第111話「不自由と自由」

「おい、お嬢ちゃん。お嬢ちゃんはこの家の娘の姫子きこで間違いねえな?」


「う……うう……えぐ……ううう……」


 又兵衛は自身が斬った小男の返り血を浴びて全身を真っ赤に染めた娘へ話しかけたが、又兵衛に姫子と呼ばれたその娘は両手で耳を塞いだ状態ままで泣き続けていた。


「ちっ!自分てめえの置かれている状況が変わった事に気付いてねえのか?…まあいい。泣いたところで家族を殺された事実は何一つ変わらねえが今は自由すきにしやがれ」


「ぬはははは。貴殿は相変わらず女の涙には敵わぬ様だのう」


「あ?義太夫ぎだゆう、おめえやっぱ俺様と喧嘩してえんだろ?おめえがその気ならこの場で決着けりつけてやってもいいぞ」


「いや、やめておこう。今の貴殿は相手にしたくはない。それに今のも誉め言葉よ。ものだからのう。そんな事よりも貴殿が我輩を名で呼ぶとはな…いつ以来だ?」


 義太夫は付き合いが長いが故に又兵衛が自身を名で呼んだ事の意味を理解していた。

 又兵衛が普段は名を呼ばない相手に対してその名を呼ぶ行為こと、それはその瞬間の又兵衛の感情が昂っている事を意味していた。その感情は往々にしてである事が多い。そして、この時の又兵衛は激昂していた。

 表情かおにも態度にも言葉遣いにもその感情は殆ど見せていないものの、又兵衛は激しい怒りを抱いていた。無論、それは義太夫に対してではなく、目の前の出来事に対してでもなかった。

 又兵衛がこの時に抱いていた怒りの矛先、それはいつまでも同じ様な悲劇を繰り返すに対してであった。

 戦国という他に類を見ない程の乱世に生をけ、数多の戦場に身を置きながらもそのことごとくで死なずに生き抜いてきた戦人いくさにん後藤ごとう又兵衛またべえ基次もとつぐ


『たった一度の人生、誰よりも熱く、誰よりも激しく生きる』


 これを持論とするこの男は、戦いが戦いを生み、争いが争いを呼ぶ日々の中で躍動し、その裏では常に平和というものの真実ほんとうの意味を探し求めていた。しかし、生まれながらの戦人いくさにんであり、戦場でこそ生を実感出来る又兵衛にその結論こたえなど出る筈がなかった。

 だが、八年前の慶長十一年の事だった。

 又兵衛は長い間仕えていた黒田家を出奔した事により得たの中に身を置き、初めて平和について自分なりの結論こたえを見出だした。

 戦場を生場所いばしょとし、闘争の中に身を置いてこそ自身がきると思って駆け抜けてきた又兵衛が出した平和に対する結論こたえ、それは…


『万人が不自由も自由も自らの意思で選択する権利を持って生き、そして死ぬ』


 それが、生粋の戦人いくさにんである又兵衛が出した平和に対する結論こたえであった。

 戦場で死ぬ自由、戦場で生き抜く不自由。

 又兵衛は自ら望んで戦場へと身を置き、戦の最中さなかで自由と不自由を共に抱き、生と死を実感して生きてきた。しかし、世の中には自由は愚か、不自由ですらも自由に出来ぬ者が多くいた。

 行きたくもない戦場へと駆り出され、死ぬ覚悟もなく殺される者…

 継ぎたくもない家督を継がされ、切りたくもない腹を切らされる者…

 たった一握りの米を奪い合って死ぬ者…

 怨嗟えんさ、生誕、略奪、飢餓、人の世の常として捨て置かれ、決して自由に出来ぬ不自由。

 又兵衛は多くの不自由を捨て置く世の中、不自由を捨て置く人々に対して怒りを抱いていた。


「覚えてねえよ。だが、少なくともあの山小屋で会うまではおめえとは五年は会ってなかった。それからまだ一月ひとつきも経ってねえのにこのだ。俺様もおめえも生きている限りは人の死に関わり続ける宿命の様だな…」


「それもまた我輩と貴殿が選んだ人生みちであろう?」


「………」


 戦人として生きる以上は否でも応でも人の死に関わり続けなくてはならない。

 義太夫の言葉に込められたその事実に対して又兵衛は何も答えなかった。答えなかったが、又兵衛は義太夫の云った言葉の意味を理解し、それを認めていた。

 他の誰でもなく、戦人として生きる事を選択したのは又兵衛自身であり、又兵衛は自分がを選択して生きてきた事を誰よりも強く自覚していた。


「…ところで又兵衛またべえよ。貴殿はこの状況をどうる?」


 この状況とは、天下を揺るがし兼ねない人物と関わる者が住む屋敷に何者かが侵入し、その住人をみなごろしにしようとした事である。


「…刺客を差し向けた以上は例の奴がこの家の連中と関わってんのは事実だろうよ。本人諸共に消しちまえって理屈だ」


「うむ。だが、我輩が貴殿に訊きたいのはその事ではない。又兵衛またべえよ、貴殿は我輩よりも知略に長けておる」


「見え透いた世辞は要らねえから率直に云えよ」


「では訊こう。貴殿はこれをの仕業だと思っておる?」


 又兵衛は義太夫の問いに答える前に自身の傍でひざまずいて泣き続ける姫子を視た。

 数秒間視線を姫子へと送った後で「聴こえてんのか聴こえてねえのか知らねえがな…聞きたくねえなら聞くな。わかったな?」と静かに呟いてから義太夫の方へ視線を戻して答えた。


「…どちら側もクソもねえ。こいつらは間違いなく徳川の連中だよ」

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