25.旅立ちの前に(1)

「それじゃあ今度はサイヒから南に行くんですね」

「うん、久しぶりなのにそれを言いに来ただけって言うのもどうかと思うけど」

「いえ、わざわざここまで伝えに来てくれただけでも嬉しいですよ。タビさんの話を聞くのは楽しいですしね」


 ルジュ――名もなき村の宿屋の娘――はそう笑う。久しぶりに訪れた名もなき村は発った時と変わらない日々を繰り返していた。

 ツルギに防具の強化を頼んだ翌日から、双子馬を駆ったタビはルルを連れて名もなき村を訪れた。ルルの乗馬練習を兼ねた旅路は往復で4日ほど。名もなき村から徒歩で1週間かかった往路よりもはるかに速い。


「もし良心が痛むようでしたらまたこの村に遊びに来てくださいね。タビさんたちの話を聞くのを楽しみに待ってますから」

「ふふ、村に来てからみんなにそれを言われるよ」

「それだけ楽しみなんですよ! 普段の村の暮らしは退屈ですからね」

「わかった、また来るよ」


 1晩過ごした宿屋は暖かく、冬を迎え始めた季節にはなかなか出るのが難しい。誘惑を断ち切ったタビは食事代をルジュに渡して宿屋を出た。村共有の厩に繋いだ双子馬の元に向かうと嬉しそうにいななく。タビが購入したころよりずっと懐いてきた。ススキはルルの身長に合わせて首を下げ、撫でられて嬉しそうにしている。それを微笑ましく眺めながら、タビもカヤを優しく撫でる。


「そういえばルル、あの墓地にはいかなくてもいいの?」

「……大丈夫です。お別れはあの時済ませてきましたから」

「そっか。じゃあ頼むよ、カヤ、ススキ」


 双子馬を連れて村の外に出れば、あとは乗って帰るだけ。このあたりには馬の速度に追いつける魔物は出ないので、寝るときさえ気を付けていれば安全だ。

 2人はそっと村を出た。






 ビオテークはすっかり完治して、いつものようにメイド服を着て暗闇の図書館に暮らしていた。前回会ったときのことを互いに詫びてから、タビの目指す街の話になった。


「そうか、タビはホクシャに行くのか」

「ああ。王都の地下遺跡も気になるけど、人を増やして経験を積まないとどうにもならなさそうでね」

「そればかりは正しい判断だ。王国騎士は高いしな」


 ビオテークがかつて古代水路魔導冷却溝に潜ったときに5人を借り受けた王国騎士は、今のタビが30人がかりでも傷1つつけられない実力を持っている。そんな王国騎士が5人集まってもあの黒騎士1人を倒せるかどうかなのだ。どれだけ背伸びをしたところで、今のタビに敵う道理はなかった。


 そして、これからタビとルルが目指すのはサイヒの街の南東、大河コクエンの三角州に設けられたホクシャ伯爵領地――ホクシャの街――だ。北西から南東にかけて幾条も走る水路と、直交していくつもかけられた石造りの橋が美しい街。あちこちでタビが聞くのはそんな話だ。


「それで、おすすめの観光名所を何か知らないかなって」

「おいおい、私は吟遊詩人でも商人でもないぞ」

「そうか、さすがに知らないか……」

「いや、知ってる」

「どっちだよ!」


 けらけらと笑いあって、ビオテークが話した観光名所は以下の3つ。

 1つはホクシャの北西にある湖の中央の島に浮かぶ湖上結晶。

 2つはホクシャの南にある砂漠と大河の交わる久遠湿原。

 3つはホクシャの街の中心にある螺旋塔ホクシャ。


「細かくは聞くなよ。一体それが何だろう、ってのが旅の醍醐味だろ」

「もちろん。聞いているだけで何があるのかわからなくてワクワクしてくるよ」

「そりゃ冗長。そんな我が友人にこれを贈ろう」


 ビオテークはいつもの執務机から取り出したものをタビに放り投げる。図書館特有の薄暗さに紛れるかのような黒い革で包まれた紙の束。


「本?」

「いや、日記帳だよ。ルル嬢のものと合わせて2冊。これから長く街を離れるんだろう? なにがあったかくらいは書き留めておいてくれよ。ただでさえ人間はものを忘れてしまうんだ」

「それで帰ってきたときに話をしろと」

「そうとも。それだけじゃない。終わる前に帰ってこいという話でもある」


 タビがページを繰れば、分厚い日記には700日を下らない数の日記を書けそうだった。たまに会いに来てくれればよい、ということだろう。


「あいわかった。できるだけ忘れないようにするさ」

「お代は書きつくしたその日記帳で構わないぞ」


 後は別れの言葉を交わして、タビとビオテークは別れた。死別のないこの世界で、真の意味で永遠の別離など存在しない。再会の時の約束さえすればタビとビオテークには十分だった。






 木の床を踏む音と、手が手を叩く音。今道場の中で聞こえるのはそれだけだった。

 パシッ、パシッとルルの手刀が弾かれ、開いた体に差し込まれるタビの足刀を、ルルは床を蹴って回避する。その勢いのまま強引に振り回した脚が、タビを捉えようとしたところでその目標を失って投げ飛ばされる。

 床に落ちる直前、ルルは何とか受け身を取って立ち上がるが、タビとルルが再び向かい合ったところで道場に入ってくる影があった。


「1週間で随分上達したみたいだな、ルル」

「……はい、ありがとうございます。ツルギさん」


 一旦構えを解いたタビとルルでツルギを出迎える。今日は防具を買ってからちょうど1週間。夕食後の鍛錬がちょうど終わる時間を見計らって来たということは、防具の強化が終わったということだ。


「何なら今度俺も混ぜてくれ。つっても1週間しかないけどな」

「……タビお兄ちゃん?」

「ん、ああ。構わないよ。3人でやった方が効率もいいし、明日からは夕食後は全員で鍛錬の時間にしようか」 

「助かるぜ」


 タビとルルが組み手をしていたのは、【体術】の訓練のためだ。ツルギが【体術】を持つことで、わずかとはいえ【従者】の効果がタビを強化する以上それを断る気はタビにはなかった。


「っと、本題を忘れずにだな。頼まれてた防具の強化が終わったぜ。っても、あまり重くなりすぎないようにってことで防御力は控えめだが」

「ああ、助かったよツルギ。明日から少し慣らしたらホクシャに行くよ」


 タビとルルはそれぞれ受け取った防具を持ち上げては様子を確かめる。作っている最中におおよその重さは確認しているので、それと大きな食い違いがないかどうかの確認が済めば十分だ。

 ルルが問題なさそうにしているのを確認して、タビはツルギに問題なさそうだと伝える。


「よし、それじゃあ引き続き仕事をするとするか!」

「……仕事、ですか?」

「鍛冶だよ。これでも一応鍛冶職人として雇われてるんでね」

「今後は鉄製の武器を作って街に卸しては素材の鉄を買って、を繰り返してもらうつもりなんだよ」

「そういうこった。叩いてると段々金属のことがわかってきて楽しくなるな」


 金槌を叩くようなジェスチャーをして、ツルギは笑う。タビはついでに何度も打ちなおしたレベリングに使った青銅製のナイフを譲るように言い、ツルギは手元にあった30本ほどを譲った。

 笑いあう2人を見ながら、ルルは何とも言えないような表情を浮かべて、結局何も言わなかった。






 翌日から1週間、タビとルルはサイヒの街の周辺で防具を慣らしていった。軽い皮装備でツルギによって補強された防具は、吸い付いたかのように2人の体にフィットして、すぐに慣れた。

 冒険者ギルドで依頼の更新をした上で、2人はサイヒの街を旅立つのだった。

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