第19話「父の話」

 慶長十九年五月二十日未明。


 慶一郎けいいちろう早雪さゆきの二人は夜の闇の中で行動することはせず、山賊と影の一件があった場所から少しだけ離れた川のほとりで仮眠を取りながら夜が明けるのを待っていた。


慶一郎けいいちろう殿。そろそろ夜が明けますが、いかが致しましょう…経緯いきさつを調べようにも手立てがありません」


「心配はいりません、早雪さゆき殿。まだ当人がいます」


 早雪の言葉に対して慶一郎はさも当然かの様に云った。

 慶一郎の云った当人とは、山賊が正体不明の二つの影の主に斬殺された一件で早雪と慶一郎が助けた二人の男達のことである。


「それはそうですが、奴らの逃げた先に痕跡が残っているでしょうか?」


「痕跡が無くとも彼らの行き先を辿る事は可能です」


まことですか?それは一体どの様に?」


やじりの元には矢筈やはずがあり、矢筈の元には必ず矢をつがう者の手があるものです」


きゅうの話ですか?それがどうか…あっ!」


 早雪は慶一郎の言葉の意味に気がついた。


「わかりました慶一郎けいいちろう殿。元を辿れと云うことですね」


「はい。矢を射ったならば矢筈の向く方向を辿れば射手いてがいる。つまりはどんな事柄も元がある。これは私の父の教えです」


立花たちばな甚五郎じんごろう殿ですね…私の父からそのお方の話を聞いたことがあります。父曰く、雲や霞の様に掴み所がなく、それにも関わらず根がしっかりとしている巨木の様なお方であると」


「雲や霞でありながら巨木ですか…確かに父はそんな感じかも知れません。源二郎げんじろう殿の表現は云い得て妙ですね」


 慶一郎と早雪は辺りが明るくなってから元を辿ることにした。元を辿るとは、殺された山賊達の棲処すみかを探すことであり、そのために二人は夜が明けてから近隣の集落をまわって山賊が出没する場所を調べようとしていた。

 そして、二人は明るくなるまでの間、互いの父親から聞いた甚五郎と信繁のぶしげについての話を語り合うことにした。

 それは、間接的とはいえ慶一郎にとって初めて聞く甚五郎を知る者の話であった。


(父上…私は父上を残してあの場から逃げたあの日から今まで多くの人を殺めて生き長らえて来ました。それが本当に正しかったのか否か今でもわかりません。…ですが、そうして生き長らてきた事で早雪さゆき殿と出逢い、こうして生きている事で父上を知る源二郎げんじろう殿が父上をどの様に思っていたのか知る事が出来ました。…父上、私はまだ生きています)


『ふっ、それでいい。生きろ、けい。悩んで悔やんで苦しみながらも生きろ。生きていればきっと何かがある…だ』


「…父上?」


 慶一郎は、心の中で語りかけた甚五郎から返事をもらった気がした。その甚五郎の声は懐かしくもあり、初めて聞く様な気もした。


「どうかしましたか?慶一郎けいいちろう殿」


 不意に父上という言葉を呟いた慶一郎に対して早雪が訊いていた。


「え?私が何か?」


「あ、いえ。何もないのであれば結構なのですが、確かに今…父上と呟きましたので」


「そうですか、私が父上と…」


 慶一郎は自らが父上と呟いた事に気がついていなかった。


「ええ、確かに父上と云いました。…慶一郎けいいちろう殿の父上、甚五郎じんごろう殿の行方について私は父から何も聞かされていませんが、もしや甚五郎じんごろう殿は…」


「はい。父は死にました。今から四年前の十月の事です」


「四年前の十月…そうですか、甚五郎じんごろう殿はあの時に…だから父は私を……」


早雪さゆき殿?」


 甚五郎が死んだ時期を聞いた早雪はどこか合点がいったという雰囲気だった。

 そして、早雪は決心したかの様にゆっくりと口を開いた。


慶一郎けいいちろう殿、お話ししておくべき事がございます。これは私が父から送られた書状にて慶一郎けいいちろう殿の出生を明かされ、密かに慶一郎けいいちろう殿を探す様に命じられた時の話でございます」


 空は段々と瑠璃色に染まり始めていた。

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