第42話 泥棒

 両親はオヤジの会社の社員旅行でおらず、望美姉ちゃんは彼氏のうちにお泊り。そんな一人悠々自適な夜に、俺はクーラーの利いた自室のベットの上で電話越しに重朝に怒られていた。


『あんだけお膳立てしてやったってのに、告白もしなかったってどういうことだよ!』


 昨日祭りが終り現地解散した後、重朝からL●NEでどうなったかを聞かれたがその日はひどく疲れていたので、明日でいいかと思いそのまま寝た。しかし、朝起きてからそのことをすっかり忘れており、こんな時間になってしびれを切らせた重朝から電話がかかってきたのだ。


「いやいや、告白しなかったわけじゃねーって! いちおうしたよ!」

『佐有さん聞こえてなかったんだろ? ならしてないのと同じだろ! どーせお前のことだ。振られることにビビりすぎて聞こえてなかったことに安心し、このままでいいやとか思ったんだろ!』

「う……」


 流石付き合いが長いだけあって、こいつは俺のことを熟知してやがる。

 このまま電話を続けていてもぐちぐち説教喰らうことは安易に想像できる。いっそこのまま通話切ってやろうかとも思ったけれど、それはそれで後々面倒なことにしかならないだろう。重朝の説教を聞き流しつつそんなことを考えていると、玄関のドアが開閉する音が聞こえてきた。


 今日は誰も帰ってこないはずだし、たまにご近所さんがお裾分けや観覧版を片手に勝手に玄関を開けることもあるが、もう夜十時を回っておりこんな時間に突関訪問してくる迷惑なご近所さんはさすがにいない。第一、先ほどトイレに降りた際に戸締りは完璧にした。とくに玄関は二度確認したので開いているわけがない。


「わりぃ、ちょっと一回切るな」

『は? オイ! ちょっ』


 重朝の文句は最後まで聞くことはせずに、ブチリと通話を終了させる。明日にでもまた文句言われそうだけれど、緊急事態だ。仕方ない。

 俺は殺虫スプレーを手にし、自室を後にする。なんでそんなもの持っているかって? 他に武器になりそうなのなかったんだよ。バットか竹刀でも部屋にあればよかったのだけど、残念ながら帰宅部の部屋にそんなものはない。


 足音を立てないようにそろりと階段を下りていく。物音は特にしない。俺の気のせいだったのだろうか。しかし安心するにはまだ早い。辺りを警戒しつつ廊下を進んでいく。

 リビングの前に来た時、俺はとある違和感に気が付いた。リビングに煌々と電気がついている。

 トイレに降りた際に俺は確かに一階の電気は全て消した。だというのに、今リビングの電気は間違いなくついていた。ならば、答えは一つしかない。誰かがつけたのだ。

 誰かって誰だ? そんなの泥棒に決まっている。俺は手にした殺虫剤を強く握りしめると、リビングのドアに手をかける。

 中からは微かに人の気配がする。間違いなく何者かがこの中にいる。俺は息を肺に吸い込み気合を入れると、一気にドアを開いた。


「誰だ! ぅぐ!?」


 扉を開けた瞬間に何者かが俺に体当たりをしてきた。とっさに殺虫剤を構えようとしたものの、衝撃に殺虫剤は俺の手を離れ遠くに転がっていった。訳が分からず目の前の人物を押しのようとするが、がっちりと俺に抱き着いておりはなれない。強盗なんぞに無残に殺されてなるものかと、必死に暴れようとしたところ目の前の人物から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「きいてよー、ただよー!」


 望美姉ちゃんだった。どうして抱き着いてきたのかはわからないけど、むせるような酒の匂いに彼女がだいぶん酔っているのだけはわかった。


 ◆


 酒臭さを振りまきながら望美姉ちゃんが床に突っ伏したまま、ワーワーと何やらわめいている。何を言っているのかはよく聞き取れない。節々に望美姉ちゃんの彼氏の名前が出てくるのでこうなっている原因は、間違いなく彼氏なのだろう。


「はいはい、そんなとこで寝てると風邪ひくよー」


 このままここで寝てしまって風邪でも引かれたらたまらないので、とりあえず部屋まで連れて行こう手を取るが逆に引っ張られ、俺は無残にもそのままなすすべもなく望美姉ちゃんの方へと倒れ込んでしまった。


「いった~……」


 とっさのことで身構える暇もなかった俺は、運悪く額を床に打ち付けてしまった。痛む額を右手でさすりながら身を起こそうと手をつくと、左手にむにゅりと柔らかく温かい感触を感じた。何だと思い視線を左手に向ける。目を向けた先には大きく膨らんだ胸。その片方にがっしりと自分の手が食い込んでいた。


「ご、ごめん!!」


 慌てて手を引き、謝るが望美姉ちゃんからは何の反応もない。いつもなら怒らなくても揶揄うくらいはするのだが。俺が倒れた瞬間に頭でも打ち付けたのだろうかと心配になって「大丈夫?」と声をかけながら顔を覗き込んだ。そこで俺は固まった。

 望美姉ちゃんは肩を震わせて静かに泣いていた。透明な雫がはらはらと頬を伝い落ちる。俺はかける言葉も思いつかず、ただただ泣く望美姉ちゃんを見下ろしていた。

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