第34話「合図」

「へっ!出てきやがったな、クソガキ共。俺の留守の間に好き放題やりやがって」


 外へ出た慶一郎けいいちろう達の前には三十人余の男達が半円を描くようにして並び、慶一郎達を取り囲んでいた。取り囲む男達と慶一郎達との距離はおよそ十歩。

 そして、その男達より三歩程前に出た位置の家の正面には頭目と思われる男が立っていた。


(一、二、三、四……火縄を持つ者は左右に三人ずつの計六人、弓を持つ者は正面に四人と左右に二人ずつの計八人。射手は合計十四人か…正面に立つ頭目と思われる男の奥にいる四人は無理だが、左右にいる五人はこの距離なら鬼助きすけ殿と早雪さゆき殿も左右どちらか一方ならば恐らく問題はない。残るは正面の四人か…)


 慶一郎は外に出るとすぐに飛び道具を持った射手の数と位置を確認し、どうすればその包囲を崩せるか思案していた。

 数が多くいても慶一郎にとって彼らは大した相手ではなく、早雪や鬼助にとっても飛び道具を持つ者達に囲まれていなければ負ける相手ではない。

 この時、慶一郎は自らが包囲網の左右のどちらか一方を崩し、その逆側を早雪と鬼助が担ったとして、残される正面の射手をどうするか、それを考えていた。

 無論、左右と正面には射手以外にも刀や槍を持つ男達が合計十五人以上いたが、それは慶一郎達と対峙する男達との実力差を考えたら問題となる数ではなかった。

 この包囲網を破る上で問題となるのは飛び道具を持つ火縄と弓の射手であり、特に厄介な火縄を持つ者がいる左右の包囲を優先的に崩したとして、その後にも正面には四人の弓の射手が残る。

 この事を考えた時、慶一郎は早雪が怪我をしていることが気掛かりだった。


早雪さゆき殿は怪我をしている。正面の射手が全て早雪さゆき殿を標的にした場合、その状態で矢を避けられるだろうか?鬼助きすけ殿はこの距離で放たれる四本の矢を防げるだろうか?…先に少してみるか?いや、こいつらはその辺にいる破落戸ごろつきとは違い元武士。死ぬ覚悟が出来ている。いや、恐らくはとなっている覚悟。脅しは効かないだろう…ともすれば、頭目を斬るか?いや、それで周囲の奴らの動揺を誘えなければ火縄と弓の射手が全て残る。そうなると火縄と弓、計十四人の一斉射撃…放たれるのが矢だけならともかく、火縄が同時に六発…全てさばけるか?いや、射手が私を狙ってくれるとは限らない。もし射手が二人を狙った場合、早雪さゆき殿は愚か鬼助きすけ殿も無事ではすまない…)


 脅しとは、殺気を放つことによりその場にいる者に死の恐怖を与える行為である。これはあの夜、早雪、那由多なゆた僧祈そうぎの三人に対しておこなったものであり、三人には効果があった。

 それは三人が三人共にを捨て切れていないが故の結果だった。

 しかし、慶一郎は目の前の男達は生に対する執着を捨て、既に死人しびととなった状態であると感じていた。それ故に慶一郎は目の前の男達には脅しが効かないと判断した。


 


 目の前の男達はこの時、既に死人となった覚悟だった。これは目の前の男達が元武士であり、苛烈な戦を経験していたために出来た芸当である。

 その男達は死合しあいに於いての実力であれば早雪や鬼助よりも劣る者達だが、死合の経験であれば早雪達よりも上であり、人の死を間近で感じる戦を経験して来たが故に心の面では早雪や鬼助よりも強者であった。


(どうする?考えろ、何がだ?でなくていい、最善を…)


『最良でなくていい、最善を…』


 慶一郎は数ある選択肢の中から最良の結果は望まなかった。

 物事にのぞむ際、最良の結果だけを探求もとめること、それはではなくである。


 


 慶一郎はそれを知っていた。それがわかっていた。

 わかっていたからこそ、最良を望まずに最善を求めた。尽くすべき最善を探した。


 最善を探求さがして最善をくす。


 困難に対峙した時、それこそが最良に一番近い結果を掴む手段となる。

 慶一郎はそのためにはどうすればいいか考えていた。


「あーん?なんだ?遠くから見た感じでは女は一人しかいねーのかと思ったが…テメーら見てみろ!もう一人いるぞ!女みてーなツラした奴がよ!おいガキ!オメー、ちゃんとついてんのか?」


 何をするか、何を選ぶかを模索していた慶一郎に対して頭目の男が云った。


「ギャハハハ!それは云っちゃダメですぜ、おかしら!きっとっせえのがついてますぜ!」


「でもよ、お頭の云う通りこいつは飛び切りの美人だぜ!」


「股間には俺らと同じものがぶら下がってるけどなあ!」


 頭目の男が手下の男達を煽るように云った言葉に対し、周囲にいた手下の男達は各々おのおのに反応を示して慶一郎に言葉を放った。


「女みたいつらの奴…それは、私のことか?」


「うっ…!!!」


 慶一郎は頭目の男をにらみ付けた。

 その時の慶一郎から放たれた冷たい視線に、かつて幾度となく戦場いくさばを経験した男の背筋には悪寒が走った。

 男が慶一郎の眼、その視線から感じたのはまさしく戦場を棲処すみかとするまこと強者もののふの気配であった。

 今でこそ落ちぶれているがこの男は曲がりなりにも元武士であり、その武士としての経験が慶一郎の眼からその身に宿るを察知していた。


「テメーら少し静かにしろ!…おいガキ。オメー、ナニモンだ?」


 男は騒いでいた手下達を黙らせ、慶一郎に訊いた。男はそれを訊かずにはいられなかった。

 慶一郎のまとう気配、慶一郎の周囲に流れている空気、そして慶一郎自身に対して感じるな何かが男の口を動かしていた。


(問題はやはり左右の射手…駄目だな。躊躇ためらっていては仕損じる。躊躇うな。最善かどうかは。…私は早雪さゆき殿と鬼助きすけ殿を信じる!)


「…さあ?私は人ですが、あなたはそれでは不満ですか?」


 そう云いなから慶一郎は右足を半歩前へ踏み出し、左足の爪先つまさきで地面を二度叩いた。

 これは早雪と鬼助への合図だった。

 家を出る前、慶一郎達は外の包囲網が左右にも広く配置されている事を想定し、ある取り決めをしていた。

 それは、包囲網が左右どちら共に捨て置けない配置であった場合は必然的に左右の包囲網を同時に崩すこととなるため、その際は片側を慶一郎、反対側を早雪と鬼助の二人がそれを崩すという取り決めであった。

 更に、もしそうなった時にどちらか一方の動き出しが遅れたり、動く方向が被った場合には互いの身をおびやかす事になるため、三人の動き出しを合わせると共に、互いが担う相手の方向が被らぬようにするための合図を、慶一郎から早雪と鬼助の二人に送ることになっていた。

 その合図こそ、慶一郎がおこなった左足の爪先の動きであった。

 左足は左側へ動くという意味であり、爪先で二度地面を叩いたのは二秒後に動き出すという意味であった。つまり、慶一郎は二秒後に自らが左側に動き出すという合図を出し、その時には右側を任せるということを二人に伝えたのである。

 そして、慶一郎が合図を出したその二秒後だった。


「はあっ!」


 最初に動いたのは慶一郎だった。


「どりゃあ!」


「はっ!」


 鬼助、早雪がそれに合わせた。

 慶一郎は左側へ、鬼助と早雪の二人は右側へ動いた。三人は事前の取り決め通りに動いた。

 それからはあっという間だった。

 先ず慶一郎が左側にいる火縄の射手三人を斬った。それとほぼ同時に鬼助が動き出す際に放った矢が右側の火縄の射手一人を仕留めた。それから一瞬遅れて早雪が鬼助と同時に動き出す際に投げた短刀が右側の火縄の射手の二人目に突き刺さった。

 そして、右側にいる火縄の射手、その最後の一人は鬼助が動きながら放った二の矢、その二の矢がそれを射た。


「ぬおっ!クソ!!れ!殺っちまえ!」


「遅いッ!」


 思わぬ事態に慌てた頭目の男が大声で手下達に指示を出したが、その声はあまりにも機を逸していた。

 男が声を出した時、既に慶一郎達は火縄の射手に続け、その近くにいた二人の矢の射手を仕留めるところだった。慶一郎は刀で、鬼助は弓弭ゆはずに付いた刃で、早雪は短刀で、三人は男の声が発せられた次の瞬間には左右に其々それぞれ二人ずついた四人の矢の射手をほぼ同時に斬っていた。


「ぐぬっ!てテメーら!先にその男を仕留めろ!」


(そうだ、それでいい)


 左右に配置していた火縄と弓の射手が次々と倒されるのを見た男は後ろに下がり、正面にいた残りの弓の射手四人に慶一郎を狙うように指示した。

 矢の標的となること、それは、慶一郎にとって僥倖ぎょうこうと云えた。早雪が矢で狙われるのを避けること、それこそがこの瞬間の慶一郎にとっての最善だった。


「射てェー!」


慶一郎けいいちろう殿っ!?」


慶一郎けいいちろうぉ!!」


 四人の射手達は頭目の声に合わせて慶一郎へ向けて矢を放った。それと同時に早雪と鬼助が慶一郎に視線を送り、その身を案ずる様に慶一郎の名を呼んだ。


余所見よそみをするな!」


 慶一郎は二人の声に応えたが、慶一郎の視線は自らに迫る四本の矢をしっかりと見据えていた。

 その直後、慶一郎はその四本の矢をことごとかわした。


「なにィ!?この距離で避けただとォ!?」


 頭目の男が思わず声を漏らした。

 それは、射手との距離僅か十歩未満という近距離から放たれた四本の矢を慶一郎が躱したことへの驚きの声だった。

 この瞬間、早雪と鬼助、そして二人と戦っている男達を除き、その場にいた者達の動きが一斉に止まった。即ち慶一郎が矢を躱したのを見ていた者達の動きが止まった。

 敵対している相手が思わず行動を止めてしまう、それ程に慶一郎の行った芸当はひいでていた。


「ふっ、わざわざ射る瞬間ときを知らせてくれて助かった」


 その瞬間とき、慶一郎は敢えてその場で足を止め、頭目の男を挑発する様に云った。男の声など無くとも避けることが出来たが、慶一郎は男を挑発するためにそう云った。


「ぬううう…クソガキが!ナメるな!おい貸せ!…これでも喰らえ!」


 慶一郎の言葉に逆上した頭目の男は、近くにいた射手の一人から弓と矢を奪い、一本の矢を慶一郎に向けて放った。

 しかし、その矢の行先ゆきさきは男の想定を遥かに越え、男が想像もしなかった場所で矢は停止していた。


「なっ…そんなバカな!?射った矢を掴むなんてこと出来るわけが…!!」


 驚いている男が至近距離から慶一郎へと放った矢は、慶一郎の右手が掴んでいた。


「ふふ…お前ら、この矢は何だ?金を惜しんだな?加工も甘い、返しもない、恐らくこれをつがえるきゅうも粗悪なのだろう?こんなもので私を射るつもりか?笑わせてくれる…さあ、矢を返すぞ!」


 慶一郎は尚も挑発的な態度を続け、手にした矢を頭目の男へ向けて投げ返した。その矢は頭目の男の右耳をかすめ、奥にある木に突き刺さった。

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