第47話「想定外」

「くうっ!!……っ!?」


 慶一郎けいいちろうは男の横一閃の薙ぎ払いを抜いた刀で受け止めたが、男が両手もろてで渾身の力を込めて放ったその一撃はあまりにも重かった。

 受け止めたかに見えた慶一郎の身体からだは、力任せに刀を振り抜いた男の剣を受け止め切れずに勢いよく弾き飛ばされ、慶一郎は三間程離れた竹藪に叩きつけられた。


「う………かはっ…!!」


(この男、なんて馬鹿力だ…単に膂力ちからひいでているだけじゃない。踏み込みによる勢いやかいなぢからによる力の流れをこれだけ剣に伝えられるのは剣術がすぐれている証…これ程のごうけんの使い手がいるとは想定外だ。…いや、そうじゃない。父上やうつろ殿ならこの豪剣も想定してさばいていた筈だ。この豪剣は想定外じゃない。この豪剣を予測出来なかった私が未熟あまいだけだ……)


 


 想定外という状況は、あくまでも想定した者の予測が足りなかっただけであり、その者が未熟であることの証である。

 特に、死合しあいに於いては常に想定外を想定し、自身に不都合な事が起きたとしても対処出来るようにしておかなければならない。

 自身に都合のよい展開を想定おもい描いていては不都合には対処出来ない。死合の最中さなかで不都合に対処出来なければ、それは即ちその者の死を意味する。

 慶一郎はそれを知っていた。それをわかっていた。

 しかし、男の剣は慶一郎が想定していた想定外を上回った。

 男の放った一撃はそれ程に重く、慶一郎にとって未知の領域であった。


(男とはいえ私と大差ない体躯からだでこれ程の豪剣を使うとは…この男、只者ではないな)


 男は身の丈五尺三寸程の慶一郎と変わらぬ体躯でありながら、慶一郎がかつて体験したことのない程に凄まじい豪剣の使い手だった。


「悪いな。力を込め過ぎたか?」


 男は弾き飛んだ慶一郎に追撃を仕掛ける素振りもなく、その場で立ったまま不敵に笑いながらそう云った。

 それは、明らかに慶一郎を挑発していた。


「ふふ…確かに今の一撃は重かった。跳ばなければまともに喰らうか、受け止めた左腕と肋骨辺りが折れていただろう」


 慶一郎は男の追撃を警戒しながら体勢を整ると、男の笑みに応える様に微笑みながらそう云った。

 跳ばなければ…

 慶一郎は男により無理矢理弾き飛ばされたのではなかった。男の放った一撃を受けた瞬間、慶一郎はそれを受け止めることも受け流すことも不可能と判断し、力の奔流に無理に逆らわず、自身も力の流れる方向へと跳んでいたのである。

 受けた剣の力の流れと同方向へ跳んだ事により慶一郎の身体は勢いよく弾き飛ばされたが、剣に込められた力の流れを直接受けなかったため、身体へ加わる衝撃を緩和することが出来ていた。

 それは、慶一郎にとっては不本意とも云える受け流しの手段だった。

 本来、慶一郎が相手の攻撃を刀で受ける際には、自分と相手の身体の位置関係、相手が扱う武器の形状かたち、攻撃の角度などから力の流れを感じ取り、自らが握る刀を、指、てのひら、手首、肘、肩、背中、足腰に至るまで全身を使って操り、刀と身体の扱い方で相手の放つ攻撃を受け流すことが出来ていた。

 しかし、男の放った一撃はそれをさせなかった。


「派手にぶっ飛んでおいてときたか。その生意気な口振りはもしや親譲りか?それとも親に言葉遣いを教えてもらっていないのか?」


「…さあな。とりあえず今は、若さ故にとでも云っておこう。私は少なくともお前より二十は若いだろうから口が悪くても大目に見てくれ」


「若さとは云ってくれる。しかし、その若さが仇となったな。俺は実年齢ほど年老いてはおらん」


「確かにその馬鹿力からして若々しいな。見た目のわりには重い一撃で驚いた。だが、その重さもわかった。次からは不意打ちであっても受け切れる」


「ほう、次からは受け切れるとは大きく出たな。いや、それよりも…まるで今のは不意打ちではなかったという様な云い方だな」


「当たり前だ。私は不意を突かれたわけではないからな」


(そう、不意打ちではない…私はわかっていた。動き出しも横薙ぎも読めていた。ただ私が未熟あまかっただけのこと……)


 慶一郎は男が仕掛けてくること、それが横薙ぎであることを予測出来ていた。予測出来ていたが、仕掛けられたその一撃は慶一郎の予測を上回る一撃だった。

 男の動きを意図していたという意味では慶一郎は不意打ちをされたわけではなく、単に先手を取られただけなのである。

 慶一郎は自身の未熟さが想定外を生じさせ、それにより男の剣を捌くことが出来なかった事実を認めていた。そして、その事実を認識したことにより、慶一郎は次からどうすればいいかを既にわかっていた。

 自身の足りないところを認める潔さと判断の速さ、それは慶一郎の強さを支えるには欠かせない要因ものだった。

 立花たちばな慶一郎けいいちろうというは、立花たちばなけいというである。

 女であるが故の必然として、単純な力は男には及ばない。

 これは、慶一郎自身も否定することが出来ない事実である。だが、この男に出逢うまでの数多の死合と立合たちあいの中で、慶一郎が力により男に押し切られた経験は一度たりとも無かった。筋力という意味での力では自身より優れている男に対し、慶一郎は今まで真正面から渡り合えていた。

 それを可能にしていた要因は、これまで重ねた努力によって得た技術と生きて培った感覚である。

 研ぎ澄まされた読みの正確さ。圧倒的な見切りのはやさ。意思気いしきと力の流れを感じる感覚の鋭さ。そして、他の追随を許さぬ程の高い剣技と一切無駄のない身体の扱い方。

 それら以外にも様々な要因を一つのに昇華させることで、慶一郎は女でありながらも男よりも強い力を剣に伝え、真正面から渡り合えていた。

 しかし、目の前にいるその男はそれらの要因にほんの僅かなを生じさせ、慶一郎の武にひずみを与えた。

 その歪みは、慶一郎が自覚していた自身の想定の未熟あまさや男の体躯に似合わぬ力の強さが原因で発生したのではなく、男が放つ奇妙な気の流れと異質な気配、男の持つに由来していたことに慶一郎は気がついていなかった。

 男の持つ存在感は、慶一郎自身も全く気づかない程度に慶一郎の心を乱した。それにより慶一郎は実力を発揮出来ず、男の一撃を受け切れずに不本意な結果になった。

 しかし、その受け切れなかった一撃目で男の実力を体感した慶一郎は、以降の男の剣を受け切る自信と確かな手応えがあった。不本意な結果であれど最善を尽くした先の二撃目の凌ぎ方を見出みいだしていた。


『死合はいつでもたったしかない』


 慶一郎は常に覚悟していた。だからこそ一撃目を思う様に捌くことが出来なくとも、最善を尽くしてしのぎ切った。

 死合に二度目はないが、死なない限り一度目が続く…

 死合とは、そういうものである。

 男の一撃目を凌いだ慶一郎は、二撃目以降の男の剣をその場で受け流すことが可能だと判断し、次からは受け切れると云っていた。その言葉は虚勢はったり空言でまかせではなく、自分自身を見つめ、相手の実力を認めた上での確信にも似た宣言だった。

 その上で慶一郎は男に対して挑発的な態度を示していた。

 男が慶一郎に対してそうしている様に、慶一郎も男に対して挑発を繰り返していた。

 それは、互いに刀を抜く前から始まっていた精神面での主導権争いだった。

 この時、慶一郎は自分自身でも気づかぬうちに男と会話をすることを楽しんでいた。それと同時に慶一郎は会話をすることで時間を稼いでいた。

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