第168話「英雄と反逆者」

「その驚き方からしてあなた達は小早川こばやかわ秀秋ひであきがどんな奴かを知っているのね?」


「お、おう!関ケ原での離反行為うらぎりは有名だからな。小早川こばやかわの奴くらい誰でも知ってらあ。そうだよな、ジン?」


 豊臣と因縁の深い秀秋の名を聞いた喜助きすけは明らかに動揺し、その動揺を隠そうとしてジンへ、即ち慶一郎けいいちろうへ話を振った。


「無論。既に十年以上の時が過ぎているが、関ケ原と秀秋ひであきの名を知らぬ者はまずいない。ちまたを行き交う幼子おさなごでも知っている事だ」


小早川こばやかわ秀秋ひであき…よもやこの場でその名を耳にする事があるとは…岡山藩がかつ秀秋ひであきが治めていた地である以上はこの様な出逢いがあっても異常おかしくはない…だが、義太夫ぎだゆう殿の為に来た筈のこの戦場で秀秋ひであきと関わる者がいるとはな。この出逢いもまた何か意味があると考えるべきか…)


 話を振られた慶一郎はジンとして淡々と答えたがその心中では動揺し、それと同時に自らの選択にって気付かぬうちに手繰たぐり寄せたこの奇縁を受け入れようとしていた。


「幼子が知るというのは云い過ぎだと思うけど、日本この国の人間が関ケ原で一番した小早川こばやかわ秀秋ひであきの名を知らない筈がないわよね」


(活躍とは云い得て妙だな…戦を早期終結に至らさせたという点ではまさしく活躍なのかも知れない。だが、おたまの境遇を考慮かんがえると秀秋ひであきの行為に対して活躍という言葉を用いるのは違和感がある…)


 慶一郎けいいちろうが違和感を覚えた活躍という言葉、それはお珠にとって切っても切り離せないとも云える秀秋との血縁関係、その呪縛がお珠に選択させた言葉であった。

 お珠は秀秋が関ケ原で行った離反行為に対し敢えて活躍という言葉を選択する事で秀秋という人物を他人事の様に語ろうとしていた。そうする事で自身と秀秋との血縁関係を否定しようとしていたのである。


小早川こばやかわ秀秋ひであきは関ケ原の勝軍となった東方ひがしかたにとっては、でも敗軍の西方にしかたにとっては。母にとっては人生を狂わせた忌むべき存在であり、私にとっては母を死へ追いやった仇人あだびと。…あなた達は知っているかしら?私の母が生贄いけにえとなって終結したあの戦で小早川こばやかわ秀秋ひであきは総大将だったのよ」


 秀秋は豊臣政権下に於ける二度の朝鮮出兵の内、慶長二年から慶長三年に掛けて行われた二度目の朝鮮出兵に総大将として駆り出されている。この渡海とかいを伴う遠征での戦が秀秋にとっての初陣であり、弱冠十六歳且つ実戦経験の不足が否めないにも拘わらず総大将に任命された秀秋は大いに活躍したとされているが、帰国後は石高を減らされている。

 尚、二度目の朝鮮出兵が決定した時点での秀秋は秀俊ひでとしと名乗っていたが、慶長二年の六月に養父の小早川こばやかわ隆景たかかげが病死した際に秀秋へと改名し、同年八月には隆景の前に秀秋の養父であった豊臣とよとみ秀吉ひでよしもこの世を去っている。

 この相次ぐ養父の死が若き秀秋の心中にどの様な影響を及ぼしたかは定かではないが、隆景の死は、生前より継いでいた家督に起因する権力ちからだけでなく、旧領主という存在が消えた事で家中かちゅうでの秀秋の発言力を高め、名実ともに秀秋が小早川家の長であると内外に示した。そして、秀吉の死は、群雄が割拠した戦国の覇権争いに勝利して以後、長年に渡って世の人々に安寧をもたらしていた豊臣政権が崩壊する発端きっかけとなり、一時は秀吉の後継者とされていた秀秋はかつてない権力闘争の渦中へと巻き込まれていくのである。


「総大将を任されていた程の人間が秘密裡ひみつり朝鮮敵方と交渉を行って母を人質にして日本この国へと連れてきた。けど、その事実は闇の中…これは規律や命令を重んじる武士にあるまじき行為だと思わない?こんな事を平気で出来る奴だからこそ関ケ原で活躍出来たのかもね」


「ちっ…人を人と思ってねえやり口だな。反吐が出るぜ」


「………」


 喜助は相変わらず怒りを露にしていたが、慶一郎は何も云わなかった。

 それは喜助の様に反吐が出る程の怒りを抱いていたが故に言葉にならなかったわけではない。そして慶一郎自身が選択した結果に由って生まれたこの余りにも不可思議な出逢いが慶一郎の言葉を奪っていたわけでもない。

 慶一郎は秀秋という人物に対してある種のを抱いていたが故に沈黙していた。


(いまいち辻褄が合わない…なぜ秀秋ひであきは独断で敵国と交渉を行う様な真似をした?あの日義兄上あにうえに聞いた話では秀秋ひであき秀吉ひでよしの生前より茶々ちゃちゃ殿と内通し、豊臣政権下で一定の身分を保証されていた。豊臣家の後継者だった頃程の身分ではないにせよ、豊臣政権が権力を維持する限りは不自由のない暮らしが約束されていた筈だ。それなのになぜ秀秋ひであきは発覚すれば豊臣政権下での自らの立場を悪くする様な不義を働く必要がある?色欲か?いや、 当時の秀秋ひであき現在いまの私と変わらぬ年齢とし、色に狂っていたとも思えない…何かがあったのか?それが関ケ原での行為に関わっているのか?…小早川こばやかわ秀秋ひであき、お前は何をいたのだ?内通していた茶々ちゃちゃ殿ならばそれを知っているのか?)


 慶一郎は既にこの世を去ったの先人に想いを馳せていた。

 秀頼ひでよりが生まれていなければ反逆者と呼ばれる事もなく豊臣家を継いでいた筈の男が何故なにゆえに関ケ原での離反行為に至ったのか、そして何故に総大将という立場でありながら豊臣家に対する裏切りとも云える秘密の交渉を行ったのか、慶一郎はその事が秀秋の抱える秘密であり、関ケ原での離反の原因であるという結論へと至った。

 そして、慶一郎はこの戦場を生き残った後の行動を選択した。

 それは…


(もう一度茶々ちゃちゃ殿に会って訊くほかにない。そして、朝鮮へ出向いた者の内で未だに親豊臣である者達とも…信繁のぶしげ殿やその同志なかま達がいかなる理想を掲げていても、義兄上あにうえがどれ程強く決意していても、その周囲に他人を虐げる者達が居着いているならば私はそれを看過する事は出来ない。清濁併せ呑む事が出来ない私は未熟あまいのかも知れないが、一度全てのを吐き出させなくては…そうでなくては豊臣も徳川も関係ない。その毒が弱者にとって辛い世を生む結果になる……)


 小早川秀秋の名を、徳川の世を生んだ英雄にして衰退しつつある豊臣にとっての反逆者であるその名とその行為を聞いた事により、慶一郎は関ケ原での離反行為の真相や秀秋自身の心中まで想いを馳せ、その裏にある秘密を探る事を決意した。全てを解き明かしたところで一分いちぶも理解する事は出来ないかも知れないが、秀秋が何故に事に及んだのかを知り、その上で現在いまの豊臣が徳川を押し退けようとする行為の是非を自らの心で判断する事を決めた。


 自分自の選択と決断であればこそ善くも悪くも胸を張って結果を受け入れられる…


 慶一郎は常にそうしてきた。何かをする時も何もしない間も、常に自らの行動を自らで決断してきた。それ故に慶一郎は早雪さゆきと出逢ってすぐに放浪者として過ごしてきた日々と宿命を受け入れられた。

 しかし、小早川秀秋はどうだったのか?

 小早川秀秋という人物の生涯に於いて、最大のは関ケ原の大戦の折に拮抗していた東西の戦力を一気に東軍へと傾けた離反行為にあり、これ以上ないであろう瞬間に成されたその行為はあまりにも鮮やかであまりにも非情なであった。秀秋が離反した事によって西軍では離反の連鎖が生まれ、総崩れとなった西軍は敗れ、徳川の世が生まれるに至った。

 開戦時は敵方に属していた秀秋だが、この離反行為が戦を終わらせた事を鑑みると、秀秋こそが関ケ原の最大のなのである。

 長い戦いの歴史の中で離反行為に及んだ者は数多くいるが、天下分け目と云われる規模の 大戦おおいくさの情勢を一気に決めてしまう程にを読んだ離反行為を成し遂げた者は歴史上そう多く存在せず、秀秋は戦の機微きぴさとい人物であった可能性も高い。しかし、その様な機微にさとい人物でありながらも秀秋は未曾有みぞうの反逆者として現代まで語り継がれている。

 徳川の世を生んだ英雄ではなく、豊臣を裏切った反逆者。それが小早川秀秋に対する後世の評価である。

 秀秋が英雄なのか反逆者なのかはともかくとして、真実ほんとうに機微に聡い人物であるならば一連の行いによる結果を予測出来なかったとは考えられず、それを予測した上で事に及んだと考えるべきである。

 だが、慶一郎はどうしてもそうは思えなかった。

 秘密裡ひみつりに行われた朝鮮との交渉、関ケ原での離反行為、慶一郎はその何れに対しても秀秋の意思が感じられなかったのである。


「…弥太郎やたろう秀秋ひであき死様しにざまはどうだった?」


「ブザマダッタ。ヤツハオレトアッタジテンデヒトデハナクナッテイタ。ジブンガダレナノカモワカラヌホドニクルイ、ヒタスラトワメイテイタ。ダガ…」


 弥太郎は慶一郎の質問に対して即座に答えたが、その後で怪訝そうな表情かおになった。


「どうした?」


「…コバヤカワヒデアキノシニザマハタシカニブザマダッタガ、シニガオハセイジンノヨウニヤスラカダッタ。ヤツハオレガ…イヤ、ワレワレガミテキタナカデダレヨリモヤスラカナシニガオヲシテイタ」


 死様は無様だが死顔しにがおは聖人の様、その理由は弥太郎が秀秋に云われた「殺してくれ」という言葉によって解き明かせる。

 秀秋にとっては死が安らぎであった。即ち、秀秋は自害こそしなかったが、自らの死を望んでいたのである。


「安らかな死顔か…む!」


(この気配は!?)


「くうっ!?」


「ワッツ!?」


「ひいっ!!!」


 その場にいた四人が四人共に思わず声を漏らしていた。

 それは、突然現れた一人の人物による威圧感がそうさせていた。

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