雪女

赤雪 妖

 第1話

 先生とその転校生が3-Aの教室に入ったとき、低いどよめきが湧いた。


 僕達の誰も、こんな美少女は見たことがなかったからだ。

 よく美少女という言葉が使われるが、本当にその言葉に見合った少女を僕はテレビ以外で見たことがない。


 確かに群を抜いて可愛い子も、綺麗な子も、チャーミングな子も学校にはいる。


 だがその転校生は、それらの、どのカテゴリーにも属さない、初めて見る正真正銘の『美少女』だった。


 美人画を集めている伯父が言っていた。


「『美人』ってのは美しい女性のことを言うよな。だが日本には美人以上の女性がいて、それを麗人れいじんという。ところが更にその上があって、それは佳人かじんというんだ」


「それってさ、何か基準のようなものがあるの」


「基準というものを設けないからこそ、美が何処までも昇華するんだ。たとえば上村松園うえむらしょうえんの描く絵が佳人、麗人だと俺は思っているが、中でも突き抜けているのが『雪女』だ。俺はこの絵の前で涙を流している人を何人も見ている」


 そのとき見せて貰った写真、松園の『雪女』は衝撃的だった。何故なら他の絵のように色使いが美しいわけではなく、所作が優雅なわけでもない。言ってしまえば幽霊の絵だからだ。 

 伯父はこう解説してくれた。

「松園の絵は描く前に物語があり、優雅な動きがある。その一場面を切り取って絵にする。『雪女』の美しさは、雪の中で命を落とした女性の魂が、雪女に姿を変えても、愛する者を救おうとする、究極の精神の美しさだ。つまり、美人には姿形すがたかたちや化粧でなることができるが、それ以上は知性とか精神性の美しさを兼ね備えてなくてはなれない」


 だったら目の前の少女の美しさはなんて言ったら良いのだろう。

 神秘的? それとも妖美?


 少女は、透きとおるような白い顔で、肩に掛からない程度の黒髪を耳にかけ、切れ長の目で僕達をゆっくり見回した。


 少女は黒板に名前を書き、

「鈴木雪乃と申します。宜しくお願いします」

 落ち着いた声。正確な言葉で僕を見て微笑んだ。

 いつかどこかで見たことが――


 なんて思っていたら、あとでみんながそう思っていることがわかった。

「俺を見て笑った」「僕を見たんだよ」「私を見て言ったんだからね」


 これも伯父から教えて貰ったのだが、ある日本画家が描いた虎の絵がある。


 その絵は、どこから見ても虎と自分が向き合っているように見える技巧が施されている。

「きっとあれだぜ」と言ったが誰の耳にも届かない。


 それはそうだろう。わざわざ自分の幸福感を壊す必要がどこにある。


 では、彼女の目にそんな能力が隠されている? 僕の霊力で見る力とは逆の、見せる力が。

 だとしたら、彼女はどこから来たんだろう。


 それに、雪乃は何故転校することができたのだ。


 高3の6月に。しかも此処ここは県下有数の進学校で偏差値も72だ。


 彼女の着ているセーラー服は私立姫原女子高校のものだから、偏差値は60前後だ。だがそれは政治の力ってやつで何とかできるとしよう。それよりも僕が驚いたのは彼女が着ている制服が身体に合いすぎてるってこと。


 真っ白な制服は肩幅や丈がピッタリ合っている。スカートの折り目は手が切れそうな程だ。


 普通は1年の時に成長率を見越して作るから、3年の最後の夏のために制服を作る者などいない。百歩譲って作ることになった(とれない染みを付けられたとか、かぎ裂きを作ったとか)としても、この状況で作るのなら我が校の制服を作るのが普通だろう。


 時系列で見ると、この高校に転校が決まってから急いで元の高校の制服を作らせたことになる。

 左隣の席の杉下は勘が鋭い。「なあ、変だと思わないか」と話しかけてみた。

「そこ! 神ノ宮君かみのみやくん。鈴木さんを見て、君はそこですか」と驚いた声を出す。


 俺の方が余っぽど驚いたぜ。そこまで美人に目が眩んでるとはね。


 因みに、僕は神ノ宮成人かみのみやなると。伊勢神宮とは関係が無い神社の子で通常はシンと呼ばれる。訓読みとか漢字で呼ばれると格好いいんだが、さすがにリアルすぎるのか誰もかみとは呼ばない。

 そして僅かながら霊感がある。皆のように手放しで鈴木さんを受け入れられないのはその為だ。


 先生が鈴木雪乃の席を決めた後「鈴木さん」と手招きした。

「彼、神ノ宮。通称シン。生徒会長で色々詳しいから、知りたいことは彼に聞いて」


「すみません。今日はその生徒会の引き継ぎが1時半からあるんですけど」


 すかさず加代が手を上げた。

「先生。その役、私とシンちゃんでやります。彼が生徒会に行った後も私なら続けて案内できますから」


 なんだよその『ちゃん』って。

 

「二人はつきあってるの?」

『ちゃん』のせいで、早速、雪乃に訊かれた。

「うん」

「ちげーよ」

 同時に答える

「噓つけ。お前、杉下とつきあってるくせに」

「あら。バレてる?」

「とっくにだよ。おめーらバカだろ」

 舌を出す加代は無視する。


 羨ましそうなクラスの奴らと違って、雪乃が近付くと僕の感覚が変にザワザワとして落ち着かない。

 なので、説明は加代に任せた。

「音楽教室にはもう来ることが無いでしょうけど一応ここだからね。これから良く来ることになるのはこの理科教室。準備室は隣で、生物の材料は太陽光に当てないように遮光されているから気をつけて。明かりも特殊なライトを使っているのよ」

 加代が説明しながら、照明のスイッチを入れる。

 ブラックライトがついて、雪乃の制服に飛沫しぶきがかかったような蛍光が浮かぶのを僕は見た。


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