事情』を聞こうと思っていたのに。

 だが、すかさずツェツィリアがフォローしてくれた。


「そうよ、お父様。彼の名はアルセーヌというの」


 男は肩をすくめ、ツェツィリアに向き直る。


「ふむ……ツェツィリア、どうだ?」


「見込んだ通り、彼は、アルセーヌには素晴らしい素質があります。私とは魔力の相性も最高です」


「素質、相性……成る程。だが性根は?」


 アルセーヌの性格……

 聞かれたツェツィリアは、きっぱりと言い放つ。


「せ、誠実です。信じられます」


「そうか? この少年は真面目ではあるが、豪胆さに欠ける、つまり極めて小心だ。……気持ちが相当弱いと見たが……」


 男が指摘すると、何故かツェツィリアは必死にかばう。

 アルセーヌの事を。


「ア、アルセーヌは! や、優しいだけです。優し過ぎるのですっ! 私がパートナーとなり、くじけないようしっかり支え助けますっ!」


「分かった。単にこの少年が下僕なら問題ないが……お前に相応ふさわしいかどうか……彼アルセーヌの試験テストをしよう」


 男はピンと指を鳴らした。

 瞬間!

 またも、アルセーヌは足元の感覚を失い、あっさり意識を手放していた。


 ただ意識がなくなる時。


「アルセーヌ、頑張って! 信じてる!」


 という、ツェツィリアの熱い励ましが、確かにアルセーヌの耳へ響いたのである。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 やがて……

 アルセーヌの意識が戻って来る。

 いつのまにか、アルセーヌはどこかへ横たわっていた。


 目を徐々に開けると、辺りの様子が変わっている。

 何もない……のだ。


 今迄あった楽園エデンの大草原が、森が、頭上の大空が……

 風もない、温かくも寒くもない。

 そして、色さえもない。

 周囲は真っ白な世界なのである。


「こ、ここは……」


 どこだ? 

 と思わず声が出たアルセーヌに対し、


「ここは、私が創った別の異界。先ほどのエデンともまた違う場所だ」


「は!?」


 いきなり『男』の声が響き、アルセーヌは吃驚して思い切り起き上がった。


「あ、貴方は!」


 声の主は、やはりツェツィリアが『お父様』と呼ぶ男であった。

 相変わらず漆黒の法衣姿でアルセーヌの前に、たたずんでいる。


「少年よ、私の事は、ルイと呼べ」

 

 ルイと名乗った男は淡々とした口調で、いきなり申し入れをして来る。


「ルイ……」


「そうだ! アルセーヌとやら、私と取り引きをしよう」


「取り引き?」


「うむ、ツェツィリアは魔導水晶でたまたまお前を見つけてから……何故か、ずっと執着している」


「俺に? 執着?」


「私は困っていた。お前が原因でツェツィリアは人の心を捨てきれず、夢魔モーラとして覚醒せず未だ完全体になれない」


「…………」


 困っていた?

 ツェツィリアが自分のせいで?

 完全な夢魔になりきれない?

 

 一体何を言っている?

 この男……ルイの意図は、何なのだろう。


 アルセーヌがつらつら考えていると、ルイは更に言う。


「まだ分からぬか? ツェツィリアはな、私の良き片腕になれるほどの逸材なのだ」


「え? ツェツィリアが?」


「ああ、そうだ。いっそ、事故に見せかけ、お前を殺しても良かったが……」


「え? 俺を殺す?」


「うむ、あの子が完全体になるには、お前という存在が邪魔だからな」


「あ、う……」


 アルセーヌは絶句した。


 ルイが、あっさり殺すと言い切る言葉の持つ恐怖。

 淡々と、感情がない。

 まるで人が、小さな虫けらを、無造作にひねり潰すような趣きだ。


「だが……もしもお前を殺せば、当時の幼いツェツィリアは生きる事に絶望し、自ら命を絶っただろう。だから私は、敢えてお前を見逃していた」


「…………」


「しかしツェツィリアは以前よりもずっと強くなった、心身ともに。それ故、お前が居なくても、もう死にはしない」


「…………」


「だが安心しろ……今更、お前を殺すつもりはない。ツェツィリアに免じて命だけは助けてやる」


「…………」


「その代わりアルセーヌ、お前からツェツィリアへ別れを告げよ。夢魔のお前など嫌いだ、もう二度と会わないと、きっぱり宣言するのだ」


「え?」


 夢魔のツェツィリアに嫌いだと言え……二度と会うな。

 ルイの持ちかけた『取り引き』とは……とんでもないものだった。


「永遠の別離を告げれば、お前の持つツェツィリアの記憶は完全に消去される。ツェツィリアからも同じくお前の記憶を消す」


「な、そんな!」

 

「ふむ、何故だ? 何か問題があるのか? ……お前には、そんなに動揺する理由がないはずだ」


 慌てるアルセーヌを不思議そうに見て、ルイは首を傾げた。

 そして、氷のように冷たい眼差しで、改めてアルセーヌを見据えたのであった。

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