第94話「三代目服部半蔵」

 水戸での一件から数日後、駿府城内───


大御所おおごしょ様、只今戻りました」


「うむ。して、首尾は?」


「上々にございます。例の男は徳川の名を騙った奸賊かんぞくとして数日中に処刑され、徳川の名は更なる権力ちからを持つことでしょう。しかしながら予定外の出来事が二つ起きました。一つは例の男の素顔を多くの人間に視られてしまった事、もう一つは水戸の地下にある阿片あへん製造所の閉鎖です」


「そんなことは捨て置け。阿片あへん製造所は既にこの駿府、そして尾張にもある。奴の顔に至っては顔を視られたところで奴の正体に気がつく者が現在いまの水戸にいるとも思えん。何せ奴は人間なのだからな。それより半蔵はんぞう、報告はそれだけか?」


「はっ!口頭では重要事項のみを報告せよとの仰せに従い水戸の情勢や民の様子などの仔細は書状にしたためて持って参りました!」


「いや、この件の書状はいらん。お前が言葉で伝える必要がないと判断したのであればそれでよい。…下がれ」


「御意!」


 半蔵は自身が目の当たりにした水戸藩の情勢を家康に報告して下がった。だが、半蔵の口から水戸にいた筈の立花たちばな慶一郎けいいちろうの名が語られることはなかった。

 家康への報告を終えた半蔵は報告を行った部屋から離れた後で独り言を呟いていた。


「あのおっさん、全く衰えてないというか、ボクのことすらも信用していないんだなあ。せっかく従順なふりしてやってんのに。ボクがけいちゃんと水戸で逢ったことも知ってて何も云わないみたいだし。徳川とくがわ家康いえやす、天下を盗んだ古狸…本当に喰えない男だよ、ね!っと。フフ、掴まえた……」


「ア…!!」


「グ…!!」


 半蔵は不意に後ろへと跳ぶと二人の男の顔面を手で掴んだ。


「なあ?オマエらだろ?ボクのことおっさんに告げ口したのはさ?知ってんだよ。オマエらさ、水戸に居ただろ?先代半蔵おやじの側近だかなんだか知らないけど、ボクの邪魔すんならさ…死ねよ」


 骨の砕ける音が微かに響いたが、二人の男は声を出す間もなく死んだ。否、殺された。後に発見されたその死屍しかばねは脳天を完全に潰されていたという…

 殺されたこの二人は喜助が追っていた役人であり、半蔵よりも先に水戸へ入り込んでいた徳川の密偵であった。

 水戸へ入り込んだ密偵は三人いた。

 三人目の密偵は慶一郎達が水戸入りした初日に処刑されたあの農夫であり、一連の騒ぎは密偵三人による狂言であった。三人目の男は死を以て藩主代理の圧政の悲惨さを知らしめる役となり、残りの二人は半蔵が水戸藩家老の中山なかやま佐助さすけ信吉のぶよしへと書状を届けられなかった場合に半蔵に代わって書状を届ける役を担っていた。

 しかし、密偵の二人にとって予定外の人物が水戸へ現れた。それはまさしく慶一郎である。

 慶一郎が現れたことにより二人の任務には半蔵の行動を監視する事も追加され、水戸での半蔵の行動は半蔵が家康に謁見して水戸の一件を報告するよりも一足先に全て家康の耳に入っていた。


「んん…ペッ…不味い血だな。こんな不味いんじゃ肉は喰う気にもなれないや。フフ、けいちゃんの血は美味しそうだなあ…あの子からは修羅の匂いがする…修羅の血が流れている…きっと血も肉も他の人間とは違う味がするんだろうね…早く逢いたいなあ…ボク達の出逢いは運命だよね、けいちゃん……」


 三代目服部はっとり半蔵はんぞう、この者こそ慶一郎が水戸の地下で出逢った音を纏わぬ者、長坂ながさか姫路ひめじであった。


「鬼の子と呼ばれたボクと修羅の血が流れるけいちゃん、鬼が修羅を喰うか、修羅が鬼を喰うか…或いはどちらも羅刹になって全てを喰うか…ボクとキミにとって殺死合ころしあいは愛情表現…そうだよね、けいちゃん…絶対にあんなおっさんなんかに邪魔はさせないから安心してね……」


 黒闇くらやみを照らす月が姫路の血塗られた手と瞳を鈍く光らせていた。

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