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 ◆


「迷惑かと思ったんだけど、先輩のこと、大好きです。受け取ってくださいっ」

 両手をずずいっと、差し出す。

「却下」

 春人はるとはその手のひらの上に載せられた渋い緑色の毛糸玉を指先ではじく。

「なんでー」

 毛糸を紙袋に戻しながら陽菜ひなはぶすくれた表情を作った。

 いや、オマエわかっててやってるだろ。

「何十年前の少女マンガだよ、それ。恥ずかしすぎ、その上サムイ。それやって許されるのは、自分のことを確実に好きな相手にだけ……それでも引かれる可能性大。あとは、ものすごいカワイイ子がやるなら許容範囲かもしれないが。おれなら多分、笑いをこらえるのに必死になる」

「春ちゃん、ひどい。もう少し言いようがあると思う」

 陽菜はわざとらしく首をふってため息をつく。

「文句言うなら、帰れ」

 放課後、告白の練習台になりつつ、丁寧にダメだししてやる人間はやさしいの範疇に入らないか?

 一月ほど前から美術準備室に入り浸るようになったひとつ下の幼なじみは誤魔化すように舌を出して笑った。



 ◆


「陽菜?」

 部活動場所にしている美術準備室にあった見慣れない人影に声をかける。

「あ、春ちゃん。おじゃましてまーす」

 幼いころのままの呼び方。

 小学校低学年くらいまでは良く遊んでいた。

 高学年になれば一緒に遊ぶこともなくなったけれど、登校班は同じだったからほぼ毎日顔を合わせた。

 中学以降は顔を合わせることもほとんどなくなり、今年、陽菜が同じ高校に入ってきたというのも母親経由で聞いたくらいだ。

 中学の時もそうだったけれど、学年が違うと校内で顔を合わせる機会もなかなかなく、十一月半ばすぎの今日まで同じ学校にいることも忘れていたくらいだ。

「……何してんの? っていうか、何でここにいるんだ?」

 この時期になって入部希望ということもないだろう。だいたい、美術部の正規の活動場所は隣の美術室だ。

「しばらく場所提供して?」

 陽菜は手を合わせて、かわいらしく首を傾げて見せる。

「なんで」

 本音を言えば、じゃまくさい。

 せっかく騒々しい美術室から、一人で作業できる準備室への避難に成功したところなのに。

「あからさまにめんどくさそうな顔しないでよぉ。美術部の子たちには良い先輩の顔してるくせに」

 なんで知ってるんだよ、そんなことまで。

 波風たてないよう、相手に嫌な気分を抱かせないよう笑顔でやり過ごし、自己主張も必要最低限にしているのは確かだ。

 しかし長い付き合いの陽菜には今更不要だろう。

「陽菜に外面取り繕っても仕方ないし」

「相変わらず、春ちゃんだなぁ。大丈夫、静かにしてる。編み物するだけだから」

 案の定、気にした様子もなく受け流した陽菜は机に両手をついてあたまを下げる。

「編み物くらい、家帰ってやれよ。それか、自分の教室」

 というか、陽菜に編み物が出来ることにびっくりだ。小さいころは好奇心旺盛で、男子に混じって遊んでいて、じっとしてることなんて出来ないようなタイプだったのに。

「家だと、おかーさんが口出してきてうるさいんだもん。教室もみんなが、誰にあげるの? とか面白がるし」

 頬杖ついて、ふくれっつらをする。

 表情がころころ変わる。

 子どものころから変わらない雰囲気に呆れまじりの笑みがこぼれる。

 妙になつかしくて、ついむかしみたいに兄ぶってみせる。

「しょーがないな。ジャマするなよ?」

「ありがとー、春ちゃん」

 はいはい。

 言葉通り、さっそく毛糸を取り出し、静かに編み始める陽菜を背にして、描きかけの絵をひっぱりだした。



「春ちゃん」

 軽いノックの音と同時に陽菜が顔をのぞかせる。

「あー、今日も来たのか」

 いつも春人より早く準備室に来ている陽菜の姿が今日はないので、他に居場所を見つけたのかと思った。

「完成まで、毎日来るよー。今日は六限が体育で当番だったから遅くなっただけ。これ、差し入れ」

 差し出された缶コーヒーを受け取る。

 程よいあったかさが少し冷えた指先に伝わってくる。

「ありがと」

 一度飲んでたことのあるだけのブラックコーヒーを選んで買ってくる辺り、編み物に没頭しているかと思えば、結構良く見ているようだ。

 ブリックパックのいちごミルクなどという甘ったるそうなものを飲んでいる陽菜に視線を向ける。

「春ちゃん、なんで美術部なの? 中学の時は陸上部だったのに」

 春人が作業の手をやすめたのを見計らったのか、陽菜が質問をほうる。

「運動部はメンドクサイ」

 上下の関係も、妙な連帯感を持たされるのも、うっとうしい。

 それを避けて入った個人活動メインの美術部でも面倒がないわけではなかったけれど。

「じゃ、別に部活入らなくても良かったんじゃないの? うちのガッコ、部活強制じゃないんだし」

「部活やらないなら生徒会入れって言われたんだよ」

 それくらいなら部活やった方がマシだ。絵を描くのも嫌いじゃないし、拘束時間も短い。

「教師受け良いもんね。春ちゃんは一見人当たり良いから。実はそういうの排除したい人なのにねぇ」

「処世術。……陽菜こそ、運動得意なくせになんで部活やらないんだよ」

 直接確認はしていないが、毎日ここに来ているということは、部活に入っているとは思えない。

 中学の時は確か、球技系の運動部にいた気がする。バスケだったかバレーだったか?

「絶対勝つ、とかそういうの嫌になっちゃったんだよね。私、楽しく運動する程度で満足だし。そういうのって部活に不向きだよねー、ってことで帰宅部」

 頬杖ついて陽菜は曖昧に笑う。

 なにか、あったのか。聞いて欲しいのかもしれない。

 すこし迷って、結局なにも聞かないまま会話は途切れた。



「春ちゃん、何描いてるの? 見せて?」

 編み物に飽きたのか、単純に休憩なのか、陽菜は肩をぐるぐる回しながら立ち上がる。

「場所借りるだけ、邪魔はしないんじゃなかったのか?」

 見られないようスケッチブックを閉じ、静かに指摘する。

「ケチ」

「じゃ、陽菜がそれ渡す相手教えたら見せてやっても良い」

 くちびるをとがらせて文句を言う陽菜に、春人は陽菜が確実に答えないだろうことを条件に持ちかける。

「えぇと……自分用!」

 馬鹿か。信じるか。

 自分用なら家でも教室でも編み放題だろ。

 視線だけで言いたいことを悟ったらしい陽菜はぷいと横を向く。

「女の子の秘密ですぅ」

「ばぁか……ほら、邪魔するな。さっさと作業にもどれ」

 思わず苦笑いがもれる。

「さては見せられないものを描いてるなぁ?」

 やかましい。挑発しても見せないものは見せないぞ。

「これ以上無駄口たたくなら追い出す」

 最終通告をすると陽菜はあきらめたように、座り、再び編み棒を手にする。

「春ちゃん、本気で追い出しかねないからなぁ」

 その辺、見極めて引きさがるところは実は結構感心している。

 うっとうしいくらいしつこくしてくる奴らにどれだけキレそうになったか。

 スケッチブックを開きながら、編み物をしている陽菜をぼんやりながめる。

 少々むくれていたのが、だんだん真剣な表情に変わる。なにか失敗したのか、眉根をよせて編目を睨みつけているかと思えば、思い出し笑いか? なにやら口元に小さな笑み。

 見ていると楽しいかもしれない。

 視線に全く気付かない陽菜を横目にスケッチブックに鉛筆をはしらせた。



 ◇


 マフラー完成まであとわずか。

 完成したら、ここに来る口実はなくなるわけで、時間稼ぎの意味もあって始めた告白の練習もどき。

「だいたい、高校入ってからなら……九ヶ月くらいか? それで、「ずっと」とかって誇張すぎないか?」

 興味と期待半々でどんな反応が返るか待っていた陽菜はがっくりと机に突っ伏す。

 酷評の上、さらに冷めた口調で続けられるとさすがにちょっとへこむ。

 ちょっとは気づけよ。

 っていうか、ふつう気付きませんか?

 好きな男がいたら、いくら居場所が欲しいからって別の男と二人っきりになるような状況作らないって。

 好きな相手に見られたら、誤解されるんだし。

 頭良くて聡いくせに、妙なとこ抜けてるよなぁ。無頓着というか。

 お勉強できて、運動神経もよくて、人当たりもよくて、大人受けよくて、だからといって真面目一辺倒ってわけでもないから、当然女子からも人気があって。

 だから今まで、カノジョがいなかったわけでもないと思う。

 そういうの、親に見せるような人じゃないから、情報は入ってきていないけれど。

 今だって、学校外にいる可能性がないワケじゃないし。

「何、陽菜」

「え?」

 気がつけば、春人と真っ向に目があっていて陽菜は目をしばたかせる。

「さっきから、睨んでるけど。言い方が気に食わなかった?」

「今更、春ちゃんのあのくらいの言葉で怒ったりしないよ。別件。ちょっと考え事」

 口悪いくせに、こういう細かい気遣いっていうか、そういうトコ、良いんだよな。タイミングが。

「あ、そ」

 気のない返事。

 つまんないな。

 一喜一憂してるの自分だけか。



 完成、してしまった。

 いつまでも長々編み続けるわけにもいかないし、毛糸もちょうどキリが良い感じ。

 端のしまつをして、予定より長くなってしまったマフラーを眺める。

 我ながら良い出来だ。

 さて、どうしようか。

 ちらりと春人の様子をうかがうと、何故だか難しい顔をしてスケッチブックとにらめっこをしている。

「春ちゃん」

「んー」

 めんどくさそうに顔をあげる春人に陽菜はちいさく手を上げて発言する。

「ちょっと話があるんだけど、良いですか?」

「何それ。別にいいけど?」

 面白がってるような、あきれてるような苦笑い。

 たたんだマフラーを持って陽菜は春人の前に立つ。

「出来たんだ?」

 じゃ、オツカレ。もう来るなよ、バイバイ。とでも続けそうなかるい口調。

 陽菜は大きくひとつ深呼吸してから、口を開く。

「春ちゃん、ずっと好きでした。……っていうのは、実はちょっと嘘だけど。……でも、実は結構口悪いこと気にしてて、猫かぶってる春ちゃんが好きです」

 ラッピングも何もしていない、出来たてのマフラーを差し出す。

 ちょっと、顔が見られなくてあたま下げてるから、はたから見ると謝ってるような感じで、ちょっと妙かもしれない。

「……えぇと、笑い飛ばしてくれて、良いんだけど」

 いつまで経っても無言なので、恐る恐る顔をあげ、陽菜はそう進言する。

 見上げた先にある春人の顔は、笑いをこらえているわけではなく、神妙な表情。

「春、ちゃん?」

「……陽菜、さぁ。なんていうか、趣味悪いよな?」

 深々とため息をついて春人はぐったりと椅子にもたれる。

「なにが?」

 マフラーは上手に出来てる。問題ない。色だって春人の好みから外れていないはずだ。

 まぁ、手編みは重いかもしれないけど、その辺は幼なじみのよしみで大目に見て欲しい。

「おれの性格知ってて、おれのこと好きとか言うのってどうかと思う。単純にガキの頃からの刷り込みじゃないのか? 勘違い」

 それはずいぶん失礼な言い種じゃない?

 確かに子供のころは親鳥についていくひよこみたいにうしろくっついてたけどさ。

「ずっと好きだったわけじゃないってば。今までに春ちゃん以外に好きな人だっていたし。ただ、今は春ちゃんがいいの」

 ちゃんとカレシだっていたし。って、そんな余計なことはどうでも良いんだけど。

「それこそ意味がわからない。接点なんてなかったんだし、好きになる要因なんかなくないか?」

 メンドクサイ男だなぁ。

 そっちが気付かなかっただけで、結構見かけてたんだよ、校内で。

「そんなの、知らないよ。好きだな、って思っちゃったんだからしょうがないでしょ。鈍感。無頓着。無神経」

「それだけわかってるのに、言うんだから趣味が悪いって言ってるの」

 投げやりな口調。

 わかってるよ。べつに、幼なじみ以上には思ってくれてないことくらい。

 でも、一縷の望みは持ってたし、ダメならだめで、もう少し言い方を考えて欲しかった。こういう時くらい。

 猫かぶりの嘘くさい優しい断りを聞くのも微妙といえば微妙だけど。

 口にはださず、内心で文句を並べる陽菜の手から春人がマフラーを取り上げる。

「鈍感とか、他人のこと言えないと思うけどね、陽菜は」

 マフラーをぐるぐると自分に首に巻きつけた春人は意味ありげに笑う。

「何それ。ちゃんと言ってよ」

 期待して、良いということ?

 答えない春人のマフラーの両端を陽菜は引っ張った。



 ◆


 絶対笑うと思っていた告白は、笑えなかった。

 意表をつかれたせいか。それとも相手が陽菜だったからか。

 久しぶりに一緒にいるようになって、くるくる変わる表情が見ていて飽きなかった。

 お互い黙って同じ空間にいても、気詰まりなく、心地よかった。

 編み物に没頭してる最中だったから気付いていないだろう。

 ずっと見ていたこと。

 少々悔しいのでスケッチブックにうつし描いた、何枚もの表情は、絶対に見せないことに決めて口を開く。

「言わなきゃ、わかんないの?」

 耳元でささやくと、首をしめる勢いで陽菜が引っ張っていたマフラーから力が抜ける。

 言葉にならない声がごにょごにょともれる。

「帰ろっか」

 手をつなぐと、うつむいた陽菜のかおがうっすらと赤くなる。

「春ちゃんは、ずるい」

 小さな文句。

 それでもつないだ手はほどかれず、ぎゅっと握り返された。


                                  【終】

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