第151話「果たし状」

果タシ状


宮本武蔵殿

十余年前ノ遺恨ヲ果タシ申シタク候

貴殿ガ極メシ武ニ於イテ決闘前ノ事前準備ガ必要トハ聞キ及バズ

故ニ真ニ身勝手ナガラ四日後

貴殿ノ下ヘト推参シ候


慶長十九年八月四日

吉岡憲法




 慶一郎けいいちろう一行が岡山にある武蔵むさしいんとん先に程近い町へと着いたその日、武蔵宛の果たし状とする文面を記載した立札たてふだが人目に付きやすい往来へ多数貼り出された。

 その数は一つや二つではなく、二桁を優に超える数であり、往来を行き交う者がそれを見落とす事は考えられなかった。

 この文面を要約すると、『四日後、お前と決闘したいが為に勝手に会いに行くから逃げるな』という内容であり、そこに自身と武蔵の名を記しつつ、武蔵の武を称賛する一文となる『貴殿ガ極メシ武ニ於イテ決闘前ノ事前準備ガ必要トハ聞キ及バズ』という文言を記することで武蔵が逃げられない状況にする目的が込められている。

 そして、立札が置かれてから三日目となる八月七日の夜…


愈々いよいよ明日だが案の定向こうからの返事はなかったな」


「うむ。だが、返事がなくとも武蔵むさし居所いどころは掴んでおるから問題はない」


「…問題があるとすれば今日になって武蔵むさしが下山した事だろうな」


「ジン殿の云う通りだ。前日に武蔵むさしが下山した事は不気味以外に言葉がない。あの立札を見た者が武蔵むさしのいる山小屋へ行った翌日、奴は百人あまりの弟子達を自身の下へ集結させた。その理由は我々を待ち伏せをする為かと思ったのだが…」


武蔵むさしはその更に翌日となる今日、弟子を引き連れ下山した。返事をするでもなく逃げるでもなく下山して数人の弟子共々に寺へと身を寄せて宴を催している。今更正面から正々堂々と決闘に応じるとは思えんが、前夜に芸妓まで呼んで騒ぐのはせない。何か理由わけがあると考えるべきだが……」


 慶一郎、喜助きすけ義太夫ぎだゆう兵庫助ひょうごのすけは翌日に迫った決戦へ向けた最後の話し合いをしていたがそこに早雪さゆきの姿はなかった。

 鐘銘事件の発生により徳川と豊臣の戦が現実味を帯びた事で早雪は再び信繁のぶしげとなるべく真田のかくれざとへ下へと戻り、岡山へは同行しなかった。

 早雪は戻る際に慶一郎へこう告げていた。


『私があなたの傍で事は少ない。でも父の傍で事は多くある。うしおさんの代わりにはなれなくとも私がやるべき事は父の傍で働くことです』


 この言葉に対して慶一郎は「其々のやるべき事は其々が選択するべきです」と返し、早雪の決断を受け入れた。


「何があってもやるしかねえ。そうだろ?おっさん」


「むはは!その通りじゃ!相手は凡そ百人。中にいる武蔵むさしと弟子達が何をしていようがいまいが関係ない。外で番をしている残りの者共が我らを黙って通せばそれでよし。阻むというならば推し通るまでよ」


「くはは。たった七人で推し通るか。それも天下の武蔵流の門下百人を相手に。傾奇かぶきものと呼ばずにはいられんな」


「お主もな、兵庫助ひょうごのすけ


 七人…

 これは慶一郎達の全戦力ではあるが全員ではない。

 武蔵討伐の為に岡山へとやって来たのは全員で十九人いた。

 その内訳は、十九人中十二人がかつての吉岡一門の者であり、この十二人は主に役人の動向を探る役割及び足止めを担当し、基本的には戦闘へ参加しない取り決めとなっていた。

 過半数を越える十二人が戦闘要員ではなく所謂後方支援の役割を担うのは明確な理由があった。それは全国が徳川による統治下に置かれたこの時代に於いても嘗ての様な武芸者同士による決闘や破落戸ごろつき同士小競り合いなどの小規模な戦闘は頻発していたものの、私的な戦、即ち私戦は御法度とされていた為である。

 中には武家同士によるいさかいは私戦扱いとならずに町人同士の争いが私戦とされて罰せられるなど、その線引きは非常に曖昧なものであったが、自治を行う者達の中にはある程度の人数が参加した戦闘は私戦と判断する場合があり、その多くが十人を上回っている事を基準としていた。

 その為、吉岡一門の者は直接関わらずに有事へ備える事となった。無論、その決定に異を唱える者はいたが、五代目憲法を襲名した義太夫が頭を下げた事で収まった。

 吉岡一門を除いた残る七人は慶一郎達四人と他三人である。

 その三人とは…


「ところでジン殿。五人目は昨日会ってもらった義正よしまさ殿で決定したが、残り二人のは間に合うのか?それと、疑うわけではないが力量うで確実たしかなのだろうな?」


 武蔵達と対峙する七人の内の五人目は、武器を携帯せずに徒手やその場にある物を用いた戦を得意とする拳法家の狩野かのう義正よしまさという男であり、義正は義太夫の呑み仲間で喧嘩仲間でもある事からこの一件に加勢している。この者は現在、吉岡一門の者達と共に武蔵の動向を探る役目を担っておりこの場にはいない。

 そして、残る二人は慶一郎の知人であり、その二人は参戦を快諾したものの京を立つ際には合流出来ず、後から追って来ることになっていた。


力量うで、か。確実たしかどころかこの上ない程の者が来てくれる。……ふっ、どうやら来たみたいだ。あそびが好きな人だ。三人共油断するな」


「なに?…むっ!?」


「くっ!?」


「ぬうっ!?」


 慶一郎の言葉の直後、兵庫助、喜助、義太夫の三人は三人共に武器えものを手に取った。

 原因りゆうは近付いてくる者にあった。やや遠目から放たれた気はその場にいる全員に対して向けられていた。

 その気が慶一郎達四人を打ち、気を放つ者の正体を知る慶一郎を除く三人は近付いてくる者に対して警戒感を抱いた。

 殺気は纏っていないものの凄まじい迄の闘気を放つその者はゆっくりと近付き、四人のいる部屋の前、襖を挟んだ数歩先という距離で歩みを止めた。

 慶一郎以外の三人の強者もののふがその者が近付いてきた時に感じた気配、それは一般人には感じられる者ではなく、感覚で云うならばほんの些細なに近いものだった。

 まるで違和感そのものが近寄ってくる様な、その者と会うこと自体に不吉な予感がする様な、そんな気配が四人のいる部屋の前にあった。

 強者もののふにそんな感覚を抱かせる者が部屋の前にいた。


「………」


「………」


「………」


 兵庫助、喜助、義太夫は誰一人として言葉を発せず、ただ相手の出方を待った。

 沈黙が場を支配し、永遠の様に長く、刹那の如く短いを空けたのち、不意に部屋の外から声が聴こえた。


「ジン殿、入ってもよろしいか?」


 それは、やや訛りのある女の声だった。


「……おいおい、勝手に言葉を発するとは何事だ?もう暫くこの魔逢まあいに興じたかったものを」


 女と話すその声は如何にも快活で覇気に満ちた男の声だった。


「……ジン殿、どうやらとんでもない化物ばけものを連れてきた様だな」


「ふっ、兵庫助ひょうごのすけ殿にそれ程の言葉を云わしめたのだから力量うでに異論はないな」


「無論」


「ええい!もうあそびはやめだ!襖の向こうにおる者よ!姿を見せい!」


 業を煮やした義太夫がそう云うと男女が部屋へと入ってきた。

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