第2話
日本には5聖人と呼ばれるフットボーラーがいた。デットマール・クラマー、ハンス・オフト、スチュワート・バクスター、アルトゥール・アントゥネス・コインブラ、ミハエロ・ペドロビッチ。時代は異なるが、彼ら5人は日本サッカーを劇的に変えた恩人であり、この5系統が日本サッカーの中枢である。
日本サッカーは広島から始まる。サッカーが初めて伝わったのは広島である。欧州の軍人がサッカーをし、そして自然と日本人もボールを蹴り始めた。
日本サッカーの伝説の始まりはスウェーデン遠征からだ。ショートパスを主体とした戦術で相手に驚かせる。しかし、これ以降は東京オリンピックまで待たねばならなかった。
自国開催のオリンピックを前にして偉大なるコーチ、デットマール・クラマーを招聘することに成功した。広島出身のサッカー協会会長の野津譲の英断である。
日本サッカーの父、もしくは日本スポーツの父とも称される伝説の男である。ドイツユースを率いた事もあった経歴を誇り、日本を離れあのバイエルンを率いてチャンピオンズリーグを制覇した。これほどの格を持ち合わせた監督が日本代表を率いた事は、現在に至るまで例がない。
彼が日本にもたらしたのは基礎だ。ボールの蹴り方から始まったその訓練は現在の基礎訓練にも採用されている。
そして、リーク戦の導入である。クラマーが日本を離れる際に行った5つの提言は、彼の直弟子達により全て実現された。提言は以下のものだ。
1.強いチーム同士が戦うリーグ戦創設。
2.コーチ制度の確立。
3.芝生のグラウンドを数多く作り、維持すること。
4.国際試合の経験を数多く積むこと。代表チームは1年に1回は欧州遠征を行い、強豪と対戦すること。
5.高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置くこと。
そして、クラマーの薫堂を受けた長沼健により率いられたメキシコオリンピックにおいて銅メダルを獲得するに至る。
しかし、日本サッカーは頭打ちとなる。真なる世界の祭典、ワールドカップへの出場はクラマーの教えだけでは叶わないものだった。それもそのはずだ。何処の国でも行われている基礎でしかないのだから。
サッカーリーグのプロ化の待望が巻き起こるのも自然の道理であった。そして、自国開催のワールドカップが決まり、再度外国人監督を招聘することに決まった。ここから日本サッカーは劇的な発展を遂げることになる。
アメリカワールドカップ出場と日本サッカーリーグのプロ化。激動の中で白羽の矢がたったのがハンス・オフトである。当時、基本戦術であったポジションサッカーの本場のオランダの監督である。そして、彼は広島の強豪マツダを率いた経験もあった。
ハンス・オフトは、スモールフィールド、トライアングル、アイコンタクトを中核としたポジションサッカーを導入し代表は劇的なレベルアップをはたした。
しかし、オフトジャパンはワールドカップの出場は叶わなかった。これが世に言うドーハの悲劇である。
オフトが日本を率いたのと時を同じくして、もう1人聖人が日本に訪れた。鹿島の守護天使、ジーコである。彼の逸話は鹿島神宮の御祭神「武甕槌大神」を彷彿とさせる。今日に至るまで、強豪クラブの地位を譲らなかった鹿島アントラーズの建国と武心を築き上げた象徴である。
当時、二部にいた住友金属にジーコはやって来た。彼は飽くなき情熱をこのチームに注ぎ込む。サッカーリーグのプロ化はすぐそこまで来ていた。
しかし、住友金属のプロ化の道は厳しいものだった。まず、二部チームであった事が問題視された。そして何よりホームにプロリーグの規程を満たすスタジアムが存在しなかったのだ。
「住友の加入は99%ない。ただし、サッカー専用スタジアムを建造できれば考えなくもない。」
当時のサッカー協会会長がそう明言したと伝えられている。
この返事を聞き、偉大なるジーコの名の下に集いし男達は県を動かす。陸の孤島とも言われた鹿島にサッカー専用スタジアムが建造された。これにより鹿島アントラーズは誕生した。
まだジーコの伝説は終わらない。彼は鹿島アントラーズで、プロクラブはこうあれ、と唱え続けた。そして、開幕したプロリーグのファーストリーグで優勝を勝ち取る。これが日本最強のプロクラブ、鹿島アントラーズの伝説である。彼の教えはジーコイズム、彼の情熱はジーコスピリットと称し、鹿島では今なお語り継がれている。
日本サッカーがプロ化して、1人の外国人監督が広島を率いる事になった。名をスチュワート・バクスターと言う。彼は当時の最先端の戦術ゾーンディフェンスを導入した。連動したプレッシングと選手それぞれの守備範囲を限定する戦術だ。
彼の率いた広島は、開幕翌年のファーストリーグを制覇した。戦力では劣る広島がリーグを優勝したことでバクスターへの注目が集まることなる。しかし、彼の功績は多くの弟子を残した事になるだろう。最も有名な人物は松田浩である。日本でゾーンディフェンスと言えば必ずこの人の名が上がる。松田浩がプロチームや育成年代を率いたことで日本にゾーンディフェンスは浸透した。
そして、最後の聖人ミハエロ・ペドロビッチ。現在コンサドーレを率いる監督だ。超攻撃的な戦術を用いる監督として有名であり、彼の戦術はミシャ式と呼ばれている。
広島にやって来たミシャはサンフレッチェを降格させた。しかし、伝説はここから始まる。二部で圧倒的な強さで昇格を果たす。
彼が採用した戦術はこうだ。343で始まるそれは、後ろ三枚とGKでボールを回す。そして、食い付いてきた相手を交わし一気呵成に攻め上がる。この時、両サイドは上がり、しまいにはディフェンダーまでも攻め上がるのだ。両サイド の過激なまでの上下運動を指して可変式とも呼ばれている。
この戦術は現在のリーグでは一戦術として用いられたり、基本戦術として採用しているチームも存在する。しかし、現在のミシャ式は更なる進化をしている。いわゆる、トータルフットボールの領域に彼は挑んでいる。
簡単にではあるが、 これが日本サッカーの遍歴である。そして、フットボールは終わらない。新たな戦いが幕を開ける。
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