15 元社畜と現実逃避なサンドイッチ

「少し夜風に当たってくると俺は聞いたんだが……何をしてるんだ?」


 呆れたような声が聞こえ、わたしはびくりと肩を跳ねさせた。ぎこちなく振り返ると、そこには剣士さんがいて。苦笑いをしているが、雰囲気的には怒っているわけではないようだ。


「あ、あはは……。現実逃避、ですかねえ……」


「おれはこいつの見張り。おれ無しに、勝手に厨房使われるのは困るんでね、一応」


 乾いたわたしの誤魔化しの笑い声と、ギルド長がレタスをつまみ食いする音が、深夜のギルド併設食堂の厨房に響いた。




 少年との野営を経て、思ったことが一つ。わたしは魔法を知らな過ぎる、ということ。

 少年にある程度説明をしてもらったけど、技術的な話よりも、今のわたしの実力がどの程度のものなのか、わたしが無意識に使っている鑑定魔法がチート特典ではないのか、分からないのが一番の問題なのである。


 鑑定魔法を無詠唱で使っても不自然じゃないならバンバン使っていくし、知識と実力に対してできることが不釣り合いだと思われてしまうのなら、極力隠していかねばならない。まあ、不特定多数に結構バレている弦時点で、隠し通すというのは結構手遅れな気もするのだが。


 ともかく、わたしはこの世界の魔法を知らないといけない。

 そう思って、街の図書館へとやってきたのだが――。


「全然分からない……」


 魔法のことが書かれた本とにらめっこしていたが、三十分くらいで挫折した。

 魔法のことを理解する以前に、言語が分からないのである。単語やちょっとした文章なら鑑定魔法でなんとかなるし、変な翻訳になっても、雰囲気で分かるものだ。

 でも、長文になってくると本当に何がなんだか分からなくなることが多い。同じ単語でも、別の訳され方をされてしまうと、もうお手上げ。


 わたしは本から知識を得ることを諦めて外に出る。今日は一件採収依頼を済ませてきたから、だいぶ陽が落ちてから図書館に入ったけれど、わたしが図書館にいた約三十分で完全に夜になっていた。

 小説とかはそこそこ読むんだけど、頭を使って考えるような、勉強のための読書はあまりしないので、たった三十分でも地味に疲れた。


「ふぁ……、どこかに魔法の先生がいないかなー……っと、すみません」


 疲労感からのあくびをかみ殺しきれず、手で隠しながらも大口であくびをしていると、誰かにぶつかってしまった。前をちゃんと見ていなかったせいだ。


 依頼をこなしてから勉強するべきじゃなかったな……。こっちに来てから、ゆっくりとしたペースで生きるようになったからか、以前の社畜感覚の配分で予定を組むと強い疲労を感じるようになってしまった。

 それだけこの世界にきてから長いということになってしまうので、いいのか悪いのか、定かではないが。


「――ああ、君か。こちらこそ、気が付かなくてすまない」


 ぶつかった相手は剣士さんだった。

 最近、剣士さんをよく見かけるようになった――気がする。


 冒険者の拠点は、基本的に冒険者ギルドへと集中するので、同じ街に滞在することに決めたら、結構行動範囲は被ってくる。なので、剣士さんがしばらくこの街を拠点にすると決めたのなら、顔を合わせることが増えても不思議じゃないんだけど。


 ……それにしても、身長高いな。こうしてすぐ傍に立つと、その高さを改めて思い知らされる。結構がっつりと鎧を着込んでいるし、わたしみたいなのが急に出てきたら気が付かないこともあるのだろう。高身長で下が把握しにくい服装なら、死角が多くもなるものなのかも。


「怪我はないか?」


 心配してくれる剣士さんに、わたしは「大丈夫です」とだけ返す。


「それにしても――……図書館か。君がここにいるとは思わなかった」


 わたしが今しがた出てきた建物をふ、と剣士さんが見上げる。図書館にいるイメージがない人間で悪かったわね。

 まあ、わたしが、というよりは、冒険者がそもそも図書館を利用しない、ということなのかもしれないけど。


 この街の図書館は有料である。貸し出しはなしで、営業時間内に料金を払って本を自由に閲覧できる。元の世界の、利用も貸し出しも無料、という図書館に慣れていると、えっお金とるの!? と驚いたものだが、そもそも無料で本を読めて貸し借りできる時点で特殊だよね。元の世界でも、漫画喫茶とか、当然有料だし。そう思えば、図書館が有料なのも納得できる。


 とはいえ、わたしみたいな、低ランクで採収依頼を受けることをメインにしている、文字通り『その日暮らし』な人間が利用するのは珍しいことなのだろう。


「ちょっと調べ物があって。納得いく結果は得られませんでしたけど」


 知識を得るならネットか図書館、ネットがないから図書館へ。

 そんなノリで来たけれど、文字が読めないことをすっかり忘れていたのだ。話す分には普通に言葉が通じるため、未だに時折、ここは元の世界と言語が違うということを忘れてしまう。

 あ、そうか。別にお金の問題だけじゃなくて、文字が読めない人間が図書館にいることが不自然だと、剣士さんは思ったのか。


「調べ物? 何が知りたかったんだ?」


 知ってることなら教えてやるぞ、とばかりに、剣士さんが聞いてくる。そういえばこの人、エルフだったな……。わたしと同じくらいか、少し上くらいに見える見た目をしているけれど、実際はもっと年上で、物知りなのかもしれない。


 それにエルフだったら、魔法が得意らしいから、詳しく教えてもらえるかも。

 丁度、剣士さんはわたしが鑑定魔法を使える人間だということを知っている人物の一人だし、聞いてみてもいいかも。分からないなら分からないって断ってもらえばいいだけだし。


「魔法のことについて、少し」


 あまり期待しないで、聞くだけ聞いてみる、という気持ちで尋ねたのだが、剣士さんは快諾してくれた。


「ああ、それなら、俺が分かる範囲で良ければ教えよう」


 にか、と人好きのする笑顔を見せてくれて、助かる! とばかりにわたしは剣士さんに「是非お願いします!」と頼み込んだ。

 ――この気軽な頼みを、後で激しく後悔することになるとは、このときのわたしはいまだに知らない。




 剣士さんに教わることになって、そのヤバさにきがついたのは、会話が始まってニ十分くらい経ってからだった。

 剣士さんは、そりゃあもう、スパルタだった。というか、多分、人に物を教えることに向いていないタイプの人間だと思う。人間じゃないけど。


 『分からない』ということが理解できない上に、自分のペースが他の人間と同じくらいだと思い込んでいるようで、かなりのハイペース。基礎もしっかりしていないのに、そんなにガンガン知識を詰め込まれたところで理解が追い付けるわけがない。


 それでも、教えを乞うた以上、話の腰を折るのがはばかられたので、それとなく、食事を提案して逃げようとしたのだが――結局、話はギルドの食堂でも続いた。


 酒の味が分からなくなったのは、社畜時代、面白くもない上司の自慢話を聞かされたとき以来である。

 しかも酔ってるから同じ話を繰り返すんだわ、元上司。そこの点を考えたら、剣士さんのほうがまだ幾分かマシかも。同じ話を延々と聞かされる上に、毎回新しいリアクションをしないといけないことほど辛いものはない。

 いや、教えを乞うてる立場で酒を飲むなという話ではあるけれど、酒を頼めばお開きになると思ったのだ。でも、そんな展開にはならなかった。残すのがもったいないので、頼んだ一杯は飲んだ。このくらいなら酔わないし、セーフ……セーフか?


 話を終わらすタイミングを完全に失ったわたしは、「ちょっと休憩挟みましょう!」と言って、なんとか逃げ出したのだった。

 ギルドの外に出てから、なんで、今日はもういい時間だからお開きにしよう、と言ってこなかったのか、と激しく後悔した。脳が疲れ切っていて、そこまで頭が回らなかったともいう。


 ちなみに、わたしが鑑定魔法を無詠唱で使えることに対しては、そこまで不自然ではない、という結論に至った。剣士さんがそうハッキリ言ったわけではないけれど、そうなのだと思う。


 一次魔法や二次魔法等を無詠唱で行うには練習が必要らしいのだが、五次魔法という、全属性を使用する最上位の魔法は魔法一つにつきそれぞれ適正が必要となり、練習だけで習得できるようなものではないようだ。使えるか否かは生まれた時点で決まっているらしい。

 五次魔法は人それぞれ。無詠唱で発動することも珍しくないらしい。五次魔法を習得できる人間は百人に一人くらいの割合らしいが、まあ、そのくらいの確率なら、そこまで低いわけでもないから、鑑定魔法を無詠唱で使えるとバレても、セーフかな、と思う。ちなみにエルフだと二人に一人は五次魔法をなにかしら習得しているらしい。やっぱエルフってすげえ。


 なお、わたしが一番欲しかったこの情報を得るために、三時間は要した。わたしが最初から『五次魔法』というものを知っていれば、すぐに教えてくれただろうに……。

 この後の講義と言う名の剣士さんの教えをどう回避するべきかな……と思っていると、ばったりギルド長と出会った。


「おう、お疲れ」


「お疲れ様です……」


 外でギルド長に会うこともなかなかない。


「外で会うのは珍しいですね」


「あー……見回り?」


 ギルド職員って、そんなこともするのか……?

 何かと理由をつけて書類仕事を回避しようとして、ギルド職員の人に怒られている姿をなんどか見かけているので、怪しいところ。目線も泳いでいるし。


「そ、それより、また何か夜食を作ってくれよ」


「まあ、別にいいですけど……」


 え、もうそんな時間? 本当にお開きにしないとまずいな。


 ――で、厨房でサンドイッチを作っているところに剣士さんがやってきた、というわけだ。

 テスト前に掃除を始めたことを親にバレた気分になって、なんとなくちょっと気まずい。


「お、お腹空いちゃって。いい時間ですし……あ、け、剣士さんも食べますか?」


 わたしはサンドイッチを作る手を止める。こっちの世界のサンドイッチは食パンではなくバケットで作るのが主流のようだが、今は厨房に食パンしかないので、これで作っている。中身はハムとレタス、あとトマトモドキ(わたしが勝手にそう呼んでいる、トマトに味と見た目が似ている果物)という、一般的なものだが。うーん、流石にもう一種類くらい欲しいか?


 剣士さんは、じっとわたしの手元を眺めている。折角教えていたのに、逃げやがって、とか思ってるのかな……いや、そんなこと思う人ではないと思う、けど……。


「……珍しい。エルフ式か」


「え?」


 わたしは剣士さんの予想外の反応に、変な声を上げてしまった。


「食パンを使って作るサンドイッチはエルフ式といって、人間が作っているところはあまり見ないんだ」


「へえ……」


 そんな違いがあったのか。サンドイッチの作り方一つで、呼び名どころか作る種族まで特定されるとは。

 この街は人間の比率のほうが多いから、エルフ式、と呼ばれるこのサンドイッチをなかなか見かけなかったのだろう。


「耳の部分をリスやミグラルにあげるからな。それだと、食パンの方がいいだろう?」


 いいだろう、と言われても、リスはともかくミグラルという生物がピンとこない。まあ、エルフと共存しているということは、森に生きる、この世界特有の動物かなにかだろう。


「これはエルフ式っていうのか、初めて知った。……酒のはどこで作り方を知ったんだ?」


 酒の、とギルド長に呼ばれ、一瞬、ドキッとする。ちゃんと固有名詞で彼に呼ばれたのは初めてかもしれない。……いや、でも、酒の、って。そんな飲んだくれなイメージなのか?

 ひ、否定できないけどぉ……。


「ま、まあ、別にエルフ式って知ってて作ったわけじゃないですよ! バケットがないんですから、今ある食パンで作るしかないじゃないですか」


 「サンドイッチなんてパンで具を挟むだけなので、レシピらしいレシピなんてないようなものですよ」と、わたしは適当に誤魔化しながら再びサンドイッチ作りの手を動かす。元の世界ではこっちのほうが主流でした、なんて言えるか!


「それにしても、もう食堂が閉まるような時間か。……楽しくて話し込み過ぎてしまったな」


 しょぼん、という効果音が背景に見えるくらい、分かりやすく剣士さんが落ち込んでいた。


「君に頼られていると思ったら、嬉しくてつい」


 ぐ、ぐぅ。そんな風に言われたら、お開きにしましょう! って言いにくくなってしまうじゃないか。いや、時間が時間だから、終わりにするべきなんだろうけど。明日に響く。明日ってか、もう、今日だけど。


「――ッ、とりあえず、サンドイッチ食べてから考えましょう!」


 わたしは三皿にサンドイッチを分ける。皿にあるのは、ハムとレタス、トマトモドキの三種類が入ったサンドイッチと、チーズとマヨネーズっぽいソースの入ったサンドイッチの二種類だけだが、まあ、夜食なら十分でしょう! あれ、前回作った夜食もそんな感じじゃなかった?

 そう思わずにはいられなかったけれど、まあ、「夜食を作ってくれないか」と言ったギルド長本人が満足そうに皿を受け取ってくれたから、良しとしよう。

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異世界転移して冒険者のイケメンとご飯食べるだけの話 ゴルゴンゾーラ三国 @gollzolaing

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