『罪束ね編』
啓介は一度、大きく深くため息を吐く。胸に秘めた陰鬱の全てを、吐き切ろうとしているかのように。それは青山の悲鳴より、大きく聞こえて耳に残った。
きっと、気持ちの乱れを鎮めているのだろう。あんなことがあれば、僕だったら心がズタボロになるところだ……でも、啓介はそうならないことを僕は知っている。
ーー僕は今でこそ、啓介や沙羅のおかげで、こじんまりと学校生活を充実させているが……入学後、少しの間は孤独の中にいた。誰とも積極的な会話をしなかったのだ。いや、避けていた。人とのかかわり自体に、価値を見出せていなかったからだ。
小学生時代に仲の良かった友人は僕がイジメの対象になったとたん、離れていく者ばかり。
そのとき僕は思った……結局、見捨てるのかよと。僕は、いじめらていた学童通いの女子を助けただけだぞ?
それなのに皆は僕を助けてはくれなかった。それどころかイジメ側に回る者すらいた。所詮、人はエゴの塊。自分のことが第一。信ずるに値するのは自分しかいないと感じた僕は、容易く人間不信に陥っていった。
だから中学でもロクに友達作りというものをしてこなかった。どうせ関わっても利益が無ければ離れていくだけ。そんな友達を作ったところで意味は無いと思ったからだ。
誰を信じることも出来なくなった僕の心はいつしか、温度を忘れていった。
その結果として、コミュ障を患った僕は高校入学後も今までと同じように友達作りはせず、ひっそり過ごそうとしていたのだ。
長年イジメてきた奴らとはやっと縁を切れたわけだから、後は平穏に過ごしていくだけ……そう思っていた。
しかし現実問題、そう上手くはいかず……次第に青山や荏田の様な奴らから目を付けられ始めたのだ。
まぁ……考えてみれば当然だろう。誰とも話さなくて余所余所しい僕は揶揄いやすい格好のターゲット。イジメ需要におけるブロイラーも同然だったわけだ。
しかし、そうやってクラスで浮いた僕を気遣って何度も話しかけてきてくれた人がいた。それが、沙羅だ。
最初は素っ気無い態度で返してしまったが、それでも健気な笑顔を見せてくれる沙羅に僕は徐々に心を許していった。
その後しばらくしてから、啓介も僕を気にかけてくれるようになり……結果として、青山達の目に余るイジメを回避できることとなった。
そこからは僕の心を覆っていた濃霧が晴れ、沙羅と啓介にだけは自分を見せられるようになっていった。自分から、いろいろと話しかけに行くことすら生まれたぐらいで……あれは自分でも驚いた。
笑いたくて笑う。喜びたくて喜ぶ。楽しくて楽しむ。話したくて話す。聞きたくて聞く。そんなごく当たり前のことが二人に対しては、できるようになっていったのだ。まるで世界が広がった気がした。いや、広がったのは世界ではなく僕の視野と価値観の方か。
しかし喜びも束の間、三人で遊びに行く機会があったのだが……そこで予想しえぬ最悪な出来事が起こってしまった。
中学時代に僕をイジメてきたヤンキー達から気付かれてしまったのだ。絡まれた僕は、お金を取られようとしていた。それに気付いた啓介は、すぐに止めに入ってくれたのだが……結果として、逆切れをしてきたヤンキー達によって僕の身代わりとなり大怪我を負うことになってしまったのだ。
僕は言い得ぬ衝撃を受けた……自らの利益にならないにもかかわらず、そんなことをしてくれた啓介に、だ。
僕の中にある、歪んだ既成概念が打ち壊された瞬間だったように思う。正直、どうせ見捨てられるのだろうと思っていたわけだから……。
その後、自分のせいで酷い目に合わせてしまったと感じ、何度も謝罪と感謝の意を伝えたことを覚えている。しかし啓介は何を気にすることなく、沙羅と共に僕を励ます言葉こそかけてくれた。
そして今もなお、啓介は変わらずに僕と付き合ってくれているわけだ……本当に強い心を持った人。それを、僕は知っているーー
だから今もきっとしっかりとした心で、再び口を開こうとしているはずだ。
すると僕の予想通り、啓介は冷静な面持ちで「荏田、神保、漣……体は大丈夫か?」と目を配ってきた。それに各々が頷く。やはりカッコイイ人だ……僕は、このとき改めて思った。
「さっき俺の兄貴の事を言われて……ちょっと取り乱しちゃったけどさ。一応話しておくよ。あれは本当の事だ。俺は、たしかに犯罪者の兄貴を持ってる。
兄貴はさ……俺がもとから勉強もスポーツも出来るから、だんだん親に見限られるようになっていってな。比べられて、いつもこっぴどく叱られてたんだ。不器用だったんだ、兄貴は……いろいろと。それでいつしか、引きこもるようになった。
そんなとき親が、勝手に駆け込み寺みたいなとこに入らせようとしたもんだから……そのことが原因で、家を出てってさ。見放されたと思ったんだろうな。
でもそれが、ただの家出じゃなかった……自殺しようとして、交番に行ったみたいなんだよ。そこで、拳銃を奪おうとして揉めてる最中に、誤って警察官のことを撃っちまったみたいでさ。うちに帰ってきた時には血だらけで……そのあと通報してって、感じで。
はぁ……それからは兄貴を憎む気持ちも生まれてさ。でも考えてみれば、そうなる前に対処しておけばよかったんだ。本当は、兄貴じゃなくって俺や親の、問題だったのかもしれない」
啓介……そんな事があったのに、僕はいつも励まされていたのか。
今までの自分の悩みなど、それに比べていかに陳腐なものかを感じざるを得ないところだ。一人で抱え込んでいたのだろうか……僕の人間不信の悩みのように。
啓介の顔を見ていると、こちらまで切なくなる。
「みんな……今まで隠し通そうとして、悪かったな」
沙羅は僕の隣で小さくため息を吐く。同情の滲むものだった。
「大橋君……大変だったね。でも話してくれてありがとう、そんな辛いこと。
大橋君はさ、大橋君じゃないかな。他の誰でもないよ。皆も今の大橋君を見てるはず。こんな時に、こんなことを言うのは変かもだけど……元気、出してね」
「ああ、ありがとうな……」
何故か自分が泣きそうな目になっていることに気付いた僕は、数回の瞬きで潤みを消し再び啓介に目を向けた。
「……啓介。僕はさ、すごいカッコいいなって思った。スマホ取り返そうとしてくれたしさ。いつも、そうやって皆のことを考えて動いてくれてるから。だからカッコイイよ。こうやって実直に話してくれるのも、すごいなって思ったし」
すると軽く頷いて僕に目を向けてきた。
「漣、さんきゅうな……」
こんな話になってしまうなんて、啓介は辛かっただろう。本当ならどこかで休ませてあげたいくらいだが……話し合いをしなければならない。時間は待ってくれないのだ。スマホのタイマーは、時を刻み始めている……やるせない限りだ。
この一件が無事に終息したら、励ますためのプレゼントでも買いたいな。
すると、場の空気を切り替えるように机を打つトンッ……という音が響いた。憂鬱な様子で頬杖をつく荏田の遊ばせている指が出した音のようだ。
「……アイツ、マジでロクでもなかったなぁ。ほんと地獄行けっての。最後までカス過ぎるわ。
でまぁ、大橋には気の毒だけどさ。そろそろ話し合わないとじゃん? 次に処刑するやつを……さぁ?」
その呼びかけで、場にはシリアスな空気が漂い始め、皆の表情が険しくなったように感じられた。
「ああ、そうだな。時間も限られてるわけだし、話し合いを再開するか。まだ教師がいるんだもんな……この中に」
これでとうとう五人だ……しかし三人になることは無いだろう。僕にとって話し合う余地はない。荏田が教師であることは自明の理。荏田が処刑されて、終わりになるはずだ。
啓介は自分に気合いを入れるかのように咳払い。
「まず、さっきまでの話し合いでは、荏田と傑のやり取りが上がった。あとは、俺もこういう人間であって……嘘をついていたって実績が伴った。
そこでどうだろう。いま皆が一番疑っているのは誰なのか、いったんここで決めないか?」
こうして指さしによって再び、疑念の強い者を指し示すこととなった。その結果……神保さんは何故か指をささず、三票で荏田となった。荏田は予想していたように納得顔で数回頷く。
「まぁまぁ……そうなるわなぁ。ウチも分かってたわ、そんくらい……ここにいるメンツに比べたら、そりゃ疑われるっての」
「荏田……まだ暫定だから、これから話して変わるかもしれないわけだ。何か、あるか?」
「そりゃあもちろん……あるよ?」
そう言って沙羅を見やった。どういうことだ? 何かまだ、僕たちの知らない情報があるのだろうか。沙羅にもまさか、知られざる負の出来事があるのだろうか。
僕はゴクリと不安を飲み込み、荏田の話に耳を傾けた。
「いやねぇ、ウチさぁ……分かっちゃったかもしんないわ。教師が誰なのかってことがさ?」
ピリッと電流が駆け抜けたように緊張が走る。
教師が分かった……とはどういうことだろうか。まさか沙羅が教師だとでもいうのか? いやそんなことあるわけない。これは、きっと皆を誘導するための虚言だ。その手には乗らないぞ。それに啓介だって沙羅を疑わないはずだ。
「……それ、本当か荏田。いったい誰を、教師だって思ってるんだ?」
「うん、まぁウチの予想には変わりないけどね? 沙羅が本当は教師なんじゃないのかなーって思うわけ」
視線が沙羅へ集まる中、啓介が「っ渋谷が……どうして?」と声を漏らす。沙羅は「……え。なんで愛理は、そう思ったの?」と声は小さく、意表を突かれた様子。
荏田は腕を組んで背もたれによりかかる。同時に、カールした髪先がふわっと跳ねた。顎に人差し指を遊ばせ始めると、いかにも何か考えがありそうに唇に舌を這わせる。
「んいやーだってさぁ……さっきウチらのスマホ取られた時、沙羅は特に焦って無かったよねぇ? おかしくない?」
「えっううん……そんなことはないよ。それは、単なるあてつけじゃないかな?」
「っははは! いやいやいや、おかしくない? ウチも永田も大橋も必死んなって取り返そうとしたのに、沙羅だけは動かなかったよねぇ。
もしかしてさぁ……操作できるの本人だけっていうこと。沙羅は教師で、最初っから知ってたんじゃないわけぇ?」
まさか……そんなはず。あり得ない。沙羅がそんなことするわけない。だいたい、それだけの理由で……どうせ、かこつけただけだろう。だってそれを言うなら、神保さんだって動いていなかったわけだ。
不穏な流れを感じた僕は沙羅の疑いを晴らすべく口を開いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。その理屈じゃあ、神保さんだって動いてなかったわけでしょ? だから、それだけで教師って決めつけることは出来ないんじゃないの……?」
すると、がっかりだよと言わんばかりの盛大な溜息を返された。
「……あのさぁ永田、お前馬鹿なのマジで? 真理亜は蹴飛ばされて、それから腕とか痛そうにしてたのずっと。倒れ込んで変にぶつけたんじゃないの。さっきだって大橋が起こすまでそうだったっしょ?
でもさ……沙羅は元気じゃん。それなのに? 生きるか死ぬかのかかったさぁ、そんな時にだよ? ゆび咥えて見てるわけって話なの、分かる? てか分かれ」
「あ……え、それは。でもーー」
壊れかけのラジオから流れ出たような言葉を待たずして、荏田の怪訝な目は沙羅へと向けられた。
「ねぇ沙羅……本当はさぁ、あんたなんじゃないの? 教師ってこと、うまく隠してきたつもりだったろうけどさ……あぁあここでとうとうボロ、出ちゃったね?」
今までと異なり、真剣み帯びた眼差しで沙羅を突き刺している。それを前に僕の口は力なく閉じていった。
確かに神保さんはずっと痛がっていた。対して沙羅は何もされていない。怪我もしていないし助けに行く余裕はあったはず……でも、それだけでは決められない。だって目の前であんな暴挙を見たら、怯んでもおかしくないはずだ。実際のところ僕も最初は怯んでしまったのだから……。
沙羅は隣で首を振ったのだろう。僕の鼻に、あの甘い香りがフワッと流れてきた。
「違うよそれは! だって、どうすればいいのかさ。分かんなかったから。体が強張っちゃったっていうか。気が動転しちゃって……そこをそうやって違うふうに取られちゃっただけでさ」
「っへぇぇ……本当かなぁ?
てかウチさ、おかしいと思ってたんだよねぇ、ずっと。永田に疑いの目が向いた時、必死に庇ってたよねぇ?
それって言いなりになる永田が扱いやすいから、最後まで残しておきたかったんじゃないわけ? 永田で票を作るみたいな。
永田って、沙羅の言う事よく聞いてんじゃん。言いなりのコマだもんねぇ?」
変な言いがかりだ。
沙羅は渋い表情で伏し目がちではあるが、感情的になる様子は無さそうだった。ここで感情を出しては余計に怪しまれると思ったのだろう。
「ううん……私は、そんなふうに思ってないよ。それこそ純粋に、漣君は教師じゃないって思っただけで。
それに漣君を庇ったのは私だけじゃないでしょ。大橋君だって同じことになるんじゃないの?」
すると荏田は仕掛けに飛び込んだネズミを前にしたような笑みをニヤリと浮かべた。
「いやいや……あっはは、だって大橋とグルってことも、ワンちゃんあるしねぇ?
だって、沙羅と大橋よく話してるしさぁ。二人の間でウチらの恨みごと話してたんじゃないの?
手のかかるウチとかアイツ、そして永田……さらにはキモイ相談してきた梶ヶ谷に、クレームばっかりの町田。はぁぁ、邪魔だったろうなぁ……あとは真理亜のこともあるよね?
文化祭もそうだけどさ、行事の時にいっつも話し合いで真理亜の意見が通ってガラッと変えられちゃうの、恨んでたんじゃないの? 委員会で一生懸命二人で練ったプランが、真理亜の美少女スキルで動かされた馬鹿な男子に潰されてさ……そりゃあ悔しかったでしょ? 自分たちの存在意義、見失なっちゃったんじゃない?
それに恨みってさぁ、積もっていくものじゃん……?」
なんて挑発じみた言い方なんだ。
こんなふうに荏田はいつも人が腹を立てる様な言い回しをする癖がある。いや、癖じゃない……ここまでくれば才能ってやつだ。
僕だったら、否定に躍起になるところ。しかし沙羅は戸惑いを見せることなく、冷静さを保っている様子だ。手は胸の前で、やや強張らせているが。
「愛理……皆にも真理亜にも、私そんなこと一度も思ってないよ。
それに真理亜のプランは本当にすごい良く出来だなって思ったくらいだし。だから、素直にやっぱり叶わないなって思ってたもん。大橋君も、そう思うでしょ?」
「ああ、俺も神保のアイデアは単純にすごいなって思った。そこに何も恨みとか妬みは無いぞ。こういうのはセンスが関係するからな。
実行委員に本当は入ってほしかったけど。神保は、もう既に別の仕事があったし演劇部の事もあるから。
俺たちの方から意見をもらって、みんなに公表して多数決した結果だ。それに不満なんてないさ。結果的にガラッと神保の案が飲まれることになったに過ぎない。
だいたいそんな些細なことで、恨みを溜め込むような事はしないしな」
些細な、とは言うが……うちの高校では行事ごとのプランニングが大学への推薦状に大きく加味される。
そこを考えると、人によっては恨みを持ちかねないかもしれない。もちろん啓介がそこで恨みを持つとは思えないが……。
それにしても委員会や行事にまつわる話が全く分からない。全部流れに身を任せて、公募コンテストもプラン投票も、委員会広報も全て右から左だった。自分とは関係ないと思っていたから。
まじめに参加してこなかった弊害が、こんな形で出てくるなんて……もっと最初から、みんなとの付き合いを頑張っておけば良かった。そしたら二人を庇う発言だって出来たかもしれないのに……。
悔恨の情に苛まれた僕は思わず唇を噛みしめて自分を恥じた。そんな中、荏田は不気味に一笑する。
「いやでもねぇ、そうは言うけどさぁ。グルなら話を合わせてくるの当然だしね。それに今までの会話で思ったよ、ウチは。
校舎にいた時、最初に二人の時間が作れるのって大橋と沙羅ペア。それからアイツと真理亜ペア。もう今はいないけど町田と梶ヶ谷ペア……なわけだよね? その中で、ここまで生き延びてるのって大橋と沙羅だけじゃん。実は口裏合わせてウチらの事を陥れようとしてたんじゃないわけぇ……?」
荏田の目つきはまるで、獲物を狙うように鋭い。これが本気になった人の顔つきなのだろうか。そこに遊びや揶揄いはなく、ただ心に噛みつかんとしているような顔だった。
「違う! それは偶然だよ。別にそんなことはしてないし。私は大橋君と様子を見ながら出口を探してただけ。それに、なんの証拠もないでしょ?」
「いいや、そうは言ってもさぁ。二人で行動できた時間を持つ存在自体、今んとこ……沙羅と大橋なわけじゃん?
そんでもって、真理亜に恨み持ってそうで、ウチにも持ってそう。そして構ってあげたことで、一年の時からベッタリしつこく懐いてくる永田にもさ、そろそろ嫌気が差してたんじゃないの?
別に何気なく構っただけなのに変に懐かれて、シンドイ時ってあんじゃん?」
たしかに、啓介と沙羅は二人の時間があった……僕と会うまでに。
もしバッタリ会ったというのが嘘なら、それは町田と梶ヶ谷に対して向けた疑念と同じことで、二人でいたのは怪しいってことになる……いやいやダメだ、荏田の言いがかりを信じちゃ!
不穏な航路に進もうとする思考を軌道修正した。
「……なんで。私はそんな酷いこと思ってないよ。純粋に、みんなが大事と思って行動してただけ。そこに偽りや嘘なんてないよ!」
「俺もそんなことは思ってないぞ。神保は尊敬できるし、漣は話が合うってだけだ。
荏田にも恨みはない。いつも盛り上げてくれて、感謝こそしてるぐらいだからな。たまにハッチャけ過ぎてるのに、困った時はあったけど……それも含めて学校生活だろ」
「アッハハハハ!! ウケんだけど! そうやって二人で仲良く合わせててさ。それこそ見え見えじゃん。親密でグルになりやすい関係って。
グル説は、青山は消えたからウチはもう無い。でぇもぉ……沙羅と大橋は違う。
グルになってるとしたらこりゃあ手ごわいよねぇ? 主導権握りやすい立場なんだもんさぁ。綿密に仕組んで、満を持して邪魔者を処刑しようと企んだんでしょ……酷くない?」
二人がグル……? 僕が邪魔だった……本当は? まさかそんなわけ……きっと、荏田はピンチになったから状況をうまく利用して、二人を陥れようとしているだけだ。
そう決めつけようとした……しかし僕の心には二人への疑いの芽が植えつけられ、不安という水を得て成長しようとしているらしい。胸の内側で妙な焦りが疼いているのを感じる。
「ところでさぁ……ねぇ、永田」
不意な呼びかけに「っえ……?」と声が裏返る。
「永田はさぁ……利用されていたのかもしんないわけだよね。教師に疑われた時、庇ってもらって嬉しかったっしょー?
二人はそういうのをうまく利用して、永田の目を自分たちから他に向けさせてきたんだって。
そうして巧妙に味方を作って、敵を陥れようとしてきたわけ……そう思うっしょ、思い出してみ?」
「…………」
不安が拭えず、言葉が出てこなかった。胸の奥には言い得ぬプレッシャーが、ジワリとわき始める。まるで頑丈なつり橋の上で竦んでいる気分だった。万が一の想像が顔も気持ちも強張らせてくる。
「ねぇねぇ永田……考えてみ。いつもこの二人って意見合わせて場を仕切ってさぁ。これって実は、コントロールされてたって思わなかったわけ? ウチらが取り乱しているのを、良いように利用してたんだよ。
それに大きく動く時は、全部この二人の意見がきっかけだったじゃん。町田と梶ヶ谷を疑うように差し向けてきたし、青山やウチに目が向くように永田の話を拾って……さらには誘導していったし。
それだけじゃないからね? 指さして弁明の機会を作るっての誰が言い出したっけ? この二人だよね? 本人に焦りを生ませるための段取りだったんだよ、それだって……だーかーら? 蓋開ければこの二人が陰からみんなを煽り立ててたっつーわけ……ねぇ、分かる?」
熱線のような視線はまるで僕の心の弱さを見透かし、二人への信頼を焼き切ろうとしているようだった。
確かに沙羅と啓介は意見を揃えて、この場を仕切ってきた。そして話し合いの流れが変わる時には、二人の話がきっかけだった気もする。皆の意見をまとめて調整するようなシーンも多かったわけだ。
でも、それは普段からやっていることじゃないか……いや、だからこそグルになりやすいということなのか。そんな馬鹿な……いつの間にか僕は言うことを聞く、扱いやすいコマになっていたのか……だとしたら、最後に僕は……。
こうして懐疑心を自家増殖させていると、荏田は僕の注意を引き付ける様に数回コンコンと机で音を立てた。
「ね、永田……分かったっしょ? 普段の学校生活の繋がりからさぁ、ここでも一番怪しまれずにこうして場を仕切ってコントロールできるのは……そこにいる、二人だけだってことを。そんでもって……この状況で怪しいのは、だあれだ……?」
手が嫌な汗でびっしょりだ。動悸がして気持ち悪くなってくる。
まさか二人が僕たちを陥れようとしているなんて、そんなことは信じたくない……あり得ない。でも確実にそうじゃないって言えるのか? その保証は無くないか……?
もし僕が側にいることを、足手まといに思われていたとしたら。本当は情けだけで今までいやいや付き合われていたとしたら。裏で実は蔑まれていた、としたら……どうしよう。
脆弱な僕の心は荏田の話を振り切ることができず……不自然な鼓動を口で嫌というほど感じながら、荏田の話をただ聞き続けることしかできなかった。
「クラスの中でさぁ? 皆と満遍なく関わって、それぞれの嫌なとこだっていっぱい見てきたはずだよねぇ、そこの二人はさぁ。
それでも、学年末の学年一斉評価大会に向けて皆の期待に堪えなきゃいけない立場だった、クラス委員長兼実行委員さん。
みんなが面倒事を、ぜーんぶ擦り付けて部活の時間も十分とれず。問題事だって放置されて面倒見なきゃいけなくなったり……さぞ、大変だったんじゃないのかなぁ?
中でも恨みのあるウチらに対して、こうして仕返しを企んだ。今までの溜まりに溜まった、その膨大な鬱憤を晴らそうとしてさ」
評価大会でどう評価されるかで委員の続投が左右される。平常点の保持のためには無理してでも、いろんな生徒から評価されないといけない。じゃなきゃ、労苦は水の泡になってしまうわけだから……。
そんな立場の二人は今までずっと、たくさんの我慢をしてきたのだろうか。できる二人だからこそ、僕の様な奴は不用意に甘えて頼ってしまい……いつまでも縋ってしまって。それを本当は鬱陶しがられていたんだろうか。
懐疑心に蝕まれた僕の心に「ねえ永田はさぁ……どう思うわけ?」という荏田の声が、ねっとり纏わりついてきた。
「僕は……」
二人はそんなことしないと信じてるんだ……と、さっきまでなら二言返事で返せただろう。
しかし、荏田に呈された疑義に飲まれた僕の心は躊躇ってしまった。普段から助けておいてもらって、疑い始めた自分が情けない限りだ……。
もう、いったい誰を信じれば良いのか分からない。五里霧中どころか……百里四方が何も見えないくらいだ。
そして弱い心は神保さんへ話を振るという選択肢を提示してきた。完全に逃げだ……神保さんなら、二人を守るための何かを言ってくれるのでは、という淡い期待を抱き僕は口を開く。
「あ……あのさ。神保さんは、どう思ってるのかなって思うんだけど……その、聞いてもいいかな……?」
すると徐に顔を上げ、落ち着いた目で僕を見据えてくる。すぐに視線を斜めに落とし、仄かに色づいた唇の下に手を添えた。
「そうね……私は率直なところ、渋谷さんか大橋君のどちらかが教師である可能性は、極めて高いと思うわ」
ここで僅かな希望の光は潰え、僕の顔は自然と俯いていった。
神保さんがさっき指を誰にもささなかったのは、二人のどちらかで迷っていたからだったのかと、理解した瞬間だった。
「そして私の意見としては、永田君はまず教師じゃないと思ってるわ。最初にあれだけ動揺して……ましてや自分に対して嫌疑が一番に向けられ得る相手を呼び込むのは、どうなのかしら。
渋谷さんや大橋君が助けてくれる算段だとしても、あまりにどんぶり勘定過ぎるし。あるいは仮に二人のうちどちらかが、永田君とグルだったとしても……それはおかしいわ。だって、こうしていま永田君がそんな顔して本気で考える必要は無いはず。グルになってここまでに至るほど頭が回るのであれば、何かしらのアクションを起こして守っているはずだし。じゃないとその先が不利になってしまうわけでしょ?」
僕は処刑対象から外された……だが、喜びや安堵なんていう気持ちは微塵も湧き起らない。代わりに、疑いの芽から大きな蔓が伸びていった。自分の心に棘を絡めながら。
「次に荏田さんのことだけど、こうやって二人に嫌疑をかけているわ。そして永田君に対しては、さっき処刑しようとした。そして私は別にグルの話は受けていない。だから少なくとも、グルになっている可能性は無いと言えるんじゃないかしら。
あと、単独だったとして青山君にスマホを取られた時、あんな必死になるのか疑問なのよね……私には本気で取り返そうとしているように見えたわ。
ちなみに同じように大橋君も取り返そうとはしていたけれど、それは協力者であって、単にスマホの事を教えられていなかったから、じゃないのかしら。
そうなれば渋谷さんが教師で大橋君が協力者、ということになるわね。そして、さっきの渋谷さんの動きにも説明がつくわ。
つまるところ、状況的にいま一番疑いを持てるのは消去法で……大橋君、それから渋谷さん。あなたたちのどちらかが、必ず教師だと結論できる。そう私は思っているわ」
神保さんらしい、完璧な考察とでも言ったところだろうか。僕は今まで二人を知ったつもりでいたけど、本当は知らなかったのかもしれない……陰鬱な溜息が意図せずに、ゆっくりと吐き出されていった。
ただ不安と同じくして、新たに芽生えたものもあった。啓介と沙羅を信じたい気持ちだ。今までの自分の思い出を肯定したいだけなのかもしれないが……。
暗然たる面持ちの僕を横目に、神保さんは淡々と話を続けた。
「そもそもこの処刑は、六人に実行されるのよね。グルでいないと誰かが残るわ。その誰かは、協力者の可能性が高いんじゃないかしら。じゃないと、この行いを知られてしまうのだから。
そう考えると、あらかじめ準備を整え互いの憎い相手を処刑しようと結託する……そんなことが出来るわよね」
こうして荏田と神保さんに、心理的にも状況的にも二人を疑うべき理由を示されてしまった。信じたいのに……二人を庇う考えが、何一つとして思い浮かばない、最悪だ。
そもそもどうして……なんで皆、こんな状況でそんなに頭が働くんだ? 僕は何も、建設的な発言ができていない。頭の無さが露呈しただけじゃないか。また、ここでも何も言えないのだろうか……。
そこでふと、思い起こす。さっき啓介は、あんなにも本気で言葉を出していた……あれは嘘じゃないはずだ。
僕は二人の疑いを晴らすべく、強張った口を開いた。
「あのさ、でも……啓介はさっき、本気で学校生活を頑張ってたって言ってたよね。普段、見ていてもそうだけどさ。
それなのに、そんな充実してて頑張ってる人が、こんなことするのっておかしくないかな。だって、自分だって処刑されかねないんだよ?
そうまでしてやる意味って……僕は、無いように思うんだけど」
「うん……そうね。それなら渋谷さんが教師単独、ということを言いたいのかしら?」
「っち、違うよ! そうじゃなくってさ……沙羅だってずっと、皆の頼りになる存在として頑張ってきたんだから……その、積み上げたものを壊すような真似をするのかなっていう話でーー」
「そう……それを言うなら、私たちだって頑張って学校生活を充実させて送ってきたつもりだけど、そこに何の違いがあるの?」
「あぁ……それは……同じ、だよね」
まったくその通りだ……ダメだ、何か言え。動けよ頭! 僕は無意味に口を動かして言葉を待った。
「あ……え、その……あっほら、後はさ……啓介と沙羅のどっちかが教師で生き残ったとしても、残った生徒に行いを知られちゃうわけでしょ? グルじゃない人が残ったらさ、どうするの? 今までの頑張りが台無しだよね」
すると神保さんは妙な間を開けて、小さくため息をついた。
「堂々巡りになってしまうけれど……それはこの二人に限って言えることでは無いし、二人を教師ではないと言える根拠には、これと言ってならないわよ?」
「え、あぁ……そうだ……ったね」
もうダメだ。何の説得力も無い、的外れな意見しか出てこない……僕は二人を守ろうとして、守れずに終わるのか? 信じたいのに信じ切れない自分で終わるのか?
非力さを痛感し、力無く俯いたまま口は閉じた。そして諦め交じりに二人との今までの生活を思い返し、心の底から出てくる言葉に全てを託そうと再び口を開く。
「……それでもさ、僕は二人がグルって思えないよ。だって今まで、僕と違って一所懸命に学校生活送ってきたの見ていたし傍で。それにイジメられてた僕をわざわざ救おうとしてくれたんだ。
それからだって……クラスのまとめ役としてじゃなくって、一人の友人として接してくれてずっと。
僕が学校に来て少しでも楽しめる様にいろいろ話をしてくれたり……ゲームのこと教えてくれたり。こんな僕を支えてくれたんだ。だから何よりも大切な、親友なんだよ……」
そう、親友……それが答えだった。ここでとうとう僕の視界は歪んでしまい、同時に言葉が詰まる。
そんな僕の背中には、経験したことのある温もりが触れた。この感触は沙羅だ。見なくても分かる。一年の最初の頃もこうしてくれた。
「ありがとう、漣君。そうやって言ってくれると嬉しいよ。ちょっぴり恥ずかしいけどさ……ね、大橋君」
「ああ。漣はどこか放っておけない感があるんだよ。何か、親心みたいなのにも似ていたのかもしれないな。だからこんなふうに言われるとムズがゆいし。あれだな、やっぱ嬉しいわ」
僕は俯いたまま、震える呼吸を抑えつつ声を絞り出す。
「沙羅……啓介。ごめん……疑った自分が悔しくて。どう……どうすればいいか、わからなくって……何も、できなくって……」
容赦なく零れてくる涙は、僕の心の表れだ。やっぱり僕にとっては、二人が大切なんだ。体がそう叫んでいる。僕は……やっぱり荏田を疑うべきなんだ。
僕の頭を、ポンポンと優しく叩く感触……啓介は、いつも落ち込んでいるとこうしてくる。こんな時にも僕を励ましてくれるんだ……いつものように。
「さてと……ところで荏田と神保は、グルっていう説を支持してるわけだよな。ただ、単独の可能性ってのは捨てきれないぞ?」
「それは、どういう意味かしら……?」
「ここで起こっていることは、そもそもおかしいことだらけだ。戸が開かない。ガラスは割れない。謎のスマホ。人が死んだら消える……こんな状況だ。
もし最後まで教師が生き延びたとして、一緒に生き延びた生徒がここで起こったことをまともに記憶して、日常に戻れるかどうかは分からないだろ? それにグルの片方が確実に残れるかどうかもまた、分からないわけだ。だったら荏田か神保の単独である可能性は十分あるよな?」
「なるほど……じゃあ、私達のどちらかに教師が存在すると言いたいのね」
「ああ。さっきスマホを取り返す姿で荏田を除外したが、それだけじゃな。神保だって演技で痛がっていただけかもしれないしさ。
だから荏田、神保、二人とも教師の可能性は残るはずだ。そしてもしそうなら俺たちの性格を利用して、このゲームを上手く進めるために招きいれたのかもしれない。
自分で糸を引かず、全て仕切ることができる俺たちに進行を任せて……頃合いを見計らって、俺たちの立場を弱点に転化させて陥れる。こんなシナリオが描けるわけだよな。
実際にいまグルだということを強調して、俺たちの立場を思いきり弱点として煽ってきたわけだし。
俺は神保そして荏田……お前たちのどっちかが教師で、あるいはグルだと思ってる」
確かに、荏田と神保さんがグルの場合だって大いにある。それにグルの可能性を最初に示したのは啓介だった。もしグルなら、そんなこと自分から提示するだろうか。疑われやすい立場なら、なおのこと。
僕は鼻を啜り、頭を落ち着かせるように深呼吸をして顔を上げた。そこには荏田が訝し気な目を啓介に向ける姿があった。
「そんなのは詭弁でしょー? ウチと真理亜がグルだったとしてさぁ、それはちょっとおかしいよね。さっき口論したの覚えてないわけ? 真理亜と前に喧嘩したの。そんな間柄のウチらが、グルになるわけなくない?
それより、親密度が高い大橋達の方が、よっぽど可能性高いじゃん、普通に」
「いいや、それだけじゃない。荏田と神保は、共通の恨む相手を持っているだろ。今までの話の中で、町田と傑に対して恨みを持つ要素が出て来たわけだよな?
神保は自分を蔑んだ町田に対して、良い印象を抱いていなかった。そして荏田を介して執拗に迫ってくる傑にも。
荏田は遊び半分とは言え、町田を貶める様なことをするほど嫌っていた。そして傑に扱使われていたことも、こうして分かったわけだ。
それにここでの喧嘩話で、険悪な関係を築きやすいことが明かされたようなもんだしな」
「……はあ? ちょい待って、何言ってんの?」
「少なくとも、二人の共通した憎むべき相手がここにいた……っていうことになるだろ。怨恨関係が浮き彫りになっているのは俺たちじゃない、お前らなんだぞ」
そうか……言われてみれば、荏田と神保さんは、二人とも憎むべき相手の接点があるんだ。神保さん……まさか本当にグル?
いや、そうだ……荏田の単独の可能性が消えたわけじゃない。荏田がやっぱり教師なんだ。
僕は徐々に思考を復活させながら、やり取りの続きに耳を傾けた。
「……そんなこと言って、はぐらかそうってもダメだからね?
沙羅が、奪われたスマホを取り返すことに協力しなかった事実も、こうして二人が企みやすい関係なのも変わらないっしょ!?」
そこで沙羅が「待って」と口を開く。
「私の行動は確かに、そういう印象を持たれちゃうもの、だったかもしれない……だけどグルになって起点を利かして、ここまで生き残ったとするなら、そんな致命的なミスをするのかな。
スマホの仕様を知っていたなら、なおさら取り返さないと怪しまれるって思わない?
さっき私と大橋君の素行を言っていたけど……同じように、もし愛理が協力者で真理亜から教えられていなかったら? それに大橋君の言う通り、言動は演技でどうにでもできるよね?」
荏田は鋭く睨みを利かせ「は……? そんなことで逃れるわけ!?」と言い放つ。
「それに、いま判断材料として考慮すべきは恨み関係だよ。だってはじめの放送で、恨みから処刑アプリを使ってみんなを処刑教室に呼び込んだって言ってたよね?
それならまずは、恨みがはっきりしている人を疑うべきじゃないかな。愛理も、そういうふうに始めの方で言ってたよね」
「いやあり得ないから。そんなの、見えない恨み事を棚上げしてるだけじゃん!」
「あと、処刑アプリの『アプリ』っていうのがスマホアプリのことで間違いないなら……愛理ってアプリ凄い落としてるでしょ?
私にもいろいろ新しいもの教えてくれたりして、教室でも一緒にできるユーザー増やしたりして、敏感にアプリ関係に反応してたように思うの。
処刑アプリのことも、もしかして知っていたんじゃないの?」
荏田から苛立ちが漂い始めた。髪の毛を弄る回数が格段と増えている。
「……は? 知らないし! そんなのあったとして、誰でも落とせんじゃん。何の根拠もなくない?
ていうかさぁ、沙羅は梶ヶ谷から変な相談事受けてアイツにも言い寄られて、そしてそこにいる永田にも日々付きまとわれちゃっていたわけだよねぇ? 町田にも手を焼いていた感あるし。ウチだって好き勝手やってた節はあるわけで、恨まれても当然な立場じゃん?
そんな鬱陶しい環境で、苛立ち募らせて大橋に助けを求めたんじゃないの? この処刑アプリで殺してやろうって。それか大橋が誘ってそれを受けたんでしょ?」
「私はたしかに、青山君や梶ヶ谷君にそうされてきたけど、恨んで殺したいなんてもちろん思っていなかったよ。だからこうやって一年以上、みんなと普通に付き合ってきたんだもん」
すると神保さんが「ちょっと、いいかしら」と声を発する。
目を向ければ血盟をした騎士のような強さのある顔が、そこにあった。僕は普段からよく見ているから分かったが、こんな顔つきは初めて見る。
今が生死を問う、いかに重要な局面なのか自覚させられる……僕も動揺なんてしてないで、二人を信じるためにも、しっかり熟考していかないとダメだ。
「現状……私と荏田さん、大橋君と渋谷さんサイドに意見が分かれているわけよね。ということは永田君が命運を握ることになるわ。
大橋君と渋谷さんは、こうしてグルと疑われるのを見越して永田君を守って来たんじゃないのかしら? 永田君なら、普段から仲の良い自分たちに意見を揃えるはずだって考えて。
私たちがグルだったのなら、まとめて三票になる様な人物を果たして揃えるかしら? 私はこの人選も、計略の内だと思っているわ」
計略と言われれば、そうとも言えるかもしれないが……それより僕は大きな勘違いをしていたんだ……。
これは、もとから処刑対象が決まっているようなものだった。だって僕が選択しないだけで荏田は処刑されるのだから。それで二人を守れるじゃないか……。
もし沙羅と啓介が荏田を選択して、荏田と神保さんは沙羅を選択するとしたら、僕の票が分かれ目になるところ。でも仮に僕が選択しない場合は同数になって、自動的に名前順で荏田が選ばれる。もっと言えば、僕抜きの場合、荏田と神保さんが誰を選んだところで、沙羅と啓介がまとまった票を作るなら結果は不動だ。
つまり荏田が処刑を唯一免れるのは、僕が神保さんサイドになること。そして今、神保さんは荏田を守るために僕を説得すべく発言していたわけか……。
僕は最初から神保さんや荏田を、説得する必要なんて全く無かった……説得される側だったんだ。なら僕の答えはもう決まっている。荏田が教師、単独だ。
おそらく神保さんは考え過ぎているに違いない。荏田に唆されたようなものだ。荏田が処刑されれば全て終わる。神保さんも啓介も、沙羅も……もとの日常に戻ることができる。
なんで、こんな単純なことを今まで気づかなかったんだろうか。僕は無用に悩んでしまっていたんだ。
決着をつけるべく、意を決して口を開いた。
「あの、神保さん……僕は荏田が教師だと思うよ。
たしかに三票揃えることができる状況を作りやすいから、啓介と沙羅がグルだっていうのは分かる。
でも、さっき話にあったように恨み事が露見しているのは、別に啓介たちじゃないし。
それに……僕は二人を信じてるんだ」
数秒の沈黙が生まれた後、荏田はガクリ項垂れ肩を震わせて吹き出し始めた。
そして、サッと上げた顔には血走った眼。ギロリと睨まれた僕は石化した。
「クッハハハハ……なーがーたー、お前さぁ。バアッカじゃねえのォーッッ!? ウチじゃねえっつってんのーッ!!」
「……え」
「ああー永田ぁ……これだけ言っても、まぁだ分からないわけ? どうしてさぁ……この状況で終始い? 取り乱すことなくう? 至って冷静にい? 人のこと気遣った素振りばっかでえ? そんでもって、妙なところで不安げな顔見せてえ? こうやって飄々とのうのうと淡々と過ごせる……わけかなぁああ沙羅はァァアアッ!!」
激情の残響が、教室の静寂を目立たせた。
そして僕の覚悟は台風に晒されたロウソクの灯が如く、容易くかき消された。
「おい永田……お前さ。うまく洗脳されてるんだよ。気づけお前。いい加減さぁ……。
夢から覚めろっつってんだよッッ!!」
バンッ!! と机が割れるかと思うほどの音。
呆気にとられてジッと固まっていると、神保さんは深くため息をついて僕の名前を呼んでくる。
ぎこちない動きで視線を向けると、情けをかけるような眼差しが僕へ向けられていた。
「永田君。それでいいの……? 荏田さんが教師だと思ってるの?」
「え……あ、あぁ……そうだよ、僕はそう思ってるけどーー」
「そうなの……私のことは教師だと、思っていないのね?」
なんでだ。何でそんなこと聞くんだ……何か意味があるのか?
僕は疑問符に覆いつくされたまま「そう、だけど……」と小さな声で返す。
すると神保さんは軽く頷き、口を閉じた。いったいどういう意味なんだ……?
しかし考える暇なく、荏田が腕を組んで机に乗せたままグイッと僕の前に身を乗り出してきたので、思考が途絶えてしまう。
机に乗せた僕の手を上げれば、すぐに触れるほどの距離にある荏田の顔。心を覗き込んでくるような大きく鋭い瞳。生々しい、少し荒くなった息遣いが耳に忍び込んでくる。
「……ねえ永田さぁ。よく考えなぁ? 世の中、こういう優しそうにしているやつほど、本当は怖いんだぞ?
お前、知らないわけないよなぁ? 犯罪を起こしそうにない奴らが犯罪したことで、驚いちゃってる周りの人間がさぁ……今までどんだけテレビで散々、嫌ってほどさぁ……映ってきたと思うよ?」
「……そ、そんなこと」
「いや違う永田。お前は夢を見てんだよ」
言葉を失う僕の隣で「おい荏田、話をズラして逃げようとするな。漣、教師を見つけたら全員が……」と啓介が声をかけてくるも、荏田の「黙れ」という聞いたことのない低い声、そして眼力で制止されてしまった。
再びこちらに向く荏田の眼は、心に入り込んでくるようだった……耐えかねた僕は視線を逸らそうと試みる。
「……っ!?」
しかし荏田の手に、顎を掴まれ前を向かされてしまった。もう……恐怖しかない。身が動かないうえ、何故か視線も反らせない。
こんなに人が本気で激昂しているシーンに、過去遭遇したことが無いからだろうか……体が金縛りにあったように竦んでしまって微塵も動かない。
そして、今にも噛みつかれそうな開き方をした荏田の口が再び動き出す。
「おい、逃げんなよ永田。
お前もさぁ、そういうの見たこととか、聞いたこととか……あんでしょうよ」
そう言って、柔く笑みを浮かべて目を見開いてくる。まるで蜘蛛の巣に囚われた虫のように、僕は抵抗できず屈してしまった。
「ニュースでたあっくさん。いろんな人が言ってたっしょ? 事件が起こった後にさぁ。
あの人がこんなことするなんて思わなかった……あの子は普段とてもいい子で、こんなことする子じゃないのに……いつも先生は熱心だったから、いきなりのことで驚いて……仲の良い家族で、とてもそんな風に見えなかったのに、未だに信じられない……親切な人で挨拶もしっかりする人だった。それなのにどうして……しっかり仕事ができて有能な人だったのに、嘘みたいだ……ッアハハハハハハ……。
いやいやでもさぁ? 嘘じゃないんだよね。蓋開ければ実はみーんな、犯罪者だったわけ。善人の皮を被った悪魔だったんだよ……怖いなぁ永田?
ここにいる永田の両隣の二人はさあ、どうかなあ? 率先垂範して優等生だけど、本当はどうなのかなあ?
世の中な、目に見えてるものだけが全てじゃあないんだよ。
恐怖は、案外近くに潜んでるんだぞ? 牙を隠して、急所を探ってんだよ常に。
だからさぁ。信じてたのに、どうしてっどうしてこんな目に……なぁんて。
後で泣いても、もうそんときゃ遅いんだぞ永田……?」
「……っそんな、僕は」
「ああぁぁ……相当な恨みを持って、こんな事してきたわけだからなぁ。
もし真理亜も処刑されて最後にお前が残ったら……こいつらは本性に切り替わって、簡単には死なせてくれないかもしれないぞ?
いつまでもいつまでもいつまでもいつまでも……痛みと恐怖にもがいて苦しんでるお前を見て笑ってんだよ、この二人がさ。
ねぇ永田……想像してみ?」
僕は乾涸びた喉を虚しく鳴らすだけしか出来なかった。
そして荏田の大きな目が、やや細まる。
「ああそうだわ。あっははは、いま良いこと思いついちゃったわ……。
永田さぁお前童貞だろ? ふふっ、ヤらせてやろうか? ゴムなしでいいよ。
その代わり沙羅を選択しろ。そしたらヤらせてやるよ。
お前だって経験してみたいっしょ、気持ちいいぞ? ヤる前に死んで良いのかよ……?」
徐々に迫ってくる顔。威圧的な瞳と対照的に、フェロモンを纏う優し気に角度のついた唇は、僕のそれに重なろうとしてきた……しかし触れる寸前で止まる。
沙羅の手が、荏田の肩を掴んでいたようだ。荏田の視線が僕から逸れた。
「……なに?」
「愛理。やめて……良くないよ、そういうのは。それにもう時間がない」
その言葉を聞いた荏田は、呆れたようにフッと一笑。視線を僕に戻すと、唇を指でなぞってきた。異様に早まった僕の脈を確かめるように。
僕のすべてが、呑み込まれて行きそうな感覚だった。
「ねぇ永田、分かってるよねぇ? 帰ったらたくさん楽しませてやるからさぁ。気持ちいいこと、たくさん教えてあげるぞ……なぁ?
沙羅を選ぶだけで、お前は簡単に快楽を手に入れられるんだよ。
心配するな、永田はウチの秘密もさっき知ったわけじゃん? ウチがもし嘘ついたら、それバラせばいいわけでしょ?
安心していいんだぞ、嘘つかないからさぁ。ウチも楽しみたいし。だからお前の好きな時に、タダでヤらせてやるよ。
だからお前は沙羅を、エラベ……」
荒れた鼓動を刻む僕の胸を軽く叩いた荏田は僕から視線を逸らすことなく、ゆっくりと遠ざかってゆく。
もう、何を考えれば良いのか分からなくなった。喉元にはバクバクという鼓動がしきりに響き、唇には這うような指の感触が何度も再現される。そこに全意識が持っていかれたようだった……。
啓介が場に生まれた妙な緊張を解くような咳払いをしたことで、僕はふと我に帰る。
「もう時間だ、決めよう。漣……お前は思ったように選択すればいい。ただ、俺は信じてるぞ。沙羅もだろ?」
「うん……漣君、私も信じてる。だって、漣君いつも私たち信じてくれてたしね。もうこんなの終わらせて、早く皆で帰りたいよ」
「……うん、分かった」
ボンヤリとした意識のまま力無く返した。
そもそもなぜ……僕の選択が生死を決めるものになってしまっているのか。こんなの、簡単に決めることなんてできやしない。
沙羅と啓介を信じている。でも荏田の言うようにもし二人のどっちかが教師だったとしたら……そうしたら、いったいどうすれば良い……?
否応無しに最悪の想定ばかりが、頭に浮かんでくる。
そして僕は時間切れという力を借りて、選択することを止めてしまった……怖かったのだ。僕は自分で決めることをせず、みんなに委ねてしまった。
選択しないことが、荏田を処刑することになると分かっていたのに……選択から逃げてしまったのだ。責任逃れをしたかったのかもしれない……。
まもなくチャイムが、重い空気を孕んだ教室に響き渡った。僕は荏田の視線から逃れるようにして終始俯く。
『お疲れさまでした。集計結果を発表します。二票が渋谷沙羅へ、二票が荏田愛理へと投票されました。同数のため、名前順で処刑対象は荏田愛理です』
すると目の前でガタンと音が立つ。始まったのだろう……その後すぐ、やや離れた場所で「うっ……」という刹那の声が響いた。
「……あっははははは!! 分かってたよ。やっぱ詰んでたなぁ! 永田ぁ後悔するぞお前……アハハハハハッ!!」
目を向けられなかった。声だけが耳に突き刺さってきては、嫌な震えを起こさせてくる。
もうやだ……荏田が教師で、あってくれ……。
「っうあああ! おい永田ぁっ!! こっち見ろよマジで永田ぁ……っぁぁああ!! きゃああぁぁっ!!」
悲鳴交じりに名前を何度も呼ばれ、そのたびに手の震えが増す。そんな僕を見かねたのか、そっと横から沙羅の手が重なってきた。
手元の画面ではキャラが頭から電流を浴びている。
僕は震える指で四つ目のランプを灯した……その後、部屋に広がった薄い煙と異様な臭気は、悲鳴が終わるとともに消失。
しかし嗅いだことの無い酷い臭いは、鼻に強く残り続けるもので……まるで体の中に荏田が入り込んでくるようだった。
吐き気を堪えるために、何度もつばを飲み込む僕は、とうとう力無く机に顔を伏せる。
酷い経験をした。でもこれで終わる。このまま机に伏せて、目を閉じて待っていれば全てが終わる……荏田が教師だったという結末で、悪夢は終わりだ……そうあってくれと何度も言い聞かせて自分を落ち着かせた。
しかし、安堵の海に飛び込もうとする僕を引き戻すように「永田君、ショックを受けている暇はないわよ」と、神保さんが声をかけてきた。僕はひどく凝り固まった顔を徐に上げる。
「荏田さんは教師じゃないはずよ。だから、すぐに次は始まるの。さっき永田君は、私が教師じゃないと思うって言ってくれたわよね? じゃあ私と渋谷さんや大橋君の三人の中では、いったい誰を信じるの?」
そこで、サーッとノイズ音が室内に広がった。
『只今の処刑結果の発表です。荏田愛理は生徒でした』
「そんな……どうして。嘘だーー」
魂の抜けるような声が口から漏れた。
あり得ない……じゃあ神保さんが教師? もし荏田の言っていたことが本当だったとしたら、二人がグル? 誰なんだよ……誰が、教師なんだ……。
自分は違うと、荏田はあれだけ必死に訴えていた。それなのに僕は無視して殺してしまったのか……しかも、責任を皆に擦り付けて。
頭は真っ白になったというより真っ黒だった。
『それでは、五限目の授業を始めましょう』
冷たいチャイムの音が部屋に響く。まるで僕のせいでこうなったと、責め立ててくるようだった。
すると沙羅が訝しげな声で「真理亜……なんで……?」と、まるで殺人現場でも見たかのような声を出した。
僕は驚愕によって強張った顔を、そのまま沙羅へ向ける。沙羅は眉間に影を落とし、神保さんを凝視していた。
「ねぇ真理亜、いま……なんですぐに、五限目が始まるって分かったの……?」
「……え?」
「だって普通考えるなら、次は昼休みが来るよね……? 真理亜は、どうして昼休みの時間が無いって知っていたの……?」
「それは……」
そうだ……さっき神保さんは、すぐに始まるって。普通、五限目がすぐに始まるって思うだろうか。今まで学校の授業と同じ時間が経過しているのに。
神保さんはなんで、すぐに始まるって知ってたんだ……?
新たに浮かんだ何気ない疑問に意識が揺り起こされ、頭が緩やかに動き始めた。
そして目を向ければ、そこには僅かばかり口を震わせる神保さんの姿があった――
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