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売ってたら買うのにな、と思っていると、背後から「どれ?」と声がする。
「これ――」
これが好き、と言おうとして、ぴしりと固まってしまった。振返ると、すぐ近くにイナリがいたのである。気が付いているのはわたしだけで、イナリの視線はわたしの手元に注がれている。
「ああ、これ。君、結構ワンピース好きだよね」
好きだと思った、と笑いながらイナリがこちらを見る。ようやく顔の近さに気が付いたのか、笑顔が固まった。
ほんの数秒、間があいて、一気にかぁっと顔が赤くなる。
「近い!」
「いや、うるさ!」
ただでさえ顔が近いのに、叫ばれると耳がキーンとなってしまう。反射でわたしも叫んでしまったので、おあいこだが。
イナリの耳にもダメージが入ったようで、眉をしかめながら耳を押さえていた。……もしかしてわたしのほうが声量大きかったりする? わたしも耳がキーンとなったが押さえる程ではない。
「な、なんかごめん……」
思わず謝ってしまった。
「……別に」
イナリは顔を赤くしたまま、わたしの手からワンピースのデザイン画だけをひったくる。そしてそのまま、机の隣にある棚の、紙束の上に置いた。そしてそのまま作業に戻る。
「これもそっち置く?」
もしかして必要だったのかな、と思い、残ったデザイン画もいるかと聞くが、「いらない。その辺に置いておいて」と言われてしまった。
「その辺って……」
「さっき置いてあった場所でいいよ」
さっき置いてあった場所、と言われてもそこは床なんだけど……本当にいいの? 丁度通り道で、イナリが使う作業机に行こうとしたら踏んでしまうと思うんだが……。
イナリは避けて歩くスキルが高いのかな、と思って端に避けつつも床の上に置いた。
床の上に置く際に、辺りをちらっと見てみると、やっぱり書類やらデザイン画やらが散乱しているけれど、踏んだ跡がついているものは一つもない。
「……イナリって、浮いて歩けるの?」
自分でも馬鹿な質問をしてしまったと思う。でも、こんなに紙が散らばっているのに、踏んだ跡がないなんて、浮いているからとしか思えない。
「は?」
案の定、呆れたような声が聞こえた。
「だって全然踏んだ跡がないから。こんなにも床に散らばってるのに」
「見て歩いているだけ。浮くなら、君の方が出来るんじゃないの」
「魔法で?」と聞くと、肯定の返事が帰ってきた。
「まあ、できなくはないけど……」
でも多分、やったら床に置いてある紙はばさばさと舞うことだろう。風もなく浮くのは、わたしには無理だ。
「――っと」
立ち上がろうとして、髪飾りが床に落ちてしまう。髪へ刺さりが悪かったのか。
ベッドの下に転がってしまい、わたしはひょいとベッドの下を見た。部屋は物で散乱しているくせに、意外とベッドの下には物がな――目が、合った。
ベッドの下に、誰かいる。
「ぎゃぁあああ!」
びっくりして、いままでにないくらいの大音量で叫んでしまった。
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