09.5

 第二王子、カルファ・ミッティー・エンティパイアが、フィオディーナ・オヴントーラとの婚約を破棄し、トゥーリカ・オヴントーラと婚約を結んだ。

 その事実に、頭を抱えるものが二人。

 エンティパイア帝国の大帝王であり、カルファの父であるクブルフ・ベネット・エンティパイアと、彼の右腕であり中帝宰相であるニストロ・ヴァイゼンだ。

 王の執務室で、二人は本当に頭を抱えていた。文字通りに、だ。


「まずい、まずいぞ……! あの愚息はなんということをしてくれたのだ」


 焦りを浮かべた表情で、ぶつぶつとそんな言葉をこぼすのはクブルフ。カルファがフィオディーナとの婚約破棄を発表してから、ずっとこの調子である。

 彼が座る執務用の机の上には、書類の山ができていた。どれもこれも、処理しなければいけないものばかりだが、フィオディーナとカルファの婚約破棄の件への対応が思い当たらなく、それどころではなかった。


「やはり、本当のことを隠したまま、フィオディーナ嬢と婚約させたのがまずかったのではないでしょうか」


 後の祭りではあるが、という顔をしながら、ニストロが言った。

 力をつけるべく、オヴントーラのものと婚約をする。そういった『表向きの理由』をここまで妄信するとは、思わなかったのだ。

 オヴントーラの者ならだれでもよかったわけではない。正真正銘、フィオディーナでないといけない理由が、あったのだ。


 けれども、それは王になるもの、そしてその補佐の宰相にしか知らされていない。

 何番目の子であろうと、母親が誰であろうと、王の血をつぎ、能力のあるものを次の大帝王とする。エンティパイア帝国の跡継ぎはそういうものであった。

 才能あふれる第一王子、努力家の第二王子、そのどちらが王となるかわからない状況で、むやみやたらに告げるわけにもいかなかったのだ。


 何も知らされていないカルファがああいう行動にでるのは、可能性としてはあった。だからこそ、常日頃から「早まった真似はするな」「お前の婚約者はフィオディーナ嬢なのだ」と言い聞かせてきたはずだったのだが。

 「オヴントーラの者と結婚せねばならないのなら、彼女でも構わないでしょう?」とトゥーリカを連れてきた時には、思わず手が出てしまいそうになったほどだ。

 あれほど「フィオディーナ嬢を」と言い聞かせていたのに、カルファには伝わっていなかったのである。


「国土追放となれば……言いたくはないが、フィオディーナ嬢が命を落とし、そのまま闇に葬られる、ということはないか?」


 一縷の希望に縋るようにクブルフは言ったが、ニストロは力なく首を横に振る。


「術士長のウィルエールによると、フィオディーナ嬢は生きているそうで……」


「……そうか」


 クブルフは深いため息を吐く。


「さらに、今、ウィルエールはフィオディーナ嬢を追うべく、術士長をやめる予定でいるそうです。後任育成に励んでいるのだとか。後任はレグル・ベーソンです」


「…………そうか」


 クブルフは王の威厳もなにもなく、両手を顔で覆った。


 フィオディーナをあのいきさつで国土外に出し、このエンティパイア一と言っても過言ではない魔術の力を持つウィルエールもここを去る。

 仮に第一王子のアンブロが跡を継いだとしても、対処できるかどうか。どれだけ才能があったとしても、限界はある。

 レグル・ベーソンもそうだ。確かに彼の実力はクブルフの耳に入るほどだし、王宮術士長の後任としては申し分はない。けれども、ウィルエールの後任になるか、と言われれば、そうではない。やはり、ウィルエールと比べてしまっては『下位互換』という見方をするほかはない。


「仕方ない……国内の冒険者育成に力をいれるとしよう。それで事足りるかわからぬが……何もしないわけにはいかぬ」

 冒険者がより力をつけられるような制度を作る、とクブルフは宣言する。


 ニストロは、複雑な表情でクブルフを見ていたが、今できることはそれしかないと分かっているのだろう。かしこまりました、と頭を下げた。

 クブルフが書類の山に手を伸ばす。その手は小刻みに震えていた。

 もはやこの国は終わってしまうのでは、と、その考えに行きつき――きりきりと、クブルフの胃は悲鳴を上げた。

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