『罪明かし編』
寸刻ほど沈黙を喫した後、神保さんは動揺とも呆れとも取れるような微笑を浮かべる。
「それは……単なる虚言、言葉の綾ではないかしら。
それよりよく私の言葉をこんな状況で、都合よく的確に拾えたものね? そんな些細な一言を聞き逃さずに、こうして突いて来ること自体ちょっと怪しくないかしら?」
「えっ……違うよ真理亜。それを言うなら、そんな冷静に愛理を教師じゃないって確信できて漣君に次の判断を迫ることだって、おかしいでしょ?」
「いいえ。考えてみて、私は次に真っ先に疑われる立場なのよ? 限られた時間で早く行動しようとするのは自明の理でしょ?
それにさっきも言ったけれど、私は渋谷さんたちがグルだと確信しているの。
もっと言うならば、こんな異質な環境で昼休みがあるなんて呑気なことはまず考えつかないわ。生死を掛けた場面なのよ? 状況的に次どうするかを考え始めるのは、誰であろうとごくごく当然のことではないかしら……。
そもそもどうして、普通の授業スタイルとして捉えることができるの?」
たしかにそうだ……僕は昼休みが、次に来るなんて想像はしていなかった。というより、そちらに思考が動いていなかった。
沙羅はどうして、そこをつけたんだろうか……? 特に深い意味を持たない素朴な疑問だ。
「真理亜……私は普通に昼休みがくるなんて、思っていたわけじゃないよ。ただ、真理亜が言った後に五限目の放送が流れて、そこであれって気づいただけ。
もし真理亜の、すぐに始まるって言葉が無かったら私は……昼休みなくずっと続いていくんだって。休み無しでまた疑い合わなきゃいけないんだって、ただただ感じることになっていたと思うよ」
「ふふ……なるほど、うまく立ち回るものね。
いずれにせよ私は意図せずにさきの発言をしただけで、そこに既知であったという虚言を添えれたに過ぎないわ。
ところで永田君……?」
「っえ……?」
先ほどから、落ち着かずにいる視線を神保さんへと定める。
そこには澄んだ蒼い瞳。荏田の目とは全く違う……まるで僕の気持ちを宥めるようなものだった。
「もう今まで散々、話し合った通りだけど……私は永田君が教師ともグルともなりえないと思っているわ。
だって私に好意を示している素の様子を感じられたから。まずは好意を持ってくれて……ありがとう。嬉しかったわ、ずっと」
「えっあぁ、うん……」
反射的に目を逸らしてしまった。
なぜだろうか……体は正直、というやつか? こんなときでも恋は、恋から姿を変えにくいらしい。嬉しいなんて言葉をもらうとは……こんな状況で無ければもっと胸に広がるものもあっただろうに。
そして今の、ずっととはどういう意味だろう。暴露されてからずっとという意味? それとも、まさか片思いがバレていたのだろうか……?
淀んだ心に、少しだけ日常の空気が入り込んだ気がした。
「そして、あんなに初心な態度を見せてくれたのに、こんなところに呼ぶわけが無いわよね?
加えて発言は、いずれも素直で尚且つ的外れなものだった。もし教師やグルであれば、あんな意見や質問は……まぁ、しないでしょう。
だから私は、永田君が完全に白だと思っているの」
「そう、なんだね……」
「そうすれば、この二人のどちらかが絶対に教師。荏田さんの処刑前に散々話した理由からも、私より怪しむべきはこの二人なのよ。
そこでなんだけれど、いま永田君は誰を疑っているのかしら……?」
不意な問いかけに「え……」と刹那の声が出る。
さっき僅かながら心に余裕を持たされた矢先、また究極的決断を迫られてしまうとは……。
疑うと言っても、もう頭がどんよりしていて誰を疑えばいいのか分からない。啓介と沙羅を信じている……だが一方で、神保さんがこんなことを本当にするのかという気持ちだってあるわけだ。
唇が重い。まるで半分縫い付けられているようだ。
「それは……その、僕は啓介と沙羅は疑ってなかったから。荏田が教師だと思ってて……だからーー」
だめだ。やっぱり言葉が詰まる。答えが出せない……頭の中では、葛藤の波がしきりにせめぎ合っているし、その波飛沫を防ぐようにずっと瞼は下がり気味。
どうしてこの三人の中に教師がいるんだ……本当に、嘘だと思いたい。
「……そうなのね。じゃあ話を変えましょうか。
現状として、私はこの二人に選ばれるだけで処刑されるわ。だから永田君の選択が、私を救うかどうかを決める局面なの」
そうだった……まただ。さっき逃げた問題がまた顔を出した。僕が選択をせず二人に決定を委ねてしまうだけで、神保さんは処刑される。また僕は、選択から逃げてしまうのだろうか……?
そもそも、なんで僕が誰かの生死を決める立場にならなきゃいけないんだ……もう逃げたい。帰りたい、日常に。僕の眉間には苦悩が刻まれていった。
「悩むのは分かるけれど、現実を見ないとダメ。
私だけの問題じゃないの。ここでどう決断するかは、永田君自身の生死を左右することにも繋がるのよ」
「え、それは……どういう意味?」
「私は教師じゃないわ。そうすれば、大橋君か渋谷さんのいずれかが教師になる。単独にしろグルにしろ……この二人は、これだけ互いを信用しているのが分かっているわけよね。
じゃあ、次に処刑に選ばれるのは永田君……あなたになる可能性が必然的に高い、ということなのよ?」
「そ、れは……」
二人に見放された姿が、容易に頭に浮かんだ。荏田に植え付けられた不安のせいだろう……。
「漣、惑わされるな。俺たちに目を向かせようと、お前の恐怖心を煽ってるだけだ」
「そうだよ。漣君、現状もう真理亜しかいないよ。みんなとのトラブルが、実際にあったのが分かってるわけだし……そこを忘れちゃダメだよ」
「いいえ。私は、合理的な解釈から先の予想を提示しただけよ。別に煽っているわけじゃないわ。
それにトラブルの事を言うけれど、それ以前に私が永田君を巻き込む理由が無いわ。恨みもなければ、味方として利用するポテンシャルも無い。
つまり大前提として、永田君を巻き込む理由があるのは、あなたたちの方になるのよ」
二対一の口撃が飛び交う中、僕は取り残されていった……。
親友である二人、恋い慕う相手……この中に教師がいるのは事実。でも不明瞭なのに、どうして誰と決められる……未だに信じたくない事実だ。
そして何より、荏田の再現になってしまうのではという恐れがひたすら頭にまとわりついてくる。
すると神保さんが淑やかな声で僕の名を呼んだ。
「あなた自身で、決断しないとダメなのよ。誰かに委ねるのではなく、自分の頭で考えて。不安なのは分かるけれど、今の状況をちゃんと見て。
もしここにいる二人がグルなら、永田君は上手く転がされていただけになるわ。そして単独であったとしても、永田君が処刑されない確率は極めて低いの。
だって、そうやって今まで傍観ばかりしていたんだもの。説得力も論破力も、持っていないわけよね。
だとすれば、私が処刑された後に疑いの目を向けられたとして、それを覆す説得ができるのかしら? それともまた……信じて縋るだけしか、しないのかしら……?」
「えっ、いやそれは……」
完全に盲点を突かれた。
僕はいったい、どうすればいい……万が一、二人の中に教師がいたら、僕はどうやって突き止めれば良い? そんな自信は微塵も無い。
見放されてしまう未来を想像することで生じた恐怖は、神保さんの言葉を受け入れるべきと主張してくる。他方で、二人との過去の思い出は神保さんの言葉を偽りと主張してくる。
答えの見つけられぬ自問自答が延々と頭で繰り返されていった……そして、とうとう思考回路が焼き切れてしまった僕はさっきの荏田の言葉から、ある解を導き出すこととなった。
それは神保さんに対して夢を見ていたのだというもの。僕は片想いという立場から、今まで話したことも無い神保さんを勝手に良い人だと思い込んでいた。だけど本当は違うのかもしれない……ただの儚い妄想に、過ぎなかったのかもしれない。
そう結論付けて、僕はかろうじて窮を脱しようとした。苦渋極まるものになんら変わりは無いが、もうそれしか無かったのだ……。
やっと今日まともに話せたばかりだというのに、なんでこんなこと言わなきゃいけないのか……。
胸のつかえを堪えながら重い口を開いた。
「神保さん……僕は二人を信じてるって、さっき言った。それは、今でも変わらないんだ。僕には……二人の言葉に、偽りがあるように思えなくって。
それに、五限目の始まりの話になった時、少し動揺してたよね……だから、それも気になったっていうか」
何とも歯切れの悪い言葉になってしまった。それもそのはず。言いたくない言葉を、誰かに言わされているような感覚があったのだから。
「永田君、それは違うの……」
「だからさ……僕は神保さんの方が、明らかな怪しむ点があるのかなって思ってて。だから……その……それに僕は、恩義のある親友を最後まで、見捨てることはしたくなくって……ごめん」
神保さんを視界に入れることが出来ず、グッと俯いた。
馬鹿みたいだ。なんで泣いてるんだろうか……自分で決めたことなのに。
一年以上ずっと、恋い慕っていた相手を疑うなんて、本当はしたくない。神保さんは、こんな事をしないと思いたい……。
今だって、目の前にいる神保さんのことをこんなにも好きでたまらないのに。もっと話したい。もっと顔見てたい。もっと声聞きたい……それなのに、想い全てを捨てきらなきゃいけないなんて……こんなのあんまりじゃないか。
もし教師じゃなかったらという不安は、もちろんある……でも、こうしなきゃ恩のある二人を疑うことになる。だから僕は夢恋を捨て、友情と信用へ天秤の重きを傾けた。
こうするしかなかったんだ……。
すると、僕の肩を優しく叩く手の感触。
「苦しいのは……分かる。でも、これが現実だ。
さっき信じてるって、言ってくれたもんな。信じることってさ、強さでもあるだろ。もしそれが無かったら……俺たちが神保を見つけ出すこと、出来なかったかもしれないんだから」
「そうだよ。好きな人だったのは残念だけどさ……お互いを信じあえる絆があったから暴けたんだし。
私は、漣君と大橋君を信じてる。もうこんなところイヤだよ。早く三人で帰ろう……」
二人の肯定が、僕の涙を止めることは無かった。
この三人の誰が消えても結局、僕にとっての日常はもう返ってこない。やっと啓介や沙羅という親友ができて神保さんという初恋相手ができたというのに、もう終わってしまうなんて……。
すると不意に「っ……ふ……ふふふっ」と籠った笑い声。その異様さに僕はふと、濡れぼそった顔を上げた。
「神保、さん……?」
「ふふふ……よくそんなに、人の心を謀る演技ができるものよね。ふふふ……ははは」
驚きのあまり僕の表情からは苦悩の陰がサッと消え、ただまっさらになった。
神保さんは溢れる笑いを吹き飛ばす様に、一度大きく息を吐く。
「……もういいわ。それならしょうがないわね。永田君、すべて話すわ。
そこにいる二人のいずれかが、大ウソつきであるということを今から教えてあげる。だから、こっちに来てくれる?」
「……え?」
「おい、神保! 漣をいったいどうする気だ? 無理やり俺たちを選択させようとしても無駄だぞ。そんなことさせないからな」
「そうだよ真理亜……止めて、もう諦めてよ!」
「何を言ってるの? 別にそんなことしないわ。だって、このスマホは本人の意思が伴わないと操作できないのよ?
仮に私が永田君の指を、無理やり動かして選択させたとして……反応することは無いわ」
まさに青天の霹靂だ。あまりの衝撃に呼吸すら忘れた。
なぜそんな仕様を知っているんだ……やっぱり神保さんが教師で合っていたのか? でも、嘘を付いていることを教えるって……どういうことだ?
神保さんを諦めきれない自分が、開きかけの口を押し開ける。
「神保さん……その嘘ってどういう、ことなの? そんな仕様のこと知ってるって……教師じゃなきゃ知れないよね。なのに神保さんは、教師じゃないの……?」
「ええ。私は教師じゃない……ただ、教師だったことはあるわ」
一瞬、思考が止まる。すぐに我に返ると思わず身を前に寄せた。
「っえ……!? だったって……それは、どういうこと?」
「私は過去に一度、この処刑アプリを使ったことがあるのよ」
「使った、ことが……?」
理解の追い付かない僕を置いて、神保さんの目は啓介たちに向けられた。
「どちらが教師かは、まだ分からないけれど……残念だったわね。思いもしなかったでしょ? あなただけじゃないのよ、処刑アプリを経験したのはね。きっと世の中には、もっといるんじゃないかしら? こんな狭い範囲に二人も現れたのだから。
まさか巻き込まれる側になるなんて、思いもしなかったけれど……」
そうか……たしかに、処刑アプリがこの世に一つとは限らない。神保さんが教師だったことがあるなんて……俄かには信じがたい。その話は、そもそも本当なのだろうか。
一気に湧き出た疑義に再び顔が曇ってゆく。
「だから私には、あなたたちのやり取りが滑稽にしか見えなかったわ。よくもそんなに悪びれずに、永田君を陥れようとするものよね……悪魔そのもの。私の時より全然、酷いものよ」
啓介と沙羅は、しゃべる気配が無い。いくら二人でも、この暴露にはたじろがざるを得ないだろう。
不思議だ。さっきまでモノクロだった視界が、今は色づいて見える。神保さんを信じたい気持ちが動き出したからだろうか……神保さんが教師と認めたくない自分は、存外しつこいようだ。
「本当に滑稽よね……私が永田君に操作させることができないと、分かっているのにもかかわらず、そんな三文芝居を打つなんて……っふふ」
そして、僕を射抜くように見つめてきた。
「永田君。私が来て欲しいとさっき呼んだのは、他でもない……その証明をするためよ。操作ができないという、ね。
それだけじゃないわ、こうやって対面に座るだけで心理的に敵対感が生まれてしまう。それを、軽減させてあげようとしているのよ。
永田君は荏田さんが言った通り、洗脳されているわ……その二人にね。この座席の組み方も、その二人によって決定されたの覚えてるわよね? 全ては最初から、心理的にも仕組まれたものなのよ」
「洗脳って……別に僕はーー」
神保さんが首を大きく横に振ったことで、僕の言葉は止まった。
「いいえ違うわ、永田君……。
そして大橋君、渋谷さん。さっき自分達は信頼と絆があると明言したわよね。それも大層な言いようで。
それなら、試させてもらうわ。もしあなたたちの言う信頼がしっかり絆となり繋がっているのなら、別に私が何をしようと壊れないわよね?
どうせ私は永田君のスマホを奪って使えなくさせたところで、あなたたちの二票によって処刑されてしまうわけだし。
それとも、あれだけ豪語してきた絆が脆くも目の前で崩れ去るのは……怖いかしら?」
すると啓介が横で深く溜息をついた。
「神保、何言ってんだよ。なんの恨みがあるのか知らないけどな、もうそれ以上、漣を苦しめるな。
そうやってありもしない話を作って漣の弱みを突いて、手玉にでも取るつもりだろ。なんで、そんな事までするんだよ……」
「そうだよ、酷いよ。なんでそこまで……私たちそんなに恨まれてたの?
ねぇ真理亜……どうしてこんなことしたの。そんなにしてまで、私たちを処刑したい理由って何なの……?」
「ふふ、まぁ大橋君が焦るのは分かるわよ。仮に、永田君が意趣返しした事で票が分かれたら名前順で次に処刑されるのは、大橋君なんだもの」
神保さんは始めから全て分かっていたのか? だから、今まであんなに慎重に皆の様子を見ていたのか?
でもそしたら、なんでここまで黙っていたんだ。もし仕組みが分かってたのなら、また違った結果になっていたかもしれないのに。
「ねぇちょっと待って、神保さん……」
「永田君、どうしたの?」
「それならなんで……なんでさ、今まで黙ってたの? それだったら、さっき……あ」
青山が暴走した時に皆だって傷付かずに済んだんじゃ……と、言いかけたがやめた。それは、あまりにもバカげた質問だと気付いたからだ。だって、そんなこと言ったら真っ先に疑われてしまう。
虚しく閉口する僕に向かって、神保さんは意味ありげな微笑を浮かべた。
「永田君、言いたいことは分かるわ。わざと隠していたのよ。きっといま気付いたわよね? その通りよ、言えるわけがないわ。
正直な話、荏田さんが居なくなってからじゃないと暴露はできないのよ、環境的にね。
そして私は、永田君がまともに考察できる人なら隠し通すつもりだった。余計に詮索されるだろうから……だけど、そうはいかなくなった。
何しろ完全に、永田君は洗脳されているんだもの。そんなあなたを引き戻す方法は一つだけ。
だから私は、こうして打ち明けることを決めたのよ。全ては私自身、そして永田君……あなたを救うためにね」
「僕を、救う……?」
「ええ。そもそも、教師以外が正常な状態で元の場所へ平穏無事に帰るなんてことはできないの……教師を処刑しない限りね」
「そんな……」
最後まで生き延びたとしても無事じゃない? どういう意味なんだ……。
「だから永田君が仮に、最後まで生き残れたとしても意味が無い。人数がいるこの時に、教師を見つけないといけないの。三人になってしまったら、力づくでどうにでもできる状況が生まれてしまいかねないから。
思い出して永田君。はじめに、教師は生き残れた場合に望みが叶うと言っていたわよね?」
「え……そう、だね。たしかに、望みが叶うって……」
「そして教師が生き延びた場合。それは生徒が一人、生き残っていることを意味するわよね?」
「うん……」
「その生徒に対して処刑をするのが、本来の目的なのよ。ただ、処刑と言っても、今までのようなものではなくて、精神的にということ」
「……な、にそれ。精神ってどういうこと?」
「要するに、残った生徒の心を処刑するのが本来の趣旨なの。
最後まで生き残った教師は、心を処刑した生徒を手に入れることができるのよ。
誰だって言いなりの人は欲しいでしょ? それが叶うということ」
「嘘……だ。こころを……?」
現実離れした話に、声が裏返った。まるでゲームやアニメの世界のような話だ……でも考えてみれば、ここがそもそも現実離れしているわけで……そう考えるとおかしくない話かもしれない。
「結局のところ……最後まで生き残って日常に戻れたとしても、ただの廃人になるだけなの。仕組んだ教師に心を囚われた廃人にね。死ねと言えば死ぬような……」
事実を淡々と話すような顔は、とても僕を騙そうとしているようには見えなかった。これもまた、恋の副作用なのだろうか……さっき捨てたばかりなのに。
たいして思考が働いているわけではないのに、操られるように口が開いた。
「でもさ、神保さん。そしたらグルっていうの……ちょっとおかしいよね? だって、最後まで残ったって何もメリットが無いと思うんだけど」
「ええ。私は、便宜上グルと言ったようなものよ。
騙してグルにしようとしていたら、今の真実に驚愕するはず……でもどうやら、二人とも表情一つ変えないという事は、騙されて協力者にさせられたということは無さそうね。
いずれにせよ、大橋君か渋谷さんのいずれかが、大ウソつきで処刑を楽しんでいる……ということに変わりは無いけれど」
理にかなった話に思える。僕の中では、この話の真偽を確かめたい気持ちが大きくなっていった。
すると、視界の横から啓介の顔が前に出るのが見えた。
「ちょっと待て神保。そうやって根も葉もない、でっち上げた話で惑わそうとするな!
漣、神保が役者として高く評価を受けているのは知ってるよな? これも演技なんだよ。その仕草も話しも全ては虚構だ。巧妙な演技でお前を騙そうとして……漣、しっかりしろ。騙されちゃだめだぞ。じゃないと三人で帰れなくなる」
「啓介。僕は……」
視線が落ちて言葉が詰まるのは、別に二人へ疑いの目を向けたからではない。もとより疑いの目なんて開いていない。誰も疑いたくなくて閉じっぱなしだ。さっきだって、誰を信じるのか選んだに過ぎないわけで。
もし神保さんを信じることが出来る何かが、ここで分かるというのなら……それは知っておきたい。
気づけば僕は立ち上がっていた。神保さんに対する未だ諦めきれぬ思いと、荏田に対する僕なりの償いの気持ちに引っ張られるように。
「啓介、沙羅。僕は二人とも信じてるよ。だから確かめたい。
さっき僕は選択しないで、責任逃れみたいなことを……しちゃったから。今度はしっかり選択するためにも、神保さんの話をしっかり聞いてみたいんだ」
きっとこのままじゃ、また二人に選択を委ねて逃げてしまうだろう。だから僕は話を聞いて、答えを自分で出す必要がある。
啓介はそんな僕の決意を知ってか知らずか、引き留めようとするために開いたであろう口を徐に閉じた。そして数回頷く。
「漣……そっか。
まぁ……そういう思いがあるんなら、俺に止める理由はない。もし変な動きがあれば、俺が助けてやるしな」
「私は……漣君の意思を尊重するよ。さっきのこともあるし、何かされないかちょっと不安だけどさ……万が一、何かあったら私たちが助けるもん。
ここで引き留めても、しょうがないしね……」
「うん……ありがとう」
そして僕は、神保さんの隣へ腰掛けた。
不思議なことで、座る位置が変わっただけなのに神保さんの言った通り異なった雰囲気に感じる……。
ここはさっきまで、荏田が座っていた場所だ。自分の犯した事の重さをひしひしと実感させられるとともに、誤って処刑してしまったんだという自責の念が息苦しくさせてきた。
今までみんなに合わせて、ただ自分が生き残らなければと思い選択してきた……しかし、荏田の時初めて自分が人の生死を分かつ状況に陥った。そして今も。僕の中では、まったく選択の重みが異なっていた……。
神保さんはそんな僕の憂わしさを打ち消す様に、温もりのある手を重ねてきた。その白く柔らかく華奢な手をそっと。
なんでだろうか……こんな状況だというのに、好きな人に触れてドキドキするのは。僕はそんな自分に幻滅した。でも、こんな時だからこそこうして日常の欠片を、普遍的な気持ちを探してしまうものなのかもしれない。
身を寄せてきた神保さんからは、曰く言い難い香りがしてきた。
「永田君。早速だけど、私の指を持って試してみて。私は永田君を教師とは思っていない。だから無理やり動かしても反応しないはずよ」
「あ……うん、わかった」
つくづく思うが、今まで触れたことの無い憧れの人と、まさかこんな形で接触することになるとはまったく皮肉なものだ。
僕はそっと指を動かし、僕のキャラクターを選択させようとした……すると、驚くことに神保さんの言う通り選択ができなかった。その後、同じ手順で今度は僕に啓介を選択させようとしたが……やはり選択することは出来なかった。神保さんのことは選べるのに。
「どうして……本当に、選べない」
机越しに沙羅と啓介も、互いに確かめたみたいだ。様子を見る限り結果は同じらしい。
「ね、言ったでしょ? 意思の伴わない操作はできないのよ。これで私が言っていることは嘘じゃないって、分かってくれたわよね?」
「あぁ、うん……そうだね」
本当に処刑アプリを使ったことがあるということか……そうじゃないと、こんな事実分かるわけが無い。
そこで僕の頭にシンプルな疑問が浮かんだ。
「……あのさ、神保さん。これでたしかに、本当だって分かった。でも、教師だったことがあるって言ってたけど……もう一度教師としてアプリを使った、なんてこともあるんじゃないの?」
神保さんは、僕の質問を予め知っていたかのようにゆっくり頷く。
「ええ、そうね。でも、そしたらなんで暴露するのかしら?」
「……え?」
「考えてみて、永田君。こうやって暴露したら、またアプリを使ったかもしれないと疑われるのは、ごく当然よね。それなのに、私は暴露した。
それは他でもなく、この二人が協力関係だったら真相をバラした時に何かしら顔に出ると思ったからよ。肉を切らせて骨を断つことができれば……と思っていたの」
「あぁ、そう……だよね……」
たしかに、なんでこんな暴露するんだ。首を絞める様なものじゃないか……。
そして、また新たに疑義が浮かんでくる。たぶんこうやって頭が回り始めたのは、他でもない信じたい気持ちがあるからだろう。
「でもさ……本当は教師なのに、過去形にしただけかもしれないよね?」
「ええ。たしかに、そうできるかもしれないわ。でも、こんなリスクを背負ってまで暴露をする意味、それこそを考えて欲しいの。
おかしいと思わないかしら?」
「暴露する、意味……?」
「そう。逆の立場で考えてみて。
もし、永田君がいま教師であったとするわよ。そして三人に疑われている絶望的状態。そこで、そんな疑いに拍車をかけるような暴露をわざわざするのかしら?」
「あ、それは……」
もし僕なら、なんて言う……きっと暴露はしないはずだ。
グルを暴くためだったという演技をするにしても、でっちあげと言われたら終わりじゃないか? 今がまさにそうだ。そもそも、そんなことを言ったら人間性を露呈するようなものだし、もっと疑われるかもしれない……それだったら、もっと話題を逸らしたり相手のおかしいところを突こうと考えるはず……なんで神保さんはわざわざ暴露したんだ?
「……永田君、少しは分かってくれたかしら? 教師だったのなら、そんなハイリスクは避けるべきって。ましてやこんな限られた時間と危機的状況の中では、もっと慎重を喫するべきなのよ。
それにね、もっと考えるべきこともあるわ」
そう言って、僕の肩にそっと手を置いてきた。目を向ければ切なげな顔。僕を信じて全てを委ねんとするような、偽りの無さを窺わせる笑みを浮かべている。
「……考えるべきことって、なに?」
「あのね。人の恨みなんて、どこでどう生まれるか分からないの。
恨みを持っていそうだと疑われてきた人たちが、こうして処刑されて……結局は、みんな生徒だったわ。私たちは普段の素行や確執、恨みの強さから疑わしい人を見定めてきたわけだけど……そんなことをしたところで、見つけ出すのは困難なことだったのよ」
たしかにそうだ……荏田も似たようなことを言っていたっけ。思い返せば町田だってあんなに恨みを抱えていたのに、聞かされるまでまったく気づかなかったんだ。
恨みなんて見えづらいうえに、判断材料にならなかったのかもしれない……。
「だから、一度まっさらな状態で私たちを見ないとダメなの。目の前の二人を既成概念で判断しないで。その考えが間違いだったから、五人も処刑されてしまったのよ?
また同じ過ちを繰り返さないために、自分でちゃんと考えないといけないの、永田君分かって」
僕の脳に直接、語り掛けてくるような優しい声色。まるで諭されているような気持ちになる。
たしかに僕は偏見や既成概念で周囲を見てきたのかもしれない。もっと考えるべきだったのかもしれない……二人を信じるのであれば尚更。
今こうして神保さんを信じたいからこそ、いろいろと真剣に疑義を正そうとしている。啓介と沙羅に対しても、そうするべきなのかもしれない。勝手ながらの親友として。でなければもし、啓介か沙羅が教師だった……なんてことがあったとき僕は片方を守ることができないだろう。
すると神保さんは、緊張で冷えきった僕の手を両手で包んできた。温もりがじんわりと伝わる。握られた手は、動かされるがままに胸の上へと持っていかれ……指には、女性らしい柔らかい感触が触れる。服の上から微かに伝わる生の鼓動は生きていることを生々しく教えてきた。
「……永田君。今までじゃなくて、この場所でのことを思い起こして考えてみて。誰が仕組みやすいのか。怪しい言動をしていたのか。今までの会話を思い起こして、考えてみて。
そして、それを踏まえて生徒たちが処刑されて、残った私たちがいる……今の状況を考えてみて欲しいの。
真実はいまを考察することでしか、浮き上がって来ないのよ」
「いまを……」
握われた手は一度ギュッとされ……そっと膝に返された。
空虚を感じた手は何故か柔く丸まる。さっきまで触れていた命の温もりを再び求めるように、確かめるように。
気持ちがスーッと落ち着いていく……不思議な感覚だった。頭の中でウジャウジャと絡み合っていた不安や悩みはゆるりと解け、まっさらになった場所に残ったのは、偏見を取っ払った純粋な気持ちだった。
啓介、沙羅、神保さん……みんな大切だけど誰かは教師。その現実を真の意味で受け入れた瞬間だったように思う。
すると啓介の声が聞こえているのに気づき、意識をふとスイッチさせる。
「……漣! おい、大丈夫か漣?」
「ええ、あっごめん。大丈夫だよ……」
きっと僕は、心が抜けたような顔をしていたのだろう。啓介の表情が物語っている。
「そっか。お前がどう思ったか分からないけど……さっきボロが出たことで、教師だということを隠すために、嘘をついてるんだろ、神保は。
それこそ漣がさっき言ったように、教師であることを隠すために過去に教師であったと暴露して、今は違うって言えるんだからな。捨て身の賭けだったに過ぎない」
その横で沙羅は心配そうに僕を見つめてくる。
「そうだよ……ねぇ漣君、惑わされちゃダメ。
真理亜は町田さんに嫌なことされてたわけだし、青山君や愛理にも良くない印象を持ってたでしょ。もちろん、恨みだけじゃ尺度にならないかもしれないけどさ。
私たちの場合は、恨む理由こそないでしょ? 三人で何度も遊びに行くことだってしたんだよ。いっぱい思い出があるのに……それなのに、私は二人を疑う事なんてできない。
私は蓮君と大橋君を信じてる。今までたくさん話してきたし、親友だって……思ってるから」
「沙羅……僕も、もちろん二人を信じてるよ。一緒に過ごした時間は紛れもない宝物だし、こんな僕を受け入れてくれたことに感謝だってしてる。
でもそれとは別に、しっかり考えたい自分もいてさ……さっき、みんな生きているんだって思ったら、安直に流れに身を任せてちゃダメだって思ったんだ。
誰が教師かっていう以前に……自分なりに落としどころみたいなのを見つけないと。きっと後で、すごく後悔するんじゃないかってさ」
「漣君……」
「だから……二人を疑っているとかじゃなくって、自分の頭で一度しっかり考えてみたい。
今まで、僕は偏見だけで見てきて……そのせいでこんなに、犠牲になった現実があって。だから神保さんが教師だと思うにしろ、僕は……偏見じゃなくって、自分の意思でそうだって決めたいよ」
沙羅も啓介も不安そうな面持ちではあるものの、一応の理解を示してくれたようだ。
「永田君。考え直してくれてありがとう。どこか自分で疑問に感じる点を見つけて……しっかり考えて。
その結果が何であれ、それを私は受け入れるから」
なんて儚げな顔……嘘をつく人が、こんな顔をできるのだろうか。
僕は、その言葉を飲み込むように頷いた。
「神保さん……分かった」
今日やっとまともに話しができただけで、お互いを何も知らない関係だというのに、どうしてここまで僕を信じてくれるんだろう……。
それに神保さんの言葉はさっきから、生きたいがゆえに発せられたものとは異なるように感じる……まるで僕のために説得をしているような。
これは、ただの思い上がりだろうか……。
テーブルにスマホを置き、被さるように肘をつき俯く。
残りは十分ちょっと。どこまで考えられるか……でもやるしかない。自分と誰かを救うためには。
自らの頭で結論を導くべく、思考をフル稼働させた。神保さんの、今を考察するという言葉を肝に据えて……。
神保さんが真実を言っていた場合、啓介か沙羅のどっちかが教師だ。もし啓介が教師なら同数で処刑になる。でも沙羅が教師なら三票無いといけない。
っていうことは……出た結論によって、僕ができることは二つある。
沙羅が教師なら、啓介を説得すること。啓介が教師なら、神保さんと票を合わせることだ。もし神保さんが教師なら、特に動く必要は無い。
皆が集まった場所でのことは、三人がとうに把握しているはず。もし不審な点があれば糾弾材料として、既出している可能性が高いだろう。それなら僕は、皆と会う前……つまり教室に入る前の三人の素行や言動に何か、違和感が無いかを探ればいいんじゃないか?
僕はスマホのタイマーをぼんやりと背景にして、教室に入る前のことを頭に回想させていった……。
あの短い間に神保さんは、ほとんど口を開いていない。階段のとこで青山に会って驚いたと言ったくらいで。その後、まだ他にも誰かいるのかって思っていたら荏田が来て……どんどん、クラスメイトが現れていったんだ。ん、ちょっと待てよ……。
一つ疑問が生まれた。それは何気ない沙羅の言葉に対するものだ。
僕は理科室で気づき、恐る恐る外に出て……昇降口とは反対にある職員室の近くまで行った。そして教室や窓が閉まっていることを知って……そのあと一人で動くのが怖くて、誰かいないのかと廊下を彷徨っていると啓介に声を掛けられ、その次に沙羅と会話をした。
そのとき沙羅はたしか『他にもクラスの子いるかも』と言っていた。誰かいるかも、ではなくだ……そこが僕は引っかかった。
僕や啓介は、誰かいるかもとは言った。沙羅はなんでピンポイントでクラスの子と言ったんだろうか。
結局、全員クラスメイトだったが……これは偶然なのか?
疑義を払拭すべく僕は徐に顔げる。目を向ければ、不安げに手を重ねている沙羅がいた。
「ねぇ沙羅……一つ、聞きたいことがあるんだけど」
「漣君、どうしたの?」
「あのさ、僕と最初に会った時に他にもクラスの子がいるかもって言っていたけど……なんで、クラスメイトがいるかもって思ったの?」
沙羅は一度、目を見開き驚く様子を見せた。
もちろんこれが決め手になるかと言うと、そうではないだろう。何でも無ければそれまでの話。ただ、疑問は無くしておきたいのだ。
「……え、だって私たち全員クラスメイトだったし。特に気にしないで、そう言っちゃっただけだよ。漣君は……私が教師だと思ってるの?」
「いや、ただ気になったからだよ……ごめん」
すると神保さんが、僕の言葉を支える様に「それは怪しいわね」と口を開いた。沙羅は不安の影を眉に現し「……なんで、どうして?」と身を前に傾ける。
「クラスメイトが三人揃っていたとは言え……そこで『誰か』ではなく『クラスの子』がいるかもと言うのは、少し不自然だと思うけれど?」
「いや待って! それは言いがかりだよ。私は別に、何気なく言っちゃっただけで……」
「いいえ。そこまで特定された文言を不意に出すかしら? 永田君。その時、他にクラスの子がいるかもって思った?」
「……僕は、誰かいるかなっては思ったけど。クラスメイトがいるとまでは……啓介もクラスの人がいるかもとは、言ってなかったよね?」
「あぁ……たしかにあのとき漣と会って、誰かいるかもとは言った気がする。クラスメイトが三人もいるのか、とは思ったけどな。
ただ……それだけじゃ、渋谷が疑われる要素にはならないだろ? 不自然と言っても、意図せず吐いた言葉に過ぎないんだから」
「意図せずに、言えるものかしらね?」
「少なくとも、それだけじゃ疑えない。
だいたい、窓も昇降口も非常口も教室や職員室ですら閉め切られた異様な状態だったんだ。そんな中でクラスメイトを三人も見つけたら、そりゃクラスのやつがまだいるかもしれないって思うのは、それこそ当然なんじゃないか?」 この瞬間、胸はドクン音を立てて息が詰まった。生唾を飲みこんだ僕は啓介の考え込む顔を見やる。
「あのさ、啓介……」
「どうした、漣。まだ沙羅を疑ってるのか?」
緊張が息を震わせてくる。落ち着かせるように、深く息を吸い込んだ。
「ううん……ただ、ちょっと聞きたいんだ。その、啓介はさ……三階から下りてきて二階で沙羅に会って、一階にある昇降口の扉を開けようと、したんだよね……?」
訝し気に眉を寄せる啓介。
「……そうだけど、それがどうしたんだ?」
「そのあとに、廊下を渡ってきて……僕を見つけたんだよね?」
「……ああ、そうだけど」
僕は教師が誰か分かってしまったかもしれない……。
激しい脈を感じながら、僕は震えを押さえる様に腿を掴む。
「啓介……職員室があるのって、理科室の向こうだよ。僕のいた場所を通らないで、職員室に行くことって……できないよね。外に出られないんだもん。
なんでさ、開かないって知ってるの……?」
啓介は口をわずかに動かし、言葉を探す素振りを見せた。
嘘だと思いたい僕は「啓介……なんで、なんで知ってたの?」と繰り返した。何かの間違いだと思いたい……しかし啓介は、唇を噛んで俯いてしまった。
「啓介……?」
「……漣。悪いな」
直後、立ち上がった啓介が側にある椅子を振りかぶってきた。思わず僕は腕を上げて身を庇う。腕には固い衝撃。
「痛っ……!」
胸元に椅子の脚が見え、視界が回転。気づけば床の上で、打ち付けた頬が鈍く痛んだ。そして近くで「きゃあぁっ!!」と上がる悲鳴……目を向けると、床に倒れ込む神保さんの姿。一瞬の出来事だった……。
「っ……神保さん!!」
慌てて駆け寄ると、痛そうに血が伝う額を抑え始める。
「神保、さん……神保さん! 大丈夫っ!?」
「っ……私は、大丈夫。それより……永田君、スマホは」
「そうだっスマホ……っくそ……!」
しまった……机に置いたままだった。
振り向けば、啓介が僕のスマホをポケットにしまい込む姿。
「啓介? なんでだよ……なんでっ!!」
まるで別人だった。見たことのない温度の無い顔。本当に……啓介なのか?
「残念だったな、漣。妙なとこで気づくんだよな、お前」
「けい、すけ……っ……」
裏切られた悲しさ。信頼を砕かれた悔しさ。見抜けなかった自分への憎さ……全てが怒りへ集束していく……。
「っ……啓介……っどうして。なんでだよ!! なんで、こんなことっ……!」
絶対に取り返してやるっ……! 駆け寄って、啓介の胸ぐらを掴みあげた。すると、視界下からスッと伸びてきた手に、首を掴まれる。
「っ……げほ」
反射的に咳込んだ僕はバランスを崩し、そのまま強引に床へ叩きけられた。仰向きにのまま、子犬のような悲鳴が漏れ、頭部に衝撃と痛みが広がったことで顔が歪む。
「っぁぐ……啓介、なんでだよ!!」
痛みからなのか、感情からなのか分からない涙がボロボロとこぼれ出した。
啓介は、そんな僕の腹を足で押さえつけ、向こうを向きながら、陰鬱なため息。
「もう後三分か……神保も残念だったな! まさかお前が、教師だったことがあるなんて。予想外だった」
そうだ、まだ終わっていない。神保さんと沙羅の票を合わせれば……。
「啓介! 勘違いしてるだろ……僕のスマホなくったって、神保さんと沙羅のスマホがあるんだ! 合わせて二票になる……それで、啓介は処刑されるんだぞ!」
僕に視線を落とすと、嘲笑うように静かな笑みを浮かべてきた。
「……なにがおかしいんだよ。ま……さか。そんな」
心が騒ぎだした。嫌な焦りが、顔を強張らせてくる。沙羅とグルだったという展開を想像をしたからだ。
「ははっ、気づいたのか? 渋谷も、俺の味方だよ」
「そんな……くっ……嘘だそんなのッ!!」
僕は顰めた顔を必死に動かし、沙羅を追い求めて視線を彷徨わせる。さっきまで、話し合っていた場所の机はバラケて、脚を四方に向け散らかっている。
そんな荒れた教室の窓際に、沙羅はいた。床の上でうつ伏せた神保さんを抑えるようにして、無表情でこちらを凝視している。
「さ、ら……そんなぁ……っ嘘だ嘘だ嘘だぁ。沙羅! さらーっ!」
嘘だと思いたい僕は、沙羅の名前を何度も叫んだ……しかし、それは僕の独り言に終わってしまった。
無言の沙羅が向けてくる瞳は、酷く凍てついている。無表情の中にある、それは……氷で覆われた業火のようだった。深い恨みや重い憎悪を感じさせてくる。
心を抉られた僕は、胸の底から込み上げる絶望を漏らした。
「っく……そん、な。嘘だぁ……っうあぁぁぁぁ……」
啓介の足を掴んでいた手が脱力し、トサッ……と虚しく床に落ちる。視線が前に戻れば、冷たく見下ろしてくる啓介が映った。
もう、どうやっても神保さんを助けられない……終わったんだ、全て終わった。二人がグルだった……最悪だ、最悪だ、ありえない。こんなこと……僕のせいだ。
刀で切り捨てられた浮浪者のような動きで、神保さんに振り向けば、溜まった血涙は一気に頬を走った。
「……っごめん! 神保さん、疑ってごめん! 助けられなくってごめ、ん……っ本当に、僕はなんてこと……」
神保さんと僕を隔てる机や椅子の脚は、まるで檻。絶望の檻に閉じ込められたようだった……。
神保さんは、ずっと本当のことを言っていた。そして僕を必死に説得しようと、あんなに……あんなに、寄り添ってくれていたんだ……それなのに、僕は。今度は、大好きな人を無用に殺してしまうのか……。
鼻の奥にジワリと疼き出す悔恨は、容赦なく涙を押し流していった。
すると不意に、僕を呼ぶ声……神保さんだ。目を向ければ、机の脚の隙間から覗く顔。なぜか優し気に笑みを浮かべて、僕を見つめていた。
「神保、さん……」
「永田君! ごめんなさい……助けてあげられなくって」
「っなんで! そんなこと……謝るのは、僕の……ぼくの方でしょっ! なんで神保さんが、そんなこと言うんだよ!」
「違うの! 私のことはいいの。これはたぶん、罰なのよ……」
「罰……?」
「私は過去に教師になって、姉の心を処刑してしまった。その後、自殺させてしまった……その、罰なのよ」
その顔には言い得ぬ悲愴が漂う。純粋な懺悔を思わせるものだった。
「どういう、こと……なんでそんな」
「我儘な姉が持つアートの才能、そして周囲が作る格差に恨みが山積した結果よ……私の家は普通じゃないから」
「神保さん……」
「中学生活も終わりかけの時に、もう死んでよって、不意に口走ってしまったの……心を処刑されていた姉は、そのまま真に受けて自殺してしまった……。
それからは、役者として誰かを演じることで、弱い私は姉を殺した自分から逃避しようとしていたわ……でも、もうそれも終わり」
儚く消えゆく淡雪のような声。
僕は、その淡雪の主を消えさせてはならないと感じ、咄嗟に啓介の足を掴み、必死にスマホを取り返そうとした。
しかし、啓介は膝を僕の胴に乗せ、体重をかけてくる。そして肩を掴まれ、ポケットに伸ばそうとする手は止められた。
「放せよ啓介ーっ!! なんでだよーッ!!」
「じっとしてろよ、もう終わりだってわかるだろ」
「っくそ、啓介ーッ!!」
火事場の馬鹿力なんて言葉は、どうして生まれたんだろうか。僕はまったく動けずに、ドタバタと啓介の下で足掻くだけだった……。
そのとき、神保さんの呼ぶ声が聞こえ、僕は動きをピタリと止める。
「永田君! 私を、好きになってくれてありがとう。ずっと嬉しかった……でも実は、こんな人でごめんなさい。
私ね、いつも皆が捨てたものとか汚したとことか、何気なく綺麗にしてるとこ尊敬してたのよ。きっと、心が綺麗な人なんだろうって思ってた……汚れた私には、眩しく感じた。
やっぱり間違いは、無かったみたいね。
こんな私を、今まで好きでいてくれて、ありがとう永田君……最後に、良い思い出になったわ」
そう言って、切ない笑みを見せてきた。
まさか、僕が見られていたなんて微塵も思わなかった……いつも見ているだけと思っていたのに。特に意識した行動じゃなく、気になってやった些細なことが、目に映ってたなんて……。
「神保さん……なんで。まだ……まだ何も話せてないのに! 僕だって話したかったんだよ……ずっと話したかったんだッ!! こんなの嫌だよ!!」
直後、非情なチャイムが鳴り響いた。
「嘘だろ嫌だああ!! 嫌だいやだいやだ……神保さんッ!!」
『お疲れさまでした。集計結果を発表します。二票が神保真理亜へ投票されました。よって、処刑対象は神保真理亜です』
「神保さん! くそ、くそ……クソーッ!! なんでだよ、なんでなんだよーッ!!」
頭上から「うるさい。安心しろ、すぐ殺してやるから神保も」と吐き捨てるような声。
まだ何とかなるかもしれない……そんな漠然とした希望が頭を駆け巡るのは、防衛本能だろうか。
しかし、希望も何もありはしなかった……。
「っ……やだ、やだぁイヤだーッ!! ヤメロォォオオオーッ!!」
壁に磔にされた神保さんは、未だに僕に小さな笑みを向けている……それを見た僕の心は、容易く圧し潰された。
「なんで!! 神保さん……くそっなんでだよ。っうあァァァァアアッ!!」
神保さんの切なげな笑みは、やがて溺れているかのような、苦へと変っていく。
僕は脳裏に焼き付けるように、目を逸らすことなく名前を叫び続けた。それが、僕の出来る、唯一の償いだと感じた……。
それからすぐ、神保さんは一瞬で、跡形も無く消えてしまった。
残像だけが、壁に虚しく映され続ける中、啓介は僕から離れたようで、体が軽くなる。
目の前には何かが落ちて、カタッ……と音を立てた。終焉を告げるかように。僕のスマホだった……。
身体を捩らせ、うつ伏せたまま首を動かしてスマホを見れば……画面には、鼻と口を覆うベンチュリーマスク。横には水の入っているポンプの絵……溺死、だろうか。
どのように死んだのか想像した僕は、一つだけ思うことがあった。
焼かれず、潰されず、切り刻まれずに済んだなら、綺麗な姿でいられたのなら……それは、せめてもの救いだと。
本当の絶望を感じた時、人は感情が消えるらしい。涙も嗚咽も、もう出ない。さっきまでの激情は、静かな呼吸となって虚無を強調するばかり。
僕は、いつの間にか唇を噛みしめていたらしい。涙とは明らかに違う、生暖かいものが顎を伝って床に落ち始めた。
なんでそうしたのかは、分からない……自分を罰したい気持ちからだろうか。でも、いくら噛んだところで、もはや痛みを感じることは無いみたいだ……。
『只今の処刑結果の発表です。神保真理亜は生徒でした。それでは、六限目の授業を始めましょう』
そんなこと知ってるよ……。
無機質なチャイムが響く中、目の前のスマホのヒビより酷くヒビ割れた心は、徐々に自分を蒸発させていく。世界からフェードアウトしていくように。
神保さんの残した、最後の笑みと言葉だけが、僕を現実にかろうじて繋ぎとめているようだった。
何も……何も見たくない。聞きたくない。そして感じたくない。神保さんの姿を最後の記憶にして、僕は死にたい……硬い床の上に似合う冷めきった胸が、そう激しく訴えている。
こんなことなら、最初から誰にも関わらなきゃ良かった……誰とも関わらずに、心を閉じて孤独の中に過ごしていれば良かった……。
そして僕の心は、この世界を離脱した――
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