第68話「義太夫の想い」

 悪党に襲われた村での一件から数刻後。

 慶一郎けいいちろう喜助きすけ義太夫ぎだゆうと共に村を離れ、水戸藩に程近い宿場町にある呑み屋にいた。


「…そうか。あれ程の実力者が負けたのか。俄には信じられんな」


「俺もだ。片腕でさえ圧倒的な強さなのに両腕が健在だった頃に負けたなんて信じられねえよ。だが、腕を無くしたのが負けた証なんだとよ」


「む…しかし、奴は生き残ったのだな?」


「ああ。義太夫ぎだゆうのおっさんや慶一郎けいいちろうにとって死合しあいで負けたのに生き残るのは道理に合わねえのかも知れねえが、そのお陰でうつろ様の生き方が変わって俺は拾って貰えた。そう考えれば負けても生き残るってのは悪くはねえと俺は思う。おう、そうだ!義太夫ぎだゆうのおっさんも今度暇があったらうつろ様に会ってこいよ。俺が手紙書くからよ」


「むははは!死神になさけを掛けられた我輩には死神をやめたあの男に会う資格はないわ。会えば奴も過去むかしのことを思い出してしまうだろうしな。だが、その代わりに奴の息子である貴殿とこうして話しておる。我輩にはそれだけで十分よ。それに奴と対峙した立花たちばな殿の変化を思えば現在いまの奴の実力ちからも器の大きさもわかるというもの。真の強者もののふ強者きょうしゃと巡り逢う程に強くなるが、元より強かった立花たちばな殿がたった一月ひとつきかそこらでさらに強くなれたのも強者との出逢いの賜物たまものよ。…過去むかしの我輩も奴と出逢って変わったが、それは悪い変化だったわ。むははは。だが!その我輩を再び変えたのは立花たちばな殿、貴殿のお陰よ」


「…もしも私との出逢いで義太夫ぎだゆう殿が変わったのであれば、それは私ではなくうしお殿のお陰です。私達の出逢いはうしお殿がなければり得なかった」


 義太夫は嘗ての空、即ち空身うつせみと死合をして負けていた。その結末は武士にとって屈辱となる結末であった。死合である以上、義太夫は負ければ当然死ぬものと承知していた。だが、空身は当時死神と呼ばれていながらも義太夫を殺さずに生かしたのである。

 その理由をわからぬままに義太夫は屈辱に身を裂かれながらも生を得た。

 しかし、その負けは義太夫の肉体ではなく心魂こころに跡を残した。

 当時の義太夫にとって自らの武は生様いきざまであり、自分自身が誰よりも強いと確信しんじていた。だが、その自信と生様はたった一度負けたことで打ち砕かれた。

 さらに、情を掛けられ、武士にとって誇り高い死様しにざまとなる戦闘による死をも奪われた義太夫は、生恥いきはじを死でそそぐ行為となる自決することすらも恥であると感じ、武士をやめて権力者の欲望が渦巻く京都の侠客となった。

 侍として仕えていた頃の人脈と剣の力量うでは瞬く間に義太夫に一大勢力をもたらしたが、その心には空虚むなしさだけが募った。

 そして、義太夫はあの日、慶一郎と出逢った事で再び心に光が射し、それまで積み上げた侠客としての地位を捨てて仕官先を探す牢人となった。

 空虚に包まれた義太夫を変えたその出逢いはまさしくうしおによってもたらされたものだった。


「おお、それもそうだ!うしおがいなければ我輩は破落戸の長のままであったわ!立花たちばな殿、うしおの奴はどうしておる?子細は聞いておらんが貴殿の後を追って京を出たきり会っておらんのだ。まあ我輩も京を出て彷徨うろついている以上はそうそう会えるもんでもないがな」


「…うしお殿は死にました」


 慶一郎のその言葉によってその場の空気が緊張に包まれた。

 その原因は義太夫である。

 潮の死という言葉は義太夫にとって聞きたくない言葉であり、信じることの出来ない言葉だった。


「……もう一度、聞かせてもらおう。うしおの奴はにしておるか?」


うしお殿は死にました。六月二日の事です」


「貴様!!我輩を謀るつもりか!?」


 義太夫は慶一郎に怒りを向けた。それは怒りというよりは憤りに近かった。

 胸に抱いたやり場のない想いが義太夫を怒鳴らせていた。


義太夫ぎだゆうのおっさん、少し落ち着けよ。周りに他の客もいるんだからよ」


「黙れ小僧!我輩はこの男と話しておる!事もあろうにうしおが死んだなどと宣うこの男と話しておるのだ!訂正せよ立花たちばなうしおの奴は我輩が殺さぬ限り死ぬわけがなかろう!!」


「おっさん……」


 喜助きすけはそれ以上義太夫を止められなかった。その理由は義太夫ぎだゆうの頬を伝う涙だった。

 その涙はまさしく潮の死を事実と理解した証であり、理解した上で信じたくないという熱い涙だった。

 義太夫は理解わかっていた。慶一郎が偽りや主観を一切交えずに事実だけを伝えていることを…

 だが、義太夫はそれを認めたくなかった。


義太夫ぎだゆう殿、これは事実です。うしお殿は死にました。あの方は信ずるものを貫き、義に殉じました」


 慶一郎は一度もとは云わなかった。

 亡くなるとは遠回しな言い方であると共に無くなる事を思わせる言葉である。


『死とは事ではない。死とは生をである』


 慶一郎は自らが関わってきた者達の死からそう感じ始めていた。

 父である甚五郎じんごろうは自身を生かすために死に、うしお信繁のぶしげを生かすために死んだ。

 それだけではない。

 僧祈そうぎ那由多なゆた早雪さゆきのために、その僧祈や那由多の生命いのちを奪った山賊達でさえも最期は未来へ希望を遺すために慶一郎に豊臣家の内情を打ち明けて死んだ。

 死とは生きた証として何かを遺すもの。そう感じたからこそ慶一郎は亡くなったとは云わなかった。潮の死、即ち潮の生を濁したくなかった。


「貴様まだ云うか!!表で出よ!!武器を持って我輩に付いて参れ!!貴様のその性根叩き直してやる!!」


「おっさんやめろって!それはさすがに…くっ!?け、慶一郎けいいちろう!?お前…!?ま、待てよ!お前らが殺り合う理由なんてどこにあるんだよ!くそ!」


 義太夫の言葉に対し、慶一郎は荷物の中に隠しておいた刀を手にして席を立った。

 小太刀を背負った義太夫と刀を手にした慶一郎、無言のまま店を出る二人がまとう気はまさしく真剣そのものだった。

 そして、喜助きすけは店主に荷物を任せると慶一郎と同様に荷物の中へ隠しておいた弓と一束の矢が詰められたえびらを背負って二人の後を追った。

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