第57話 王太子妃選考会本選、始まりました
防具を装着し終えた1番の令嬢が、ホームベース付近に向かう。
選手たちの中の一人が、バットを持ってバッターボックスに立つ。
ホワイトさんがホームベースの後ろで待っている。
そして。
ウォルター殿下がマウンドの上に立った。
「では」
と令嬢がキャッチャーズボックスの中に入る。
そして膝を揃えたまましゃがみ込み、膝を地面につけた。
「よろしくお願いいたしますわ」
「うーん……」
殿下は頭をぽりぽりと掻くと、令嬢に向かって言った。
「構えは……それでいいのかな?」
「え? はい」
令嬢は、殿下の言葉にうなずいた。
「……危ないと思うんだけど……」
「だ、だって、あんな格好、できませんわ!」
令嬢は叫ぶようにそう言った。
やはり足を広げて構えるのは、難易度が高いようだ。
「そう。それなら……」
仕方なく、といった風情で殿下は、マウンドの横に置かれた籠の中にいっぱいに盛られたボールの内から、一球を手に取った。
それを見たホワイトさんが、指さすようなポーズをして、声を上げる。
「プレイ!」
その言葉を合図にして、殿下はマウンドに構え。そして一球を投じる。
いつものストレートより、いくぶんか遅いスピードの球に見えた。
けれど。
「きゃー!」
殿下の球を受けるはずの令嬢は、叫びながらボールを避ける。
と同時に。
「うわあ!」
ホワイトさんから叫び声があがった。
令嬢の後ろで、うずくまって立ち上がれなくなっている。太ももを押さえているので、そこに当たったのだろう。
「あ」
令嬢が呆然とホワイトさんを見つめている。
「だ、大丈夫……ですか?」
バッターボックスに立っていた選手が、ホワイトさんに声を掛けている。
「そうきたかあ……」
そして、マウンド上の殿下は肩を落としていた。
それでもホワイトさんはなんとか立ち上がる。
「殿下あー! 無理ですよ、これー!」
ホワイトさんは太ももを押さえつつ、叫ぶようにそう言った。
殿下は、うーん、としばらく考え込んだのち。
「間にネットを置こうか。それならどう?」
「見えにくいですけど……そ、それなら……」
それからにわかに周りが慌ただしく動き出した。
選手たちは防球用のネットを用意して、ガラガラとホームベース付近に移動させている。
エディさまは、へたり込んだままの1番の令嬢に手を差し伸べると、起き上がらせていた。
「残念ですが、失格です」
言われた令嬢はがっくりと肩を落として、とぼとぼと歩き出し、メイドに手伝ってもらって防具を脱いだ。
「では、2番の方」
すでに防具を着けていた2番の令嬢が、恐れおののいた様子で、そろそろとホームベース付近に移動している。
そうしているうち1番の令嬢が、皆が座っている席に戻ってきた。
「ど、どうでしたの……?」
令嬢たちにそう声を掛けられた1番の令嬢は、つぶやくように言った。
「あんなの……無理ですわ。恐ろしくて、とても手が出せませんでしたの……」
彼女は涙目になっている。
その様子を見た令嬢たちは、蒼白な顔色をしていた。
「あ、で、でも、これで全員が捕れなければ」
「そうですわ、この選考会もやり直しですわよ」
そう言って、令嬢たちが1番の令嬢を慰めているうち。
「きゃー!」
またバッターボックス付近でそんな声がして、防球用ネットの向こうで、ホワイトさんが身をよじっているのが見えた。
◇
そんな風に、王太子妃選考会は進んでいく。
令嬢たちの「きゃー!」という叫び声が毎回聞こえて。
そして殿下の球は、どんどん遅くなっていった。
「ストレートじゃないよね……」
「チェンジアップ?」
「いや、スローボールだよ」
選手たちがそんな会話をしている。
そして5番の令嬢の番がやってきたとき。
彼女はキャッチャーズボックスには座らなかった。
キャッチャーズボックスの横にしゃがみ込み、グラブをはめた腕だけをホームベースの後方の上に伸ばしたのだ。
「えーと……」
ホワイトさんは戸惑いつつも、彼女に言う。
「ちゃんとキャッチャーズボックス内で構えてください」
「嫌ですわ」
けれど彼女はきっぱりとそう言った。
「え」
「だって怖いんですもの! これでも捕れるかもしれないじゃないですか! これにしますわ!」
「いえ、投手が投げるまでは、キャッチャーズボックスから出てはいけません」
「嫌ですわ!」
そうしてぷいと顔を背けてしまう。
「いや、でも……」
となんとか彼女を説得しようとはしたが、彼女はまったく聞く耳を持たなかった。
痺れを切らしたのか、ホワイトさんは令嬢たちが座っている席に向かって、大声を上げる。
「えー、球審のホワイトです! キャッチャーズボックスから出て構えたら、その時点で失格です!」
「ええー!」
それを聞いた5番の令嬢が立ち上がって抗議する。席に座っていた令嬢たちの中にも、立ち上がって異を唱える人がいた。
「別に、捕れればなんだっていいではありませんか!」
「ひどすぎますわ!」
きっと彼女たちも、5番の令嬢と同じようにしよう、と思っていたのだろう。
5番の令嬢はホワイトさんに掴みかからんばかりに迫っていた。
「失格だなんて、ひどい! 取り消してくださいませ!」
けれどホワイトさんは、思いっ切り右腕を後ろから前に突き出して叫んだ。
「退場ー!」
「横暴ですわー!」
即座に令嬢たちが応戦する。
わらわらと令嬢たちがホームベース付近に駆け寄ろうとするのを見て、選手たちも飛び出す。
私たちはその光景を呆然と見守り、選手たちはまあまあ、と令嬢たちをなだめている。
殿下はマウンドの上で、右手で顔を隠して左手を腰に当てて立っている。なにやら考え込んでいるような様子だった。
ジュディさまだけは、口元に優雅な笑みをたたえたまま、それをのんびりと眺めていた。
*****
チェンジアップ・・・変化球の一種。ストレートと同じ振りで握りを変えて投げ、球速を抑えた球。
なので作中の場合、ウォルターは腕の振りを遅くしているため、チェンジアップとは別物の球を投げています。
スローボール・・・球種のひとつ。腕の振りを遅くして投げるため、山なりの軌道を描く。
なので作中のウォルターの球は、こちら。
でもこれ、ストライクは入りにくいんですよね。まあ殿下は天才なのでストライクということで。
退場・・・この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
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