小太郎がゆく

妻高 あきひと

第1話 小太郎がゆく どこへゆく おい小太郎ちょっと待て

小太郎は書や絵が好きで武芸が苦手。

侍の子とはいえ、これは向き不向きがあるから仕方がない。

さりとて武家の長男であるからには多少は武芸の心得も無ければ本人のみか一族まで恥をかく。

そうなったとき一番辛いのは本人だ。


小太郎の家には決まった流派があるが、その道場も父の江戸藩邸詰めで通えなくなった。

「どこぞ良い道場はないか」と父は小太郎に合いそうな道場を探してきた。

前もって道場主にも会い、その人品骨柄も見定めた上で入門を決めてきた。


「小太郎、明後日からあの道場へ通うがよい。人とつながれば世間も分かる。書も画もよいが、剣が使えぬではそちがこの先恥をかくことになる。そちの恥は家の恥ご先祖の恥じゃ。明後日からじゃよいな」


小太郎も父の命とあれば否応もない。

「はい」

と受けた。

書や絵が好きとはいえ、武芸が嫌いなわけではなく、さほどの苦痛はない。


新しい竹刀や稽古着をそろえてその日がきた。

話しは通っているので小太郎は竹刀と稽古着をかついで一人で道場に向かった。

商家も並ぶ通りに道場の壁が面しており、行き交う人も多く、窓越しに道場の中が丸見えだ。

覗けるのは武家町家を問わず新弟子を集めるための策でもあると父が言っていた。


すでに中では十数人が稽古を始めていた。

通りがかりの町人や百姓がいくつもある窓から眺めている。

見ている者も門前の小僧で、窓から見続けるうちに自然と道場剣法に詳しくなり、あいつは思いっきりがいいとか、そいつは籠手が弱いとか分かってくるらしい。


その中の町人から何人も門弟になっているのだから道場主も見物は大歓迎なのだ。

小太郎はまだ背が足りず、つま先立ちで中をのぞいた。

道場主なのか師範代なのか座ってみなの稽古ぶりを見ている。

あまり怖い顔もしておらず、ここならと思ったが、稽古をしている者の中に数人顔見知りがいるのに気が付いた。


(あいつらがいる。ここで修行していたとはな。父上に言っておけばよかったが、これは困ったことになった。このまま帰るわけにもいかぬし)


小太郎の顔見知りの連中はここら辺りの嫌われ者だ。

幕臣ではないが、そろって武家の跡取りだ。

中には高位の家の者もおり、それを鼻にかけて町民を脅す者、飲食しながら銭を払わぬ者、賭場に出入りする者もいる。

彼らも利口で、もめ事が大きくならぬように乱暴狼藉をするので、なお性質が悪い。


小太郎が黒団子とあだ名をつけた兄貴格の男もいる。

色黒の大男で団子が大好きな奴だが、こいつが一番の悪(わる)だ。

小太郎がどうしたものかと思っていると稽古がひと休みになり、黒団子たちは小太郎に気づかぬまま窓の下に集まってきた。


窓の下に車座になり黒団子が話し始めた。

「あの小太郎が今日からくるそうじゃ。今日は優しくして次からいじめようではないか。小遣にもなるしの。先生や師範代には分からぬようにやるのじゃぞ。今日は優しくしとけよ」

と言っている。


小太郎は帰ることにした。

帰ってことの顛末を父に話し、また他の道場を探してもらおうと思ったが、このまま帰るのも癪にさわる。


あれこれ考えながら歩いていると通りに並ぶ商家のそのすぐ向こうに野原が広がっているのが見えた。

(へ~え、あんな野っ原があったのか、知らなかった)

野っ原を見ながら歩いていると、近くで剣道の稽古の声が聞こえてきた。


「道場があるのか」

小太郎は声のするほうに行ってみると、通りから少し入ったところに小さな道場らしきものがあった。

声はその中から聞こえている。

道場の裏はもう野っ原だ。


玄関は横の路地らしく、回り込むと門柱が二本立っていて玄関はすぐその奥だ。

玄関の前には手招きするように松が立っている。

玄関は開けてあり、見ると草履や草鞋がいくつも置いてある。

奥から稽古の声や竹刀が当たる音がしている。


何という名か、道場の看板は無い。

「名無しの道場か、流派も分からぬ、これは他へ行こう」

思わず大きなひとり言を口にすると、中にいた門弟らしき男がだだっと走ってきた。

小太郎の声に気づいたらしい。


玄関の上がり框から外に立っている小太郎に向けて大声で言った。

「今名無しと言ったのはお前か」

小太郎と背丈も年恰好までも似ている。


「ちょっとこっちへこい、構わんから入ってこい。稽古着をかついでいるではないか、どこの子か、名はなんという、どこの道場の者か」

同じ年くらいなのに偉そうに聞いてくる。

(なんだ、こいつ)


小太郎が黙っていると

「お前は口がきけぬのか、わしは訪ねておる、返事せよ。他人の屋敷をのぞいてひと言あった上に無言では無礼であろう」

小太郎はそれはそうだと思い

「申し訳ございません」

と謝り、それまでのことを説明した。


「ふ~ん、そうか、それでここにの。小太郎じゃったの、まあ上がれ、道場で素振りでもしておれ。先生に相談して入ってよいかどうか聞いてみるわ。」

どうやらこの人物は小太郎を勝手に道場の門弟にする気らしい。

小太郎は少し焦った。


(ここへ入門するとは言ってない。今のうちに言っておかねば)

と思ったものの当の本人の姿はふっと消えている。

小太郎は仕方なく道場に入って素振りをすることにした。

(あの人が戻ってくれば入門する気はないと言っておかねばならぬ)


しかし道場に入ると誰もいない。

今の今まで稽古の声や竹刀の音が聞こえていたのに、誰もいない。

小太郎は何が何やら分からない。

でもすることもないので素振りを始めた。

(どうしよう、困った、それにここは少しおかしい)


  その頃小太郎の家では騒ぎになっていた。

あの黒団子がいた道場から小間使いがやってきて

「こちらの小太郎殿がいまだおいでになっておらず、主も何事かあったかと案じております。まだこちらにおいででございましょうか」

父は藩邸に行っており小太郎の母がおどろいた。


「すでに倅は稽古着も竹刀も持って出かけております。とっくにそちらで稽古をつけてもらっておると思っておりましたが、よもやこのようになるとは。あいすみませぬ、すぐに探し出してお連れいたしますので」

小間使いは

「では主にはそのように伝えておきまする」

と言って帰っていった。


「やはり誰かつけておくべきじゃった、しかしどこへ行ったのやら。このようなことをする子ではないが、なんぞ大事になっておらねば良いが」

母はすぐに家中の者に小太郎を探すように命じた。

「どこへ行ったのやら、凧のようにどこへ行くか分からぬところがあるでの。小太郎よどこにおる、母は案じておる」


 夕方近く、小太郎が稽古着姿で竹刀に着物を丸めてかつぎながら帰ってきた。

家には父や母、親戚の者や近所の者、城の朋輩たちまで集まっていた。

神隠しといって子供が突然行方知れずになることもある。

神隠しにあったか、と大騒ぎになっていたらしい。


皆の手前もある、父は小太郎を叱り、言った。

「みなお前を心配して集まっておられたのじゃ、まずは皆さまにお詫びせよ」

小太郎は皆に向かって

「まことに申しわけございません。違った道場に誤って行っておりまして、お詫び申し上げます」

と深く頭を下げた。

まあ無事でよかった、よかったと声が上がり、皆は三々五々帰っていった。


 父は小太郎を居間に呼び座らせて問うた。

日頃は静かで大人しい父だが、さすがに大きな声を出した。

「道場にも行かず、周りに大迷惑をかけおって。それにお前が道場を間違えるとは思えぬ。あのようなウソを誰も信じてはおらぬ。今まで何をしておったのか、しかと説明せねば許さんぞ」


小太郎は朝からの一部始終を話した。

「ああ、あの家老めのガキどもがおったのか、あいつらがのう、道場主も師範代も何も言わなんだ。言えばわしが断ると思ったのじゃろうな、いったん入れてしまえばどうとでもなると思うたか、ふざけおって。わしも門弟の名札を見ておればこうはならなかったのじゃが、うかつであった」

小太郎は畳に頭をつけるように平伏している。


「う~ん、小太郎よ父がうかつであった。許せの」

小太郎は平伏したままだ。

「まあ、無事で良かった。もうよい頭を上げよ。してその道場はどうであったのか」

小太郎は一部始終を話した。


「う~ん、名無しの道場で流派も不明とはの、それに人がおったのに中に入れば誰もいなかったとは、人を食ったような話しじゃの」

どうやら父は小太郎の話しを信じていないようだ。


父が言う。

「しかしあの辺りにそのような道場があったかの、道場とは初耳じゃ。小太郎はその道場が気に入ったのか」

小太郎は

「はい」とだけ答えた。


父はとりあえず小太郎を休ませて策を立てようと思った。

「もうよいから頭を上げよ」

小太郎が顔を上げると涙ぐんでいた。

(ウソをつく子ではないし、涙ぐんでいる以上は信じてやらねばならぬが、それにしてもあの辺りに道場なんぞあるはずもないが)


父は困ったような顔をして、改めて小太郎を見た。

すると小太郎の様子がおかしい。

「小太郎、もう少しこっちへ寄れ」

小太郎がすり寄ると父は小太郎の異変に気付いた。


行燈の灯りに小太郎の顔が浮かんでいるが、やせているのだ。

今朝までは子供らしく顔がふっくらとしていたのに、今はそのふっくらが消え、やせている。

目つきもおかしく、白目が赤くなり、声もどこか野太い。


父は小太郎に尋常でないものを感じた。

「腹が減っておるのではないか」

と問うと

「減ってはおりませぬ」


「その道場で何か食うたか」

「いいえ、何もいただいてはおりませぬ」

「朝から何も食べておらぬのに腹も減ってないのか。風呂はどうじゃ」

「風呂もよろしゅうございます」

やはりいつもと違う、別人のようだ。


父は小太郎に休むように言った。

「左様か、ならばもう遅いゆえ寝てよいぞ」

小太郎は、はいと言いながら下がって部屋に戻っていった。

父はすぐに母を呼んだ。

「小太郎の様子がおかしい。それにあの辺りの様子はよう知っておるが、そのような道場はない。あの辺りは昔からの野っ原で掘立小屋が二三あるだけじゃ。小太郎は何かに取りつかれておる。あれは尋常ではない」


そうと思えばもはや猶予はない。

父は寝かけていた小太郎を起こし、両隣の家に声をかけ、事の次第を説明すると面白半分なのか、すぐに大小刀を差し提灯を持って六人集まり、槍を持った者もいる。

これに小太郎の家の中間(ちゅうげん)も脇差を差し、小太郎と父と中間と六人、全部で九人となった。


これに裏の家から小太郎と仲の良い若い侍が犬を連れてやってきた。

「妖しきものには犬がよかろうと思い連れてまいりました」

小太郎にもなついている犬で、小太郎を見るや尻尾を振って近づいたが、いきなりウウッと小太郎を見上げながらうなった。

「これ、どうした小太郎ではないか」


父はそれを見て小太郎の異変を確信した。

犬を連れてきた若い者も小太郎を見て顔色を変えた。

皆も小太郎を見ている。

小太郎の様子が確かにおかしいことに皆が気づいた。

父は気が気ではないが、小太郎は平然としている。


 月は幸いに満月で雲も少ない。

「小太郎、今よりその道場に行く、案内せい」

小太郎に道案内させながら九人と一匹がその道場へ向けて駆けた。

途中で禅寺の和尚を誘うとすぐに錫杖と線香などの入った頭陀袋を持って飛び出てきた。


和尚も小太郎をひと目見るや、そのただならぬ様子を見てすぐに理解したようだ。

小太郎の顔に手を合わせて何やら唱え、額に指でじゅ文を書くと言った。

「お父上殿、猶予はありませぬよ、急ぎましょうぞ」

十人と一匹が走る。

犬は小太郎のそばを離れない。


すると途中から何事が起きたかと奉行所の与力と目明しが加わり、十二人と犬一匹の騒動になった。

「えらいことになった、小太郎よ大丈夫か」

父は気が気ではない。


 小太郎がその道場と言った場所に近づくとともに、段々と辺りは人家もなくなり野っ原と藪になり始めた。

だが小太郎には家並みがあるように見えているらしい。

珍しく鳥が飛んだ、烏のようだ。

すると小太郎が言った。

「あの道場にござります」


あたりは一面の野っ原だが、小太郎の指さす先に、月明かりを受けて一軒の掘立小屋が浮かんでいる。

皆が目を合わせ青い顔で小太郎に言った。

「小太郎、あの”道場”で間違いないか」

「間違いござりませぬ、ああ師範代殿が玄関口に立っておられます」


皆が見ても誰もいない。

小太郎がさっさと前に出て近づいていく。

犬がうなりながら小太郎のすぐ後ろをいく。

そのすぐ後を父と和尚が続き、与力と目明しは皆とともに近づいていく。

父も与力も皆も刀の柄に手をかけ、鯉口を切っている。

いつでも抜く気だ。


「妖気を感じる、感じまするぞ」

和尚が言った。


小太郎が小屋に入ろうとすると和尚が叫んだ。

「小太郎どこへゆく、おい小太郎ちょっと待て、入ってはならぬ、小太郎よこっちへ戻れ」

小太郎を後ろに戻すと和尚が小屋の前に立ち般若心経を唱え、経を唱え、手刀を切って中に入った。


皆は固唾を呑むようにして小屋を見つめている。

小太郎は後ろで、犬は小屋を見ながらうなり続けている。


しばらくすると、とつぜん和尚の怒声が月夜に響いた。

「うぬは何をもって縁もなき小太郎に災いをもたらすか、冥土にゆけぬならわしが逝かせてやる」

大きな声で経を唱え、じゅ文を唱え、線香を置いてゆっくりと出てきた。


「済んでござる。小太郎やお家に直接縁の無い者で良かった。

与力殿、中に骸がござる。どうやらお家騒動で家族を亡くし西国より一人で落ち延びてきた侍のようじゃ。


あの者の話しでは、亡くした長男に小太郎が背丈も年恰好もよく似ておったらしい。

長男は騒動の混乱の中でさらわれ、見つかったときは斬り殺されていたという。

ここまできて命を亡くしたものの冥土に逝けぬまま彷徨っておるうちに小太郎を見かけ、つい我が子を思い出し、今日の昼に引っ張り込んで明日も小太郎が来れば冥土に道連れにする気だったと言うておった。

もはや弔いもすませました。二度とは現れませぬゆえ、お父上も小太郎どのもご安心なされませ」


父と皆が小太郎に提灯の灯りを近づけると小太郎の顔がふっくらと元に戻り、犬が小太郎にすがりつき指をなめていた。


皆が小屋に入ると骸のそばには錆びた刀と印籠だけが転がっていた。

骸は明日片付けますると与力が言った。


 「どうせもう夜も遅うござる。今から寝ても致し方ないゆえ皆様にご一献差し上げたいが、いかがか」

と父が誘うと

「おお、せっかくじゃで、それではお邪魔いたそうではないか」

と隣の主人が言うと和尚も与力と目明しも皆が、では少しだけお邪魔をとなった。

父は嬉しそうに小太郎を見るといつものように犬とじゃれていた。


皆がワイワイと言いながら帰ろうとすると小太郎が言った。

「夜中にこんなところに、父上何事かございましたか」

満月の野っ原に笑い声が響いた。









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小太郎がゆく 妻高 あきひと @kuromame2010

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