七、改革 (4)

 翌日から、リサコとオブシウスは午前中にスピード強化訓練を行い、午後から他のメンバーに加わるスケジュールとなった。


「これからリサコにやってもらうのは…トレーニングプログラム “TFYD” 。」


 道場の真ん中でオブシウスが画面を操作すると、部屋が和風の長い廊下に変化した。


「“TFYD” ?」


 “Think fast you'll die” という文字が空間の中央に出現した。

 それと同時に、リサコの視界にパラメータのようなものが見え始めた。


 右上に緑の横棒、左下に血圧と心拍数、その他いくつかの数字が出ていたが、何を意味するのかはわからなかった。


 早く動け、死ぬぞ…。そういうことか…。リサコは状況を飲み込めてきた。


「これは、国家機関も訓練に採用している、ゲーマーがゲーマーのために作った強化プログラムなの。狂っているから覚悟して。

 まずは私がやるから、リサコはその後。真似すればいいから。」


 オブシウスが手に日本刀を出現させた。リサコが使っているものと同じタイプのものだ。


 リサコも追って刀を出す。


 激しいリズムの音楽が流れだすと、訓練がスタートした。

 前方から忍者が現れ、手に持った手裏剣をシュッシュシュッと投げて来た。


 オブシウスは、それらを全て刀ではじき返した。


「リサコッ!」


 言いながらオブシウスがリサコの後方に回ったので、今度はリサコが忍者と対面になった。

 忍者が手裏剣を投げてくる。


 それらを撃ち返そうとしたが、全て外した。


 グサッグサッグサッと手裏剣がリサコの胸に刺さった。

 ブシュ―ッと血が噴き出し、全身に痛みが走り動けなくなった。

 足がしびれて動けない。


 リサコが仰向けに倒れると、目の前に “You failed”(失敗)という文字が浮かんだ。


 オブシウスが手を貸してくれて、やっとのことで起き上がった。


「今の…何??」


「このプログラムでは、相手の攻撃に当たると、実際にダメージを食らう。右上のバーを見て。緑の線の中に赤い部分が増えてるでしょう? それが全部赤になったら、あなたは死ぬわ。」


 え? 死ぬ?


 リサコは自分の耳を疑った。


「じゃあ、続けるよ。もう一度、忍者から。」


 オブシウスはリサコの困惑を無視して言った。


 問答無用でプログラムが続行した。


(鬼軍曹がここにもいたっ!!!!)


 細かいことを考える暇もなく、忍者が手裏剣を投げてくる。

 今度は2個打ち返せたが、1つ刺さった。

 先ほどよりは緩めの痛みが来る。


 本当に死ぬのか? 狂っていると言っていたけど、狂いすぎじゃないのか??


 右上のバーを見ると、リサコの命は既にほんのわずかになっていた。

 次、1つでも食らったら確実に死ぬ。


 オブシウスはそんなリサコの焦りを知ってか知らぬか、平然とした態度で、「次っ!」と言った。


 忍者が来て手裏剣を投げる。投げるコースは今のところ毎回違っている。


 リサコはこの忍者には二度と会いたくないと思った。

 カッと頭に血が上って、力いっぱい刀を振った。


 すると、カンッカンッカンッと軽快な感触と共に、全ての手裏剣が弾き飛ばされてリサコは生き残った。


 “You survived”


 目の前に文字が点滅した。それと同時に残りわずかになっていた命のバーが満タンまで戻った。

 リサコはほっとしてオブシウスを見た。オブシウスは頷き返してくれた。


 場面が変わって、洞窟のような背景になった。

 前方から巨大なドラゴンが現れ、火を吹きながら石つぶてを投げてきた。


 リサコはオブシウスの動きを目で追う。


 炎は刀で受けられるようだ。石は避ける必要がある。


 オブシウスが下がってリサコが前に出る。


 最初は炎が来る。それは何とか刀で受け止めた。

 そこへバラバラと石が降って来る。これはダメだ。よけきれない。


 頭部や肩に激しい痛みを感じる。

 リサコの命のバーがみるみる減っていく。


 リサコは焦って闇雲に左右に走り回る。


 そこへ、まともにドラゴンの炎を食らってしまった。


 一気に命が減って、成すすべもなくゼロになってしまった。


 目の前が真っ暗になる。


 “You are dead” の文字。


 死んだ。死んじゃった!


 そう思った瞬間、明かりがついて、リサコは元居た道場の真ん中で仰向けに倒れていた。


「初めてにしてはまずまずだったわね。」


 オブシウスが手を引いて起こしてくれる。


「本当に死んだかと思った。」


 それを聞いて、オブシウスはふふふと笑った。


「あの命のバーがゼロになると、本当に死ぬのよ。ゲームの世界でね。命がゼロになると、それまでゲームの世界で得たもの全てがリセットされちゃうの。訓練に成功すれば戻って来るんだけどね。リサコはゲームアカウントではないから、単純に痛いだけだけど。」


 なんとサディスティックな…。


「ああゆうのがいくつ出てくるの?」


「やろうと思えば無限に…。最初に自分で到達したいレベルを設定するの。リサコのゴールは最高水準に設定してるから、だいたい100体くらい出てくるんじゃない?」


 100…。気が遠くなるような訓練を初めてまった…とリサコは後悔しはじめていた。アイスの助言どおり、断ればよかったのかもしれない。

 いやしかし…リサコにはもうこの道を進むしかないのだ。


 少し休憩を挟んで、オブシウスとリサコは再び訓練を再開した。

 訓練は先ほど失敗したドラゴンから始まった。


 今回も失敗してしまった。が、少しドラゴンの動きの特徴を掴むことができたような気がした。

 再度続けて挑戦すると、ようやくリサコはドラゴンを攻略することができた。


 次のステージは宇宙空間だった。

 前方からすごい勢いでレーザービームが飛んできた。ビームを発している本体は見えない。

 ビームに混ざって時々モフモフの謎の物体が飛んできた。そいつはすぐに切らないと、体にくっついてきて、数秒後に爆発する恐ろしいものだった。


 このステージでリサコは4回死んで、5回目で生還した。


 こうして、リサコの個人訓練と、ヤギ討伐隊の全体訓練は毎日続いた。

 午前中の個人訓練には、時々アイスが指導してくれることもあった。オブシウスが何も言わずにひたすら繰り返させるのに対して、アイスは丁寧にコツなどを教えてくれた。どうやらバランスを見てこのような二人からの指導を採用しているようだった。


 この人たちは、本人たちのスキルが高いだけなく、チームとしての育成能力もずば抜けて高いのだ。リサコは数日のうちにそれを感じ取っていた。

 これならば、リサコもただの女子高生から、一人前のヤギ殺しになれるかもしれない。


 リサコはアイスととても気があった。歳が近いせいかもしれない。

 (リサコは自分がいくつなのか実はもうわからなくなっていたが、まだ女子高生だということにしておいた。)


 アイスは、現実世界の様々なことを教えてくれた。

 彼らが暮らす現実世界は、リサコの感覚で言うと、ずっと未来のようだった。


 本物のヤギがいる本番サーバというのは、犯罪者の更生プログラムを運用しているスーパーコンピュータだ。

 そこで稼働している仮想現実は、その名も ≪インスペクト・ガルシア≫ という。


 ≪インスペクト・ガルシア≫ では、約1万年分ほどの架空の惑星の架空の文化・歴史が時系列順にシミュレートされており、さらにそれが並行に5層のレイヤーに分かれて同時に運用されているとのことだった。


 残念ながら、アイスたちの社会では治安が悪化する一方で、独裁的な政治の影響もあいまって、ガルシアセンターに収容される囚人の数が急増しているらしい。


 ヤギはその中の第三節の第六区画、第5層目のレイヤーに出現した。


 リサコはこの言い方に覚えがあった。そう、記憶を失った良介や、オーフォ、エルと共に暮らしていた平場と呼ばれる空間で、彼らは ≪第三節≫ を運用していた。

 当時は何のことだかさっぱりわからなかったが、彼らがいじっていたのは対ヤギのために用意された、テスト版 ≪インスペクト・ガルシア≫ の一部だったのだ。


 で、その ≪節≫ というのは、リサコが暮らしていた東京の街だった。架空の惑星の架空の世界だったのか?


 今はもう、リサコを使ってヤギ攻略のシミュレーションを行う必要がなくなったで、≪節≫ は削除されてしまった。

 ここには、道場になっている茂雄の家と、あとはAIたちが攻撃パターンを分析しているスペースしかない。


 自分が生きていた世界に未練は全くなかったが、なくなってしまったと思うと少し寂しかった。

 この世界はシャボン玉の泡のように儚くて曖昧なのだ。


 長い一日が終わり、皆が自室に戻ってしまうと、リサコと茂雄だけがリビングに残された。

 サーバの負荷を極力減らすために、人格を抜かれて執事ロボットのようになってしまった茂雄に、リサコは前のように話しかけるようにしていた。

 何だかそうしないと、茂雄が完全に人ではなくなってしまう気がして怖かったのだ。

 彼女にとって茂雄は、この世界で初めて安らぎを与えてくれた大事な存在なのだ。


「今日、私ね、初めて巨大ムカデの胴を斬ることができたんだ。あいつを斬るのに何日もかかちゃって…。」


 返事はないが、茂雄はリサコの方を向いていた。


「おじいちゃんも、あんまり無理しないでね。家事を一人に押し付けるのは私の本意じゃないんだ。だって私はずっと全部やってきたから、その大変さをわかっているつもり。」


 リサコは茂雄の後ろに回ると椅子に座らせて、彼の肩をもんでやった。感触は人間と全く同じように思った。

 ただ、茂雄は肩をもんでもらっても、無表情のまま、ピンと伸びた姿勢で座っているだけだったが。


「じいちゃんは、疲れたりしないから大丈夫だよ。」


 急に後ろで声がしたので振り向くと良介が立っていた。


「わかってるよ。ただ、人間ぽくしてあげたいだけ。」


「攻撃パターンの計算が終わらないから、まだ戻してやれなんだ。」


「うん。大丈夫。これはごっこ遊び。気にしないで。」


 良介は半分理解したような、理解していないような微妙な顔をしていた。

 リサコは茂雄から離れると、良介のところへ行き、ゆっくりとその身体に腕をまわした。

 彼の胸に顔をうずめると、良介の香りがした。緑が一斉に芽吹く命の香り。リサコは胸いっぱいにその香を吸い込んだ。


 この香をかぐと、安心するのだった。ずっと昔…幼いころから知っているような香。


 良介はやさしくリサコを抱き返してくれた。

 このごろ人間たちの様子を観察して、どうやって友情を深めるのか彼なりに学んでいるのだ。


「良介、私、うまくやれるかな?」


「大丈夫、リサコはやれる。俺の計算では現状で98%成功すると出ている。」


「もしも、ヤギを斬ったら、その後、良介はどうなるの?」


「さあ…オブシウスが使ってくれるんじゃないか? 俺はガイスのお気に入りだから削除はされないだろうって。それから ≪体系≫ もそう望んでいる。」


 体系…?


「ねえ、≪体系≫ って何なの? 平場の人たちがよく言ってたけど。」


「俺たちを生み出した全ての源、それが ≪体系≫ だ。」


「≪体系≫ ってもしかしてガイスのこと?」


「違うよ。」


「じゃあ、何? この世界を動かしているOSみたいなもの?」


「それとも少し違う。俺には詳しく説明する権限がない。」


 良介はリサコから体を放すと、にっこり微笑んで自分の部屋に戻ってしまった。


 リサコも自室に戻るとベッドに潜り込んで、さっき良介が言ったことを考えた。


(体系。全ての源? 権限がない?)


 明日、オブシウスやアイスにも聞いてみよう…と思いながら、リサコは夢の世界へと入っていた。

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