第58話「夢」

 うしおが死んだ日、医者の治療を受けている途中で信繁は意識を失った。

 そして、信繁は失った意識の中で、潮を連れ帰った運命の日と潮の名が決まったあの日の夢を見た。それだけではなく、信繁は夢の中で潮の生様いきざまを振り返るように、自身の記憶に残る潮の姿を夢に見ていた。


 天正十七年某月某日───


 この日、真田領内に家長である昌幸まさゆき、嫡男の信幸のぶゆき、次男の信繁のぶしげの三者が一堂に介していた。

 場所は昌幸が指定した山中の小屋である。

 この小屋は昌幸が極秘の会談を行うために用意した小屋であり、人里離れた山中であるが故に他者の目や耳が届かないことが最大の利点だった。

 小屋の中央にある囲炉裏を囲むようにしてに昌幸、信幸、信繁が座り、囲炉裏から少しだけ離れた土間に真田の血を継いでいない男が立っていた。その男はうしおだった。

 この場に同席していた真田の父子以外の人間は潮ただ一人であった。


「ぷはぁー、んまいのう」


 昌幸は手にしていた徳利にそのまま口をつけて酒を呑み干すと、潮にもう一つ出すように視線を送った。


「父上、お話とは何のことでしょう?」


「まあ、そうく出ない。ほれ、お前もやらんか源二郎げんじろう


「いえ、先にお話を。私はまだ酒に慣れていないため、呑むと記憶が曖昧になることがあるので」


 昌幸は信繁に酒を呑むように促したが、信繁はそれを断った。


「む…ならば話そう。うしお、お前もこっちへ来い」


「…仕える立場である私がそこに座るわけには参りません」


「何を云う、お前もわしらのじゃ。家族が共に飯を喰らって何が悪い。ここには他に誰もいないのだ、気にせずこっちへ来て座らんか」


 昌幸がそう云うと信幸と信繁もまた潮に来るように促した。

 潮は信繁にとって無二の友であるが、昌幸や信幸にとっては家族に等しく、昌幸は潮を真田家の家臣ではなく家族としてこの場に同席させていた。


「お心遣い、恐悦至極に存じます」


 潮は深々と頭を下げると指示された通りに座った。


「あまり堅くなるな。…まあよい。さて、何の話からするか…源二郎げんじろう、お前は悪い事と喜ばしい事ならばどちらを先に聞きたい?」


「どの道どちら共に聞くのであるならば前後は関係ないかと」


「む…ならば源三郎げんざぶろう、例の件を聞かせてやるがいい」


「はっ!」


 昌幸の言葉を受けた信幸は自身に申し込まれている縁談の話をした。

 その縁談は、真田家とは長年に渡る遺恨がある徳川家の当主である徳川とくがわ家康いえやすから申し込まれたものであった。

 縁談の相手は徳川家の根幹を支える猛将、本多ほんだ忠勝ただかつの娘、小松こまつ殿である。家康は信幸との縁談のために小松殿を養女にしたとも云われている。


「あの忠勝ただかつ殿のを養女にして縁談を申し込んでくるとは…となると徳川とくがわ殿とは此度の件を機に本格的に和睦ということですか?」


「それはまだわからんな。彼奴あやつと我らは三年前までは敵同士。秀吉さる殿によって我らは主従扱いとなったが、彼奴にとっては真田われらは未だに目の上のこぶでしかないだろう」


「父よ、秀吉ひでよし公を猿と呼ぶのはこの場でのみにしてください。それと、徳川とくがわ殿は父が云う程のひねくれ者とは限りませぬ」


「わかっとるわかっとる。源三郎げんざぶろう、お前は相変わらず真面目だのう。…して、源二郎げんじろうよ。わしと源三郎げんざぶろうはこの縁談を承けようと思っておるのだが、お主はどう考える?」


真田われら徳川とくがわ殿との関係でしょうか?それならば…」


「そうではない、真田われらの話じゃ。お主は真田の未来これからをどう考えておる?」


「それは…」


 昌幸は信繁の言葉を遮ると再び訊いた。多くを語らない端的な言葉だったが、その言葉は信繁の資質を推し量ろうとしている言葉であった。

 昌幸はこう云っていた。


『縁談を承ければ源三郎げんざぶろうは名実共に徳川の家臣となる故、次兄のお前が真田の実質的な跡継ぎとなる。跡継ぎとして真田をどうするつもりだ?』


 このことは信繁も気がついていた。それ故に信繁はすぐには答えられなかった。


「ふっ、やはり沈黙か。まあいい。…ところでうしお、お前の夢はまだ変わってないか?」


 そう云ったのは信繁の兄で真田の本来の跡継ぎである信幸だった。

 信幸から話を振られた潮は信幸の方を向いて畏まると口を開いた。


「はい、不変でございます。…と、申したいのですが……源三郎げんざぶろう様、私の夢は少し変わりました。以前の私の夢は私のような身の上の子供が生まれぬ世をこの手で創ることでした。ですが現在は、ことこそが私の夢です」


 潮は真っ直ぐな眼差しを信幸に送り、はっきりとそう云った。


「いい答えだ。聞いたか源二郎げんじろう。お前も立場に囚われず、現状を受け入れろ。自分自身と向き合え。確かに俺はこの縁談が成立すれば徳川の人間になる。しかし、真田を名乗る以上は真田を捨てるわけではない。つまりはお前が俺の弟であり俺がお前の兄であることも変わらない。無論、うしおや他の皆もだ。俺が縁談を承けようとも今までの真田での関係は消えはしない。だからこそ俺も父もこの縁談を承けることを決断きめたのだ。己に自信を持て、源二郎げんじろう。そして、うしおのように自分自身がどうしたいか、その想いを云えばいい。今はそれだけでいい」


 それは、兄として弟を想う言葉であり、独りの男として弟を男であると認めている言葉だった。

 信幸の放った言葉と潮が語った夢の話は信繁の背中を押すには十分だった。


「兄上………私の胸中にある真田の未来これからをお聞かせします。私は真田の繁栄よりもまず第一に人々の安寧を望んでおります。それにより例え真田が衰退しても人々が幸福しあわせであればそれも悪くないと思います。…ただ、真田が衰退したことで人々が不幸福ふしあわせになる、あるいは現在いまある真田の権力ちからでは及ばぬことにより人々が虐げられているのであれば…私はこの世の中を壊す覚悟で戦います!平和な世の中ではなく、人々が平和を抱いて暮らせる世の中を創るために!…これが私の想いです」


 信繁のこの言葉、それはまさしく信繁にとってのであった。

 平和な世の中に人々が暮らすのではなく、人々が平和を抱いて暮らしているからこその平和である。そんなへの願いこそが信繁の戦う理由であり、戦いの先に想い描く夢であった。

 この時点で信繁は未だにおもだった戦への参陣は果たしていなかった。しかし、この時の会談がきっかけとなり、昌幸は信繁を一介の男として扱い、この翌年には名こそ売れないものの大きな戦への参陣を果たすことになった。

 その戦は豊臣政権総掛かりによる小田原征伐である。

 俗に北条攻めとも云われるこの戦で動いた豊臣と北条の両軍の軍事力の総規模は、大戦の代名詞である関ケ原の合戦よりも遥かに大きく、戦国史上最大規模の大戦であった。

 この戦は北条の頼みの綱であった徳川家と伊達家、両家の豊臣方への参陣により、豊臣の圧倒的勝利で幕を下ろす。

 この勝利によって豊臣家に逆らう大名は居なくなり、豊臣とよとみ秀吉ひでよしによる天下統一が成ったと云われている。

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