第32話「那由多と僧祈」

 山頂に着いた三人の目に飛び込んで来た光景は死屍しかばねの山だった。

 それはまさしく死屍しし累々るいるいの如く、頭と胴が両断された数十体の死屍が無造作に転がっていた。

 山頂に着くまでの山道に転がっていた死屍、目の前に転がる死屍、その全てが通常の山賊が好む山中での動きやすさを重視した格好ではなく、町に住む武士が好む様な着物を着ていた。

 そして、その中の二つ、転がる数十体の死屍の中の二体の死屍が着ていた着物の柄に早雪は見覚えがあった。


慶一郎けいいちろう殿!この死体は恐らくはあの時の二人です!」


 それは、あの二つの影に襲われた山賊の生き残りの二人だった。頭と胴が分かれていたが、確かにあの時の二人の死屍だった。


「…ちっ!」


「あ、おい!どこ行くんだ!」


 早雪は転がる死屍を辿って走り出した。


早雪さゆき殿!くっ!…鬼助きすけ殿、私は早雪さゆき殿を追います。鬼助きすけ殿は生存者がいないか捜索をお願いします」


「えっ!あ、おう!わかった!」


 慶一郎は早雪の後を追った。


早雪さゆき殿…無茶だ……)


 慶一郎は死屍を辿って影の主の元へと走り出した早雪の意図はわからなかったが、一つだけ確実にわかることがあった。

 それは、あの二つ影の主、その一人ひとり々々ひとりの力量と早雪の力量はほとんど五分と五分ということだった。

 これはつまり、早雪が影の主を見つけたとして、その影の主を二人同時に相手した場合、早雪は自らと同等の力量の者を二人同時に相手することを意味している。無論、そうなったら到底勝ち目はない。

 先に走り出した早雪が影の主を見つけ、二人同時に相手をした場合、それは即ち早雪の死を意味している。


「うわあああっ!や、やめてくれ!あれは俺のせいじゃねえ!あれは…ぐえええ!」


 喋っている途中で男の頭が跳び、生首が宙を舞った。宙を舞った生首は血を撒き散らしながら叫び声を上げていた。


「コイツでもない…」


「この男じゃない…」


「次だ…」


「ええ、次ね…」


 男の首をねたのはあの時の二つの影の主の二人であった。この二人はうつろが一ヶ月前に出会った二人である。

 自身の身の丈よりも長い刀を持った小柄な二人は全身に返り血を浴び、その小さな身体を真っ赤に染めていた。

 山賊の物と思われる家が並ぶ山頂の僅かに開けた場所で、十数体の頭のない死屍と胴のない頭に囲まれて二人は立っていた。


「もうやめろ!!こんなことをして何になるというのだ!!」


 そう言ったのは早雪だった。

 転がる死屍の山を辿った先で二人を見つけた早雪は思わず叫んでいた。


「オマエは…」


「あなたは…」


 二人は早雪を見た。

 白い髪を真っ赤な血で濡らし、血で染まった赤い顔から覗く青い瞳で早雪を見た。

 早雪のことを見る二人は、早雪からすればまだ幼さの残る十歳程の子供に見えた。


「もうやめろ…何があったのかは知らないがもういいだろう…こんなことをしてどうなるというのだ…こんな……」


「…オマエ、泣いているのか?」


「…あなた、泣いているの?」


 早雪は泣いていた。全身が赤く染まった二人を前に早雪は涙を流していた。血を浴びて全身から血の臭いを放つ二人の子供、暗闇に揺らぐ影ではなく、明かりの下で確かに見えるその二人の小さな姿を前に早雪は思わず涙を流していた。

 それは悲しみの涙だった。子供でありながらこれ程のことをするきっかけとなったが二人の身に起きたこと、その何かの詳細も知らないままに早雪の心の中には悲しみが溢れ、その悲しみは涙となって早雪の頬を伝っていた。

 その涙は早雪の優しさの証だった。


「くう……なぜこんな…お前らなぜこんなことを…一体何があったというのだ…」


 早雪は涙を流しながら訊いた。

 手が痛くなる程に強く拳を握り、拳に込めた行き場のない力により全身を震わせながら早雪が訊いていた。


「それはこいつ等が…」


「ヤメロ那由多なゆた…コイツには関係ない…」


僧祇そうぎ…でもこの人…」


「関係ないんだ…」


 早雪の問いに那由多と呼ばれた子供が答えようとし、その那由多が僧祇と呼んだもう一人の子供がそれを制止した。

 早雪の問いに答えようとした那由多、そしてそれを止めた僧祇、二人の子供は早雪の涙を見た瞬間、その身に纏う気配が変わっていた。

 那由多と僧祇、返り血にまみれた二人の子供達は早雪の涙を見た瞬間、確かに普通の子供の様な気配を纏った。

 早雪の目の前にいる全身を赤く染めた修羅の様な二人の子供達の纏う気配は、早雪の優しい心が具現したその涙を目の当たりにして普通の子供に戻っていた。

 早雪、そして二人の子供達がほんの一瞬だけ気を抜いたその瞬間ときだった。


「避けろ!!」


 慶一郎の声がした。

 早雪の耳にその声が聴こえた次の瞬間、肉に何かが刺さる小さな音が辺りに響いた。


「あ…ぐ……かは………」


「な…那由多なゆたァァァァァ!!!」


 悲痛な叫び声だった。

 那由多の名を呼んだ僧祇の叫び声、その声は何十人もの大人の男を殺した無機質な殺戮者の声ではなく、子供の悲鳴そのものだった。

 慟哭にも似たその叫び声を合図にするかの様に、那由多の身体はゆっくりと地面へ崩れ落ち、辺り一帯を染める赤い液体をその頚部から垂れ流していた。

 地面に転がり赤い液体を垂れ流す那由多の頚部には一本の矢が突き刺さっていた。


「なっ…!?」


早雪さゆき殿!まだだ!次が来る!」


 崩れ落ちた那由多に視線を奪われ早雪の思考が停止した時、再び慶一郎の声が聴こえた。


「…慶一郎けいいちろう殿?」


 振り向いた早雪の五間程離れた場所に慶一郎がいた。慶一郎は早雪のいる場所へ向かってきていた。


早雪さゆき殿!下がれ!そこにいては的にされるだけだ!」


「…危ない!!」


 慶一郎の助言とは裏腹に、早雪は立っていた場所から更に前へと飛び出した。

 飛び出した早雪の左側からは矢が迫っていた。

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