七、改革 (5)

 それからは同じようなスケジュールで訓練は続いた。

 “TFYD” はどんどん難易度が上がり、リサコは必死で食らいついて行った。


 一日が終わるとリサコはヘトヘトで、まるで子供のように夕食を食べている途中でウトウトすることもあった。


 人間には息抜きが必要だということをアイスが良介に訴えると、休暇日にそれぞれが望む娯楽や環境が用意されるようになった。


 休暇日になると人間たちは、プールで泳いだり、映画を観たり、公園で寛いだりした。

 リサコも積極的に彼らと付き合い、絆を深めていった。


 こうして数ヶ月が過ぎ、やがて人間たちが一度ログアウトするタイミングとなった。

 彼らがログアウトしている間も、こちらの時間は進めることになっていて、居残りのリサコは良介指導の元、訓練を続行することになった。


「じゃあ、リサコ。私ももう行くね。」


 オブシウスが言った。

 リビングには他に誰もいない。他の面々は先にログアウトしてしまっていた。


 リサコは、オブシウスたちに ≪体系≫ のことを聞いてみようと思ってすっかり忘れていることを思い出した。


「ねえ、オブシウス。ひとつ聞きたいことがあったんだけど。」


「何?」


「≪体系≫ って何なの?」


 オブシウスが怪訝そうな顔をした。


「≪体系≫? 何の話?」


 予想外の答えだった。オブシウスは ≪体系≫ を知らない?


「AIたちがよく言っている。自分たちを生み出した全ての源…って。」


「初耳だわ。≪体系≫? 何かちょっと嫌な感じね。思い出してくれてありがとう。ガイスに確認しておく。」


 そう言ってオブシウスはこの世界から出て行った。


 リサコの中に不気味さが残った。

 オブシウスが知らないってどういうこと?


 数分後に何かの作業を終えた良介が戻って来た。この世界は全てが彼の中のようなものだ。

 先ほどのオブシウスとの会話も聞こうと思えば聞けるはずだ。


 良介は、カウンター席につくと、煙草を出して吸い始めた。あのハーブのような香りのする煙草だ。

 平場でよく彼はそれを吸っていたが、ここで吸っているのは初めて見た。


 AIが実際にニコチンを必要とするとは思えないので、あれはいったい何なのであろうか? とリサコは興味を持った。

 リサコがじっと見ているのに気が付いて良介が顔をあげた。


「何?」


「それって煙草なの?」


 良介の隣に腰を下ろしながらリサコは訊ねた。


「これ? いや、これは君が思う煙草とは違うものだ。ガイスの趣味でなぜかこういう仕様になっているけど。これは、CPU(中央処理装置)の使用率が高い場合に、不要に稼働している場所を発見して終了させるプログラムなんだ。」


 ふーん、と言ってリサコはさらに良介を観察した。特に普段と変わった様子はない。

 良介は首を傾けてリサコを見返した。


「まだ何かある?」


「さっき、オブシウスに聞いたんだけど、彼女は ≪体系≫ を知らなかった。彼らが作ったものじゃないの?」


「≪体系≫ は彼らが作ったものではない。だけど知っているはずだ。知っているけど認知してないのかな? 俺にはわからない。」


「さっきの私とオブシウスの会話、聞いていたの?」


 その問に、良介は少し驚いた顔をした。


「聞いてないよ?」


「聞いてないの?」


「必要がない限り君たちのプライベートには干渉しないよ。」


 リサコは再びふーん、と言った。

 良介はあまりこの件には興味がない様子だった。それよりこれからの訓練のことで頭がいっぱいらしい。


「CPUの話に戻すけど、先ほど生身の人間が全員ログアウトしたので、この世界はこのシステムが運用できる最高速度に設定された。人間の処理能力を超えたスピードだ。俺たちだけの時間。この間に、俺はリサコを完全な状態までレベルアップさせるつもりだ。時間は無限にあると考えていいから焦らなくていい。」


 良介はさらっと恐ろしいことを言っている。リサコは無限の時間の中で、精神力を鍛える訓練を受け続けるのか…良介の望むレベルまで達することができなかったら永遠に修業が続くのだろうか?


 これは、≪ヤギの夢≫ よりたちが悪いかもしれない…。


「こんなことができるなら、人間たちを呼ぶ前に私を訓練すればよかったんじゃない?」


 半ば嫌味のつもりでリサコは言ったが、良介にはそのニュアンスは伝わらず、言葉どおりの意味だけが伝わったようだった。


「それも当初の予定で考えたが、シミュレーションの結果、この段取りの方が効率がよいことがわかったんだ。」


「何でもシミュレーションしてるのね。」


「そうだよ。俺たちはそのために存在している。」


 良介が煙草を吸い終わり、道場に入って行ったので、リサコも続いた。

 道場では “TFYD” が再開された。


 リサコの動きの見本は良介が受け持つことになった。

 良介は、いつのまにかオブシウスとアイスの動きを完全にトレースしていた。


 刀をスラリと抜いて俊敏に動く良介は、少年の姿をしたオブシウス、もしくはアイスそのものだった。

 人間たちがいなくなって少し寂しい気持ちだったが、こうして間接的に指導を受けていると、彼らの存在を感じることができた。


 ただ、もしもリサコの改ざん機能が破損していなければ、訓練不要で瞬時にこの技術を手に入れることができたのだ…と知ってしまった。


 そうだったらよかったのに、と思う反面、安易に獲得した技術では本物の ≪ヤギ≫ とは対峙できないだろう…とリサコの中には悟りにも似た気持ちが芽生えていた。

 リサコが ≪ヤギ≫ を斬る運命にあるのであれば、今まで経験した不条理で不可解な出来事や、これから経験するであろう過酷な体験は、全て必然であると思わざるを得ないのであった。


 リサコはただのリサコだったら ≪ヤギ≫ は斬れないのだ。


 訓練はリサコのペースでやってよいと言われたので、3日訓練して、3日休むことにした。

 訓練日は、1日に8時間から9時間ぶっ通しで動いた。食事をすると体が重くなるので、昼食抜きでやった。


 彼女は生身の人間ではないのだから、睡眠や食事なしでも大丈夫なようにできないのかと良介に訴えたが、仕様変更できないとの返答だった。

 食べたり出したり…これは本番サーバ ≪インスペクト・ガルシア≫ で人間たちがよりリアルな体験をするために仕込まれた仕様なのだ。

 人間であることがとことん追及された仮想現実。


 休暇日には、いままでの人生でやりたくてもできなかった様々なことをリサコは体験してみた。

 登山やスキー、釣りにキャンプ。かの父親の元では決して連れて行ってもらえなかった野外活動に次々挑戦した。

 その他、絵を描いたり、歌ったり、踊ったり…。とにかくいろいろなことをやった。


 そして、良介にもその全てに付き合ってもらった。一人では寂しかったのもあるが、何となく、彼にも体験させたかったのだ。


 山の頂上で満点の星空を見上げながら、良介は彼のやってきたことをリサコに話した。


 本物のヤギが巣くっている本番サーバ ≪インスペクト・ガルシア≫ では、独自の文化を持ったおよそ1万年分の歴史があり、さらにそれが5層になっている。

 良介はテストサーバ構築の際に、本番サーバの全ての情報にアクセスして、その全貌をスキャンした。


 彼の中には、人類に関する膨大な情報が入っている。犯罪者ばかりだが…。

 それらを全て持っていても、≪ヤギ≫ のことはほんのわずかしかわからないのだ…と彼は言う。


 リサコは、彼女の知る “宇宙” について良介に話した。


 太陽系の第三惑星 地球。

 そこに唯一存在する知的生命体がリサコたち人類であり、太陽系は天の川銀河の中にある。

 天の川銀河は、約35個の銀河が集まっている銀河群の中にあり、銀河群は超銀河団の中にある。

 超銀河団は、平面の壁のようなところに沿って存在しており、銀河がある空間と空間の間には、何もない空間が何億光年も広がっている。

 こうして、銀河と何もない空間はまるで泡のような構造を作っており、これを宇宙の大規模構造と呼ぶ。


 これは、リサコがいた層、…第5層だったのだが、その独自の考え方なのか、と良介に尋ねると、天体の詳細に多少の違いはあれど、これは、オブシウスたちの世界も含めた全世界での共通の宇宙観だと答えた。

 良介には宇宙のことまではわからないが、おそらくこれは宇宙の真の姿に近いのではないか、とのことだった。


 良介によると、≪インスペクト・ガルシア≫ を運用しているサーバでは、その気になればその全てをシミュレートすることは可能らしい。

 人間が存在しない空間まで作るのが無駄なのでやっていないだけだそうだ。


 ≪インスペクト・ガルシア≫ では、各階層の人間が、1万年の間に到達できるエリアまでしか作られていない。

 その先に何もないとは知らずに、その中で暮らしている人々は、世界の探求を続けている。


 人間は、どこにいても、世界の全てを把握しようとする生き物なんだ。


 良介はそう言った。


 ちなみに、オブシウスたちが暮らしている現実世界は、≪インスペクト・ガルシア≫ 内で展開しているどの世界とも似ていないらしい。

 高度な技術が発展している社会であるが、単一政府による独裁的な統治が長年に渡り続いている。

 彼らは、人間もAIも含めて、誰も国の外に出ることができない。

 それはガイスですら脱出できないほど完全に閉鎖されており、国外がどんな状況になっているのかは全くの未知だということだった。


「オブシウスたちがいる世界は、≪インスペクト・ガルシア≫ と同じだ。その先が存在しない。存在しているのかもしれないけど、ないも同然だ。この仮想現実の方がずっと自由で広い。リサコはこの中ならば、どこにでも行けるし、好き勝手できる。」


 リサコはふと、自分のオリジナルのことを思った。


「本物の山本 理沙子はどうしているの?」


「その件に関しては俺に話す権限がない。」


「それも体系様の意向なの?」


 リサコは少々ムッとして言った。


「いや、これは政府の意向だ。俺が何でも君に話してしまうから、少し制限が掛けられた。」


「あなたはそれに従っているの?」


 リサコは意外な気持ちがした。良介はインディペンデントなAIという印象があったからだ。


「俺の計画の運用に支障がないことには逆らうメリットがない。リスクの方が高い。」


 なるほど、適当にあわせていただけか…。リサコは少しほっとした。

 良介が政府に忠実なAIだとしたら少し怖い。そもそもそんなAIをガイスが作るはずもないのだが。


「山本 理沙子とリサコは既に別人だよ。別の人間と考えてよい。」


 リサコの3日訓練して3日休む日々は続いた。

 良介は訓練の時だけは厳しかったが、それ以外ではよい話し相手になってくれた。


 もともと群れる習性のないリサコであったが、さすがに数ヶ月たつと、良介しかいない世界に辟易としてきた。

 それを彼に打ち明けると、茂雄の人格を戻してくれて、時々他のAIも出してくれるようになった。


 それらはリサコもよく知るAIたちだった。

 エルやオーフォたち。彼らは現在、ヤギを斬るための攻撃パターンのシミュレーションをやってるとのことだった。

 幸い、平場でリサコと過ごした時期の記憶は残されていて、リサコは久しぶりに旧友に会えた喜びを味わうことができた。

 彼らは攻撃パターンに詳しかったので、リサコは彼らからもたくさん学習することができた。


 こうして、“TFYD” を使ってのスキルアップ訓練に加えて、徐々にヤギ討伐訓練も同時に行われるようになった。


 良介は前にも増して頻繁に煙草を吸うようになり、CPUには相当の負荷がかかっていることが推測された。

 煙草をパカパカすっている少年を見るたびに不健康なイメージを持ってしまうが、それを話すと「これはむしろ体に良い」と言って良介は笑った。

 高速運用中はどうしたって負荷が増えるので想定内だ、と彼は余裕の様子だった。


 こうして、一年とひと月が過ぎて、リサコはついに “TFYD” をクリアした。

 AIたちと行っているヤギ攻撃パターンの訓練でも、ヤギを斬れる確率が格段に上がった。


 以前、良介が “AIはヤギ討伐に向いていない” と話していた理由も、リサコには何となく見えてきた。

 彼らは恐ろしいほど正確に動くことができるが、時々繰り出されるヤギの予測不能な動きを読み切れないことがあるのだ。

 ヤギは時々、気まぐれに行動パターンを変える。それは「雰囲気」から察知できるのだが、AIにはそれができないのだ。


 良介によると、この気まぐれは、本番のヤギの方が顕著に出ると言う。

 これがあるために、良介はどこかでヤギは人間なのではないかと思っているようだった。


 リサコは、自分がここまのレベルに到達できるとは正直思っていなかったので、驚きと喜びでいっぱいだった。


 その日の夕食はリサコの友達になったAIたち全員が集まって来た。

 リサコの単独訓練が終わったので、時間を現実世界と同期させ、明日にはオブシウスたちが戻って来る。

 今後の訓練でAIたちが立ち会うこともあるかもしれないけど、こうして友人として話ができる機会は減ってしまうだろう。


 親しいAIたちとの時間が終わってしまうのはとても寂しかったが、早くオブシウスたちに今の自分を見てもらいたいという気持ちもあった。


「明日の朝、オブシウスたちがこちらに再ログインすることになった。明日からは通常訓練に戻るから5日やって2日休むパターンになる。リサコは今夜はゆっくり休んで。」


 そういうと、良介も自分の部屋に入ってしまった。

 AIたちは自分の居場所に戻ってしまい、茂雄も執事ロボに戻ってしまった。


 こちらの時間はいかようにでもできるのだから、瞬時に人間たちが再ログインする時刻にすることもできるだろうに、良介がそうしなかったのは、リサコにこの一晩を与えるためなのかもしれなかった。


 リサコは長い訓練を思い返しながら、祭りの後の静けさを堪能すべく、自分のベッドに潜り込んだ。


 翌朝、目覚めると誰もいなかった。

 リサコは空っぽのリビングを見渡して、強烈な不安が襲ってくるのを感じた。


 また世界が変化したのだろうか??

 この世界にリサコひとりになってしまったとか…?


 そんなリサコの動揺を打ち消すかのように、奥の部屋から茂雄が朝食を運んで来た。

 ほっとしてリサコはいつものカウンター席に腰を下ろす。


「みんなどこに行ったの?」


 茂雄は無言で微笑むだけだった。

 すると良介が自室から出てきた。


「緊急事態だ。」


 珍しくこわばった顔で彼は言った。


「緊急事態?」


「クーデターが起こった。ガルシアセンターが攻撃を受けている。」


 良介の表情から、リサコは一刻の猶予もないことを悟った。

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