第27話 ワンちゃん

 ショートホームルームも終わり、放課後となると早々に帰るもの、部活に行くもの、残ってお喋りにいそしむものそれぞれが自由に行動する。俺はというと、部活に入っていないので早々に帰るために教室を出る。


「マキマキー、途中まで一緒に帰ろ―!」


 同じく帰宅部の乃恵が後ろから声をかけてきた。その後ろには佐有さんも居る。断る理由のない俺は二つ返事でOKした。


「佐有センパイ!」


 昇降口から出ると、すぐに大きな声が聞こえてきた。何事かと振り向くとそこには見覚えのある少女。昨日俺を体育館裏に呼びつけて罵倒してきた一年生だ。何故ここにいるのだ? 一年の昇降口はここではない。


犬童いんどうさん、どうしたの? こんなとこに」


 佐有さんが驚いた様子で一年生に話しかけている。


「せーんぱい! 一緒に帰りましょ!」


 少女は慣れた様子で佐有さんの手を取ると、当たり前のように手をつないだ。やけになれなれしいと思うが、女子同士なら普通なのだろうか。そういえば乃恵もかなりスキンシップが激しい。いや、あいつは誰に対してもそうだったか。

 昨日目の前の少女に罵倒されてしまったために、彼女にたいしていい感情はもてそうなにない。俺は離れた位置から状況を見守る。


 俺の存在に気が付いていない少女は佐有さんになにやら楽しそうに話しかけている。この様子、前にもどこかで見た気がする……。どこだっただろうか?

 少女が何か言った後、佐有さんが困ったように笑う様子を目にしてようやく思い出した。この子今年の入学式の日に佐有さんと一緒にいた後輩だ! どおりで見たことあると思ったはずだ。あの時は佐有さんにばかり目がいっていたのですぐに思い出せなかったが、二人揃ったことによってようやく思い出せた。


「ねえねえ、さゆゆん誰この子?」


 先ほどまで別のクラスの奴につかまって喋っていた乃恵がようやく追いついた。佐有さんに引っ付いている少女を目にとめると不思議そうに尋ねる。


「この子は、私の中学校の後輩で犬童羽美いんどう うみちゃん。今日はこの子も一緒に帰っていいかな?」


 今まで満面の笑みで佐有さんに引っ付いていた少女がその瞬間、不機嫌な顔に変わる。しかし佐有さんからは見えないようで気が付いていない。いったいどうしたんだ?


「何この子可愛い―! 犬っぽい! よし、ワンちゃんねよろしくワンちゃん!」


 犬童さんの変化に気が付いていないのか、はたまた気が付いたうえでわざとやっているのか、乃恵はわしゃわしゃと犬童さんの頭を撫でくる。うっわ、犬童さんの顔がさらに酷いことになってる。


「やめてください! 第一苗字に『犬』って感じが入ってるだけであなたに犬扱いされる筋合いはありません」

「え、苗字に犬ってついてるの? やっぱりワンちゃんだよ!」


 お前気が付いてなかったのかよ。てっきり知ってて言い出したのかと思ったわ。


「佐有センパイも変だと思いますよね!」

「んー、可愛いと思うけどな。 あ、でも犬童さんがいやならやめた方が……」

「やっぱり可愛いですよね! ぜひワンちゃんと呼んでください! むしろ佐有センパイ、あなたの犬にしてください!!」


 犬童の突然の衝撃的告白にその場にいた全員が固まった。いつもノリのいい乃恵ですら固まっている。この一年なんてこと言い出したんだ。

 言われた当人である佐有さんは目を見開いて固まってる。仲のいい後輩がいきなりそんなこと言い出すとさすがに困惑するだろう。


「犬童さん……」

「はい! なんでしょう!」


 いや、嬉しそうに満面の笑顔で返事なんてしないで空気読んで! 彼女が本当に犬だったら、今めっちゃ尻尾振っているのは容易に想像できた。


「今なんて言った?」


 佐有さんは困ったようにこてんと首を傾げる。あ、聞こえてなかったわけか。固まっていたわけではなく犬童さんがなんて言ったのか一生懸命考えたいたわけね。


「あ、スミマセン! 聞き取りづらかったですか。では、もう一回いいますね。私を佐有センパイの犬にしてください!!」


 さっきよりも大きな声でハキハキといった。俺たちだけでなく、昇降口付近にいた全員が驚き振り返る。佐有さんも流石にこれは聞こえたようで、眉間にシワを寄せて困っていた。

 そりゃあ、困るよな。下級生に急に脈略なく犬にしてなんて言われたら。いや、脈略あっても困るけど。


「やっぱりそう言ったんだ……」


 ボソリとつぶやく佐有さん。どうやら最初の言葉が聞こえてないわけでなくて、ただ聞こえたことが正しいのか疑ったわけね。突然の犬にしてくれなんて普通の後輩は言わないしな。俺もそんなことがあったら当然困る。

 期待を込めた瞳で見つめてくる犬童さん。佐有さんは少し悩んだあと、遠慮がちに口を開いた。


「ゴメンね、……私猫派なんだ」


 言うべき点はそこではないが、少しズレてる匹田さんも可愛いので何の問題もなかった。


「マキマキ―! 何そんな離れた場所で静観してんの? こっち来なよ。この子めっちゃ面白いよ!」


 離れた場所にいた俺に気が付いた乃恵が声をかけてくる。やめろ、やばそうな気配を察して気配を消していたというのに。あ、ほら、俺に気が付いた途端に犬童さんがすっごい殺気だった視線で睨んでくる。

 このまま逃げたかったが、そうはいかず俺は恐る恐る三人の元へと向かった。


「なんであなたがここにいるんですか? 佐有センパイに近づくなといったはずです!」


 歯を剥きだし、威嚇してくる犬童さん。完全に狂犬じゃん。


「ワンちゃん、ダメだよ。印牧君は私の友達なんだから」


 犬童さんを犬にすることは勿論拒否したが呼び方は彼女の希望を通し早速『ワンちゃん』と呼ぶことにしたようだ。


「佐有センパイ! 私なんかよりその男の方が大事だというのですか!? 付き合ってるというのは本当だったんですね。ひどい、私というものがありながら!」


 犬童さんはかなり誤解の招きかねない発言を残し、一目散に校門へと駆けていった。おい、どうすんだこの微妙な空気を。明日学校に行ったら俺たちは間違いなく噂の的だ。


「……印牧君。ごめんね、あの子ちょっと喜怒哀楽激しい子だから」


 佐有さん、多分そういう問題じゃないと思うよ。


 ◆


「おい、聞いたぞ。お前一年の子に犬になれとか言ったんだって?」

「えー? なにそれ、印牧サイテーじゃん!」


 予想通り一晩にして昨日のことがクラスどころか学年に広まっていた。しかもなぜか俺が犬童さんを犬になれと言ったとか、犬扱いしたとか言う、事実と大きくかけ離れたものだった。解せぬ。

 しかし、その分佐有さんに被害はないようなのでそこに関してはホッとしたのだけど。

 ほとんどの奴らが面白がって騒いでいるだけで、本当に信じている奴は少ないのが幸いだ。まあ、どっちにしろ人の噂も七十五日というから暫くほおっておけば忘れるだろうが。


「おーい、忠世。お前ロリっ子に犬プレイ強要したってマジ? そう言うのはみんなの見てないとこでやった方がいいぞ」


 なんだその斜め上に盛りに盛った話は。しかもよりによってこのクラスで一番付き合いの長いお前がそれ言っちゃうのか? 重朝よ。


「真に受けてんじゃーよ!」


 怒りに任せて怒鳴ってみたが、ケラケラ笑いながらワン! とか言い出すのでとりあえず一発殴っといた。


「一昨日の子が佐有さんの中学の後輩だっていうんだけど、その子が佐有さんにめっちゃ心酔してんの」


 このままおちょくられても困るので、掻い摘んで説明することにした。向かいに座った重朝は思い出したように手を叩く。


「あーあのちっちゃい子。その子が佐有さんに犬にしてくださいって?」

「そー」

「なにそれ、めっちゃおもしれ―。俺もその現場見たかった」

「やめろ、笑い事じゃなかったんだぞ」


 あの後近くにいたやつらにあれやこれや質問攻めになったのだ。


「忠世、恋敵登場じゃん?」


 茶化した口調を崩さない重朝に違うと一喝する。


「あれは多分そんなんじゃない。思春期の女子によくある同性に対する行きすぎた友情による独占欲だろ? 同性愛とかじゃないと思うぞ」


 女の子同士のじゃれ合いは可愛いが、それはあくまで友情の範囲内の場合だけだ。恋愛感情込みになってくると、俺もうかうかしていられない。


「じゃあ、なおさらお前には厳しい相手になりそうだ。『思春期の女子の行き過ぎた友情からの独占欲』ってのはお前が思ってるよりずっとドロドロしてるぞ。姉と妹を持つ俺が言うんだから間違いないって」


 意味深に笑う重朝を俺は適当に聞き流した。

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