第14話 ハイヒールは厳禁です

 しばらくは、令嬢たちは各々言葉を交わしていたりしていたけれど。

 ふいに、その場がしん、となった。

 皆の視線がベンチ奥に集まり、私もそちらに目を向ける。

 ちょうどベンチの奥の部屋からエディさまが出てきたところだった。


 そしてその後ろから。

 きらきらと輝く金髪の、すらりとした体躯の男性も。


「王太子殿下よ!」

「まあ、凛々しくていらっしゃるわ」

「まさか本当に間近でご拝顔できるなんて」


 ざわざわと令嬢たちがざわめき出す。

 二人とも、兄がいつも着ているのと同じユニフォームを着込んでいた。

 エディさまはひっそりと、ウォルター殿下に付き従うように、一歩下がった。


 ウォルター殿下は私たちがいる場所の前に立つと、後ろで手を組んで足を肩幅に開き、そして声を張った。


「皆、集まっていただき感謝する」


 その声に、ほう、と女性たちのため息が洩れた。


「私はクローザー王国第一王子、ウォルターだ。皆、よろしく頼む」


 にこやかに微笑みながら言う彼の挨拶に、そこにいた全員が腰を折った。

 そして全員が頭を上げたのを見届けると、ウォルター殿下は首を傾げた。


「ええと? 募集要項をご覧になっていただけていないのかな?」


 そう言って、殿下は眉根を寄せる。


「服装はともかくとして、グラウンドにハイヒールは言語道断なんだけれど」


 言葉が、キツい。明らかに怒気が含まれている。さきほどまであんなに柔らかく言葉を紡いでおられたのに。


 令嬢たちも、雰囲気が急に変わったことに戸惑っているようだった。ハイヒールを履いていた令嬢は、足元を隠すように後ろに引いている。


 殿下はふいに手のひらで私を指した。


「えっ」

「そちらのコニー嬢の服装が理想だったんだけれど……」


 そう言って、深くため息をついている。

 令嬢たちはこちらにちらりと視線を向けている。どう見ても、睨まれているようにしか見えなかった。

 まるで、あなたがそんな服装をしていなければ私たちは怒られなかったのに、と言いたげな視線だった。


 すると、殿下の斜め後ろで控えていたエディさまが口を開いた。


「殿下」

「なに?」


 殿下がそちらに振り返ると、彼はため息混じりに続けた。


「そんなこともあろうかと、ご令嬢方に、靴だけはご用意しております」

「さっすが、エディ」

「殿下の見通しが甘いのです」


 エディさまは、はーっとこれみよがしに大きくため息をついた。


「グリフィス子爵家の……」

「ええ……?」


 そんなひそやかな声が令嬢たちの間から聞こえる。

 子爵家の人間が王太子に向かって不遜なのではないかと思っているような、非難めいた響きがあった。

 けれど殿下と兄の先日の会話から推察するに、「球場では身分は関係ない」という言葉通りの対応なのではないだろうか。

 でも令嬢方はそんなことは知るはずもない。

 ラルフ兄さまの殿下への態度を見たら、皆、責め立てるのではないのかしら、と少し心配になった。


 そんな令嬢たちの空気は気にも留めていない様子で、エディさまは続けた。


「この国での一番の野球バカは殿下なんですから、ご自分を基準に考えるのはおやめください、と何度も言っているのに」

「そんなに褒めなくても」

「褒めてません」


 苦虫を噛み潰したような顔をして、エディさまは返している。

 それを見て、くつくつと笑ったあと、殿下はまたこちらに振り向いた。


「というわけだそうだから、あとで靴だけは履き替えてね」


 どうやら大事にはならなかったらしい、と何人かの令嬢たちがほっと安堵のため息をついた。


「そうそう、先に言っておくとね」


 殿下の言葉に、皆がなんだろう、と耳を傾ける。


「実はこれは、王太子妃募集の予選ではあるけれど、野球の普及も兼ねているんだ」


 その言葉に一瞬、空気が固まった。

 中にはちら、とジュディさまに目を向ける者もいる。

 ジュディさまはそんな視線は意に介さないようで、すましてそこに立ったままだ。


「残念ながら、女性の間には野球は広まっていないからね」


 憂いを帯びた表情で、殿下はそう続ける。

 さきほどのジュディさまの言葉を裏付ける発言だ。

 ではやはりこれは本当に、王太子妃選考会の皮を被った、野球普及のための催しなのだろうか。


「だから、楽しいと思ったらやってみてもいいし、やるのは無理だと思ったら観戦にでも来てほしいな」


 殿下がそう言ってにっこりと微笑むと、きゃあきゃあと声が湧いた。


「はい、ぜひ!」

「もちろんですわ!」


 そう言って、皆が笑顔になる。


 ここにいる誰もが、もう選考会など頭にないのかもしれない。

 だってどうせ、結果など関係なく王太子妃は選ばれるのでしょう?

 もしかしたらすでに決まっていて、その人にだけは簡単に捕れるような球を投げるのかもしれないのでしょう?


 そう、たとえば、ジュディさまに対してだけは。


 笑い合っている令嬢たちの中、私はどうしても笑うことができなかった。



*****


ハイヒール・・・グラウンド内はハイヒール厳禁です。天然芝はもちろん、人工芝の球場でもダメです。グラウンドに穴を開けちゃいけないし、芝も痛むよ。

ファン感謝デーなどでグラウンド内に入るときは、スニーカーを履きましょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る