第144話「倖村の真太」

 着古した襤褸ぼろ々々ぼろの着物を纏い、素足に草鞋わらじを履いたその者の姿はまだ幼さが残る少年の様だった。

 だが、幼さの残るその少年の瞳には憎悪にも似た感情が宿り、慶一郎けいいちろうを睨む鋭い視線には強い想いが込められていた。

 慶一郎が感じ取った少年の想いは単純な殺意ではなく、そして、怒りや憎しみだけでもなかった。

 怒りや憎しみと云った負の感情に悲しみや憤りと云った感情が混じり合った複雑な想いがその視線に込められ、少年はただひたすらに慶一郎への敵意を示していた。


(この者は早雪さゆき殿と知己の様だが、なぜ私はこの者にこれ程に敵意を持たれている…私は何をしたのだ…?)


 自覚がない以上は自問自答をしたところでその結論こたえが出る筈もないが、慶一郎は常々「自分自身の行いにって恨まれているならばその恨みを忘れていてはならない」と考えていた為、自覚が有ろうと無かろうと先ずは己に問う事を最優先とした。


真太しんた!あんた何でこんなところに!?」


 真太。

 それは、持ち手と刃長はちょうが共に二尺程ある大鉈を背負ったその少年の名である。


「何でもクソもあるか!早雪さゆき!お前こそ何でこんな奴にあんな真似をさせやがった!?」


「さんを付けなさい!」


「それ今云うことかよ!?」


「二人共、怒鳴りあっていては話が進まないので落ち着い…」


慶一郎けいいちろう殿は少し黙っていてください!」


「お前は黙ってろ!」


 慶一郎は二人を宥めようとしたが、取り付く島もなかった。

 二人の問答は暫く続き、その問答の中で真太という名の少年が慶一郎に対する敵意を抱いた原因りゆうが明らかになった。


(そうか、この者は倖村しあわせむらで育った子か。それも早百合さゆり殿と同様にうしお殿を深く慕っていた孤児みなしご…住人ですらない他所者の私や喜助きすけ殿が村の内情に踏入ふみいった事が気に入らなかったのだな……)


 真太はかつて潮の創作つくった倖村に暮らしていた住人の一人だった。

 年齢は十三歳。

 新たに村長になった早百合の一つ歳上であり兄妹の様な関係であった。しかし、その生き方は早百合とは正反対であり、真太は一刻も早く倖村を出て独り立ちしたいと願い続け、弱冠十一歳にして真太は養子になるのではなく仕官する事で武家となった。無論、仕官をするには幼い年齢だった為に仕官先の武家の子の傍仕えの小姓としての登用であったが、それは確かに仕官であった。

 身分すら持たない真太が為した異例の仕官、その方法は強引且つ大胆なものであった。

 潮の人脈つてによる助力を一切拒んだ真太は、唯一人で町を彷徨くと破落戸ごろつきに喧嘩を仕掛けてそれに勝ち、力で捩じ伏せた破落戸をけしかける事で武家の子を窮地に追いやり、それを助ける事で武家に恩を売って仕官の願いを聞き入れさせるという狂言染みた方法であった。

 この時、その狂言に現実味を与えたのは駆り出された破落戸のであった。表向きは真太に従順な素振りをしながらも破落戸にとって一連の計画は狂言などではなく、真剣ほんきで真太を倒すつもりでそれを行った。もしも首尾よく真太を倒せたならば武家の子を誘拐して金銭を得る機会となり、尚且つ一度負けた真太への恨みを晴らす結果にもなるという思惑がそこにあった。

 そんな性悪な破落戸の思惑が真太の計画を後押しした。目の前で繰り広げられた戦闘たたかいが真剣だったからこそ、同じ子供でありながら大人を圧倒する真太の活躍を目の当たりにした武家の子は真太を尊敬し、自身の親に「真太を傍に仕えさせて欲しい」と願ったことで身分すら持たない孤児による異例の仕官が成立したのである。

 その仕官から既に二年程が経っていたが、これ迄の真太の行方は倖村の者も潮も知る事がなく、時折、村へ物資が届いている事でその生死が確認出来ていたのみだった。尚、この物資には真太の名が記されていたわけではないが、他の者が村へ物資を送る際には名を明かしている為、無名で届く物資の送り主が真太であると皆が気付いていた。


「このわからず屋が!皆がどれだけ心配したと思っているんだ!?特に早百合さゆりうしおさんはいつもお前を!とにかく一度帰って謝れ!」


「知るか!早百合さゆりうしおも村も関係ねえ!オレはオレだ!それにもうあの村は早百合さゆりの村なんだからオレが帰る場所じゃねえ!…クソ!クソ!クソ!うしおうしおだ!!あのバカヤロウはなんで勝手に死んじまったんだ!死んだ奴の事なんてオレにはもう関係ねえ!オレはオレとしてそこにいるそいつとあのデカブツに用があるんだ!」


 あのデカブツとは、喜助きすけである。


「貴様!その云い方は…うっ!?」


「ぐうっ!?…な、なんだこれは…!!?」


 それは、慶一郎による威圧だった。


「その言葉は捨て置けないな…」


「け、慶一郎けいいちろう殿…!?」


 まるで突如発生した濃霧が辺りを包んだかの様にその場の空気が一変していた。

 以前に似た様な事態を体感した早雪ですらも足がすくむ程の猛烈なが慶一郎から真太へと放たれていた。


「ぐ…なんだお前……オレとる気か…?じ、上等じゃねえか……」


 真太は精一杯強がってその言葉を絞り出した。

 だが、その実は真太の身体からだは爪先から脳天まで杭で突き刺された様に硬直しており、辛うじて言葉を放つことが出来たものの到底動ける状況ではなかった。それ程に慶一郎の放つ殺気は凄まじかった。


「殺る気かだと?…真太しんたと云ったな。お前はそれなりに強い様だがを知らないのだな」


「ば、バカにすんな!こう見えてもオレは大陸で戦って来た戦人いくさにんだ!」


「そうか、戦人か。だが、俺にはお前が戦人とは思えんがな」


「なにいっ!?お前はオレを見下せるほど戦に行ったってのかよ!!」


「いや、戦の経験は唯一度しかない。それも戦と云えるか否もわからん」


 慶一郎が云った戦の経験とは、水戸での一件の事である。

 自分自身の為だけに戦うのではなく、他人の想いも背負った三人が水戸城へと奇襲を仕掛けたあの夜の戦闘たたかい、それは単なる死合しあいではなく戦だった。

 勝者ではなく、勝者が生まれる事で初めて決着となるのが戦であり、あの日の慶一郎達は紛れもなく戦に勝利した。水戸に暮らす人々の想いを届けるという利を獲た。


「なら偉そうにすんな!戦人としてはオレの方が上だ!」


「…戦人に上も下もないと思うが、まあいいだろう。だが、戦とは百々の詰まりは人同士の殺死合ころしあいだろう?強者きょうしゃが納得する迄は戦は終わらず、最後にはみなごろしという事もある。極論だがな。そんな戦場にお前は身を置いて来たんじゃないのか?」


「ああそうだ!時には逃げる奴を殺せと命じられたよ!それが戦だ!」


「ならお前はそいつらをのか?」


「うっ!!?そ、それは……」


「戦は殺死合。殺す前に殺しますと告げる馬鹿はいない。俺が殺る気ならお前はもう死んでいる」


 この言葉の通り、慶一郎に殺はなかった。しかし、慶一郎は確実たしかな殺気を帯びていた。

 その殺気が自分自身には向けられていない事をわかっている早雪ですらもおののく程の殺気がそこに在った。

 殺意のない慶一郎が周囲を戦かせる程の殺気を纏った原因りゆうは真太の言葉だった。

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