08

「展開に、ついていけない……」


 くしゃり、とわたしは証明書を握りつぶしながら、王城を見上げた。――門の外から。

 わたしがお飾りの王妃候補として扱われていたのは、ほんの数週間のことだった。

 そう――新たな『恵の人』が現れ、お役御免となってしまったのだ。新しくやってきた『恵の人』はとある大企業の社長令嬢らしい。気品にあふれ、マナーや教養もしっかりしていて、見た目もかわいくて、ちょっぴり高飛車な女の子。

 女尊男卑なこの世界では、ちょっと我儘だったり高飛車だったりするほうがモテるらしい。それは知らなかった。

 そんなわけで、志熊さんはすっかりその社長令嬢に惚れこんでしまって、わたしが妃様になる話は白紙へと戻った。


 まあ、いいんだけどね。妃なんてやりたくなかったし。社長令嬢の少女ちゃんのほうが似合ってるし。

 ただ、こうして結局は路頭に迷ってしまっているのは、ちょっと困る。いや、ちょっとどころじゃない。

 一応、迷惑料と言うか、数週間拘束したということで、わたしは一年か二年くらい働かなくても生きていけるだろうくらいのお金を貰った。ほんの数週間でこの金額……と思ったが、どれだけポンコツで役に立たなくても『恵の人』というだけでそれなりの扱いをされるということか。


 ――お金はある。確かに、ある。


 けれど、目まぐるしく変わる環境についていけず、わたしのメンタルはボロボロだ。

 そもそも、ちょっとのストレスですべてを投げ出して引きこもっていたニートなのだ。こんな、ころころと環境が変わる状況に耐えられるわけがない。

 訳も分からないまま妃候補にされて、ちょっと慣れてきたかも、と思ったら白紙になって放り出されて。

 行き場所がない。精神的にも、物理的にも。


 この後は不動産屋にでも行って、部屋を借りて職を探すべきか。それとも、お金を銀行から幾らか下ろして異世界探索でもするか。

 案はいくらでもあるが、なんとなく、どれもこれも実行する気にはならなかった。

 というか、この場から動く気にもならない。


 動いて――一体、どこへ行けばいいというのだ。


「はぁ……」


 でも、流石に突っ立ってるのは疲れる。どこか、座れる場所はないだろうか。

 そう思いながらきょろきょろしていると、綿鷺さんを見つけた。


「綿鷺さんだ」


 思わず呟くと、綿鷺さんはその声を拾ってくれたらしい。こちらに気が付いた。

 ――なんとも言えない表情をしている。

 彼もまた、社長令嬢の少女ちゃんのことを知っている。――わたしが、お役御免になったことも知っている。

 名前を呟いただけ、とはいえ、はたから見たらわたしから声をかけたような状況だ。

 彼の元に近づき、「こんにちは」と声をかけると、挨拶をし返してくれた。

 ただそれだけ。妙な沈黙が流れる。


「……お外に買い出しですか?」


 なんとなく、話したくなって聞いてみれば、話が続くと思っていたかったのか、綿鷺さんは少し驚いたような表情を見せた。

 でも、それも一瞬のことだ。すぐにいつもの表情に戻った。


「いえ、今日は非番です。ただ、忘れ物を取りに」


 そう言って、彼が見せてくれたのは財布だった。


「そう、ですか」


 ……うーん、会話が続かない。何を話せばいいのか、分からない。


「そっ――んんんっ!」


「どうかしました?」


「いえ、なんでも!」


 そういえば、綿鷺さんって思ったより若いんですねって言おうとして辞めた。

また変な話題転換をするところだった。危ない。

 ここを離れてしまえば、綿鷺さんとの接点はなくなる。名刺と、それに書かれた連絡先によって、完全に関係が絶たれるわけではないが、わたしがその連絡先を使って声をかけられるかと言ったら、絶対に否。無理だ。

 何か話を、と思ったが、わたしに話題の引き出しなんて、あるわけがない。コミュ障な上に、もう何年も家を出ていなかった。

 わたしがもだもだしていると、バスがやってくる。綿鷺さんの陰になっていて気が付かなかったが、バス停のようなものがそこにはあったらしい。


 行ってしまう。

 綿鷺さんが、行ってしまう。


 彼がいなくなれば、この世界でわたしの唯一といっても過言ではない知人が、いなくなってしまう。

 それでは、とバスに乗ろうとした彼の腕をつかんだ。


「わた、わたしも! わたしもバス、乗ります!」


 ち、違うだろー! なんか違うだろ!

 これからのことを相談したいんですとでもいえばよかったのに!

 が、もう遅い。

 少しだけ驚いた表情を見せた綿鷺さんは、サッと道を開け、「それでは、お先にどうぞ」とごく自然に乗車を譲ってくれた。そうじゃない、そうじゃないの!

 しかし、綿鷺さんの顔を見れば、どうして乗らないんだろう? と不思議そうな表情を浮かべている。

 わたしはおとなしく、礼を言って、バスに乗ることしかできなかった。

 そうじゃないのに!

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