第164話「黒い男」

 その黒は白煙の中で際立っていた。

 漆黒と云うには明るく、褐色と呼ぶには濃い肌の色をしたその男は、全身を包む黒一色の装束を纏ってそこに立っていた。

 その装束の裾は地面に擦れる程に長く、その生地は日本にある着物の生地とは明らかに異なっていた。


「その身形、伴天連バテレンか?それとも単に異人と呼ぶべきか?何れにしてもお前が後を追っていた者だな。何故なにゆえに俺達を付け狙う」


「…ヒメ…イヤ、オンナハドコダ?」


「女?女など知らん。それよりもお前は何者だ?」


(女とはおたまの事か?だが今確かに姫と云った。姫?おたまが?それよりもなぜこの者はおたまを…いや、問題はそこではない。…喜助きすけ殿が芸妓だと云ったので鵜呑みにしていたが、おたまが何者かを全く知らぬ状態ままどうどうしていた…悪い人間ではないだろうが迂闊うかつだったな……)


 慶一郎は目の前にいる黒い男がなぜお珠を捜しているのか、お珠との関係は何なのか、その何れも推し測る事は出来なかったが、目の前でを放つ男はかつて慶一郎が出会った異人達とは異なる気配を帯びており、その異質な男が捜しているお珠という女が単なる芸妓ではない事を悟った。


「…ワタシガナニモノカナドシルヒツヨウハナイ。オンナヲワタセ」


「ふっ、聞き分けがないな。女など知らぬと云っている」


「…カクシテモムダダ。オマエガオンナトイッショダッタコトハワカッテイル。ソレトモオマエモコノモノタチノヨウニナリタイノカ?」


 慶一郎は敢えてを切ったが、男はそれが偽りであると知っていたが故に信じることはなかった。しかし、慶一郎自身も男が自分の言葉を信じないとわかっていながら敢えて嘘をいていた。

 敢えて嘘を吐く、これは即ち方便である。

 相手が敵か味方かの判断が出来ない状況でのこの嘘はある意味では正しかったが、それは同時に相手に敵対心を抱かせる可能性を孕んだ行為でもあった。


(この者のを感じるのが難しい…相変わらず魔訝まが魔訝まがしさは感じるが追われていた時とはまるで気配が違う…この奇妙な感覚はなんだ?まるで幾つかの気配が様な感覚がある…これは意識的に行っているのか?)


 慶一郎は困惑していた。

 これ迄数々の強者もののふと対峙し、自身の実力ちからを上回る可能性を持つ相手であってもそのことごとくを真っ向から退けてきた立花たちばな慶一郎けいいちろうが困惑していた。

 その原因りゆうは目の前にいる男にあった。

 男は秀でていた。中でも、生きた人間を頭から程の膂力りょりょくは特に秀でていた。

 だが、それでも戦闘に於いての力量は慶一郎には遠く及ばなかった。慶一郎は戦闘になれば自らの武が男を圧倒する事はわかっていた。しかし、それでもその男は慶一郎を困惑させる要因を持っていた。

 男の持つ要因が影響を及ぼしたのは読合よみあいであった。

 現在いまこの瞬間、慶一郎は目の前にいる相手に対して一方的に読合よみあいを仕掛け、その行動を予測していた。

 だが、男には一切の読合が通じなかった。

 無を為して読合を阻むのではなく、確かに進めている筈の読合の最中で突如それが途切れてしまう様な、そんな不可思議な感覚が慶一郎にあり、それが慶一郎を困惑させていたのだった。

 慶一郎の強さの根幹である読合、即ち相手の行動を予測する能力ちから、それが及ばない相手がそこにいた。


「…その様になるのは嫌だな。痛そうだ。だが知らぬものは知らぬ。仮に知っていてもお前が何者かわかるまでは云わんがな」


「…モウイイコイツモコロソウ。イヤソレハダメダ。コイツハヒメヲマモッテイタ。ミテイテワカッタダロウ?デモヒメヲワタサナイゾ。ソレハソウダガヒメノオンジンヲコロスノハダメダ」


「なにッ!?」


 慶一郎は思わず声を漏らした。


(なんだこれは…!?こんな事がり得るのか!?この者は一体…!!?)


 目の前で自問自答にも似た独言ひとりごとを呟いている男のその行為…否、その男自身に慶一郎は驚愕した。

 その原因りゆうは…


(私は何を視ているのだ!?この者が行っていたのは単なる自問自答ではない!まるで自分自身との会話だ!その会話の度に幾つもの気配が重なり合い、一人しか存在していないこの者が何人もる様に感じるなんて事があり得るのか!?こんな人間が世に存在し得るのか……)


 

 この事が慶一郎の読合を阻んでいた要因であり、これこそが男が異質である証であった。


「…もう一度だけ訊く。お前は…いや、お前は何者だ?」


「!!!」


 

 慶一郎は確かにそう云った。その慶一郎の言葉に男は驚きを隠せなかった。

 男に驚きを与えたその言葉、それを生んだのは慶一郎の持つ二つの能力ちから、常人離れしたその二つの能力が重なり合って生んだ結果であった。

 その一つは天賦の才とも云える他人ひとの意思気を感じる能力ちから。もう一つは鍛練によって身につけたなる存在ものの気配を悟り、を感じる能力。

 これらの二つの能力が重なった事による正確にして無比な一言が男を驚かせた。


「…ナゼダ?」


「何故、とは?」


(どうやらこちらの問いに答えるつもりは無さそうだな…)


 問いに対して問いで返された慶一郎もまた問い返した。その問い返しは男の云った「ナゼ」の意図がわからなかったが故の必然だった。


「ナゼガヒトリデハナイトキヅイタ?」


 ヒトリデハナイ…即ち

 男は自らを我々と称し、自分は一人ではないと云った。


「何も気付いてはいない。お前はお前ではなくお前達と呼ぶべきだと、なんとなくそう感じただけだ。だが、お前がお前自身を一人ではないと云うのは異常おかしな話だ。説明はしてくれるのだろうな?」


「…ドウスル?コイツナラハナシテモイインジャナイカ?ダガイッテツタワルカ?コイツナラワカッテクレルダロウ。デハミンナソレデカマワナイナ?」


(また自分自身と会話をしている…そしてまた少なくとも四人か五人の気配が重なっている…それも一人ひとり々々ひとりの気配がより濃くなっている…)


「…ハナシテヤル。ドンナハナシデアロウトウソイツワリハナイトオマエガウケイレラレルノデアレバナ」


 男はこれから自分が語る内容がと受け入れられるのであれば話すと云った。反応を確かめる様にして放たれた男の言葉に慶一郎は「無論だ」と答え、それから少し間を置いてから男は口を開いた。

 二人は既に互いが敵であるという可能性を捨て去り、周囲への警戒を怠る事の無いまま互いに対する臨戦態勢を解いていた。

 二人の周囲で絶え間なく響いていた剣戟の衝突音と人々の怒号と阿鼻叫喚は少しずつ止み始めていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る