第150話「枷」

「なんて下衆げすな奴らだ…武で敵わぬからといって無関係の家族を巻き込むなど武士としての誇りはないのか!」


「ないだろうね。そもそもが武士以外の者達も多く関わっている事だからな」


「……柳生やぎゅうの兄さんよ、吉岡と柳生の関係がどんなものなのか俺は知らねえが、あんたら柳生と吉岡は同じなんだろ?」


喜助きすけくん、君は何が云いたい?」


「あんたらは武士として戦えずに負けた吉岡一門について何も思わねえのか?こんな事で吉岡流が潰されたことにあんたはムカつかねえのか?」


 表情一つ変えずに飄々ひょうひょうとしている兵庫助に対し、喜助はその真意を確かめる様に訊いた。


「くはは。手厳しいな……喜助きすけくんは。それに、他の皆とは全く異なる見解でものを云うからなんとも難しい」


「難しくなんかねえだろ。吉岡を潰した連中に対してあんたはどう思ってんのかってだけだ」


「……みなごろしにしてやりたいさ」


「む!」


兵庫助ひょうごのすけ殿の纏う気配が変わった…!?)


 慶一郎は兵庫助から言葉では云い表せない程の凄まじい怒りを感じた。更にそれと同時に快楽で人を殺める殺戮者にも似た気配を感じた。


武蔵むさしも逆恨みで集まった武士共も破落戸ごろつき風情もこの手でみなごろしにしてやりたいさ……この答えでは不服か?」


「いや、満足だよ。考えてもみりゃあ柳生のあんたが義太夫ぎだゆうのおっさん…吉岡の五代目の手助けをしようとしているって事は柳生の意思表示みてえなもんか」


「柳生は関係ない。俺はただ、四代目と五代目の友として手助けをする。それだけさ」


「へっ、どっちにしろ同じことだろ」


(いや、似て非なる答えだ。柳生としてはこの一件に関与しない以上は真剣勝負ほんばんに至っても兵庫助ひょうごのすけ殿は自ら進んで刀を抜く事はないだろう。仮に抜いたとして軽々けいけいに斬ることは。…それよりも今のはなんだ?兵庫助ひょうごのすけ殿が一瞬だけ殺しに飢えている様に思えたが……)


 この時、慶一郎は兵庫助が云った「斬るのは俺でなければ誰でもいい」という言葉に込められた真意と兵庫助を取り巻く立場やしがらみによるに気がついたが、それよりも兵庫助自身の事が気になっていた。

 兵庫助のかせとは、この一件に於いて兵庫助が人を斬ることが出来ないということであり、その原因りゆうは、兵庫助が柳生の者であることに起因していた。

 兵庫助が云った「柳生は関係ない」という言葉は即ち、柳生はこの件に関与しないという意味であり、それがである。

 仮に、この件によって武士という存在についての認識が変わり、武士全体の威厳が損なわれる事態になれば柳生としても静観していられないが、名を落としたのは吉岡一門のみであり、柳生にとって吉岡一門がどうなろうと所詮は他人事に過ぎなかった。それ故に吉岡一門と個人的に親交があった兵庫助も手を出さなかった。

 だが、その実は友として関わりたかった。それ故に兵庫助は義太夫から頼まれる以前より武藏の動向を探りながら機を待っていた。そして機はここに至り、兵庫助が密かに集めていた情報が義太夫の力となった。しかし、情報提供をした兵庫助自身は大手を振って協力する事が出来ず、その悔しさを隠す為に常に飄々とした態度を取って本心を隠していたのである。

 尚、兵庫助がこの件で人を斬れないのは、優れた剣士であるが故にによってその正体を見破られる可能性がある為である。

 斬痕ざんこんとは、読んで字の如く斬った痕を示している。

 人は誰しも宿

 それらは本人の意図しない事柄に於いても憑き纏い、淀みなく行っている事象に於いても自然と現れている。

 文字、言葉、歩行、呼吸、視線など…

 本人が意図的に変えようとしない限りは人はあらゆる事象にを宿らせ、それによって個人ひとり々々ひとりが判別される。

 これは剣に於いても同様であり、優れた剣士ほど動きに淀みがなく一撃いちげき々々いちげきに差異が生じない為に斬痕が統一された結果、死体に残されたきずあとだけで個人の特定が可能と云われている。

 斬痕によって自らの身許が特定された場合に柳生一族同士でのいさかいが起きる可能性を危惧した兵庫助はそれを避ける為に武蔵を斬りたくとも斬るわけにはいかず、それ故に「俺でなければ誰でもいい」という言葉を放ったのである。

 更に、兵庫助には自身が人を斬りたくない理由わけがあったが、それらを兵庫助が悟ることはなかった。

 この後、慶一郎達は武蔵達とのへ向けて出立する日を取り決めた。それが決まると、義太夫は「五代目憲法としてかつて吉岡一門に属した者や経済面で吉岡道場に助力していた者へ協力を求める為に人と会う必要がある」と云い、出立する日の前日に再会することを約束して兵庫助と共に町へと消えた。

 慶一郎達と義太夫達が再会を約束した日は凡そ一週間後となる八月三十一日であり、その翌日、新たな月を迎えると共に五代目憲法こと義太夫を大将とした一行は武蔵討伐へ向けて京を出立する。

 目的地は岡山藩…そこに武蔵がいる。

 独自の人脈つてで調べた兵庫助の情報によって武蔵が現在いんとんしている場所が岡山藩内の山中である事が判明していた。

 岡山藩は、関ケ原の大戦で西軍の大敗を招いた小早川こばやかわ秀秋ひであきが治めていた領地が基盤となっており、現藩主は池田いけだ忠継たたつぐである。忠継の祖母は徳川とくがわ家康いえやすの側室であり、血脈上、忠継は家康いえやすの孫に当たる人物となる。

 尚、家康には史料で確認出来る範囲でも二十人程の側室がいたとされているが、同じく多くの側室を設けていた豊臣とよとみ秀吉ひでよしと比べてその数の多さに関する認知度は極めて低く、家康は実直な人物であり、秀吉は好色な人物である、というのが現代社会に於いての認識であるが、史料に残されていない人物を数に含めた場合にどちらがより好色であるかは定かではない。


「岡山か…懐かしいな」


喜助きすけ殿岡山に行ったことがあるのですか?」


「ああ。岡山は俺が初めて……いや、そんな話はどうでもいいだろ。それより、俺もってことはお前あんのか?」


「ええ。岡山は早雪さゆき殿と出逢う以前に暫く暮らしていた地です」


「そうか。早雪さゆき、お前はどうだ?岡山に行ったことはあんのか?」


「無論ある。私も慶一郎けいいちろう殿と同一おなじで岡山で暮らしていたからな。当時を思い出すと腹が立つから思い出したくないが……それにしてもまさか慶一郎けいいちろう殿が岡山で暮らした経験があるとは思いませんでした」


 早雪が岡山にいたのは後藤ごとう基次もとつぐと共に暮らしていた頃である。


「へえ、早雪さゆきもか。実を云うと俺も短期間だが岡山に留まっていた事があんだよ。俺ら三人、久々に岡山にって事になるな」


「そんな遊山ゆさん気分では死ぬぞ喜助きすけ。尤も、慶一郎けいいちろう殿が無事ならお前が死んでも私は構わんがな」


早雪さゆきてめえそりゃどういう意味だ!?」


「言葉の通りだ。私はお前の死際しにぎわには泣いてもやらないからな。精々死なぬ様に気をつけろ」


「だったら俺もだよ!この先いつお前が死んでも涙なんか一粒も流してやんねえよ!」


「なにっ!?一粒もだと!?」


「そうだ!一粒もだ!それが気に入らねえなら俺よりも長生きするんだな!」


 喜助と早雪の問答は暫く続いたが、互いにぶつけ合う言葉に共通していたのは「死ぬな」という相手への思い遣りだった。

 そしてこの二日後、後の世で鐘銘事件と呼ばれる出来事が起きた。

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