06

「僕のことは思い出してくれたのに、この傷のことは思い出せないんですか?」


「――いや、流石にそれは覚えてる」


 彼の目じりの傷。それは彼自身が目を傷つけようとしたときのもの。

 左右の目の色が違うなんて、『あり得ない』こと。複数の魔力の属性を持つ人間でも、一番質のいい魔力の属性の色が目に出る。


 ましてや、魔力を持たない銀の瞳と、木属性の魔力を表す緑が両立するわけがないのだ。

 それゆえに、彼は奇異の目で見られていて。幼い子供でも察してしまうくらいに、周りからの目線が痛かったのだから、今思えば、当時のわたしが感じていた以上に差別されていたに違いない。


 そんな彼は、ある日、瞳をハサミでえぐり出そうとしたのだ。

 何か工作をしていて、紙だかテープだかを切るためにハサミを使っていたのだと思う。確か、そのはず。

 ふと彼の方を見たら、ハサミが手元じゃなくて目先にあって、その光景の方が衝撃的過ぎて細かいところは覚えていない。


 わたしがびっくりしながらも必死になって止めたから、眼球は無事だった。ただ、子供が子供から物を取り上げようとしたので、上手くいかず、目じりの方に刃が滑ったのだ。


「一杯血が出て大変だった……よね?」


 一緒に遊んでいた子が、無言で急に目を刺そうとしていた構図と、転んで出来る擦り傷なんかとは比べ物にならないくらいの出血だけが強く印象に残っている。

 でも、そうじゃなかったらしい。


「――それだけ、ですか?」


 それだけ。それだけ、じゃなかったっけ? 細かいところは覚えていないが、大まかな流れは間違っていないはず。……間違ってないよね?

 どうだったかな、ともっと記憶を引っ張り出そうとしていると、わたしが思い出すよりも先に、ジェゼベルドが言った。


「あのとき、『綺麗な目なのに、もったいないでしょ』って言ったんですよ、貴女」


 そんなこと言ったっけ。言われてみれば、当時のわたしは幼いジェゼベルドのことを、特別な子だと思っていたような記憶がある。世界的に珍しい『銀の子』であるわたしよりも、もっと不思議な目をしている男の子。

 それが他とは違う、という見方をしていたのは、周りの人間と同じだが、どちらかと言えば好意的に見ていたと思う。


「それに、『折角おそろいなのに!』とも言っていました」


 嘘でしょ、そんなこと言ってたの、わたし!? もっと他に言うことあると思う。少なくとも、目の傷の心配をするとか。


「……ずっと、僕はこの目が嫌いだった。いえ、今でも嫌いです。でも、貴女は純粋に、僕の目を、僕以上に大切に思ってくれていた。――そんなことを言ってくれる相手のことを、好きにならないわけないでしょう?」


「それは……そうかも、だけど……」


 理屈は、確かに分かる。

 でも、言った本人であるわたしは、そこまで覚えてない。

 なんだか彼の中で思い出が美化されているような気配をひしひしと感じるが、どう伝えたものか、と悩んでいたが、今更取り繕えるものではないらしい。態度に出ていたようで、わたしが言った言葉を思い切り忘れていることは伝わってしまったようだ。


「忘れていても、いいです。だって、忘れるということは、あのときの貴女にとって、僕の目への考えはあれが当たり前だった、ということですから」


 ……そうだろうか? そう、かも? あのときくらいの子供は素直だ。全く気を使うことができないとは言わないけど、あの状況で出た言葉は、わたしの本心だったのかもしれない。


「それに、今だって、別にこの目、気持ち悪くないんでしょう?」


「それは……まあ」


 左右の色が違うくらい、別に気になることはない。珍しいな、とは思うけれど。


「なら、問題ありません」


 ……本人がそう言うのなら、いいの、かな?

 わたしは、ジェゼベルドの前髪を上げていた手を髪から離す。はらり、と髪が落ち、いつものジェゼベルドに戻る。彼はわたしの腕から手を握りなおす。今度は変に触ることはなくて、ただ、指先を軽く握っているだけ。


「本当は貴女の第一夫になりたかった。でも、こんなだから、ここまで席が回って来なかったんです。貴女と子供を作っても、どんな属性の魔力を持つ子供が生まれてくるか、分からなかったから」


 『銀の子』の嫁ないし夫になりたい、という人は、わたしが思っている以上にいる。そういう人の為に、情報を登録しておく機関があるくらいだ。公営の結婚相談所みたいなものである。

 彼は結婚できる年齢になったら、そこに情報を登録していたそうだが、話がなかなか来ず、ずっと待っていたらしい。


「貴女が他の男との子供を抱いていたら、と考えるだけで、嫉妬でどうにかなりそうでした。――でも、違った」


 じっと、わたしを見つめてくる目に、わたしは視線をそらせなかった。そらしたいのに。見ていると、心臓をわしづかみにされているようで落ち着かないのに。――怖いのに。


「どうして、貴女が男を嫌いになったのか、教えていただけませんか。僕は正真正銘、貴女の『夫』になりたい。そのための努力なら、惜しみません。今すぐじゃなくても、僕の努力でどうにかなるなら、何でもします。――だからどうか教えて。何をすればいいのか」


 ジェゼベルドの懇願する声に、わたしは口を開いたり、閉じたりした。

 わたしの、男が怖い理由。アリヴィドだけは一応、知っている。わざわざ伝えるまでもなく、彼もその場にいたから。


 ――でも、これはわたしの個人的な話で。


 わたしは、男が怖くて、苦手で、嫌いだ。それは間違いない。でも、多分、他の人から聞かれたら、そんな理由? って言われてしまうかもしれない。

 だって、実際に被害にあったのは、わたしじゃない。

 まるで食わず嫌いみたいな理由。


 それを聞いて、彼がどう思うだろうか。

 こんな土壇場になっても、言うかどうか、わたしは悩んでいた。彼はわたしに秘密を教えてくれたのに。


 すると――。


「体臭が悪いというのならば、そのように改善します」


 ジェゼベルドが、至極真面目な顔で、そんなことを言い出した。


「粗暴なところが嫌だというなら、言動に気を使いますし、身長が大きいのはどうにもなりませんが……貴女の前ではかがめばいいでしょうか」


 ジェゼベルド自身が思っているのであろう、男が嫌悪感を持たれやすいところをいくつも上げていく。


「大丈夫、どんなことでもちゃんと聞き入れます」


 その言葉に、わたしは少し迷った後、ちらっと彼を見た。


「……怒らない?」


「はい」


 ジェゼベルドは笑顔だ。


「……、……呆れない?」


「もちろん」


 ジェゼベルドは、やっぱり笑顔だ。

 本当に、言っても大丈夫なんだろうか。


 緊張で、心臓が早鐘を打つ。ばくばくと暴れる心臓を押さえるように、握られていない方の手で、胸の辺りをきゅっと押さえた。

 すー、はー、と深呼吸を何回かして、わたしは勇気を振り絞る。


「お、お姉ちゃんが……」


 緊張からか、声が変に裏返る。それでもジェゼベルドは、指摘することなく、わたしの言葉を待ってくれていた。

 わたしは少しづつ、言葉を選んで、続きを離す。


「お姉ちゃんが、あの、最初、その、えっと……は、初めては、初めて『する』のは、すごく、痛いって、脅してきて、それで、それで――」


 羞恥心で死にそうだ。恐怖からではなく、いたたまれなさから涙がぽろぽろこぼれてくる。

 逃げたい。

 こんなことで、と、他人は言うかもしれない。


 でも、お姉ちゃんは、すごく、具体的に話して来たのだ。その、いわゆる『初体験』の話を。

 お姉ちゃんからしたら、からかい半分、優しくしてくれないような男に引っかかるなよ、という助言半分で言ってくれたのだと、今なら分かる。一緒にいたアリヴィドには、優しくしてあげられる男になりなさい、という意味で言ったのかもしれない。


 でも、それを聞いた当時のわたしは、丁度、子供はどこからか自然にやってくるものではなくて、男女でどうやら作るらしい、ということを知ったばかりで、具体的な方法までは知らなかったような歳だ。

 あまりに想像が付かない範囲でありながら詳細に話される内容に恐怖した幼いわたしは、男って怖い、恋愛なんて絶対しない、と強く思ったのである。

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