アップルシナモンロール

黒猫

 

二月五日

午後の空隙

 そのへの取材のために、一場いちば三太郎さんたろうの職場の先輩にあたる渋川しぶかわ由加子ゆかこがセッティングしたのは、何のことの無い、レトロ感をふんだんに盛り込んだ趣の、よくあるいかにもな雰囲気を持った喫茶店だった。程々の目立ち具合と、程々の地味さ加減とが両立していた。大通りから狭い路地に折れた先、駅に向かってうんぬんと、そう難しくもない道順さえ伝えれば、特段迷うことも無く辿り着ける、無難で贅沢なロケーションだった。アクセスの良さのわりに店内はそう混んではおらず、よって騒がしくもなく、ゆったりとした落ち着いた空気があった。

「へえ、いいところですね」

 三太郎が間の抜けた調子でそんな言葉を発するも、由加子はそれを無視してすたすたと店の奥へ進んでいき、何の迷いも見せずに、壁際のボックス席をそこと定めた。淡い色をしたコートの中から、するすると生意気なパンツスーツの御姿が現われた。さすがの美尻だが、三太郎には、彼女がスカートでない事が不満だった。

「何、突っ立ってんの」

「あ、はい」

 三太郎が椅子に座るや否や、由加子がウェイターを呼ぶ。神楽耶かぐやと名札を付けた青年がすかさずやってきた。

「はい、お伺いします」

「え、ちょっと待ってくださいよ」

 しかしそこで由加子のスマホが振動した。

「あ、すみません。ミルクティーとアップルシナモンロールと灰皿」

 それだけ言うと、彼女は電話に出てしまった。ウェイターの青年はさらさらと伝票にオーダーを書き込み、三太郎を見る。

「ええっと、じゃ、じゃあ、えっと……」

 急かされた気がして卓上のメニューに目を走らすも、文字が頭に入ってこず、三太郎はしてしまった。

「ブレンドで……」

「はい、ブレンドで」

「以上で……」

「はい、以上で」

 青年が去るや、すぐに由加子の通話は終わった。壁を背に座る彼女は、細い指でスマホを操作し、画面を消して脇の鞄の中に落とす。三太郎はその指の動きに目を吸い付かせた。

仁志にし先生、三十分」

「えっ?」

「三十分遅れるって。だから一時間」

「は、はあ」

 元々、取材は十四時からの予定であった。三十分早く現地入りしたところへの、三十分遅れるとの連絡だった。よって二人には、一時間ばかりの暇ができた。






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