第75話 知っていました
「うん? 騙された?」
首を傾げる殿下に、令嬢はさらに言い募る。
「ジュディさまがあんなことを言わなければ……!」
けれど対してジュディさまは、落ち着いた様子でほほ、と笑った。
「嫌ですわ、騙されただなんて、人聞きの悪い」
その言葉に苛立ったのか、何人かの令嬢がバッと椅子から立ち上がり、ジュディさまに詰め寄った。
同時に選手たちも立ち上がる。
なにかがあったときにはすぐに動ける体勢ということだろう。
このままだと乱闘になりかねない。
一人の令嬢が腰に手を当て、怒りをあらわにして言った。
「ジュディさま? だってジュディさまは、この選考会は王太子殿下の戯れだって仰いましたわよね?」
「ええ、そうですわ。このような決め方、戯れ以外の何ものでもないでしょう?」
歌うように言うその言葉に、令嬢たちは息を呑んだ。
そして一瞬後に、叫ぶように言った。
「そんな! だってわたくしたち、これは戯れで、本当はこんな決め方はしないって」
「解釈を誤りましたわね。わたくしは一言も、この選考会では決まらない、だなんて言っておりませんわよ」
何人もの令嬢に詰め寄られているというのに、ジュディさまは落ち着いたままで、その美しい顔を崩しはしなかった。
彼女は小首を傾げて、頬に手を当て、ほう、と物憂げに息を吐く。
「仮にわたくしが誤解されるように言ったとしても、それを鵜呑みにするのはいかがかと思いますわ」
「なっ……」
「この程度の情報戦に引っかかるようでは、とても王太子妃など務まりません。わたくしを責める暇があるのなら、ご自身の愚かさを振り返ったほうがよろしくてよ」
ジュディさまは意識しているのかいないのか、そんな挑発的な言葉を舌に乗せた。
「なんですって!」
「いくらアッシュバーン家のご令嬢とはいえ、少々お口が過ぎましてよ!」
当然、令嬢たちは一瞬にして頭に血が昇ったようだった。
掴みかかろうとする者もいたので、立ち上がっていた選手たちもわっとジュディさまの周りに集まる。
「まあまあ、落ち着いて」
「気持ちはわかるけど」
身体をジュディさまと令嬢たちの間にねじ込んで、令嬢たちを押し戻している。
「おどきになって!」
「このような侮辱、いくらジュディさまだって許されることではありませんわ!」
「ひどすぎます!」
これはもう収拾がつかなくなってしまうのでは、と思われたころ。
「静まれ!」
さきほど、ホワイトさんとの揉め合いを止めたのと同じ、凛とした声が響いた。
そして同じように、ぴたりと全員が動きを止めた。
「そんなに血気盛んなら、練習すればいいのに……」
ウォルター殿下は、ため息とともに言う。
「ええと? 聞いてください、とのことだけれど」
皆が殿下のほうに振り返って、耳を傾けている。
殿下は小首を傾げて、口を開いた。
「ジュディがそのような物言いをしたことを、私は知っていたよ?」
「えっ……」
令嬢たちは呆然と、殿下が言葉を紡ぐのを見つめていた。
「私は昼食会の最中に起きたことについては、逐一、報告を受けているからね。もちろんそのときの発言についても聞いているよ」
そこで、あっ、と何人かが気付いたようだった。
確かにあのとき、昼食会での行動で予選を通過した令嬢がいた。
当然、殿下は昼食会での令嬢たちの言動を知っているはずなのだ。
それを聞いて、一人の令嬢が叫ぶように言った。
「ご存知でしたら、どうして訂正してくださらなかったのです!」
「だって、ジュディは嘘は言っていなかったからね。訂正するほどのことでもない」
殿下は肩をすくめてそう答える。
「で、でも……!」
「同じように聞いたのに、まったく動揺なさらなかったご令嬢もいたと聞いているし」
キャンディのことだ。
彼女はあのとき、ジュディさまの言葉に惑わされず、ただ一生懸命、野球を覚えようとしていた。
殿下は令嬢たちに向け、続ける。
「それとね。こういった情報戦は、試合中でも、グラウンドの外でもあることなんだよ。それも含めて野球だよ」
「……は?」
令嬢たちが揃って首を傾げる。
殿下はにこにこと笑いながら、言った。
「試合中でもね、投手の打順のときに、ネクストバッターズサークルに違う選手を置いたりするんだ。展開によってはそのまま代打を出すことになることもあるけれど、最初から代打を出すつもりはないときだって代打を立たせるんだ。そうすると、投手が続投するのかどうかわからなくなるだろう? そうすることによって」
「殿下」
語りだす殿下を、エディさまの声が止める。
「長いです」
「えっ、面白くない?」
少し驚いたように殿下が言うのを、エディさまがこめかみに手を当てて聞いている。
「いえ、今、それどころではないので」
「ああ、まあ、そうかな」
納得したように、殿下は話を止めた。
けれど毒気を抜かれたのか、興奮していた令嬢たちは、今はただ呆然と立ち尽くしている。
「まあ、とりあえず」
殿下は令嬢たちに向かって、にっこりと笑った。
「そういった情報戦は、私としては許容できるものだよ。むしろ推奨するところかな」
「そんな……」
何人かの令嬢が、その言葉にがっくりと膝から崩れ落ちた。
*****
乱闘・・・「乱闘は野球の華」ってな時代もありました。
ネクストバッターズサークル・・・ベンチとバッターボックスの間にある、直径5フィートの円形のエリア。
ここで次の打者が待機する。
……はずなんですが、ダミーの選手を置いたりします。そうすることによって、相手チームを攪乱させるのです。
先発投手の打順なのに代打のバッターがそこにいれば、先発交代するのかな? とか。
左の投手に左の代打を送るのなら、ピッチャー交代考えなきゃいけないかな? とか。いろいろ。
まあ、揺さぶりですな。
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