六、河原 (1)

 翌日、オーフォ班のメンバーはなんとなく浮足立っているように見えた。ここまで頻度の高い人員の連続追加は異例中の異例だ。


 これから始まるオーフォ班の新メンバー追加の立ち合いには、今までにないほどの大人数がモニタリング接続をしていた。

 リサコもエルに教わりながら音声と映像をSTARTUP ROOMにつないだ。


 ちょうどオーフォが部屋に入って来て、部屋の正面にある赤い幕の前に立ったところだった。

 それと同時にベチャっと音がして、幕が少し揺らぎ、肌色のヌルヌルした塊が幕の向こうから転げ出てきた。


 オーフォがすかさず肌色の塊に画面を向けると、静かにこう言った。


 「チーフ、またR番台です。」


 肌色の塊は、ごろんと向きを変えると、上向きに寝転んだ真っ裸の醜い体形の男へと変貌した。

 転がり出てきた時はただの塊のように見えたのだが…。


 オーフォが画面を操作し、「アクティベートは普通にできました。」とアイスリーに報告した。


 裸の男はゆっくり体を起こすと、膝をついて、どっこらしょと立ち上がった。

 それを見届けると、オーフォは何も言わずに部屋から出て行ってしまった。


 アクティベートされると、余計な説明は省略できるのだ。

 リサコの時にはいきなりたくさんの情報をぶち込まれてパンク気味になったのだが、あれはオーフォの優しさでもあったのだ。


 「ねえ、エル。Rもあんな感じだったの?」


 リサコの質問に、部屋の反対側でSTARTUP ROOMをモニタリングしているRがチラッとこちらを見た。

 エルとリサコは構わずお喋りを続ける。


 「うーん。そうね…Rはアクティベートはできたけど、寝たままだったからオーフォが体を洗浄して服を着せたのよ。15分後に目を覚まして、あの調子でケロっとしてたけど。」


 そうなんだ…。やはりアクティベートできないのはリサコだけなのだろうか? これはR番台だからとかではなく、単にリサコが出来損ないだということななのか。


 リサコは少しだけ孤独を感じた。


 この世界にやってきたばかりのR-3(アールスリー)がシャワーを浴び始めた。

 おじさんのシャワーシーンなど見ていても面白くないので、チーフの部屋の映像に切り替えようとしたその時、リサコはとんでもないことに気が付いてしまった。


 ブヨブヨしただらしない腹…、禿げかかった頭部…、短い脚…。


 この現実なのか何なのかわけのわからない世界に、意味不明な方法で誕生した新しい人間は、こともあろうに、リサコの天敵、かつての高校の担任、河原ツトムその人だったのだ。


 耐え難い嫌悪感に襲われてリサコは椅子を蹴って立ち上がり、乱暴にドアを開けるとラボから飛び出した。


 ウソだ!! ウソだ!! こんなこと!! あり得ない!!


 リサコは夢中で走って自室へ向かった。エレベータに乗り込み、じっとしていると、途端に猛烈な吐き気が込み上げてきた。

 エレベータが到着するまで永遠にも感じられる時間をリサコは耐えた。アイアンタワーでの出来事がフラッシュバックし、ドアが開くと河原が立っているのではないかという恐怖で足がすくんだ。

 冷や汗で全身がゾクゾクし、リサコは独りガタガタ震えた。


 エレベータがリサコの部屋のある階に到着しドアが開いた。当然だが河原はいなかった。

 リサコは廊下をヨタヨタよ進み、やっとの思いで共同のトイレにたどり着いた。便器のフタをあけて、嘔吐した。激しい嘔吐はしばらく続き、胃の中が空っぽになるとようやくすっきりした。


 トイレの個室から出ると、洗面所で口をゆすいだ。顔を上げると、鏡の中に青白い顔をした自分がこちらを見ていた。

 ひどい顔だ。今までいろいろなひどいことがあったが、これはその中でも最低最悪かもしれない。


 こんなことってあるだろうか? 河原が出てくるなんて…。もう二度と会うことはないかと思っていたのに…。


 寒気がしてきた。リサコは自分の部屋に戻ると頭から布団をかぶってベッドの中で丸くなった。

 いっそのこと全部夢だったらいいのに…と思った。目が覚めたら、猛獣的父親 幡多蔵との日々が再開されるのでさえ大歓迎だ。

 もう限界だ。こんな意味不明な人生は限界だ…。


 そうやってリサコが布団の中でブツブツ言っていると、誰かが部屋にやってきた。ドンドンとドアをたたいている。

 チームのメンバーの誰かだろう。心配して来てくれたのだろうけど、リサコは今は一人にしてほしかった。


 耳をふさいでやり過ごそうとしていると、直接頭の中に声が入って来た。


 「ヤマモトリサコ? どうしたんだ?」


 Rの声だった。意外にもリサコの様子を見に来たのはRだったのだ。


 「鍵、開いてるよ。」


 リサコは声に出して言った。ドアの開く音がしてRが部屋に入って来た。

 ベッドが揺れて彼が座ったことが感じられた。


 「私は大丈夫だから、ほっといてくれる?」

 「そういう訳にもいかない。」

 「オーフォの指示だから?」

 「それもある。」

 「この会話もみんなに筒抜けなの?」

 「今は通信は切ってるよ。みんな新メンバーのアールスリーに夢中だからね。」


 リサコは河原のだらしない裸を思い出して、ブルブルっと震えた。


 「あんたはあいつの世話しなくていいの?R番台だったんでしょう?」

 「俺の担当はヤマモトリサコだよ。」


 そういうと、Rは布団をそっとめくって、事もあろうに中に入ってこようとした。リサコはギョッとして体を起こした。


 「ちょっと!何すんの?」


 Rはキョトンとした顔をしている。


 「ダメだった?」


 もっさりした前髪でいつもは見えないRの瞳がリサコを覗いていた。そんな目でそんなことを言われたら何も言い返せない!

 子供のくせに、こんなやり方はずるい。


 リサコが固まっていると、Rは了解を得たと思ったのか、そのまま布団の中に入って来てリサコの隣に体を横たえた。


 「ヤマモトリサコ、君は極度な精神的ストレスを受けている。原因はわからないけど、おそらくアールスリーと関係あるのだろう。まずは、ストレスを緩和するために何をしたらいいかわからなかったから、体系に問い合わせたんだ。そしたらこうしろと指令が出た。これで本当にストレスが緩和されているか?」


 「はぁ?」


 今度はリサコがキョトンとする番だった。


 「なぜストレスを感じているのか説明を聞く前に、まずこうしろと体系に言われた。あっているのか?」

 「体系ってとんだクソ野郎だわね。良介…正解だよ。まずはこうしてて…。」

 「俺は良介じゃない。」

 「そうだった、ごめん。では、私のことはリサコって呼んで。ヤマモトはなしで。」


 Rはうん、とうなずいた。

 リサコはRの身体に腕を回してみたが、彼は何も特別なことは感じていない様子だった。もしかしたらこの子も生殖能力がないのかもしれない。


 リサコはRの胸に顔をうずめて思い切り息を吸い込んだ。良介の香り…Rの吸っている煙草の香りがした。その匂いを吸い込んでいると、だんだんと気持ちが落ち着いてきた。

 体系が何なのかさっぱりわからないが、全知全能の神なのではないか?

 Rがここへ来て、こうして抱き枕になってくれなかったら、おそらくリサコは発狂してたであろう。


 「リサコ…、俺はいつまでこうしてればいい?」

 「ありがとう。もういいよ。」


 リサコが体を起こすと、Rも起き上がって胡坐の姿勢になった。


 「では、みんなと接続するよ。話してくれる?何があった?」


 リサコはうなずくと、今回出現したアールスリーが、河原とそっくりなことと、河原と最後にアイアンタワービルで遭遇した時のことをもう一度みんなに話した。


 夢の中の妙な双子のおじさんに言われたとおりにアイアンタワービルの9階に行ったら河原がいて、緑のドロドロを出していたのだ。


 「アイアンタワービルってあの全レイヤーで同一の場所の名前だったな。やっぱり俺たちR番台はあそこと何か関係があるのかな?」


 Rによると、アールスリーはまるで赤ん坊のような性格の個体で、ほとんどまともな会話ができないらしい。そんな状態なので、リサコの話とアールスリーの関係はわからずじまいだった。


 「じゃあ、俺は仕事に戻るよ。ビルの調査が全然進んでない。アールスリーとあそこの関係も見てみたい。リサコは今日はもし無理だったら休んでていいそうだけど、どうする?」


 リサコは休むことにした。明日の朝までに、アールスリーと対面する覚悟を決めることにした。

 それを確認すると、Rがあっさり部屋を出て行こうとしたので、リサコは引き留めた。


 「いま、通信切れてる?」


 うなずくR。リサコはRの襟元を引っ張り自分の方へ顔を引き寄せると、そっとその唇に口づけをした。

 予想通り、Rはその意味がわかっていない様子だった。


 「これはね、あなたが特別だという挨拶。明日、できたら迎えにきてくれない?」


 Rは迎えに来る約束をして、職場へと戻って行った。

 独り部屋に残されたリサコは、叫びたい気持ちだった。


 (良介!!あんた何なのよ!?)

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