02
二人は気が済むまで水を飲み干した。その後、一度白魔法をかけると、気力も体力も、幾分か落ち着きを取り戻した。魔法が使える、という事実が安心感をもたらし、先ほどよりは、ずっとまともに物を考えられるようになっていた。
「なんで使える様になったかは知らないが……今のうちに出ちまおう。何日ここにいたか分からないが、これだけ看守が来ないんだ。文句の言われようもないだろ」
「そうだね。もう、ここは嫌だし。早く出ましょう」
脱獄するだけの理由がある。
ただ罪から逃れたいがための脱走じゃない。リーデルたちに言わせれば、看守の職務怠慢であり、彼らが責任を取るべきことだ。こちらは完全に被害者だ、と声を大にして言いたい。
リーデルは鉄格子の扉についた錠前を、牢獄の内側から握りしめる。
「ヒッツェの民よ、我が僕よ。赤の者が命ずる、命ずる。手中に、鉄をも溶かす高熱を。――《
ぐしゅ、と手の中のものが溶けて崩れる感触がする。鉄が溶けているのに熱くもなんともないというのは不思議なものだ。
ぎい、ときしむ音を立てながら、扉が開く。ゆっくりと外に出てみるが、警報のようなものは鳴らなかった。
以前、酒場で脱獄に成功したという冒険者と酒を飲み交わしたことがあったリーデルは、脱獄の際には警報が鳴る、という話を聞いていた。身構えていたのにも関わらず、そんなことはく。
あの冒険者がホラを吹いたのだろうか、と一瞬思ったが、脱獄を知らせる警報くらい、ついていてもおかしくはない。
なんだか異様な空気に、リーデルは固唾を飲みこんだ。
「キキョウ、帰り道、覚えてる?」
「え? うーん……正直、全く。なんでわたしたちが捕まるんだってパニックで、あんまり周り見てる余裕なくて」
「俺も似たようなもんだ。まあ、歩いていれば誰かしらに会うだろう」
この部屋には牢が六つ。中央に廊下があり、左右に三つづつ牢がある配置である。一番奥の、左側がリーデル達が先ほどまで閉じ込められていた牢だ。
壁を掘り進め、くぼませた場所を牢としているような地下牢。六つの牢の大きさはバラバラだったが、どの牢も、中は空っぽで。
ここを使っていたのはリーデルとキキョウだけのようだった。看守が来なくなって、すぐにあたりへ声をかけた際、返事がなかったので分かっていたことではあったが。
廊下の先にある扉に手をかけ、ゆっくりと開ける。すぐには出ず、頭だけを出し、あたりに誰かいないか確認する。
牢よりはある程度整備されている廊下は、人の気配が全くない。壁に取り付けられた魔法道具と思われるランタンがいくつか切れていて、暗いその廊下はすさまじく不気味だった。
右にも左にも廊下は伸びている。どちらに進むべきか、と悩んだが、とりあえず突き当りが見えている左側に行くことにした。
廊下を進むと、左の壁に扉が二つ、右の壁側に扉が一つ。あとは何もなく、突き当りにたどり着く。
「どこから見る?」
リーデルが問うと、キキョウは少し考える素振りを見せ、扉が二つあるほうを指さした。
「多分、こっちはわたしたちがいたような牢、なんじゃないかな。あまり情報はなさそうだし、こっちから確認しましょう」
「わかった」
来た廊下を少し戻り、自分たちが出てきた扉の隣を開けた。
キキョウの予想した通り、そこには先ほどと同じような構造の牢が広がっていた。部屋数も同じ。ただ、違うのは……。
「これ、は……」
使われていた牢が二か所。しかし、その中の人間はどちらも絶命していることが明らかだった。
手前の牢屋にいる男は、やせこけた手で鉄格子を掴んだまま亡くなっていた。その指先は爪がはがれている。鉄格子の下のほうは少しだけくぼんでいる。ここから出ようとあがいたものの、失敗に終わったのだろうことが分かる。
奥の方の牢屋に収容された男の死体は壁際でうなだれており、表情こそ見えないが、きっと苦しんで死んでしまったはずだ。
「ここも、看守がこなくなったのかな……?」
自分たちの牢だけでなく、隣も人がこなくなっている。何か、異常事態が起きたことには間違いない。
急いで廊下に戻り、さらにその隣の扉も開けるが、中が牢であること、そして死臭がすることを確認すると、中には入らず扉を閉めた。わざわざ死体を見たいとも思わない。
リーデルは、自分たちは運が良かった、と思うしかなかった。
たまたま、白魔法が使えるキキョウがいた。
たまたま、本来使えるはずのない牢獄内で魔法が使えることに気が付いた。
そんな偶然が重ならなければ、リーデルとキキョウもまた、彼らと同じように、死体となって、牢の中で朽ちていただろう。
二つの扉の中を確認し終え、一つだけの扉のほうに向かう。
片側に牢が集中しているのなら、こちらは看守室か。もしかしたら、地上か、さらなる地下に続く階段という可能性もある。
「ここには死体がないといいな」
一度深呼吸をし、扉を開けた。
扉の中は、牢と違い、簡素であるがしっかりと内装が施されている。魔法道具の照明も切れておらず、室内は明るい。
右の手前には机と椅子が壁際にあり、机の上には書類が何枚も載っている。机のすぐそばには、離れた場所と連絡を取るための魔法道具が置かれていた。左側には本棚、奥側にはベッドが。
予想通り、看守用の部屋らしい。仮眠室と執務室を兼ねているのだろうか。
リーデルが机の上にある書類に目をやると、リーデルとキキョウの名が書かれた書類が一枚づつあるのに気が付く。その書類には、釈放、という判子が押されていた。
「これ……」
リーデルは思わず手に取る。そのとき、ふわ、とかすかに埃が舞った。この書類がここに置かれてから、何日か経過しているようだ。
詳しく内容を見ると、冒険者ギルドにより、依頼主の詐称を決定づける証拠を提出できたため、リーデルとキキョウの無実が証明された、というような内容が書かれている。
書類の発行日は、リーデル達が牢に入れられた八日後となっていた。
地下牢のため日光が入らず、ここに入れられて何日が経過したか正確にはわからない。しかし、一日三度あった食事の数で計算すると、七日間は異常なかったはずだ。
つまり、この釈放がなされるはずの八日目か、それより少し前に何かが起き、看守が来なくなった、ということが考えられる。
一体何が、と思っていると、キキョウがリーデルの腕を掴んだ。
驚いて振り向くと、彼女の細長い、エルフ特有の横に長い耳がぴくぴくと動いているのがわかる。
「キキョウ?」
「……何か来てる。でも、足音が、なんか変!」
キキョウになされるがまま、リーデルはベッドの下に押し込められる。すぐにキキョウもベッドの下に潜り込んできた。大きめのベッドとはいえ、その下に二人も入るにはさすがに狭い。
窮屈だ、と何とか体制を整えようとする前に、ギィ、と扉が開いた。
足元しか見えないが、キキョウの言う通り、何か違和感があった。
ず、ずず、べしゃ。
引きずるような音と、何か水っぽい音。
普通の歩き方じゃないが、どこかで聞いたことがある。どこだろうか、と思案し……思い出す。思わずキキョウの方を見れば、彼女も思い当たったのか、視線が合った。
以前、討伐の依頼で倒したことのある、アンデットという魔物の足音に似ていたのだ。
まさか魔物が町の中に?
普段、町は魔物が入ってこないよう、壁に囲まれている。にも拘わらず、魔物が町の中にいるというのは確かに一大事だ。
こんな地下牢にまで侵入しているということは、相当被害が大きいに違いない。
だが、疑問は残る。
そんなに押されているのなら、なぜここに収容されている人間を呼び出さないのか、という疑問が。
確かに、ここに収容されているのは、なにかしら問題を起こした罪人たちだ。しかし、同時に冒険者という、腕っぷしだけで生きてきたような連中ばかりである。
背に腹は代えられない、と、戦力として駆り出されることはあるはずだ。実際、そういって牢から一時的に出される、という話を聞いたことがあるし、何よりそのタイミングを狙って逃亡した罪人を捕まえる、という依頼をリーデルたちはこなしたこともある。
呼びに来られないほどひっ迫していたのか、あるいは、すでに町は滅んだのか……?
よくない想像ばかりが頭をめぐる。
――と、キキョウが、袖を引っ張ってきた。
なんだ、と目線だけで答えると、キキョウは今しがた入ってきた謎の物体の足元を指さす。
その指先を見れば、彼女の言いたいことも分かった。
今入ってきたのは、本当にアンデットか? と。
というのも、今しがた入室してきたそれの足元は、人間のものにしか見えなかった。ブーツを履いているのが見える。あれは間違いなく自警ギルドの制服のブーツだ。
アンデットというのは、確かに人の見た目に近い魔物だ。だからか、冒険者でない人間は意外と、「人が魔物になってしまうとああなる」と勘違いするのだが、アンデットは生まれた時からアンデットであり、そういう生き物なのだ。人間がアンデットになることなどない。
そのため、どれだけ人間に近い見た目をしていても、服を着用するという概念がない。服のように見える彼らの恰好も、服ではなく、体の一部なのだ。
ゆえに、本物の靴を履いている、というのは、普通では考えられない。
ず、ずず、べしゃ。
「――っ!」
手を伸ばせば触れるだろう、というほど、その足は近くまでやってきた。リーデルは思わず息を飲む。
べしゃ、という音は、何やら液体が床に落ちる音のようだった。その赤黒い液はただの液体でなく、なにか湿り気のある物体が混じっているようにも見えた。
リーデルは、自分の裾を握ったままのキキョウの手が震えているのに気が付く。大丈夫だ、という意味を込めてその手を握るが、彼自身もまた、目の前の光景に恐怖してしまって、それ以上キキョウを労わるだけの余裕はない。
何かを探しているのか、はたまたあてもなく歩いているのか。謎の足音が室内をうろつくたび、ぼたぼたとこぼれる何かの液体は、血のようにしか見えなかった。
怪我をしているのかもしれない。何せこちらには回復系の白魔法の使い手がいる。ならば助けたほうがいいのかもしれない。
けれど、あまりに異様な光景に、ベッドの下から出ようとは到底思えなかった。
ぐるぐるとあてもなく動き回る足音と、べしゃり、と床に液体が落ちる音だけが響く。怪我をしているかもしれないのに、うめき声も聞こえなければ、怪我を手当てしようとする気配も感じられなかった。
早くここを出ていかないだろうか。
そんな思いでリーデルの頭はいっぱいだった。
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