第167話「人因する不運」

『俺には故郷ふるさとは無くともはある。血で繋がった肉親かぞくなくとも、心魂こころ心魂こころで紡がれた家族はる…』


 照れ臭さ故に言葉くちにする事はないが、喜助きすけは常々そう思っていた。

 師として親として、喜助が他の誰よりも慕っているうつろる場所が喜助にとっての家であり、空の傍で暮らす皆が喜助にとっての家族だった。

 その家族と共に暮らしていた空の里が襲撃された際に喜助は家族を目の前で失った。そんな経験をしている喜助だからこそ、無理矢理に故郷から連れ去られた末に無惨にも殺されたお珠の母親への仕打ち、そしてそんな母親を持つお珠が抱くかなしみは「不運」の一言で済ませられるものではなかった。

 事実、お珠の件はある種のが生み出した結果ではなく、人の意思にってもたらされた結果である。

 無論、この事実はお珠も喜助も含めたこの場にいる皆が知っており、知った上でお珠は不運と云い放った。しかし、僅か数カ月前に人の意思にる結果により家族と別れたばかりの喜助は、その別れのを鮮明に覚えており、だからこそ喜助はお珠達にそれを行った者に対する怒りを抑える事が出来なかった。

 喜助が名も知らぬ者へ抱いた激しい怒りは闘争心へと変化し、その闘争心は創傷けがを負った喜助の精神こころに伝わる肉体からだの痛みを凌駕した。

 この時、喜助は既に自らが怪我人であることすら忘れ、現在身を置いているこの戦場を生き抜いたに新たな目的をだし、その目的はまさしくお珠の仇討ちをするむねの喜助の言葉に込められていた。


 捜して殺す…


 それが正しいか否かはさておき、その言葉は『他人の不幸を見過ごせず、他人を不幸にした者を許せない』という喜助の信念が表れた喜助らしい言葉であった。


(権力者の親族を人質にるのはよくある事だが、よもや異国の地でもその様な行為がまかり通っていたとは…それも秘密裡ひみつりに。これはおたま 達だけの問題はなしではない)


 熱い言葉と態度で怒りという感情をあらわにする喜助に対し、慶一郎けいいちろうの胸中には憤りにも似た怒りと共にが溢れていた。

 その感情はかなしみであった。


(この問題はなし現在いまの豊臣にとっても看過出来ない程にものだ…敵国の王族と交渉を行える程の立場の者がそれを行うという事は下の者達が更に卑劣な行為に及んでいてもおかしくはない。組織としての秩序が失われ、が罷り通ったのならば、最も卑劣で残忍な行為が行われるのは組織の末端…恐らく戦の最前線にいた者達の多くが民に対して似た様な行為、或いはそれ以上の行為に及んでいただろう……戦の結果は誰もが知る事が出来る。だが、その裏側にあるは当事者しか知り得ない。そして民はいつも当事者だ。安寧を与えるべき立場の権力者に振り回されるのは民だ。……現在の豊臣に残る者達にもこの件の関係者はいるだろう。異国とはいえ民をしいたげた者が…過去の行為を無かった事には出来ない。私はその様な者達と共に手を携えて心魂こころを重ねて歩めるだろうか?いや、あやまちを無かった事にする者と共に歩んでいいのか?)


 慶一郎はお珠から聞かされた話の内容を冷静に分析し、その裏側にあるに心を痛めると共に自らへ問い掛けていた。

 戦の真実…それは、いつの世も変わらない。

 ほぼ全ての戦は権力者によって始められ、一度始められた戦は有無を云わさずに民を巻き込み、悲劇と呼ぶにはあまりにも現実的な悲しみを生む。そしてその悲しみは常に最前線から始まる。

 仮に、国が一つのであり、戦が国という木を焼き払うとするならば、戦禍の国に於いての権力者はであり、民はである。

 如何に凄まじい炎であろうと木の根は地中深くに位置する為にそう簡単には焼かれる事はない。しかし、根は焼かれずとも末端にある葉はいとも容易く焼き払われる。即ち、戦禍に於いて民は必ず身を焼かれる。

 権力者は戦禍から免れるすべを有しているが民が逃げる事は叶わないのである。

 それ故に権力者は民への被害を最小限に抑える為にを以て戦を制御しなくてはならない。

 だが、朝鮮出兵に於いてその秩序は失われていた。全軍に於いてそうだったというわけではないが、少なくとも一部、或いは大半で無秩序が生じていた。

 朝鮮出兵を命じた豊臣政権にその意図はなくとも現地へ赴いた者達の中で無秩序が生まれていたのである。

 それは、意図的でありながら偶発的な無秩序であった…

 ある者は自らの欲を満たさんが為に意図して無秩序を生み出し、ある者は行動の結果として意図せず無秩序に身を委ねていた。

 秩序ある命令が無秩序な行為を生み、無秩序な行為が秩序ある命令を無秩序へと変化させた。

 命令の齟齬そご…組織が大きいが故に生じる認識の差違ちがいや解釈の仕方によるが更なる無秩序を生んだ。

 命令を下す者と命令を実行する者、異なる立場の者達が本来共有している筈のが必ずしも一致するとは限らず、将として命じた事を兵がどう実行するかはその兵と同じ場にいなくては知り得ない。兵の間で何が起ころうとも、結果と事実が異なっていたとしても、命じた者がその場にいなければそれを確かめる術はないのである。

 そして、それらの差違ちがいを知る者がいたとしてもその者達が組織の一員として立場的に弱い者や敵方、即ち敗者であるならばその主張は通らずに立場の強い者と勝者の主張がとなる。

 それはまさしく戦の裏側にある真実であり、同時にそれこそがなのである。


 


 死人に言葉くちなし。

 それ故に本来ならば真の強者足りえる者こそが勝者でなくてはならない。しかし、時としてそれ以外の者が勝者となる事がある。

 真の強者は自身が強者であるという認識を持たず、弱者をしいたげる事も切り捨てる事もしない。

 だが、いつわりの強者は自身を強者と勘違いし、強者はと認識して弱者をしいたげ、あっさりと切り捨てる。

 偽の強者は弱者の言葉いけんに聞く耳を持たない。

 朝鮮出兵の折に豊臣政権より派遣された者達の中にはそういった偽の強者が含まれていた。それらの者が行ったのは互いに争う戦ではなく虐殺にも似た一方的な侵攻であり、ですらも敵兵として扱い、老若男女を蹂躙じゅうりんし尽くした。

 慶一郎はそれらの偽の強者達によって無慈悲にしいたげられた人々の無念…無念と呼ぶには余りにも悔いが残るそのを想ってかなしむと共に、その残念を生んだ戦と当事者への深い憤りを抱いていた。

 そのかなしみには虐げられた者達への慈愛が満ち、その憤りはこの根の深い問題の関係者が含まれているであろう現在の豊臣に加勢する事への疑念をも与えた。


「…この場を無事に切り抜けられたならば俺も喜助きすけと共に参ろう。意味のある殺人剣を以てその者と共にこの件の根幹にあるものを斬ってみせよう」


 意味のある殺人剣…それは、慶一郎にとって互いに生命いのちした死合しあいで剣を振るった結果による殺人ではなく、相手を殺す前提で放つ剣を意味している。

 かつて喜助がまだ鬼助きすけと名乗っていた頃、慶一郎はその剣を初めて放った。豊臣に見捨てられた者達を斬った際に慶一郎は初めて意味のある殺人を経験し、その経験もまた現在いまの慶一郎を織り成す要因の一つであり、慶一郎を大きく成長させた出来事だった。


「オマエラノイウクソヤロウハスデニシンデイル。ハオレガコロシタ」


「なに!?小早川こばやかわだと!?」


小早川こばやかわ秀秋ひであき…!!」


 小早川秀秋…

 弥太郎やたろうの口から出たのは、にも小早川秀秋の名であった。

 それはまさしく妙な然であり、数な遭だった。

 阿武隈あぶくま義太夫ぎだゆう柳生やぎゅう兵庫助ひょうごのすけ、吉岡一門、宮本みやもと武蔵むさし、そして喜助きすけ

 義気、友情、怨恨など、異なるつながりで結ばれたこれらの者の内、何れか一つがその縁を欠いていれば慶一郎はこの出逢いに辿事が出来なかった。

 だが、敵味方問わず全てのつながりが人と人との出逢いを生み、多くの偶然が重なった事で慶一郎はこの瞬間この場にる。

 同志なかまを助太刀する為に自身の背負う宿命の血、豊臣家と因縁浅からぬ小早川秀秋がかつて治めていた岡山の地を訪れた慶一郎を待っていたのは、な出逢いだった。

 この出逢いは慶一郎が背負った宿命にって導かれたものではなく、多くの人がきて結んだ縁がんだ出逢いであり、その縁を紡ぐ運命を選択した慶一郎自身にってり寄せられたものだった。

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