第111話「不自由と自由」
「おい、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはこの家の娘の
「う……うう……えぐ……ううう……」
又兵衛は自身が斬った小男の返り血を浴びて全身を真っ赤に染めた娘へ話しかけたが、又兵衛に姫子と呼ばれたその娘は両手で耳を塞いだ
「ちっ!
「ぬはははは。貴殿は相変わらず女の涙には敵わぬ様だのう」
「あ?
「いや、やめておこう。今の貴殿は相手にしたくはない。それに今のも誉め言葉よ。強い男ほど女の涙には弱いものだからのう。そんな事よりも貴殿が我輩を名で呼ぶとはな…いつ以来だ?」
義太夫は付き合いが長いが故に又兵衛が自身を名で呼んだ事の意味を理解していた。
又兵衛が普段は名を呼ばない相手に対してその名を呼ぶ
又兵衛がこの時に抱いていた怒りの矛先、それはいつまでも同じ様な悲劇を繰り返す世の中に対してであった。
戦国という他に類を見ない程の乱世に生を
『たった一度の人生、誰よりも熱く、誰よりも激しく生きる』
これを持論とするこの男は、戦いが戦いを生み、争いが争いを呼ぶ日々の中で躍動し、その裏では常に平和というものの
だが、八年前の慶長十一年の事だった。
又兵衛は長い間仕えていた黒田家を出奔した事により得た不自由であるが故の自由の中に身を置き、初めて平和について自分なりの
戦場を
『万人が不自由も自由も自らの意思で選択する権利を持って生き、そして死ぬ』
それが、生粋の
戦場で死ぬ自由、戦場で生き抜く不自由。
又兵衛は自ら望んで戦場へと身を置き、戦の
行きたくもない戦場へと駆り出され、死ぬ覚悟もなく殺される者…
継ぎたくもない家督を継がされ、切りたくもない腹を切らされる者…
たった一握りの米を奪い合って死ぬ者…
又兵衛は多くの不自由を捨て置く世の中、不自由を捨て置く人々に対して怒りを抱いていた。
「覚えてねえよ。だが、少なくともあの山小屋で会うまではおめえとは五年は会ってなかった。それからまだ
「それもまた我輩と貴殿が選んだ
「………」
戦人として生きる以上は否でも応でも人の死に関わり続けなくてはならない。
義太夫の言葉に込められたその事実に対して又兵衛は何も答えなかった。答えなかったが、又兵衛は義太夫の云った言葉の意味を理解し、それを認めていた。
他の誰でもなく、戦人として生きる事を選択したのは又兵衛自身であり、又兵衛は自分が生き方の自由を選択して生きてきた事を誰よりも強く自覚していた。
「…ところで
この状況とは、天下を揺るがし兼ねない人物と関わる者が住む屋敷に何者かが侵入し、その住人を
「…刺客を差し向けた以上は例の奴がこの家の連中と関わってんのは事実だろうよ。本人諸共に消しちまえって理屈だ」
「うむ。だが、我輩が貴殿に訊きたいのはその事ではない。
「見え透いた世辞は要らねえから率直に云えよ」
「では訊こう。貴殿はこれをどちら側の仕業だと思っておる?」
又兵衛は義太夫の問いに答える前に自身の傍で
数秒間視線を姫子へと送った後で「聴こえてんのか聴こえてねえのか知らねえがな…聞きたくねえなら聞くな。わかったな?」と静かに呟いてから義太夫の方へ視線を戻して答えた。
「…どちら側もクソもねえ。こいつらは間違いなく徳川の連中だよ」
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