第114話「死衆と死神」

「そんな事までして天下を欲したというのか家康あの男は!!!」


「あんまでけえ声出すな。お嬢ちゃんが気絶したらどうすんだ?」


又兵衛またべえよ!我輩は我慢ならぬのだ!子とは供える存在ものではない!であろう!子を持てなかった我輩とて知っておる!ぬおおおお!家康いえやすよ!次にあいまみえたならば必ず我輩が斬ってくれようぞ!!」


 義太夫は死衆の秘密に触れて家康への怒りを隠せず、心魂こころに抱いた憤怒を言葉として吐き出した。


「……又兵衛またべえさん、あなたはなぜそんなに詳しいのですか?」


「………」


 姫子の言葉に又兵衛は押し黙った。


又兵衛またべえさん?どうか致しましたか?」


 姫子は心配そうに又兵衛を視た。

 その姫子の飾らぬ優しさに又兵衛は意を決した様に口開いた。


「実はな…俺様もガキの頃に一度さらわれた事があるんだよ」


「なにっ!?」


「あなたが!?」


「待て又兵衛またべえ。後藤家の跡継ぎであるお主が何故かどわかされたのだ?容易ではなかろう」


「ガキの頃の話だ。詳しくは覚えてねえよ。だが、俺様に残る朧気な記憶の中でこれだけははっきりと覚えてるぜ。さらわれた先で見た地獄絵図と俺様を含めた大勢のガキを救い出してくれたをな」


「地獄……!!」


 姫子は地獄と聞いて息を呑んだ。たった半日前に自身に降りかかった悲劇、姫子にはその経験こそが地獄だが、目の前にいる又兵衛という男が語る地獄が果たしてどの様なものなのか、姫子には想像もつかなかった。

 又兵衛ほどの強者つわものが地獄絵図という言葉を選んだ意味、それは常人の描く地獄絵図よりも遥かに重い。常人の想像を越えた地獄がそこにあったのである。


「地獄絵図か…それはそうと、救い出した影とはどういう事だ?姿は視なかったのか?」


「視なかったんじゃねえ、視えなかったんだよ。はや過ぎてな…この年齢としになっても未だにその影より疾くてつええ奴は視たことねえよ。現在いまの俺様でもまともにやりゃあ一瞬のうちにられるだろうな」


「ほう、それほどの力量うでを持つ強者もののふがいるというのか?」


「ああ。その影の奴がどっかに仕える侍なのか単なる武芸者なのか、その正体は一切知らねえが、ガキだった俺様はその影の様になりたくて強くなろうとした。だが、到底及ばねえよ。戦云々ではない単純な武であの影に匹敵するとすりゃあ、立花たちばな甚五郎じんごろう。あとは…」


立花たちばな慶一郎けいいちろう。…であろう?」


「ふっ…」


 義太夫が割って入ったが、又兵衛は否定も肯定もせずにただ笑った。

 笑った後で瞼を閉じ、僅かに間を置いてから又兵衛は再び口を開いた。


「とにかく、俺様は影に救われた。それからどう帰ったかの記憶はねえが気づいたら家で寝てた。官兵衛かんべえさんが云うにはその影がいなけりゃ俺様は死衆にされていたんだとよ。尤も、官兵衛かんべえさんが死衆の存在を知ったのはその時に俺様と大勢のガキを助けた影が…そいつは空身うつせみと名乗ったらしいが。その空身うつせみって奴が俺様を官兵衛かんべえさんの下へ送り届けてくれた時だと云っていたがな」


空身うつせみだと!?」


 思わぬ人物の名が出た事に義太夫は驚いた。

 空身うつせみとは、喜助きすけの育ての親であるうつろの事であり、義太夫はかつて一度だけ空身と名乗っていた頃の空と戦って負けている。


義太夫ぎだゆう…おめえ、なんか知ってんな?知ってんなら聞かせろや」


「なあに、空身うつせみについてはお主もよく知っておるわ。会ったことはなくともな」


「なに?俺様も知っているだと…おめえそりゃあ真実ほんとうだろうな?」


「無論。空身うつせみとは我輩に敗北を教えた男…お主の云う白い死神の事だからな」


「なにっ!?あの白い死神と俺様を助けた影が同一おなじ人物やつだと!?…そんな筈は……いや、確かにな。過去むかしのおめえが白い死神に会って手も足も出せずに負けたと聞いた時にゃ信じらんなかったが…アレが相手ならおめえじゃ手も足も出ねえわけだ」


「むはは!云ってくれる。だが、我輩と死合しあった時の彼奴あやつはとても人助けをする人間とは思えなかったが…」


 義太夫の云った通りである。

 空身と名乗っていた頃の空は空虚のただなかにあり、常に闘争を求めて殺死合ころしあい生甲斐いきがいとしながらあらゆる戦場に乱入しては強者を相手取り、その末に自身が殺される事を至高として生きていた。

 だが、そんな空虚の只中にいた頃の空にも一つだけ目的があった。

 それは…


官兵衛かんべえさんが云うには…空身うつせみには人助けなんてする気はなかったみてえだぜ」


「ではなぜだ?」


空身うつせみは死衆の情報が欲しくて独自の情報網を持ち、知略に長けた官兵衛かんべえさんに会いに来たらしい。その口実…つーより、交渉材料として俺様を使ったんだよ。どこでどう知ったのか、空身うつせみは俺様が黒田家の家臣である後藤家の跡取りだって事を知っていたみてえだ」


「なるほど。官兵衛かんべえ殿に会って情報を引き出す為の道具として家臣の子であるお主を助けたのだな」


「そんなとこだろうな。だが、空身うつせみの求める情報は官兵衛かんべえさんは持ってなかった。それどころか逆に死衆の存在について聞かされたんだとよ。そして、空身うつせみは帰り際に自身の目的を語ったらしい」


「目的?死神に目的が在ったというのか?」


「らしいな。その目的とはだとよ。それをする過程でたまたま俺様や他のガキ共を助ける結果になり、ついでに俺様を使ったっつーわけだ。尤も、これは全て官兵衛かんべえさんに聞いた話だがな。だが俺様はその話を聞かされた時に思い出したよ。あの時、空身うつせみに殺された連中は大人ばかりじゃねえってな…」


「むう…その場で刃向かった者は子供であろうともみなごろし、というわけか」


 これもまた義太夫の云った通りであった。

 空身は又兵衛が居たその場で少なくとも数十人の子供を殺している。その子供達は皆が死衆としてを知らず、肉体からだは成長過程であっても精神こころは既に一介の死衆となっていた者達である。

 子供達を含めて空身はその場で百十余名を殺し、結果として又兵衛を含めた三十余名の子供達を救っている。


「だろうな……空身うつせみがどんな理由で死衆を根絶やしにしようとしたかは知らねえが、こうして未だに死衆が存在しているのに白い死神の噂は消えてから久しい。恐らく目的みち半ばで死んだんだろうよ」


「いや、空身うつせみは生きておるぞ」


「は?なにバカなこと云ってんだ?この俺様ですら少なくとも二十年以上は空身やつの情報を得られてねえんだぞ。それに生きてるなら関ケ原に乱入しねえ筈がねえ。存外早く終わっちまったが、関ケ原はおめえが空身やつに負けた小田原の大戦と同等の規模だったんだぞ。絶好のじゃねえか」


 死神しにがみ日和びより…これは又兵衛の造語であり、その意味は死神に逢える確率が高い日、即ち人が死ぬ可能性が高い戦が起きる日である。

 人が死ぬ所には闘争があり、闘争がある所には白い死神が現れる。

 又兵衛自身は過去一度も対峙した事がないが、又兵衛の云う死神日和となった戦、即ち多数の死者を出した戦に空身は単独ひとりで第三勢力を為して参戦し、多くの強者をその手でほふっていた。

 それは、小田原征伐の様に大きな戦に限った話ではない…規模の大小を問わず歴史に刻まれた戦の多くに空身は参戦し、敵味方の区別は一切なく、自身へと向かってくる全ての者と闘争を行った。その凄まじさから空身の闘争は戦場であっても許されぬ殺戮行為だと云う者もいた。戦場で空身と出逢い、闘争を行った末に死んだ者達のほぼ全てが自ら選択して空身へいどんだ者であったが、生者の多くは空身へ挑んだ死者の想いなど一片も推し測らず、死者を生み出した空身を憎む者も多くいた。

 だが、無数の死者を生み出した空身の行為の結果として救われた生者も多くいた。

 そして、いつの頃からか空身は、僅かながらに情報を得た者達の語る身形の特徴と、その闘争の凄まじさに対する恐怖と畏怖が混じり合った白い死神という名で呼ばれ始めた。


「死神日和とは奇妙な物云いをする。関ケ原に空身うつせみがいたかどうかは知らぬが、少なくとも現時点から遡って数カ月前までは生きておったのは間違いない」


「やけに自身があるみてえだが、その情報は確実たしかなんだろうな?空言でまかせだったら殴るくれえじゃ済まさねえぞ」


「無論だ。お主は知らぬ様だが喜助きすけは…」


「フフフ…そこのお二人さん。何やらたのしそうに話しているみたいだけど、ボクがならキミ達二人はもう殺されてるンだよ?」


「なにっ!?」


「むうッ!!?」


 又兵衛と義太夫、二人の会話に突然割って入った者がいた。

 その瞬間ときの二人とその者との距離は畳一畳に満たない程に近く、それはまさしく、その気であれば殺せる必殺の間合まあいであった。

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